上野歴史散歩

 公園を含めたこの辺りは、江戸時代、東叡山寛永寺の境内でした、総坪数が36万坪の樹木の茂った静かな森でした。今の大噴水の辺りは竹の台と言われ、根本中堂を中心とした多数の壮麗な堂塔が点在していました。また、東照宮を始め徳川将軍家の霊廟等と共に東叡山は江戸第一の霊場でした。
 幕末、慶應4年(1868)に彰義隊の戦いで上野の山は1日の戦乱で諸堂宇の殆どが焼失しました。
 明治6年に日本最初の公園として出発し、今日、都民に最も親しまれています。


開山堂
開山堂
 寛永寺の開山天海僧正を(慈眼大師)を祭る、慈恵大師を併祀しているところから、一般には両大師と言い う。
上野大仏
上野大仏
 関東大震災で倒壊した、大仏の頭部を祀る。
上野黒門
黒門
 元は上野寛永寺の正門であった。上野戦争の時に彰義隊はこの門を本陣として戦った。 円通寺住職が放置されていた戦死者を境内に葬った縁で、明治40年(1907)に現在地に移された。 今も弾痕の跡が多数残っている。
五条天神社
五条天神社
 十二代景行天皇の御代、日本武尊か東夷征伐の為、上野忍ヶ丘を通ったときに、薬祖神2柱の大神にご加護を頂いたことを感謝され、この地に両神を祀ったことに創始する。
 
御祭神は主神が大己貴命、少彦名命、菅原道真公
不忍弁天堂
不忍弁天堂
 上野公園の隣にあり、かつての東京湾の名残です。江戸時代は池の周囲に水茶屋が並び町民の遊び場でした。不忍池弁天堂は寛永寺の境外祠堂で寛永年間(1624〜44)に常陸下館城主水谷伊勢守が中島を築き堂を建てて弁財天を祀ったのに始まります。現在の堂は昭和33年の再建です。
巖有院霊廟勅額門
巖有院
 四代将軍家綱の霊廟は権現造りの華麗な建物であったが、戦災で焼失し勅額門、水盤舎、宝燈を残すのみです。
清水観音堂
清水観音堂
 清水観音堂は京都清水寺の僧が清水寺に安置されていた千手観音を天海僧正に献じたことに起因し、 寛永8年(1631)清水寺にならい創建されました。
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