なんばりょうすけの おぼえがき日記 |
『宮台真司とその思想』などというだいそれたテーマでホームページを作りはじめて以来、「そのうち鋭いツッコミや批判を受けることになるのではないか」という不安のせいもあって、思想系の言説に積極的に触れながら自分の考えを整理することが多くなりました。
このページはそういった日々を日記形式のおぼえがきとしてつづったものです。おぼえがきだけあって思ったことを整理しきれずにそのまま書いたりもしていますが、あまり目くじらたてずに読み流してもらえれば幸いです。
[1997-3-29] 以降の日記はこちら。
夜になってテレビ朝日の担当者からリンクをはった旨メールが届きました。朝生のページからはパネリストのリストの中の「宮台真司」から直接こちらにリンクがはってあったので、「本人が了解してるならいざしらず、非公認サイトに名前から直接リンクするのは失礼になるのでは?」という返事を書いたところ、番組放送開始前に朝生ページが更新されてリンクがはずされていました。
で、朝生の内容ですが、番組放送中リアルタイムに書き足していた [P.1997b] のコメント(今はちゃんとしたコメントにまとめてあります)にも書きましたが、パネリストの人選のせいもあってほとんど宮台の独壇場で、「激論」というよりは、宮台の講義のような感じでした。
なんだか朝生らしくないぞ、という気もするが
「朝生ってうるさいばっかりで何いってんのかよくわからないし、みんな怒っててこわい」 |
朝生らしくないといえば、オープニングのイメージ映像、あれは何?? あれだけ見ると胸とか股間とかにグッとくるようなカタルシスな内容を期待してしまうけど、討論の内容は全く逆で極めて冷静で現実的というギャップ。狙ったとしたらなかなかうまいとも言えるけど、一部には「金返せ」的な拒絶反応を引き起こす効果があるのも確かで、番組終了近くに電話をかけてきた女子高校生の反応なんかはそれなんだろうな、という気がします。
弁護士の佐藤欣子は悪い人じゃなさそうだけど、物を知らな過ぎかも。性交類似行為について「これは同性愛なども含むってことでしょうね」って言ってたけど、そういうカテゴリ分けでの類似性を指しているんじゃないのでは? フェラチオとかも含むっていう意味だと思ってたけど違うのかな?
小田晋の狂った感じには愛敬があってヨイのだけど、どうも根性が悪そう。宮台にさんざん叩かれてたけど、あれじゃ仕方がないか。
この人の出演で一部では流血の惨事が予想されたというプロレスラー議員の馳浩はほとんど発言せず、番組中盤では「勉強させてもらってます」みたいな感じで宮台らの発言に耳を傾けていました。私は勝手に体育会系(宮台の予期理論的人格類型でいえば「バンカラ風さわやか人間」か?)をイメージしていたので、ああいう賢明で潔い態度は意外でした。
あと速水由紀子が予想外にフェミ入ってた(発言も、ルックスも?)のはちょっと残念。番組中随所で宮台から同調圧力がかかっていたように見えたのは気のせい?? (笑)
そういうわけで世間の宮台注目度がアップしているのかどうかはもう少し様子を見ないとわかりませんが、やっぱり今年は宮台の年になる!? とか勝手に思っています。
先日久々に検索サーバーで宮台関係の情報収集をしました。 InfoNavigator や HOLE-IN-ONE などで、宮台に言及した日記や論文などを色々見つけました。そのうち紹介するつもりです。
作業中に届いたメールで週プレの記事 [A.1997f] を知ったのですが、見てびっくり。あそこまで書かれるとこの 実存のページとか書くことなくなっちゃいますよ。去年、某社の面接で尊敬する人物に「宮台真司」、座右の銘に「終りなき日常を生きろ」と答えて面接官にイヤな顔をされた私ですが、去年でよかったって感じ。
先着10名の特製シール、めちゃくちゃ欲しい気がする。そんなの持っててどーするんだという気もするけど。。。
同記事によると宮台の恩師の小室直樹は「分析の腕は百練、技は入神! この人こそは日本最高の社会学者である。いや、唯ひとりの社会学者である。」とまでおっしゃったそうです。「小室氏がいなければ、私は日本の社会科学に絶望していたかもしれない。」と語る理論社会学の橋爪大三郎によると小室直樹は「間違ったことを言わない」人らしい( [A.1996i] p.11 より)のできっと本当なのでしょう。でも「唯ひとり」なんて言われると橋爪大三郎の立場は??
ところで、週プレでの宮台の愛称が「宮ちゃん」というのはイタダケないと思うのですがどうでしょう? やっぱり「ミヤダイ」ですよねー? それとも「ミヤダイ」と呼んでよいのはあの方だけとか?
