日高孝次の周辺

 The Boundary Conditions of Koji Hidaka

旧神戸海洋気象台(神戸市中央区中山手通7丁目)

 日高孝次と言っても、今の若い人にはあまり知られていないかも知れない。東京大学海洋研究所の設立に尽力され、その初代所長に就いた人である。また、戦後若い男女の交流の場として「日高パーティ」を自宅で長く開催し続けたことでも知られている。著書としては岩波全書の「海流」が有名なところであろうが、これも今は絶版である。その「海流」の奥付けによると、
1903年宮崎県に生る。
1926年東大理学部物理学科を卒業。
中央気象台、海洋気象台技師を経て、
東大教授となる。
とある。ここにある「海洋気象台」というのは、現在の神戸海洋気象台で、当時「海洋気象台」は神戸にしかなかったのである。ここでは、この海洋気象台時代の日高の業績を中心に見て行きたいと思う。

 この論考は筆者のきわめて個人的な感傷を動機として書き始めたものである。もとより学術的価値などはあろうはずもない。また、生来の怠け者ゆえ、調べ尽くしてない部分が多々あるだろうことは覚悟している。学術性はともかく、筆者としては今後も可能な限り調査、考究を続けて、より正確なものにして行きたいと考えているので、ご助言、間違いのご指摘、ご感想など(ishihara@y.email.ne.jp)はおおいに歓迎するものである。

目次
日高とわが父
水槽
静振の研究
ニアミス