頑固な文庫読者
この本を読んだぞ
本を買って読めればいいけど、時間がなかったり、読むタイミングを逸してしまったり、という難関を克服した完読本の感想をつらつらと書き込んでおります。
この中で「これはこれは」な本になるものが出てくればいいのですが。
完読本(2000/07〜)
- 『本日順風』 野田知佑著 文春文庫 の−5−4 495円+税
全く幼稚な奴らが多い。
これは僕自身も含めてである。
全く似非な奴らが多い。
これも僕を含めてである。
何が正しくて、何をしなければいけなくて、何をしてはいけないか。大人は適切な判断を行えることが必須だ。子供でさえ、最低限の判断力を備えていなければならない。当たり前だ。
当たり前のことが出来なくなっている、この日本の現状をどうすればいいのだ。
この本は、カヌーイストとして知られる著者に対する雑誌の質問コーナーに寄せられたアウトドア関連の相談である。
色々な質問に回答がある。いや、回答ではなくアドバイスだ。この人の言うことを鵜呑みにしてはいけない。ましてや、ほかの誰の言葉でさえそうだ。必要なのは、受け入れて良い情報かどうかの判断力。
著者は逆に、答えて良い質問かどうかを判断し、ときには罵声を浴びせるのだ。自分の規範に照らして、正しいことかどうか、勧めるべきか否か。最終的な判断は、その質問者にゆだねられる。著者は見えない質問者の資質まで見抜かなければならないのだ。
とはいうものの、近年まれにみる爽快な本。アウトドアに興味のない人も、ためしに読んでみるべし。
20001224
- 『カメラと戦争』 小倉磐夫著 朝日文庫 お−47−1 580円+税
副題として「光学技術者たちの挑戦」。
普通の人が当たり前に手に入れて使うことができる製品は、その発展期が戦争だったりする。
カメラおよびそれを支える光学技術は特にである。電子工学技術もそうであるが、日本にとって外国の技術は羨望に値するものであったろう。追いつこうとするための努力は並大抵のことではないと、誰でも思うことである。
しかし、現在の日本のカメラはどうだ。
世界に向けて自慢できる工業製品の一つになっている。真似のうまい日本と言われるが、この本の中にはその言葉が全然似合わないエピソードも数多く登場する。卑下する必要はないのだ。
日本以外の開発者たちの物語もたくさんある。こういう開発物語はどの分野の本であっても、何かしら熱くさせるものがあるものだ。ただし、専門用語には閉口するが。
20001223
- 『文人悪食』 嵐山光三郎著 新潮文庫 あ−18−5 743円+税
あぁ、どいつもこいつも。
なんで食べることに対して、こんなに悪戦苦闘しなければならないのだ。
冒頭は夏目漱石である。読むだけで胃が悪くなる。
次が森鴎外である。なんだよ饅頭茶漬けってのは。
そして幸田露伴は不味いものを口にしなかった。
もちろん、食べることは生きる上で最も重要なのである。その人その人の性格が、あるいは育った環境や、経済状況によっても違うであろう。登場する37人の食べ物、食事に対する行動や思いは想像を絶する。
文人と呼ばれる人々が、その著作に表すもの。垣間見えるもの。
苦しく、美味しく、忌避したく、楽しく。
感服すべきは、この本を編み出した著者本人である。行から、行間からこぼれてくる文人の食べ物食事に対する思いをすくい取る作業はいかほどのものだったろうかと。
きっと、胸やけしたに違いない。
20001219
- 『王昭君』 藤水名子著 講談社文庫 ふ−43−4 648円+税
知らなかったのだが、この主人公についての公式文書はほとんど無いらしい。
僕が読んだことのあるこの主人公についての物語は、後世の作り話なのである。
皇帝の寵愛を受けるための似顔絵。絵師に賄賂を贈らなかったばかりに醜女に描かれ、匈奴の王へ送られることになった王昭君・・・。良く知られたこの話でなく、たまたま偶然から自分の意志で漢と匈奴の架け橋になろうとした女の話になっているのだ。
