潜入レポート

12/14 宮台真司&岡田斗司夫
「メディアが創ったオタク」

山上に浮かぶ空中要塞のような関西大学高槻キャンパスで、この日、関西大学ジャーナリズム研究会の主催で「メディアが創ったオタク」と題し、宮台真司と岡田斗司夫を招いたシンポジウムが開催されました。シンポジウムの真面目な報告はまた別の機会に書くとして、ここにはもっと楽しい話、ふざけた話を書きます。


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宮台登場

生宮台をなるべく近くで見ようと、「宮台真司」の札の立っているパネリストの席の真ん前の客席に座りました。ゲストの二人の到着が遅れて、待たされるほどに盛り上がってくる興奮を抑えながら待ち構えていると、まず岡田斗司夫が入場。確かにオタクの王様っぽい風格の持ち主ですが、こういう感じの人なら某AT互換機ショップでも見かけるよね、とも思いましたが。そして岡田斗司夫がパネリストの席につく頃、宮台真司が登場!!

色黒で、ヒゲの剃り後が少し目立つ感じ、トレードマークの茶髪はちょっと茶色いな、って程度で、コンタクトにしたのかメガネはかけていませんでした。

気になったのはその目つき。三白眼のせいもあって、妙に目つきが鋭く、何か喋っている時はともかく黙ってじっとしているときは結構おっかないです。あと気になったと言えば左手薬指の指輪ですが、まぁそのへんはおいときましょう。。。

シンポジウムは学生パネリストの調査報告から始まりました。学生パネリストは PowerBook をプロジェクターに繋いでプレゼンしていたのですが、 Excel(かな?)の集計シートの表示をそのまま出していて、どうも手際が悪いのを見かねた宮台氏が、「Mac でプレゼンやるんだったら HyperCard か Director 使えよー」などとコメント。操作ミスで Excel が落ちると「えー、Finder に戻るのー」などというツッコミまで。そんな気はしてたけどやっぱり Mac 使いだったのね宮台氏。。。

宮台氏はこのほか、インターネットの話題になった時「RIM NET のアクセスランキングの上位に載っているサーバー」の話で、エロ系ページや鬼畜系ページ(宮台氏の命名か? 個人のプライバシー情報やどを暴露する危険なページ)を内容を引用しつつ語ってしまったりと、なかなかのオタクぶりを見せてくれました。(それらのページへアクセスしたのが研究のためなのかそれとも趣味なのかは不明。)


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シンポジウム

シンポジウムの前半は宮台、岡田両氏と学生パネリストとの間でオタクのイメージとその実像をめぐる討論がなされたのですが、学生パネリストの発言がもう一つサエないのもあって、岡田斗司夫の提案で後半は客席とのやりとりをメインにすることに決定して休憩時間に入りました。

休憩時間中、岡田斗司夫のところには前の方に陣取っていたオタク系のファンが五、六人つめかけ、女の子からプレゼント贈呈(中身はいい味出してる感じの絵本)などもあって和気あいあいといった雰囲気。その後ろで宮台真司は一人たたずんでいました。サイン貰いにいこうかな、とも思ったのですが、なんとなくおっかなかったのでその場はじっとしていることにしました。

後半が始まる頃、控室から両氏が戻って来ました。控室で二人で何か盛り上がっていたのか、着席直前までなにかを喋っていたのですが、その時宮台氏が岡田斗司夫の方を向いて力強く「そうそうそう、だよねー」などとまるでコギャル口調で喋っているのが洩れ聞こえました。日頃のフィールドワークの影響か?

後半は結局客席と両氏との間の質疑応答のような形になりました。が、いきなり最初の質問が「オタク(私)は来てはいけなかったのか?!」という(自称) オタク少年の悲痛なメッセージから始まり、主催者のスタッフの間に一瞬緊張が走ったのがわかりました。そこはさすがの宮台先生がうまく対応(そこにちょっとだけセミナーテクを見た気がした)して事なきを得ました。

いろんな質問がありましたが、宮台氏の著書を読んでの質問が多かったです。せっかくの機会なので私もがんばって質問しました(子供がインターネットなどで流布される危険な情報に触れるのをコントロールする必要はあるのか、またコントロールするとすれば禁止による逆効果をどのように防ぎうるのか。)


