頑固な文庫読者
この本を読んだぞ
本を買って読めればいいけど、時間がなかったり、読むタイミングを逸してしまったり、という難関を克服した完読本の感想をつらつらと書き込んでおります。
この中で「これはこれは」な本になるものが出てくればいいのですが。
完読本(2000/01〜)
- 『玩具修理者』 小林泰三著 角川ホラー文庫 H−59−1 480円+税
気持ち悪い。
だから嫌なんだよな。文章で読むホラーって、一旦脳味噌の中で内容が再構築されるじゃないですか。いままでの経験や情報が秩序無く組み立てられて、しかも、なんとなく「ある」ような感覚。
書名になっている短編『玩具修理者』。子供の目を通して語られる奇妙な体験。途中で挿入される異様な会話がなんとも言えない嫌な雰囲気。玩具修理者に修理してもらったのは何なのか。そして最後の数行で、まいったなとつぶやく。
そしてもう一編の『酔歩する男』。なんだか分からない(笑)。でも、切羽詰まったというか、焦燥感というか。読み進めていくほど、じわじわと締め付けられるような物語。タイムトラベラ(?)となった男が語る信じられない話。
時間が連続しているのではなく、認識が連続している、という。
そうなのかもしれない。
そうかどうかは、この本を読んでみるといい。
20000630
- 『大剣豪』 清水義範著 講談社文庫 し−31−20 514円+税
時代小説、というよりも、ちょっとおかしなチャンバラ小説、プラス、渋軽い歴史裏面小説とでもいいましょうか。
チャンバラ劇に登場する有名人物を茶化したモノ。(僕にとっては)今までになく、斬新な視点で捉えた歴史の主人公たち。
たとえばその中では「天正鉄仮面」の秀吉と謎の男、「山から都へ来た将軍」の木曾義仲、「三劫無勝負」の信長、など。
また、「尾張はつもの」の徳川宗春の物語については、これを長編にするべきではないかと思う内容であった。(あとがきを読んだら、やはり長編になったということである)
(似た例をあげれば、政府に対する東京都知事とでもいえよう(笑))
少なくとも、日本史には疎い僕であるが、楽しく読めて、しかも新しい感覚を味わえた本である。
20000629
- 『中国残酷物語』 山口椿著 幻冬舎アウトロー文庫 O−55−1 495円+税
いままで、中国を舞台にした小説は多く読んできているけど、同じ中国でも傾向が違う。激しく違う。
早い話、タイトル通りです。
それも、救いようのない話ばかり。読まなきゃ良かった、と思いましたよ。でも、最後まで読んでしまったのは、僕自身にそれを受け入れる余地があったということです。言い換えれば、この本の登場人物になっていてもおかしくないということ。
反面教師。
20000625
- 『史記の風景』 宮城谷昌光著 新潮文庫 み−25−6 438円+税
タイトルの通り、司馬遷の『史記』から。こちらのタイトルは知っているけど読んだことはない。
ただ、この本に登場する人物、出来事については、いろいろな中国史関係(小説も含めて)の本を読んでいるので、多少は知識のある話と言える。
読み始めてすぐに分かるのは、著者が「読み込んでいる」ということである。しかも、史記以外の書物についても話がおよび、知識の深さと、それらが縦横に連結されているのである。羨ましいくらい(笑)。
「平成」の元号がどこからきたのか、というと、史記からなのである。もう10年以上前にそういう話がどこかで出ていたはずなのだが、すっかり忘れていた。得した気分である。(記憶力が悪いというのも、裏を返せば楽しいのだ)
どこの章を(101章ある)から読み始めても、何かを感じることができる。
少なくとも中国の歴史に興味ある人には、読んで損はない。
20000623
- 『則天武后(上・下)』 津本陽著 幻冬舎文庫 つ−2−3 各600円+税
名前は知っていたけど、具体的には何をした人か知らない。
そんな歴史上の人物はたくさんいますが、この人もその一人。
中国史上、初めての女帝。
一言でいえば、えげつない。そして、もう一言を加えるとすれば、人材適用の鬼。