いかに、流布されている物語を越えるか。たぶん、それに費やしている力は相当なものだったのではないかと思わせる。生き生きと、一人の人間として描かれている。自分のいた場所、いた国から遠く離れ、孤独であるはずの生活。しかし、自分の生き方を通し、ふたりの単宇の愛情を受け止める。できる話ではない。超越している。
その生き方が、よかったのか悪かったのかは問題ではなく、正しかったのは、この物語の中では確かだ。
久々の泣ける話であった。
20001209
- 『麦酒(ビール)主義の構造とその応用胃学』 椎名誠著 集英社文庫 し−11−24 419円+税
帯にはエッセイと書いてあるが、はたしてそうなのだろうか。
エッセイの服を着た、狂気の物語とでも言った方が適切のような気もする。
例えば「居酒屋を出たあとで・・・・・。」という短編はまさにそれである。何でもない日常の風景から徐々にずれていくさま。ずれていくのだけれど、意識のどこかで異常と認識する閾値が同時に変化していくために、主人公はずれに気づかないままである。安定した閾値を持つ読者は、こういう物語の構成をとられると参ってしまうんだろうなぁ。
あるいは「たよりない冬の陽ざし」のように、ラストで現実に引き戻すような構成のものもある。
あるいは、まさしくエッセイというものもある。
でも、どうもこの本の中の物語には、多かれ少なかれ、狂気の蕾や花がある。あと少し踏み出したらすべてが「居酒屋を・・・」と同様の展開を示す可能性があると思う。元々著者のへんてこ世界の物語は、それが前面に押し出されているから、比較すれば大人しい部類ということになるので、初心者にはいいのかもしれないなぁ。
20001201
- 『死体検死医』 上野正彦著 角川文庫 う−11−4 457円+税
医者なのに生きている人間を扱うことはない。
だけど、誰よりも人権を考えているのだ。死者の人権を。
25の死にまつわる話。どれもが人間くさく、死に至る原因を解き明かそうとする著者の姿勢がみてとれる。
興味深いのは、計画的な犯行で痕跡の隠滅を図ろうとしているにもかかわらず、いとも簡単に見破られてしまうことが多いこと。根拠の薄弱な処理による思いがけない結果。専門家からすれば当たり前のことが、シロウトにはわからない。だから完全犯罪は非常に困難なのだ。
検死自体に限らず、それをとりまく行政の不十分さも指摘する。長年携わってきていたからこそ、改善すべき点がはっきりと見えてくるのだろう。
死んだときに診てもらいたい医者である。
20001123
- 『サイバラ式』 西原理恵子著 角川文庫 さ−36−1 400円+税
文章+エッセイ漫画とでもいう構成だが、文章部分はサイバラ本人が書いたのではないようだ。
だからといっては何だけど、漫画部分は脳ミソがスカスカになった上に北風がぴゅーぴゅーと吹きつけるような寒い印象を受ける。これは貶しているのではなく、僕が今まで読んだことのあるサイバラ漫画(例えばビッグコミックスピリッツで連載していたヤツなど)にも通じていることで、文章以上に饒舌だと思う。
根底にあるのが人間不信なのか、不信から信頼への切り返しなのかは分からないけど。
あえて言う。文章よりも漫画を読め、と。
風に吹かれて寒さが応え、暖かいコートが欲しくなるような感じがしたら、実はサイバラの思うつぼにはまってしまったことになるのかもしれない。
20001119
- 『ペイパー・ドール』 ロバート・B・パーカー著 ハヤカワ・ミステリ文庫 HM−110−25 620円+税
なんだこれは。探偵小説ではないか。
非の打ち所のない女の死。その夫の依頼を受けて調査するスペンサー。いつもとは違い、山場というほどの山場はなく、淡々と話が進んでいく。難航するうちに妨害工作が入り、そこを突破口にして・・・。
なんだこれは。いつもと大分趣が違うぞ。大立ち回りもなく、銃も撃たず、ホークもほんのちょっとしか登場しない。
しかし、読ませる。
この事件でペアを組むことになる刑事は苦悩しており、死んだ女は本人ではなく、人種の壁、地域の壁がある。そして、自分が認めたくない事実がある。
