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山に生きる古老に学ぶ・・・岩魚の滝上放流
 既に腰の曲がった古老は、深山に入り、ザックに入り切らないほどの山菜を背負って、元気に山から下りてきた。その姿を見て、重いザックに喘ぐ非力さが恥かしくなるほどだった。不思議なことに、山に入る時も、帰るときも湧き水の場所で出会った。聞けば、3日間山に入っては、シドケとアイコを採っていたという。手に持っているのがアイコだ。

 「家さ、いつも店の人が山菜を買い付けに来るんだ。早ぇうちは1万5千円ぐれぇになるども、今じゃ7〜8千円しかなんねぇ」と笑った。聞けば、損得抜きにして「山が好きでなきゃ、とでもできるもんじゃねぇ」と答えてくれた。全員、自分たちと重ねて深く頷くしかなかった。
 岩魚の燻製を乗せた木に注目。突き出した目が二つ、大きく開いた口から舌を出したようなユニークな顔をしているではないか。自然の妙に創作意欲を掻き立てられた中村会長の作品だ。会長に聞けば「タイトル募集中」とか。
 岩魚の稚魚が泳ぐ水溜りに顔を出した蛙。翌朝起きると、大量の卵(右の写真)を産み付けていた。今年は春の訪れが2週間も早いが、人間の季節感から見れば「異常」だと感じる。しかし、自然のリズムに合わせて生きる動植物たちは、早かろうが遅かろうが、ちゃんと自然のリズムに合わせて生きている。「異常気象」などと言って騒ぐ人間は、自然のリズムに合わせる事をすっかり忘れてしまったからではないだろうか。
 採取したアイコ。葉は嵩張るのでもぎとった。赤味を帯びた太い根と茎に注目。古老に家に持ち帰ってからの保存方法を聞いた。根を水に浸す人もいるが、山菜は生きているんだ。そんなことしたら、根元が曲がり硬くなるだけだという。新聞紙にくるみ、冷蔵庫の野菜室に保存するのが一番だ、と教えてくれた。
 山菜のプロも入らないゴーロ連瀑帯、その高台の斜面に群生していたシドケ。近場の山菜は、何度も採られてだんだん細くなってくる。人跡稀な場所でしか手にできない極上品だ。色艶、香り、葉ざわりが格段に違う。渓師だけが手にできる一品、と言ってもいいだろう。
 2002年初の山釣りを共に楽しんだ仲間たち。左から中村会長、私、章カメラマン、長谷川副会長、柴田君、金光コック長。白神の森に守られっぱなしの仲間たちだ。せめて森を敬う心だけは決して忘れたくないものだ。
 テン場を綺麗に片付け、山の幸で膨れ上がった重いザックを背に急斜面の小沢を登る。その苦しさを紛らわすには、やっぱり山菜を採りながら登るに限る。
 左:ブナの新葉 右:急斜面を登り切り、尾根を吹き抜ける風を浴びながら休憩。頭上から新緑の森に遊ぶ野鳥たちの鳴き声が降り注ぐ。風に揺れる新緑を眺めながら、3日間楽しかった山ごもりを思い出す。
 春はシドケとアイコ、初夏はタケノコとミズ、秋はきのこ・・・年中白神の森に入り何十年も生きてきた山人。こうした山の達人には、学ぶ点が実に多い。白神に生きる山人のスタイルに注目。山菜を採る時に使うコダシ、山の幸を入れる薄茶色のザック、首にはタオル、黄色の背中あて、軍手、手首と足首の保護、白い長靴、腰には先の尖った山刀と稲刈り用の鎌・・・顔は浅黒く、深く刻まれたシワ、人なつっこい顔・・・都会人がとうの昔に失ってしまった顔、これが森とともに生きた本当の日本人の顔のように見えた。

 熊が襲ってきたらどうするかと問うと、人なつっこい顔は一変、すぐさま腰に下げた山刀を抜き、近くの木を背に身構えた。「決して逃げちゃ駄目だ。こうして木を背に向かい合うんじゃ。熊が襲ってきたら山刀で急所を刺すしかねぇな」と言うと、また人なつっこい顔に戻って笑った。小柄な古老が、やけに大きく見えた。