今、何が必要で、どうしなければいけないか。そのときどきに(自分にとって)適切な手を打ち、確実に手中に収めていく。見事である。そして、中国史上初の女帝となり、唐の国を周とする。
実は、国名が変わったことなど、全然知らなかったし、後で本屋で中国史の本を読んでも載っていなかった。これは意図的なのだろうか。
それはさておき、傍目にはひどい手を使っているにも関わらず、民衆の生活はそこそこ安定していたようであり、その実質的治世は長かった。政治家としての手腕が優れていたということであろう。
権力を手に入れるため、自分の子供さえ殺してしまうほどの人。権力を手放すとき、何が残ったのだろう。
20000618
- 『あなたに似た人』 ロアルド・ダール著 ハヤカワ文庫 HM22−1 800円+税
ロアルド・ダールの最初の短編集。この人の本を読むのは2冊目。(前回読んだのは『王女マメーリア』)
正直なところ、そちらと比較すると数段印象が劣る。所々に驚きとため息が隠されているが、『王女マメーリア』の切れまくった内容からすると、別な意味のため息が出てくる。
もちろん、『王女マメーリア』の方がより新しい作品であろうから、プロットに磨きがかかっているとも言えるが。
この短編集の中で「ボティボル氏」が登場する。この人は『王女マメーリア』の中の短編にも登場し、同じように最後のどんでん返しに遭うのだ。著者はこの人にこういう役回りを意識して与えているのだろうか。他の短編集にも登場しているとしたら分かるのだが。
20000612
- 『魔法飛行』 加納朋子著 創元推理文庫 か−3−2 560円+税
前作『ななつのこ』の主人公である駒子が綴る4つの物語。
その物語の中の疑問点を解決する手紙。そしてもう一通の不思議な手紙。
一つ目、二つ目の物語は、すぐに内容が見えてしまった。三つ目は分からず、四つ目は共に走り、先の三つの話の解決編となる。この二重構造は前作を踏襲している。したがって、新鮮みという点では物足りなさを感じるが、そのかわりに駒子を巡る人々の描写が強く伝わってくるようだ。
不思議な手紙の中で指摘される、もう一つの謎解き。
なんだか、ずるいよな。
20000525
- 『漆の実のみのる国(上・下)』 藤沢周平著 文春文庫 ふ−1−33・34 各476円+税
世の政治家に読ませたい本、というところ。
極貧の米沢藩を立て直した上杉鷹山のクライマックスへ至るまでの道程。したがって、この本の後にもまだ鷹山の活躍が続くのだろう。
問題は、上に立つ者の資質と、それを受けて答えることができる能力を持った人材の有無である。しかも、その人材は一人ではなく複数必要であるということだ。
出る杭は打たれる。昔からそうなのである。強烈な個性をもつ人材が単独で事を改革していこうとすると必ず足を引っ張る者がいる。藩の体面、階級の体面から身を守るため。物事の本質を見ることができない人々は、改革を実行できる人ではないことが、何度も何度も語られている。
現在の日本はどうであろう。
資質はあるか。人材はいるか。用いるだけの信念はあるか。
誠に、世の政治家に読ませたい。
20000524
- 『田宮模型の仕事』 田宮俊作著 文春文庫 た−45−1 524円+税
男の子なら、一度は作ったことがあるはず。
僕もその一人だった。
プラモデルを作る。
プラモデルを作り、プラモデルを作る。タミヤが作り、僕が作る。
モノを作るということの喜びが、あふれ出てくる本です。
何かを作り出すことが、どれほどの想像力を必要とし、どれほどの努力と集中力が必要なのか。現在の僕らは、そういうことを軽んじているのではないだろうか。
金が金を生むような構造ではなく、モノが喜びを作るという構造が語られる。僕もその構造の一部として、ある時期存在していたのだ。そのときは幸せだったと言えよう。
だからこそ、この「田宮模型の仕事」を読んでいて、目頭が熱くなるのだ。
少なくとも、モノを作る経験をしたことのある人には読んでもらいたい。モノを作り出す努力、そしてモノを作り喜びを知るために。
20000514