毎回同じような感想になるが、信念があり、自信がある人にとって、世の困難は大した困難ではなく、自分の規範で行動することにためらいがない場面をみると、これはかなわんなぁってなもんである。スペンサーが理想とまでは言わないが、その数%でも取り込むことが出来れば人生変わるよ、と思わせる。
そんな男がこんな台詞を吐くんだから、まいっちゃうよね。
「きみとおれであることは、ほかのほとんどの人々であるよりはるかにいい」
20001117
- 『蔡倫』 塚本史著 祥伝社文庫 つ−3−1 381円+税
副題「紙を発明した宦官」。
中国史上において特異な存在といえばやはり宦官であろう。(中国以外にも宦官に相当する人がいたそうであるが)
国を陰で支える、あるいは表舞台に立って支える、あるいは国自体を食い物にする。数々のエピソードに事欠かない宦官であるが、蔡倫の果たした役割は後世に残るものであった。副題の通り、実用となる「紙」の発明である。
しかし、単に発明物語ではない。紙を実用化していくことはサブテーマであって、権力闘争、後継争いなどの、どろどろとした話を軸としている。蔡倫もその渦に巻き込まれていく。
紙の材料や製造方法を検討している場面は、蔡倫をバックアップしてくれる女性とのやりとりも含め、ホッとするところである。宦官であることの負い目を感じることなく、自分の思い通りにすることが出来る。これは万人に通用することなのだろうけど、いかに難しいことか。
結局、渦に巻き込まれていた蔡倫は、この本のラストの暗示によると明るくはないようである。
すばらしい発明と、それに見合う人生とは最終的に両立しないということなのかなぁ。
この本、祥伝社文庫15周年の特別書き下ろし400円シリーズのひとつである。中編小説という位置付けであるが、もう少し中身が詰まっていても(長編でも)よかったと思う。
20001114
- 『ソニーの法則』 片山修著 小学館文庫 か−1−1 619円+税
ソニー。
ソニーの商品は、やはり何かしら違うものを感じる。そのソニーの仕事の方法を記した本である。
業界からいえば、僕も同じ分野で仕事をしていることになる。しかし、この本にあるような出来事、考え方、姿勢はソニー独特なものなのであろうか。そういう部分もあるが、すべてではない。
「そういう部分」にこそ、ソニーらしさを生み出すものがあり、実際に形になって世に出てくるのであろう。
ただ、少なくとも、僕はこの本に書かれているような仕事や方法を目標にするわけではない。仕事に熱中し、何かを成し遂げるまで昼夜を問わず、などということは話の上では賞賛するべきな事かもしれないが、僕は僕自身の「仕事以外」の部分を大切に思っている。すごいなぁと思いつつ、既に諦めの境地にある。
仕事が中心にあるような話であったら、ソニーでなくてもたくさんあろう。しかし、ソニーらしさが出てくるのは一体何なのだ。
ソニーのトップが書いた本を何冊か読んだことがある。
ただし、それ以外の会社のトップの書いた本は読んだことがない。
実は、そこに、ソニーをソニーらしくする秘密があるのではないか。とも思う。
20001112
- 『檀』 沢木耕太郎著 新潮文庫 さ−7−13 476円+税
檀とは『火宅の人』の著者である檀一雄を指すのであろうか。
それとも、この本の実質的な主人公である檀一雄の妻ヨソ子か、あるいは、檀夫妻であろうか。
僕は『火宅の人』を読んでいないし、本に書かれている状況を飲み込むだけの経験も想像力もない。しかも、檀ヨソ子の生活が、僕からすれば現実から遠く感じられ、ましてや、檀一雄本人の生き方はさらに遠い。
沢木耕太郎が檀ヨソ子にインタビューを重ね、檀一雄、『火宅の人』、その死、その後を彼女の視点を経て物語が進む形にしている。これは、沢木本人が彼女の記憶、思考を飲み込み、消化していることであろう。もちろん、沢木本人独自の印象も加味されているはずだが。