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残されたメッセージ

予定時間を大幅にオーバーして外が真っ暗になる時間までシンポジウムは続きました。シンポジウムを終るにあたって主催者の学生たちに対して発せられた宮台氏のメッセージは「段取りを気にしすぎるな、もっと不透明さに対する免疫をつけよう」という大変宮台的なお言葉でした。

シンポジウム全体を通して宮台氏は、まったり生きる人たちとは別に、「実存の問題」と「社会の問題」を区別し「社会の問題」を考えるだけの論理と倫理を兼ね備えた少数の人達が社会の中枢にいてくれれば、大多数の人はまったり生きてていい、「みんなが社会全体のことを考えなければいけない」「みんなが社会全体のことを考えれば社会はよくなる」などというのは大まちがいなんだ、ということを強調していました。これは「まったり生きろ」というメッセージの印象が強い彼の思想の中でも見逃されがちな部分だと思います。

また、両氏とも、シンポジウムの参加者の多くが含まれる、20 代の若者たちの元気のなさ(エネルギーレベルの低さ)を指摘。なぜなのかは宮台氏にも把握しきれてないようですが、「エネルギーを出したいならもっと横の(趣味や興味の範囲に対して横断的な)ネットワークを通じたコミュニケーションをしよう」という呼びかけもされました。

こちらからすると逆に両氏のエネルギーレベルの高さに圧倒されてしまって、座って聞いているだけで頭蓋の中にエネルギーがどんどん入って来る感じがしました(ってなんだか宗教体験みたい。。。)


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接触、そして…

シンポジウム終了後、思い切ってサインをもらいに宮台氏のもとへ!! 『権力の予期理論』 [B.1989a] の裏表紙にサインをせがむと、「いやー、難しい本持ってるねー」とにこやかに応じてもらえました。万年筆を取り出し本を受け取る時「この本は私がまだ社会学に情熱を燃やしていた頃の本なんだよね」とコメント。って、今は社会学には夢も希望もないと思っているのか?

なんばりょうすけ様
本日はすばらしい質問ありがとうございました
   一九九六年 十二月十四日

                              宮台真司
というサイン(実際には縦書き)をいただきました。こちらこそ本当にありがとうございました。 〉 宮台先生

同行したヤマオカさんも『社会学の理論でとく 現代のしくみ』 [B.1991a] にサインをもらっていました。ヤマオカさんへのサインは、

まったり生きろ!

とのありがたいお言葉入りのスバラシイものでした(このときヤマオカさんは興奮して大喜びしていましたが、後になって「これって私はエリートじゃなくてまったりする側っちゅうことかい!」と嘆いていました。。。)

このあとホームページでのイベント告知の際にお世話になった 関西大学ジャーナリズム研究会 の岡井さんに挨拶をしました。ホームページの話を宮台氏に話そう、ということになって再び宮台氏のところへ。

 私
「あの、実は私、宮台先生のホームページを作らせて頂いております」
宮台
「なにっ? 君かぁ?! ちょっともういちど名前見せてよ」

なんでもこのホームページができる以前に『滅びゆく日常を生きというページの片隅にあった「宮台真司の顔をみてみよう」というコーナーに顔写真とムービー(今のホームページのタイトルグラフィックの元になったもの)を載せていたのを検索サーバーで見つけたそうです。

怪しいタイトルと妙に偉そうに喋っているムービーがただ置いてあるのを見た宮台氏は「なんだこりゃ、おちょくっとんのか?!」と思ったそうです。 (そういえば以前このホームページの読者から「当時は小林よしのり一派の陰謀かと思った」というメールをいただいたことがあります。。。)

それにしても自分の名前を検索サーバーで探す宮台氏ってなかなかおちゃめ。なんて言うとまた「おちょくっとんのか!!」って叱られるかな?

私は失礼を詫びて、今後精進することを誓いました。宮台氏は今の形になってからのホームページはまだ見ておらず、「検索サーバで見つかるかな?」と尋ねられたので「altavista でヒットします」と答えて宮台氏の背中を見送りました。

(文中一部敬称略)


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