- 『ご冗談でしょう、ファインマンさん(上・下)』 R.P.ファインマン著 岩波現代文庫 社会5・6 各1100円+税
久しぶりに、付箋紙をたくさん張り付けました。
科学者たるもの、このようにありたい。その一言である(僕は科学者でもなんでもないですが(笑))
自分で考えること。言葉にすると単純だけど、実行することのなんと難しいことか。そういう例がたくさん出てくる。生活に役に立たない理論の空虚さ。勉強のための勉強。
作ってみる、やってみる、もう一度考えてみる。突き詰めてみる。良い結果も悪い結果も吸収する。やはり、言葉にするのは簡単である。だけどできない。たとえば、次の章だけでも読んでみるとわかる。
「本の表紙で中身を読む」
「カーゴ・カルト・サイエンス」
人の言葉を鵜呑みにして、それがどれだけの間違いを犯すことになるのか。あるいは間違いさえも気が付かないかもしれない。一度、自分の言葉に置き換えることで、理解できることとできないことが分かるのだ。
ファインマンさん、この本の中ではいろいろなことをやっている。本当に一人の人間なのだろうかという疑問さえ湧いてきてしまう。僕が100人かかっても、100分の一もできたいだろうな。
上下巻合わせて2200円+税。文庫なのにこの値段とは。そんな感想も引っ込むワクワク本。
その後、本屋で「ファインマン物理学」という教科書を立ち読み。この本の言わんとしていることが最初の数章で語られていた。
20000512
- 『意識の進化とDNA』 柳澤桂子著 集英社文庫 や−28−2 540円+税
読んでいて、違和感をずっと感じていた。
人間が人間であること。言葉、意識、自己、記憶、脳。いのちとは、進化とは何か。
著者の本を何冊か読んでいるので、何を言いたいのかは何となく分かる。
しかし、この本の構成、つまり、小説形式になっているというところに、引っかかりを感じているのです。
コンサートで出会った生命科学者の男とピアニストの女。男が女に上のような内容について説明をする。分かりやすく、とっつきやすく、という意図があったのだと思います。会話や行動の説明などに少し、僕のような生活をしている者にとっては、生活様式の差のような変なギャップを感じます。
たとえば、宗教音楽について書かれているところ。意識して聴いたことがないし、もちろん知識もない。したがって、その部分が出てくると思考が妨げられるというか、途切れてしまうのです。知っている人ならば相乗効果を期待できるところなのでしょう。ただ、僕には向いていないということですね。
願わくば、普通の解説書であったり、エッセイであったりしてくれたら。
20000428
- 『秋山仁の放課後無宿』 秋山仁著 朝日文庫 あ−21−2 540円+税
僕が数学者秋山仁を初めて目にしたのが、NHKの数学講座だった。ずいぶん前のことである。おそらく、TVに登場しはじめた頃だと思う。あまりにもNHK講座らしくない風貌にびっくりした覚えがある。
それはそれとして、「らしくない」ということが如何に大切なことであるか。そこのところを言っているのがこの本なのだと思う。今の大人が、親が、教師が押しつける「らしい」ということ。特に教育における「らしい」ということ。
ひとくくりで捉えられてしまうことの不自由さ。受験勉強なんかはその最たるものであることは言うまでもない。教育改革が叫ばれているとはいえ、様々な思惑が絡み、結局は現在の状況から脱することができないでいる。
受験が悪いことだとは思わないが、そこまでのプロセスを無視し、結果のための教育を求めている悪循環。
読みながら、そうだよな、と頷きつつ、できないよ、と思ってしまう僕は、きっと毒されているのだ。この先、何十回もそうだよなと思うのだろう。そうだったな、と振り返る日が来るのかどうかは、わからない。
20000423
- 『満月物語』 薄井ゆうじ著 ハルキ文庫 う−4−1 560円+税
物語が始まってすぐに、大もとに「かぐや姫」の話があるのがわかる。
だけど、それは、そう思わせているだけで、実はひっかけなのではないか?