『火宅の人』は檀一雄の実生活を元にして書かれている。彼女の生活も100%ではないが公開されたも同然である。これはたまらない。表現者を身内にもつ上の悩みであろう。少なくとも僕には考えられないことだ。実生活の喜怒哀楽の他に、もう一つの生き方についての喜怒哀楽が被さってくる。
実と虚の狭間で生きていく。しかも『火宅』で。
折り合いをつけ、最終的にはすべてを自分の中に取り込むのだ。彼女が強いからできたのか、弱いからなのかは分からない。しかし、彼女にとって檀一雄はすべてであることが、単純にして最も強い結論であった。
僕が今まで読んできた沢木耕太郎の本とは違う。ドキュメンタリーとは言い難く、小説とは言い切れない微妙なものであるが、取材に裏打ちされた力強さは十分に感じることが出来る。
20001105
- 『安売り一代』 本所次郎著 徳間文庫 ほ−4−11 686円+税
副題は「秋葉原 闇の仕事師」。
そのビルは今でもその場所にある。
その店にパソコンを買いに行ったこともある(結局買わなかったが)。
ただし、その店は今そこにない。
マヤ電機が、その店の名前だ。いかにしてその店が生れ、客を引きつけ、そして去っていったのか。
どうして安く売ることが出来たのか。流通と人脈を駆使し、表通りの店々からは白い目で見られ、しかししぶとく繁盛する。嫌がられるのは同業者ばかりでなく、電機メーカーもである。ノルマに追われる販売店から流れてくる製品を調査するメーカーもあるのだ。メーカー、販売店、安売り店の歪んだ関係である。しかも、マヤ電機の社長その人は二十歳代で人生の方向性を決めていたのだから、僕にとっては二重三重の驚きである。
この本の最後の方に、某団体のパソコン販売店とのいざこざが書かれている。そういえば、そんな状況も記憶にある。ある意味、僕の秋葉原体験と重なる部分もあるのだ。安売りチラシを見ながら、マヤ電機に入ろうかどうしようか迷っていた頃を思い出す。
20001102
- 『勉強はそれからだ』 沢木耕太郎著 文春文庫 さ−2−12 448円+税
副題は「象が空をIII」。このエッセイシリーズの締めくくりの本である。
例えば、こんな文章がある。
「知らないということは決して悪いことではなかった。自分が知っていないということを正確に知っているからだ。」
その通りであり、ノンフィクションの世界にいる人々にとっては基本中の基本ということであろう。著者があえて記すのは、いつまでも自分への戒めとしているのはもとより、自分以外の人々への警鐘の意味もあるはずだ。
無知の知。
簡単な言葉であっても実行できないことがあまりにも多く、しなくてもいいことをなぜかしている。遠回りであるならばそれでもいいかもしれない。結局は求めるところにたどり着かないことが多いのかもしれない。
数々の場面に、人に、場所に。知らないことは知らなく、知っている確かな情報から。
当たり前のことが、当たり前に出来ないことが多い僕には、基本を忘れていることに気が付かされる。
20001028
- 『月のしずく』 浅田次郎著 文春文庫 あ−39−1 514円+税
誰もが、心の中に秘めている想いがある。
それを意識しているかいないかはさておき、この本の中の物語は想いをいかにして意識し、自分の中に再び取り込んでいくかというものだ。
確かに、読んでいて心が洗われるようである。
だが、あまりにも、現実離れしていて、僕のようなひねくれ者からすれば「あざとい」感じがするのだ。著者がいろいろと考えて、物語を組み立てているのは分かる。一旦そういう感覚で読み直してしまうと、すぅっと醒めていってしまう。
すこしもありそうでない話。
今までの僕自身、僕の周りに起きた出来事からすると、別の世界の物語。単に、僕の人生経験が足りないだけかもしれないが。
あるいは、読んだ時期が悪いのかもしれない。
20001013
- 『絶対音感をつける本』 絶対音感研究会著 双葉文庫 せ−01−01 457円+税
結局分からない。
「絶対音感」とは何か。
絶対音感を有する人の話は、なんとなくイメージが浮かんでくる。でも、それを自分のことに置き換えてみた途端、吹き飛ぶ。