こういうのも「まったり」生きれない私の悪い癖なんでしょうね。ほっとくとか、kill file 書くとかいうのが本当はスマートな方法なんでしょうけど。
マスコミにチクったら? と言ってくれた人もいたのですが、一般マスコミのネット理解はしょーもないのばっかり(偏見か?)なので逆にまた妙なことになったらやだなぁ。。。
なんかパチンコで最初に座った台が回転がよかったからといって(自粛)万つっこんだけどリーチ目はでてもフィーバーは全然なしって時の、もうやめなきゃって気持ちと、今更やめられるかって気持ちの間で揺れ動くあの気持ち。
すっかり気分入れ換えて、弐号機が大暴れする映像を無邪気に楽しむ、みたいな気持ちで見れれば別にそれでいいはずなんだけど、どうせそういう見方はさせてくれないような作りにするんだろうな、庵野カントクは。
というわけで? 新着情報の [3-10] にも書きましたが Yahoo! JAPAN に当ホームページを登録しました。社会学のカテゴリに入れるのにはちょっとどきどきしました。。。
登録したのは一週間ほど前ですが、やっと受理されました。まだ検索インデックスが更新されてないので確認できてませんが、「ゴー宣」とかで引っかかるようにしたつもり。
P.S. 『スーパールーズ』 はいつ出るんだろう。。。
これは色々事情があって黙っているのです。事情を知りたい方は
fj.life.religion や fj.news.usage を見るとわかるかも、というか、わけわかんない状態なんですけどね。。。
『マゾバイブル』 については既に著作リストにコメントを入れたのでそちらをどうぞ。自分がなぜ宮台に共感できるのかがまたひとつはっきりしてきた気がしました。
『新・ゴーマニズム宣言 (2)』 についてはこちら に少し書きました。
『イノセント ワールド』 についてはまたいつか書きます。。。
P.S. 「宮台氏の「人の悪さ」に君は気づいているか?」
[I.1996f] は是非読むべし!!
私の感想を少しだけ。歴史的事実に関しては映画 SHOAH (残念ながらまだ見てないんですが、作品社から出ている本は読みました)でクロード・ランズマンがやったような徹底した現場検証の記録が必要でしょう。文献調査だけでは限界があることは明らかです。
歴史の専門家が自分の専門の立場から発言するのは結構ですが、専門家としての首尾範囲をわきまえた禁欲的な態度を堅持してほしいものです。
ちなみに宮台氏の戦争責任観は
[B.1995a] のあとがきで触れられています。要点は、戦争一般のよしあし、謝罪一般のよしあしは自明じゃないのだから、個別の事例についての「条件分析」「文脈分析」によって何に対してどれだけ謝罪するべきかを「相対的に」評価すべき、もちろん謝罪することでのみ生まれるような国益のために謝罪するのもありだけど、その場合も利害得失を徹底的に分析するのが政治的権力の責務=政治倫理だといった感じのことです。
いろいろあってホームページの更新をさぼっていますが、時間がとれるようになったら、「宮台真司」ばかりでなく「その思想」のほうも充実していきたいと思います。
お祈りや良いこと |
何かをしていた |
オウム報道でもよく出ていた高橋なんとかいう心理学者(精神科医だったかも)がコメントしていたんだけど、最近の子は肉体的に成熟しているから先生も性的対象として見てしまう云々と言っていました(他にも色々言ってたけど。)
なんかぜんぜんダメですね。ろりごころの分からない学者はこういう事件にコメントする資格なし!!
ストーカー |
宮台氏の彼女というのがいるそうなのですが、ある人が教えてくれた情報では別に女子高生や AV 女優ではないらしいのでちょっとがっかりかも。
内容は、明治以来の日本において、売買春がなぜ悪い(あるいは悪くない) ということについてどんな議論がなされてきたかを、レトリックの歴史としてふりかえり、それぞれのレトリックの問題点を押えつつ、最終的に「性の商品化」というテーマがなぜ現在女性問題を語る上で中心的なテーマとなりえたかを論ずるものです。
これを読むとfj.soc.men-womenでの一連の議論
[12-5] の流れはほぼまるごと、過去の議論の繰り返しですね。赤川学の論文は「新しい批判の論理が必要」と結論しているのですが、あの議論で何か新しいものがでてきたと言えるかどうか。。。
崎山氏の news への過去の投稿姿勢にはムカつくところも多々あって、 news を見てる人の中には同じ宮台ファンで仲良しなんじゃないかと誤解してる人もいるんじゃないかと思いますが、誤解ですそれは。
嫌いといえば、西部邁の『知性の構造』ですが、買ってからずいぶんたつのですが、いまだに読んでません。
この本、ホームページ作りはじめたころ西部批判をするのに西部のスタンスをチェックする必要があると思ってイヤイヤ買ったんですが、怪しげな図や腰くだけな帯の文句でまず嫌な感じになり、序章と第一章を読むといよいよ嫌な雰囲気がにじみでてきて二度と開かないままになってます。とほほ。
ま、暇になったら読んでみます。落ち込んでる時に読んだら怒りのあまり元気になれるかもしれないし。
この本はニーチェの研究書や入門書ではなく、ツァラトゥストラを引きながら日本の現代を西尾幹二が評論するというもの。
