水槽

 筆者は1951年、神戸海洋気象台の官舎で生まれた。官舎と言っても木造の長屋で、筆者の母によると「水槽官舎」と呼ばれていたようだ。正式な名称かどうかはわからない。ただ、その跡地には今も写真のような水槽らしき遺構がある。
 かつて日高らの居た頃、ここには実験用の水槽があったものを、その上に長屋を建てて官舎として供したのであろう。
 その官舎は筆者の少年時代には独身寮として使われていたが、その少し以前、戦後から筆者が生まれた頃までは、筆者の父を含む家族持ちの職員が住んでいたようだ。筆者の他にも数人の子供がここで生まれている。
 日高「海洋学との四十年」によれば、神戸時代の日高は官舎に女中の他に家政婦も雇ったという。これはご妻女が病気であったという特殊事情もあったろうが、やはり戦前の東京帝国大学卒業の学士サマならではであろう。筆者の生まれ育った官舎は質素なものだった。ただ、質素ながらも、お隣には後に東海大学教授となられた渡辺貫太郎さんのような方も住んでおられたようである。戦後のモノのない時代に、壁一枚で隔てられた渡辺さんの部屋の「電蓄」からはベートーヴェンの「第九」が響いていたという。筆者が柄にもなくクラシック音楽好きなのはこのときの胎教であろう。貧乏長屋というのは他人の DNAにまで影響を及ぼすのかも知れない。

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