舞台は、日本なのだろうけれど、日本語とは思えない言葉をしゃべっている。海で切り離された世界。つまり、現実から遊離した世界の中の、おはなし。
月は夜の世界。ダークサイド。
月へ帰らなければならない女。月へ行くという男。
月がどんなところかをある程度知っている僕らは、端から女の話、男の話を信じられない。最後まで信じられない。だから、月が「いつかは」行かなければならない世界なのだろう、という比喩として見てしまうのだ。
月へ行ってしまった人とは現実の世界では、もう会えない。そこへ行かなければ会えない。
女は言う「引き留めてください」と。そこへ行くには未練がある。
男は言う「行く」と。そこへ行くのは決めてある。
僕らは、月の世界からきて、再び月の世界へ行くようである。
きっと、未練があっても、行かなくてはならないのだろうな。
20000419
- 『天使の耳』 東野圭吾著 講談社文庫 ひ−17−11 505円+税
交通事故を題材とした短編集。
久しぶりに、どんでん返し、を味わったという感じです。タイトルにもなっている『天使の耳』。目が見えない被害者が青信号だったことを立証すること。そしてそれが・・・、なんてことで、なるほどと思った後に足下をすくわれる感じが、気持ちいい驚きに変わります。
ただ、題材が交通事故だけに、気持ちいいとは言っていられないところですけど。
事前に交通事故の解読書(というのかな)を読んでおくと、ちょっとは参考になるはず。交通裁判の本とか。
信号無視、路上駐車、ゴミの投げ捨て、等々、やってはいけないことが引き金となる事故の数々。この本を読んで、そういう方面にも考えが及ぶと、少しは事故が減ってくれるのかな。
20000415
- 『気まずい二人』 三谷幸喜著 角川文庫 み−24−1 533円+税
苦手なモノの一つとして、対談があります。(前の本と同じ書き出しパターンだ(笑))
それでも僕の場合は対談というより、仕事がらみの商談(のようなもの)ばかりですが、基本的に知らない人としゃべるというのが苦手なので、この本を読んでいると胃がキリキリとしてきそうでした。
対談って、基本的には何か共通のテーマが最初にあって、そこからいろいろと話題が発展して行くものではないのかなぁ。それとも、今までのそういうパターンを崩そうとしているのかな。
崩すのが目的であれば、それは半ば達成されている、と言えます。確かに言えます。しかし、それがこの本を読む側に対して成功しているかと考えてみると、う〜むと唸ってしまう。まさか、唸らせるのがこの本の目的ではないだろうな。だとしたら、まんまと引っかかってしまったことになるぞ。
ところで、自分の名前を逆から言えるのは常識なのだろうか?