それじゃ、どうしたらいいのか、というタイトル通りの内容を期待するのだが、それは裏切られてしまうのだ。
本書の半分以上が、「絶対音感とは何か」「絶対音感保有者の話」、であり、後半の三分の一になって、ようやく絶対音感をつける方法が出てくる。しかも、それでさえ簡単には実行できない内容になっている。もちろん、生半可なことでは身につくようなものではないことは前半部分で分かるが、あまりにもあっさりとしすぎ。
僕としては、それならいらないよ、と言うしかないな(笑)
こういう分野では、しかも文庫では限界なのかもしれない。
どちらにしろ、タイトル負けしているので、期待して読まない方がいい。
20001001
- 『戦史の証言者たち』 吉村昭著 文春文庫 よ−1−28 448円+税
あとがきに書かれている。
「なぜ、戦史小説を書くことをやめたのか。それは、証言者が少なくなったからである」
もはや、太平洋戦争を、そのそれぞれの体験を語る人々は多くない。そういうことであろう。戦後50年を過ぎた。
戦史小説を書くにあたって、念入りな取材を行った記録を、このような本にまとめると、小説にはない生の声の力を感じる。実際に体験した人だけが語れることば。単に吉村昭がインタビューしているだけではない。氏自身の取材と戦争体験に裏打ちされた真摯な態度が分かるというものだ。
知る人のみが知りたい人に。
一つの事件に対して、複数の視点から語られる。浮かび上がる全体像。それぞれの立場、苦悩、記憶。
その人を表し、その事件を表し、その時代を表している。
このまま埋めてしまってはいけない。
(何ヶ月か前に、たまたま吉村昭氏のサイン会会場の横を通ったとき、氏自身も大分お年を召されている様に見えた。証言者はもとより、それを集めてまとめるべき人も、少なくなっているのだ)
20000924
- 『あの頃マンガは思春期だった』 夏目房之介著 ちくま文庫 な−13−5 700円+税
そこまでするか。
自分の青春期を、その時代を象徴するようなマンガに絡めて独白する。
そこまでするか。
逆に言えば、青春期を語ることができるだけのマンガを読んでいたということだし、時代そのものを重ね合わせることができるということなのだ。
たかがマンガと言えよう。だけど、この夏目房之介の独白と同じことをしようとしたとき、夏目房之介のマンガに対する「僕の何か」を見つけることができるだろうか。そこまでできなくても、その時代を写す何かを見つけられるだろうか。
夏目房之介のマンガ表現論は一つの高みにある。その土台を作っているモノが何なのか。
僕の「何か」は盛り土か。それとも丘か。あるいは谷になっているのか。比べるべくもない。
20000923
- 『算学奇人伝』 永井義男著 祥伝社文庫 な−11−2 495円+税
算学とは何か。
日本独自に発達した数学道とでも言おうか。
まぁ、そんなことを知らなくても十分に楽しめるし、主人公が算学を駆使して事件を解決していく様子はそれぞれ十分に納得できるものである。
ただし、その部分に「おんぶにだっこ」的な感じを受けてしまう。僕にとっては、主人公とその周りの人々とのやりとりが、つけ合わせ程度にみえてしまった。算学を使う場面以外の、物語の裏側みたいな部分がもっと書き込まれていても良かったのではないか。
題材が題材だけに、目新しさで読みすすめてしまったとも言える。こういうパターンでもう1冊、となったら、うーむと考えてしまうかもしれない。
20000918
- 『脳ミソを哲学する』 筒井康隆著 講談社+α文庫 I−16−1 680円+税
筒井康隆と科学者との対談集。(ただし、最終章は立花隆氏なので少し違いますけど)
各章が実際の対談順になっているかは分からないけど、トップに持ってくるにはそれだけの理由があるはずだ。
第1章は科学哲学者・村上陽一郎氏。「科学は面白がると身につく」