ツァラトゥストラを解釈し、現代への批判とする部分には共感できる部分が多々あるのですが、ではどうすればよいのか、という点について述べる段になると、とたんにどこかで聞いたような言葉ばかり書き連ねたような文章になってしまうのはなぜだろう? (書かれたのが 1978 年ということを考慮すれば、「どこかで聞いたような」というのはあんまりかもしれないけれども)
この本では西尾幹二は個々の人間が生きるための知恵・覚悟のありようをニーチェに求めていて、その点ではよいことを言っていると言っていいのですが、そこから社会の問題を語る時に、(今となっては)ありがちな議論を一通りした上で、でも個人の覚悟の問題がより本質的なんだ、というもっていきかたをしている感じがします。
でも社会批評という書き方の中でこういうもっていきかたをすると、個人の覚悟のありようで社会の問題が解決できる(とは直接は書いてないようだけど)ような印象を受けるのがひっかかっているのかもしれません。
従軍慰安婦問題に関してはフェミニズムの立場から上野千鶴子が『現代思想』10月号の「国民国家とジェンダー」という記事で興味深い分析をしていまして、この機会に読みかえしてみました。結構込み入った文章なのですが平たく言うと、近代国家の体制そのものを批判することなくこういう問題を論じても矛盾が出てくるばかり、ということです。これを読むと小林よしのりの視点の浅さがよくわかる気がします。
歴史の専門家なら歴史教科書に嘘書かれて黙ってるわけにはいかないのは当然だけど、そういうのは専門家の誇りをかけてやればいいことで、なんで小林よしのりが首つっこまなきゃなんないんでしょう。それに専門家のほうにも、「自虐史観が日本人をダメにした」みたいなズレた論調が基本にあるみたいでこまったもんです。
たいていの日本人、特に若い世代にとっては歴史的な存在としての日本に対してぜーんぜんアイデンティファイしてないと思うし、歴史認識がどうあろうと、日本の社会の「今」に満ち満ちている問題はなーんも変わらんと思うけどなぁ。
少なくとも私が歴史から学んだことは、どんな国家も正義であったためしはない、ということで、どの国が被害者だとかどの国が加害者だとかいう歴史認識自体はなんの足しにもならないということです。
それが闘争のシンボルかなんか知らないけど、「教科書」をどうにかすれば世の中変わるんじゃないかなんて思ってる人達に歴史をどうこう言われるのは不愉快だし、問題だらけの既存の学校教育システムを前提として「教科書」をめぐって熱い議論を交わしても虚しいだけでは?
漫画家・小林よしのりとしては、トンデモ運動家達はあくまでトンデモとして笑い飛ばす余裕を見せるべきなんじゃないかと思うのですが。。。
むしろ問題は小林よしのりごときをかつぎあげてわけのわからん運動をはじめる知識人たちのほうですね。草葉の陰でニーチェが泣いてるぞ、西尾幹二!
「蝿たたきになるのが君の運命ではない!」
メールでの議論では「援助交際」少女が心の傷を負っているのか、また PTSD のような心の傷による障害が発生しうるのか、という点が話題になったのですが、結局今の心理学では結論できない難しい問題だ、というところに着地しました。
Macska さんとは見解が一致しなかったものの、この議論のおかげで、「援助交際」少女に対する宮台的な視点をやっと「相対化」できたかもしれません。
内容が内容だけに後々恐い気もしたのですが、そうであるからこそこの議論がクダラナイ方向に発散する前にフォローしておく必要を感じたのでした。 (news の議論なんて元々クダラナイのでは? という意見はこの際おいておこう)
慌ててフォローした(うちのプロバイダは news の遅延が結構大きいのです)せいか、あとで読み返すとヘンなところが結構あって恥ずかしいです。でもそういうところに対する心ないツッコミは今のところないのでほっとしています。(長文だからあまり読まれていないという可能性もあるが。。。)
フォローの内容は基本的には宮台真司の受け売りなんですが、売春の危険性が一般に信じられているほど自明ではないということと、少女たちに倫理的なメッセージを送っても「ウソ社会」イメージを増幅させるだけで無効だ、ということを書きました。
で、 NetNews Archive Service Ver.2 のほうで get できました。References: が一部削られる他は大変満足できるものでした。
おかげさまで去年の秋に fj.life.religion での
原理研の広報担当 |
これはそのうち整理してホームページに載せたいと思います。
『発言者』 は「性愛と道徳」という金美齢、福田和也、小林よしのり、宮崎哲弥、西部邁の 5 人によるシンポジウムのレポートが目当て。きっと宮台の悪口が出ると思っていたらやっぱりでてました。が、意外だったのは小林よしのりが宮台の悪口をあまり言っていなかったこと。それどころか、他のパネリストの宮台批判に対して、そんな論理では宮台の論陣に対抗できない、というようなことさえ言っていました(無論かなりソフトな言い方でしたが)。
西部・金・福田の三人が年寄りの昔話クサい文学趣味・美術趣味的なネタふりで盛り上がっていたのに対して、小林・宮崎の二人が少し距離を置いている印象を感じました。
小林よしのりも西部に魂まで売りはらったわけではない |
『創 (つくる)』 についてはそのうち
[A.1996f] のコメント欄に書きます。
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