20000409
- 『古書狩り』 横田順彌著 ちくま文庫 よ−10−3 740円+税
苦手なモノの一つとして、古本があります。
古書と古本、ちょっと意味合いが違いますけど、どちらにしても一旦人の手に渡った(所有物になった)ものですから、その点で苦手な領域に突入するのです。
前置きはそれくらいにして。
知らない世界というのは、誠に面白い。おそらく、真実の数歩先にあるものが、この物語なのだろう。大げさでなく、そこまでする魅力が古書の世界には詰まっているのだろう。
たとえば、その中の一編『書棚の奥』。収集する作家、作品は、僕の年代であれば「ああ、あれか」と分かるだけに、そこまでするか!と驚きを通り越して半ば呆れてしまう。呆れてしまうが、ありそうなところが怖いです。
また、本当なのかどうかは分かりませんが、出版業界の裏情報も垣間見えて、そういう部分もなかなか新鮮です。
20000402
- 『東京自転車日記』 泉麻人著 新潮文庫 い−34−15 667円+税
自転車はいいよね。足として。
泉麻人本人が、その足を使って、近所の、あるいはちょっと遠いところの東京風景を記録しています。
僕にも経験がありますが、自転車の魅力は機動性と一番空気に近いところなんだと思います。体力の限界がありますので遠距離移動は難しいですが。
いつものコースを走るのもよし。そこから外れていくのもよし。思わぬ物件を発見したり、珍しい虫と出会ったり、季節を感じたりと、読んでいるだけで走りたくなります。しかも、子供の頃の記憶などがからまったりして、歴史というか、時代の移り変わりまでをも感じることができます。
「柴又・矢切」「隅田川あたり」と、僕も自転車で走ったことがある場所も出てきて、新たな発見もありました。なにしろ、走ってみたくなる、そんな本です。
20000320
- 『地下鉄の素』 泉麻人著 講談社文庫 い−26−2 590円+税
地下鉄ではなかったけど、電車通学、通勤していたので「わかるわかる」と思える部分大。(もっとも、鉄道以外のネタも多いですが)
ただ、新聞や雑誌を漁ることについては、どうもいかんなぁ、と思うのですよ。何事も、ある壁を飛び越えることができれば、後はなんてことなしにできるモノなんだけど。こればっかしは、高い壁ですね。
20000320
- 『冬のオペラ』 北村薫著 中公文庫 き−26−2 590円+税
やっぱり比較してしまうのが『円紫さんと私シリーズ』『覆面作家』ですね。物語を語るべき人物と、探偵として物語を解いていく人物の組み合わせ。
可笑しいのが、探偵として役割を与えられた巫弓彦。探偵なのだが探偵業で生計を立てていない。ほとんど趣味でやっているような感じである。したがって、そういう意味では例の2シリーズの『円紫さん』『覆面作家』と同様な組み合わせとなっており、自立した探偵というよりは自称「探偵」に近い。
さて、中の3編のうち、メインは後半の2作品であろう。この2作品はある人物をめぐるものである。真実が見えてしまう探偵。彼にとって、あるいは、ある人物にとって、お互いをどう感じたのであろうか。そして、この物語を読んだ人は、どう感じるのか。
そうせざるをえない状況に陥った不運、それが見えてしまった不幸、とでも言うのか?
やりきれない物語。
20000318
- 『決定版 ルポライター事始』 竹中労著 ちくま文庫 た−20−2 760円+税
戦っている。
この人は戦っている。
ルポライターになろうという気持ちがあって、この本を読み始めたわけではない。しかも、ストリート・ジャーナリズム等々にも興味があったわけではない。竹中労という名前を頭のどこかで記憶していたから手にとったのである。正直なところ、読むつもりはなかった。
戦っている。世の中の矛盾と? それとも、どうしようもなく動いていく政治に? 堕落していくジャーナリズムに?