科学は・・・、という部分は、実は何にでも当てはまることなんですよね。科学は・・・、では分野が広すぎるけど、例えば、鉄塔(笑)、編み物、コーヒー、音楽、虫、、中国史、なんでもかんでもなんでもかんでも。
この本は科学に特化しているから、興味のある僕にとって、大変面白く読めた。それは、それぞれの分野について知っているからではない。対談の中からこぼれてくる「面白がっている人々」の様子が面白いからだ。野次馬的根性とでもいおうか。
知的好奇心を刺激するのは、野次馬と同じだったんだなぁ。
ただ、哲学する、というのは、タイトルとしては大げさだと思う(笑)
20000915
- 『尾張春風伝(上・下)』 清水義範著 幻冬舎文庫 し−2−2・3 各648円+税
この入れ込みようといったら何なのだ。
そう思うほど、著者が徳川宗春に近づこうとしている様が浮かんでくる。
尾張宗春。御三家尾張藩のみそっかすの男が、ひょんなことから藩主の座に着き、倹約をすすめる将軍吉宗と対立していく。
尾張を極楽に。自分の理想を実際の政治経済に。
派手好き、自由が好き。なにより、自分の信念が好き。
これほどの人間が尾張に存在し、その意気が現在の名古屋に綿々とつながってきていることに、今の今まで知らずにいた。(実は『大剣豪』の短編『尾張はつもの』で読んでいたが)
人間は楽しいことが好きである。
それを認めた上で行う政治とは。あるいは、それを実現するための経済活動とは。
早すぎた天才、と書かれているが、宗春が現代にいるとしたらどうだろう。
それでも、早すぎた天才、と呼ばれてしまうかもしれない。
この天才は、人間の心を知っていた為政者。ただし、理想は高く、現実は困難なこと。だからこそ、拍手をしながら読み、そして溜め息をついてしまう物語なのだ。
20000910
- 『ぬくい女』 わかぎえふ著 双葉文庫 わ−02−04 505円+税
ぬくいといえば、誰でも分かる言葉である。
近い言葉で「ぬくぬくと」というのもある。
この本、このエッセイは、「ぬくい女」が「ぬくぬくとした奴らを斬る」という部分がたくさんあります。たいていの場合、僕は自分についてはどうなのだろうかと考えるけど、この人から見れば斬られっぱなしなんだろうなぁ。だけど、斬られた後に包帯を巻いてくれるような気がする。
どつかれた後、しっかりしいや(「し派」だそうなので←読めば分かる)と言ってくれるようなものだ。大きい声か小さい声かは別として。
それとは別に、「ぬくい」からくる「甘さ(甘い辛いではなく甘ちゃんなというニュアンスの)」が著者自身にもあるのだ。自分で自分を斬る、という離れ業もやってのける。ここまで来れば痛快だ。
20000909
- 『鉄を削る 町工場の技術』 小関智弘著 ちくま文庫 こ−18−1 540円+税
ときどき、熟練のワザが日本、いや、世界のハイテク技術を支えている、なんていう特集を目にする。
僕は技術者の端くれとして、そうなんだよとその度に思うのだ。でも、本当に心底からの言葉ではなく、現在の技術者のレベルが相対的に低下しているのではないかという不安の裏返しでもある。ハイテク化の悪い面。
ハイテク化が進むにつれ、全体の技術に対する基本部分の占める割合は、相対的に低下していく。最先端の視点からは基本部分が見えづらくなり、それに応じて技術を軽んじられる傾向になることは否めない。(最先端としたが、最先端の一歩後ろからが最も見えづらいのだろう)
で、この本である。
著者は半世紀以上を旋盤工として生きている。そこには昔気質の職人と現在のハイテク化された操作技術を操る、二つの面がある。ツールとしての技術革新であるNC工作機は、数値データで目的の形状を作り出す。
NC工作機を操る人は技術者であるか?
この根本的な部分に疑問符を付けている。疑問符を付けたくなることこそ、技術者としての本分であろうと思うのだ。ツールを操ることと、ツールに操られることは、考えることと考えないこと程の違いがある。
少なくとも、自分が技術者であると思っている人は、一読をオススメする。
基本技術を軽んじてはいないか?
いや、基本技術を見失ってはいないか?