秘渓A沢 岩魚の滝上放流 2002年5月2日 
 秘渓A沢・・・滝上放流に挑戦した仲間たち。右から釣りの達人・小玉氏、ヤマメ・黒鯛釣り師・伊藤氏、岩魚馬鹿の私。

 秘渓A沢には、長年温めていた計画があった。この沢の岩魚には、大変お世話になった。しかし近年、釣り人の増加とともに岩魚が激減していることを肌で感じ、何とかして在来の岩魚を増やしたいと願っていた。それを実行するには、誰もが容易に近づけない滝上に放流することだった。そこは入り口から滝が連続し、滝と急流が連続する落差約50mの険谷だ。2年ほど前の秋、単独でその計画に挑んだが、大雨に見舞われ、放流する岩魚すら確保できず失敗に終わった。それだけに岩魚を無事、清冽な流れに運ぶことができた瞬間は、感激で胸が一杯だった。
 在来の岩魚を滝上に放流するには、単独ではどうしても無理がある。放流岩魚の確保が難しい渓で確実に在来岩魚を釣り上げることができる人、釣り上げた岩魚を元気な状態に保ちながら運ぶ人、重い岩魚を持ちながら屹立する斜面の大高巻き、放流場所の選定・・・。車止めを午前5時前に出発、無事放流を終えて車止めに着いたのが午後6時前、およそ13時間に及ぶ長い一日。体はクタクタだったが、夢を実現できた充実感で溢れていた。こんな金にもならねぇ馬鹿な計画に、夢中で手伝ってくれる人は、やっぱり釣りを愛する人しかいない。それが現実だ。
 岩魚を見事に釣り上げ、満面に笑みを浮かべる小玉氏。放流サイズは、小さなサイズをできるだけ多く確保した方が確実。大物サイズは、数尾入れただけで満杯、すぐに酸欠状態に陥ってしまう。6寸から7寸程度のリリースサイズを中心に11尾を確保した。右の写真が、今回使用した生かしビク。初めて使用してみたが、軽量コンパクトで、岩魚を元気な状態で運ぶには最高だった。
 浮石に足をとられて転倒。背中から流れに落ちた際、首に下げていたデジカメが水しぶきを浴びてしまった。快晴にもかかわらず、デジカメは湿気でなかなか乾かない。それがために、途中の写真が撮れず残念至極。(左の写真は放流現場。まだレンズが曇っていたが、無理にシャッターを切った一枚)

 源流部二又。右の沢は入り口が狭く暗い。奥に雪代を集めて豪快に落下する滝が見えた。めざすは、この滝上だ。昼食後、3人は左の尾根を登り、横にトラバース。かつての記憶が定かでなく、滝上のはるか下に出てしまった。右手に重くなったビグ、左手で小枝をつかみながら上を目指してひたすら上る。途中小玉氏とビグを交代し、慎重に高巻く。呼吸は乱れ、汗が噴出す。やっとの思いで滝上の急流部に出た。生かしビグを流れに突っ込み、岩魚の回復を待つ。

 階段状になった沢を登り、右に曲がると穏やかな場所に達する。岩魚のポイントらしき場所は、至る所にあるが岩魚は一匹も生息していない。放流場所を探しながらしばらく歩く。左手に一面ヤマワサビに覆われた懐かしい場所に達する。その奥に絶好の淵と瀬があった。産卵場所としても申し分なし。生簀に11匹の岩魚を入れると、あっと言う間に生簀を飛び越え流れに消えていった。その元気さに3人の心は嬉しさで一杯だった。「早ぐ、大ぎくなって、子孫を増やしてけれよ」「3年もしたらウジャウジャ、楽しみだなや」・・・流れの岸辺には、紫色のイチゲやピンクのショウジョウバカマ、ヤマワサビの白い花の群れが、岩魚の新天地を祝うかのように咲き誇っていた。
 ヤマワサビ群落をゆく。このワサビ群落は、滝下だが、何度も採取されているので茎も根も細い。だが、岩魚を放流した滝上のワサビは、極上品ばかりだった。初めて来た仲間二人は、根の太さ、茎の太さに驚きを隠さなかった。ただ、標高が高い源流部なだけに、最盛期はもう2週間後だろう。「いゃ〜、楽しがった。また来でゃなぁ」と何度も言った。
 大事に持ち帰った一匹の岩魚を塩焼きにして、ビールを飲む。生かしビグの中で元気に泳ぐ岩魚たちを見て伊藤氏が言った。「岩魚って、こうして見れば綺麗だなや」・・・。渓を覆う淡い新緑、一面白い花を咲かせたワサビ畑を穏やかに流れる源流、その聖なる別天地に岩魚が群れる姿を夢に見ながら、深い眠りに落ちた。

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