僕にとっては、圧倒される内容にタジタジとなりながら、なんとか読み切った次第。
ルポライター。甘い職業じゃない。それだけはわかった。
たとえ書くテーマが芸能界ネタであっても、政治に切り込むものであっても、虐げられる人々に対するものであっても、書く本人に芯がなければ、ルポライターではないのだ。
20000306
- 『噺家カミサン繁盛記』 郡山和世著 講談社文庫 こ−53−1 552円+税
江戸っ子気質のカミサン。噺家の嫁。
それだけでも期待度十分だけど、読めば満足度十二分だねぇ。
僕は自分の生活に赤の他人、それもどこの馬の骨だか分からない人物を近寄らせるのは苦手なのである。でも、落語の師匠といえば、必然的に弟子が(志願も含めて)来るわけである。否応なしである。
まずは、その状態に慣れるまでが一苦労だったのであろう。そこを越えればおカミサン稼業も九分通り完成の域。弟子、弟子と師匠、弟子とおカミサンの繰り広げるあれこれ。活字で読むだけでも、これだけの臨場感、血沸き肉踊るのだから、実際にその場にいたら・・・、疲れるだろうな(笑)。
このおカミサンにしてこの師匠あり。弟子もあり。
あれこれの出来事が芸のふくらみにつながっているんだろうね。
20000219
- 『安らぎの生命科学』 柳澤桂子著 ハヤカワ文庫 NF204 524円+税
「自分自身についてどれほどのことも知らないで、私たちは今日も生きているのである」
まさに、その通りである。それを解き明かそうとする生命科学者が彼女である。40億年も前から、遺伝子に刻み込まれいる生命の歴史。大きなスケールで謎を解き明かそうとするのが仕事であろうが、実は、生きることとは何なのか、ということに向かっている様な気がする。
その目に映る物事は、顕微鏡未満の世界から、等身大の世界から、地球規模の世界から。そのすべては、今生きている我々自体の不思議さにつながっている。
生きることは、喜びや苦しみを生み出す。安らぎも生み出す。
彼女は、原因不明の病気にかかり、絶望の淵に。それを乗り越え科学を突き抜ける境地に達する。と書かれている。しかし、以前に放映された彼女のドキュメンタリー番組の中では、病の回復の見込みなく、自らの命を絶とうとまで追いつめられていたようだ。これが人間なのだろう。おそらく、本当の強さと弱さを本当に実感したと思う。僕なんかには想像できないほどの。
この本のタイトルでもある「安らぎ」であるが、実は、安らぎどころかワクワクものの面白い本である。遺伝子、進化、社会まで、分かりやすく、落ち着いた語り口ですいすい読めます。
20000217
- 『天狗争乱』 吉村昭著 朝日文庫 よ−9−1 740円+税
「天狗勢」なる集団に対して批判的な立場をとって読んでいるつもりであった。
読み始めから、天狗党のひどい行いが続いていたからである。尊皇攘夷の名を借りた非道な集団。
もともと、幕末の、尊皇攘夷とか倒幕とかという部分を、他の本を何冊か読んでいても未だに理解できていないのである。だから、金や食料などを巻き上げるという分かりやすい部分についての拒否反応を示してしまうわけ。特に、田中愿蔵率いる集団は若いこともあり、やりたい放題といったところか。(この部分を読んでいて、手塚治虫の『アドルフに告ぐ』の中に出てくるヒトラーユーゲントの少年たちがユダヤ人を迫害する部分を思い出した)
ところが、話が後半にさしかかると、一転し、一つの目標を遂げるために粛々と行動することとなる。夾雑物がどんどん落ちていき、透明な結晶のように。
幕末の大事件。幕府と領民の板挟みとなる藩。頼るものに裏切られる悲しさ。
粉々に砕かれる集団の、その結末は、武士の心がなんとかしようにも大きな力で断ち切られてしまう。
その大きな力も、そのわずか後に断ち切られてしまう。
あとがきを読んで失敗したなと思ったのは、おなじく吉村昭の『桜田門外ノ変』を買ってあったのに読んでいなかったこと。順番が逆であった(笑)。
20000208
- 『夕日が眼にしみる 象が空をI』 沢木耕太郎著 文春文庫 さ−2−10 476円+税
ひょんなことから手にとった本。あるいは、同じ題材を扱った何冊もの本。
今までの自分の経験と、読み、考え、咀嚼してきた数々の本を照らし合わせ、たくさんの角度からもう一度見直す。一歩引いてみる。一歩寄ってみる。裏側を考える。
僕自身ではおそらくそうはしないであろうことを、沢木耕太郎は行う。広く。深く。
自分がしないこと、していないことなのだけれど、なぜだか読み続けてしまうのは、その語り口と豊富な経験に裏打ちされたものがあるからなのだろう。軽薄で根っこのないところから出た言葉ではないことが、文章の端はしににじみ出ている。
20000128
- 『ダブル・デュースの対決』 ロバート・B・パーカー著 ハヤカワ文庫 HMハ−1−23 560円+税
今回、鍵を握っているのはホークである。
ホークの過去につては、今まで多くを語られていない。そして、この本においても語られない。
しかし、それとなく匂わせる、あるいは、ベールの向こう側にあったはずのものを物語の間から浮かび上がらせているようだ。
少年ギャングの抗争のために殺された少女と赤ん坊。ホークは「ダブル・デュース」から彼らを立ち退かせるために動く。スペンサーと共に。
その間、ホークとジャッキィ、スペンサーとスーザン、それぞれの微妙な関係が挟み込まれる。特にスーザンの変化にはちょっと驚かされる。どうしたのだ?