20000819
- 『生物学個人授業』 南伸坊・岡田節人著 新潮文庫 み−29−1 400円+税
世はDNAだとか、利己的遺伝子だとかで、進化のあれこれを解明していこうという方向ですな。
この本は、それとは違って、一歩ひいてというか大局的というか、もう少し広い意味の生物学というくくりについて、岡田節人教授が南伸坊生徒に講義する形を取って説明しています。
こういう本では、一番最初に「大事なこと」を持ってくるのが常道。
それは「生命は絶えたことがない」ということ。
こりゃ、目からうろこです。寿命のことではありません。生命体を連続的に存在させる機構が備わっていることを指しているのです。その中に細胞やDNA、遺伝子等々の学問が控えているのです。
話はジュラシック・パークから、生と死、遺伝子治療、突然変異、種の数、進化・・・に広がる。どれもこれも岡田教授から南伸坊の脳を通して噛み砕いた形で文章になっているため、分かりやすく飲み込みやすい。
『「おもしろい」の反対語は「つまらない」であって「ためになる」「勉強になる」ではない』
つまり、おもしろいことがためにならないとか、勉強にならないということではない、と南伸坊は言う。そうだ、その通りだと思う。おもしろい授業を信用しないのは、まったくつまらないことなのだ。
おもしろいことは、おもしろがる自分を作り、おもしろがる自分がおもしろいことをもとめるのだと。そういう点からも目からうろこの本だと思いますよ。
20000815
- 『別人「群ようこ」のできるまで』 群ようこ著 文春文庫 む−4−1 438円+税
『本の雑誌血風録』の後半に登場する群ようこ。ところどころでこの本の引用がなされているので、ついでということで読んでみました。
苦労してますなぁ、という部分もある。でも、よく考えないと、と言いたい部分もある。
あとがきからすると、ざっと15年以上前の出来事である。仕事の状況など、時代を感じさせるところもあるし、嫌な上司、嫌われる先輩社員など典型的なパターンも、ある種の笑い話である。
そんな群ようこが、好きな雑誌を作っているという椎名誠のいる会社に履歴書を送る。もちろん、その時点では椎名誠はまだ会社員であったから不採用となるが、逆に「本の雑誌」の事務として雇われることに。これは幸運なことだったのかなぁ。
この本の後半は、「本の雑誌」の事務員として働く群れようこの物語である。前半もひどい境遇であったが、後半も負けず劣らずである。すぐやめてもおかしくないのに、何故かやめない。ひとえに「本の雑誌」に関わっているという部分でつながっているということである。
考えてみれば、好きなことでつながっている会社、ということは勤める理由の大きな部分を占めているんだなぁ。はたして、自分はどうなのかと、唸ってしまうのであった。
20000812
- 『本の雑誌血風録』 椎名誠著 朝日文庫 し−16−4 760円+税
『本の雑誌』登場前夜から軌道に乗り始めた頃までの話。
業界紙の編集長を本業とするも、『本の雑誌』立ち上げやら、本の執筆やら、ラジオに出演やら、椎名誠はやらやらと忙しい。それでいてこなしているのだから、馬力があるのか、本業が短期的集中的発作的作業で完了してしまうのか、不思議である。
この本の終わり部分で、そのムカデの草鞋状態は少なくとも脱する決意をすることになるのだが、ノイローゼになってしまうほどの、気付かない緊張状態が続いていたのであった。
「まあいいや、どうだって」という独り言が所々に出てくるが、結局のところ、仕事を適当にあしらうことができないということだったのであろう。今はどうだか知らないが。
物語は、『本の雑誌』を作ることになる目黒孝二が、椎名誠のいる会社に入り、すぐにやめていくところから始まる。そして、今度は椎名誠がその決心をするところで終わる。
実は、スパイラルしているのであった。
『本の雑誌』をめぐる人々。直接、間接にかかわりながら作り上げていくことの楽しさ。
20000810
- 『ホンダ二輪戦士たちの戦い(上・下)』 富樫ヨーコ著 講談社+α文庫 G−48−2 各600円+税
自転車には興味あるけど、ここでいう二輪には全く興味ありませんでした。
しかし、製品開発の物語として読めば、よくある新製品物語よりも苦悩と目標への集中力のなせるワザを感じ取ることができます。
ブランクのある500ccレース。復帰と勝利をかけてのぞんだ画期的なマシン。しかしトラブルが続き、勝てない。たくさんの人材が集まり、アイデアを盛り込み、そして形にしていき、能力のあるドライバーに託しても勝てないNR500。
方針を転換し、勝てるマシンNS500を投入するときの苦渋。
レースという舞台に上がり、勝つために繰り広げられる開発。一般の企業においても大なり小なり似たようなことは行われているが、極限状態にあるときどのような行動がとれるのか。ここに一つの例がある。
期待されていること。期待に応えること。その二つが一致するための努力と、一致したときの思い。
全然違う世界を垣間見ることができる。
20000729
- 『ギョーザのような月がでた』 椎名誠著 文春文庫 し−9−14 590円+税
3年位前にでた単行本の文庫化。
したがって、内容としては4年前位のことだとおもう。
えっ、と思ったのは、既にケータイ電話が大分普及していたのだなぁ、ということ。ホントかどうかは知らないが、アメリカ人はあまり持ち歩かないらしい、と書いている。それはそれとして、こういう飛び道具を持っていない僕としては、それだけでも「そうだよな、そうだよな」とゼンメン的に賛成し、無くたって困らないモンネ、と声を大にしていいたいくらなのだ(少々シーナ風)。
正統派(というのかどうかはワカランが)のオヤジの話としては、やはり「そうだよな、そうだよな」と思ってしまうことからして、既に僕もオヤジ的思考に蝕まれているのかもしれん。まぁ、それはそれでいいのだ。
一言いいたいのは、男どもよ、この本を読め、ということである。もちろん、読んでどう感じるかは勝手であるが。
20000724
- 『ターン』 北村薫著 新潮文庫 き−17−2 590円+税
ある一日が、無限に続くとしたら。
そして、その世界に存在するのが自分一人だとしたら。
ダメだねぇ。僕は想像さえできない。
だいたい、その時間を生きたという記憶を残したまま、再び同じ時間を生き、しかもその新しい時間の記憶が積み重なっていく。
通常考えられる時間の概念を崩し、僕らは危うい時間の上で生活している。時間が連続であるということと、記憶が連続していることとは別のこと。(ここらへんは『玩具修理者』の中の『酔歩する男』にも通じる)
主人公と会話するもう一つの人格。最初はそこが気になって仕方がなかった。
自問自答? それとも?
