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パート3:標高1200mに生息する岩魚釣り・関東沢源流部
 関東沢源流部は、ナメ床とナメ滝が連続、その全ての壷に岩魚が群れている。おまけに高山植物が群生するお花畑が彩りを添え、源流の旅人を飽きさせない。写真は、コバイケイソウ、ミズバショウ、リュウキンカのお花畑が広がる岸辺に立ち、ナメ滝の壷で岩魚釣りを楽しむ中村会長。
 左の沢F1の滝上から二又を望む。広葉樹と針葉樹の混交林の森が広がっている。樹種は、アオモリトドマツが主体で、ダケカンバ、サワグルミ、ミズナラ・・・ブナは標高1000mを越えているせいか全て小さく、ここだけは「ブナ=岩魚」の図式は当てはまらない。
 F2、落差10mほどのナメ滝の壷は深く大きい。盛んに岩魚がライズする姿が見えた。左に小さく見えるのは、テンカラを振る柴田君。私もテンカラで挑戦。目が悪いのでハリスに毛糸の目印を2個も付けたダサイ仕掛けでラインを飛ばす。毛鉤は、瀬畑翁からいただいた黒系の逆さ毛鉤だ。沈んだ毛鉤など見えるはずもなく、ただ目印だけをじっと見ていると、深い壷の下めがけて走るのが見えた。すかさず合わせると7寸ほどの小物岩魚だった。立て続けに4尾を掛けたが、キープサイズは1尾のみ。それでも稚拙なテンカラに食いついてくれた岩魚たちに感激、感激の連続だった。
 上の10m滝壺で釣れた岩魚。ラインが走り、竿を弓なりにした一尾だ。黒系の逆さ毛鉤が上顎にガッチリ掛かっている。心が舞い上がるほど踊り続けたことは言うまでもない。黒光りした魚体、口元から腹部にかけて、鮮やかな柿色が関東沢源流岩魚の特徴だ。
 私が毛鉤で釣り上げた岩魚2尾と3.6mのテンカラ竿。下手糞なテンカラにも果敢に食いついた岩魚たち・・・「岩魚は足で釣れ」の格言どおり、二日間歩き続けたからこそテンカラ一年生にも簡単に釣れたことは確か。釣技を競う達人には、「なんだ釣りの技術は幼稚園」などと馬鹿にされそうだが、釣りの技術だけでは、この桃源郷に達することはできないのだ。それだけに感激も大きい。
 鮮やかな朱点に近い斑点に注目。側線より上まで色鮮やかな朱点がはっきりと見える。最初にこの沢を訪れた時は、まるでオショロコマだと思ったほどだ。それほど他の水系とは異なる個体であることは確かだ。どちらかと言えば、ヤマトイワナに近い種のように思う。なぜここだけに生息するのか・・・岩魚の謎は深まるばかりだ。
 採取したカワゲラで釣る中村会長。あいにく小雨が降り続いていたが、釣りには最高の釣り日和。魚影が濃すぎるのか、あるいは尺以上に大きくならない種なのか、意外に7寸ほどの小物が多く、釣ってはリリースの繰り返しが続いた。
 毛鉤を完全に飲み込んだ28センチ程の岩魚。岩魚に「早合わせは不要」を証明するような引きだった。ナメ滝上段の壷に毛鉤を振り込むと、あっと言う間に黄色のラインが走った。慌てて竿を立てたが、完全に向こうアワセで釣れた一尾だ。全身黄金色を帯びた魚体の美しさに見惚れてしまった。全身に散りばめられた斑点は、魚体が大きくなるにつれて小さくなるようだ。残念ながら雨が降っていたので写真がうまく撮れなかったが・・・。相変わらず口元まで橙色に染まった口紅岩魚だ。
 リュウキンカ・・・標高が1000mを越えているせいか、標高の低いリュウキンカより葉が著しく小さく、葉と黄色の花のバランスが絶妙で気に入った。
 コバイケイソウの白い花。柴田君は、この花の群れを見るなり、「トウモロコシ畑みたいだね」と言った。よく見れば、確かにトウモロコシ畑に似ていた。
 この辺りから私にとっても、まだ見ぬ未知の源流だった。これまでは、いつも本流の関東沢出合いにテン場を構えていたから、こんなに奥まで釣り上がることはできなかった。それだけに岩魚は群れていた。
 釣り上げた岩魚は、生かしビグで生かしながら釣り上る。昼食後に、川虫採り用の網に入れて撮影した。標高1100m付近で釣れた岩魚たち。
 柴田君が網を持ち、中村会長がデジタルビデオで撮影しているところ。生きたまま清冽な流れに浸し撮影すると、源流の宝石のような輝きを放つ。岩魚って本当に綺麗なものだ。
 色が脱色したのか珍しい白いカワゲラ。  またまた毛鉤にきた岩魚。テンカラ初心者とは言え、餌釣りにはない感激に浸り続けた。ルアーは無理だが、テンカラは、源流部でも十分通用した。なぜなら、日本で生まれた伝統釣法だからだろう。
 大きな毛鉤を飲み込んだ源流岩魚。瀬畑翁の言葉「岩魚は食い筋に流さないと絶対に食いつかない」という言葉がやけに身にしみた。というのも、障害物や風、さらには下手糞な振込みで思い通りに振り込めなかった時は、岩魚が群れていても全く反応しなかったからだ。どこに流せば食いつくかは、全て分かっているつもりだが、その絶妙なポイントに正確に振り込めない。情けないったらありゃしない。これは練習を積むしかないのだが・・・。
 関東沢左の沢上二又。ここからボサがひどく、完全なチョウチン釣りの世界となる。右の沢に入ったが岩魚の種沢らしく、釣れた岩魚は全てリリースした。
 6月中旬というのに、ヤマザクラが咲いていたのには驚かされた。こうした藪では、とてもじゃないが下手糞なテンカラでは一度も振ることすらできなかった。情けない・・・。
 標高1200m付近、関東沢源流部。あたりは完全にアオモリトドマツの世界・・・まるで北海道の源流に迷い込んできたかのような景観が広がっている。
 秋田最標高に生息する岩魚たち、サイズは8寸から9寸余。どの岩魚も腹部の柿色が鮮やかでスマートな魚体だ。なぜか手前の岩魚は、橙色の斑点が薄く、一見アメマス系に近い固体だった。
 右の写真は、木(トドマツ?)の化石。貴重なものだが、石よりも遥かに重くとても持ち帰ることなどできない。

 岩魚が上れないような滝が連続しているにもかかわらず、源頭がすぐ見える所まで岩魚が生息していた。林道もなかった時代に、下流から滝上放流することは、どう考えても不可能だ。「大深の大クマ、小和瀬のコブクマ」というマタギ伝説が残っているが、秋田の沢で最も深い大深沢源流をマタギが猟場にしていたことは確かである。ちなみに仙北マタギの狩場は、北は八幡平・大深岳・駒ケ岳・朝日モッコ岳・和賀岳・白岩岳の奥羽山脈とその渓谷一帯だった。大深の大クマは足跡が輪カンジキをつけたくらいの大きさで、吠える時は岸壁が崩れるような物凄い吠え方で、マタギも蒼くなって逃げたという。そんなマタギたちの岩魚放流記は見たことも聞いたこともないが、私の推測では、仙北マタギが、小和瀬川を上り峰を越えて源頭放流した岩魚の子孫に違いないと思うのだが・・・。

 沢を歩くのも楽しいが、やっぱり無垢なる源流の岩魚釣りの方が遥かに大きな感激をもたらしてくれた。釣り屋の看板を下げて、沢屋になることは一生ないだろう。

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