ホークは同じ匂いの中にいる彼らを半ば裁き、半ば許容する。彼らの中にある「男として」生きることはどういうことなのかという答えに、自分を重ねている部分もあるのだろう。それはスペンサーとて同じこと。
相変わらず、会話の部分には引き込まれる。
「ビニールの壁板の腕っこきセイルスマンになりたいか?」
「死んだ方がましだ」
「それがジャッキィには判らないんだ」
こんな会話に惹かれてしまう。それが楽しめないなら、この本を読む必要はない。
20000124
- 『舌先の格闘技』 中島らも著 双葉文庫 な−12−9 447円+税
しゃべると言うことは反射神経なのだ、と思っていたのだが、実は別の要素もあるらしい。
それは、基礎トレーニング。
書名の通り、『舌先の格闘技』を極めるためには、数々あるトレーニングをこなさなければならなかったのだ。そうか。だから僕は口べたなんだ。
7つのレッスンを受けた後は、いよいよ異種格闘技戦(対談)である。
キッチュ、鮫肌文殊、いとうせいこう、吉村智樹、前田日明。
どういう格闘技同士の戦いかは判然としないが、ホストである中島らもとは明らかに異なる性質の格闘家である。
この、戦い。めっぽう楽しい。たまには血を見ない格闘技もいいではないか。
20000110
- 『ぼけナースときどきナミダ編』 小林光恵著 角川文庫 こ−16−1 514円+税
副題『新米看護婦物語』
連載はすでに終了してしまっていますが、ビッグコミック・スピリッツで『おたんこナース』というタイトルで漫画になっていたものの原作とも言える本です。(前書きには原案を小説化したとなっている)
こういう本を読むと、毎度毎度同じ感想になってしまうのですが、やはり患者と看護婦、医師という関係はドラマを生み出す部分が多いです。患者本人もそうだし、治療にまわる側もそう。
それを暗く重く書く方向もありますが、明るく快活に書く方向もあります。読んでいて元気になるのはもちろん後者。それでいて、浮ついた内容ばかりではなく本質をついている。楽しく読んで、一寸ホロッとして、実はしっかりした内容。
『ときどきナミダ編』ということだから、続編があるのでしょう。早く読みたいですね。
20000103
- 『死体を語ろう』 上野正彦著 角川文庫 う−11−3 533円+税
「門松は冥土の旅の一里塚・・・」だそうで。(「正月は・・・」と入力したら誤用だとIMEに怒られた(笑))
だからというわけでもないのだが、正月早々こんな本を読んだ。
常々、死ぬということはどういうことなのかなと、漠然とした思いはあるので興味のない分野ではない。この本を読むと今まで気が付かなかった「死者に対する人権」が浮かび上がってきた。
死体を検死、解剖にたずさわってきた著者ならではであろう。
10人のゲストとの対談を纏めたものであるが、死体をキーワードにして、死の周りにある人々について語っているのだ。もちろん死体本人も含めて。
なかでも、永六輔氏、氏家幹人氏はおすすめである。現在と江戸時代の死を巡る話。ここだけでも立ち読みすべし。
20000101