僕らがいる世界と、もう一つの閉じられた世界にいる人。
その人が、こちらの世界に帰っていたとき発する言葉こそ、忘れかけていた、安心を呼び起こす言葉なのだ。
20000723
- 『幸福らしきもの』 原田宗典著 集英社文庫 は−10−14 495円+税
幸福ってなんだろう。
ポン酢醤油があることが幸せであることの条件だ、という話は有名だが(笑)、この本にはそれ以外の幸福について、てんこ盛りになっている。
今、僕らは幸福なのだろうか。幸福感、満足感、などなどはいったいどこからやってくるのだろうか。日頃、不満いっぱいの生活をしていると、過大な期待をして幸せがやってくるのを待っているのである。
ところが、だ。
水があるだけで幸せ、ということもある。
思い出せなかった名前が、不意に浮かんできた、ということもある。
・・・・・・・・・・・・、ということもある。
なんだ、そうだったんか。
僕らは、こんなに幸福に囲まれて生きていたんだ。
小さいけど。小さいけど、その数は多いのだ。大きな幸福にありつく確率は非常に低い、ということの裏返しなのである。そして、どちらを求めていれば幸せに暮らしていけるのか。その答えの一つがこの本なんだよね。
20000718
- 『不思議の果実 象が空をII』 沢木耕太郎著 文春文庫 さ−2−11 476円+税
ノンフィクションとインタヴュー。切っても切れない関係。
ライターが、その対象に深く分け入っていく際に、どれだけのモノを引き出していくのか。表面上、あるいは、その奥底にある本人でさえ気付いていなかったことまでも。
そういうことを考えてみると、沢木耕太郎本人のインタヴュアーとしての力量は、この本を読むだけでも伝わってくるし、自身でも驚くほどの効果を現していることが分かる。
たとえば、「女優」の吉永小百合であり、「秋のテープ」の美空ひばりである。僕らでは知り得ないことを引き出してくれる。特に「秋のテープ」では、さらにその後ろに漂うメッセージにも。
「カウント・ダウン」「夢見た空」。世界陸上とオリンピックの見聞記。臨機応変な行動と思い入れ。スリリング。スポーツをリポートさせたら、さすがなものである。
20000716
- 『しゃべれども しゃべれども』 佐藤多佳子著 新潮文庫 さ−42−1 590円+税
しゃべるということは、少なくとも自分以外の人に何らかの影響を与えることになる。
それが一瞬のことであっても、永遠のことであっても。
だから、しゃべることについて、内容について、悩むことになるのだ。逆に言えば、スラスラと口から出てくる言葉は、悩みのない言葉なのかもしれない。
そんな人々、二ツ目の落語家(と落語教室の生徒)を軸に。悩むことの先にあるなにかを得るために。
落語家だってしゃべりの達人ではなくただの人であり、しゃべり下手の生徒たちだってただの人なのである。悩みの前には、簡単な言葉さえ出すことができない。
一つ言えるのは、その殻を破るためには、自分以外の力を借りることも必要なこと。その点では、この物語の中では、みんながみんなに借りを作っている人ばかり。
借りがあっても損はない、そんな幸せな気分になる物語である。
20000709