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がんを明るく生きる-前立腺癌の末期から生還した伊藤勇のサイトのホーム

末期癌より生還した伊藤勇の闘病と生き方の物語

(6) 転移を繰り返してきたがん細胞が消える…最期と覚悟した入院で逆宣告

余命3ヶ月と告知されてから6年半の間、私の身体のあちこちに支店を作る「がんちゃん」とともに、オマケの人生を思いきり生きてきました。転移は前立腺を始めとして、肝臓、肺、骨髄に及んでいました。しかしその間もずっと、心はますます元気でオマケの人生を満喫しておりました。どんなことにも「ありがとう」と感謝の気持ちいっぱいで生きてきました。
余命告知より7年が過ぎた2002年10月、急激な体重減少と疼痛、貧血、不明熱で緊急入院することになりました。「いよいよ旅立ちか」。自分でも最期と覚悟を決めていました。

この入院中には、名古屋でお受けした講演会が予定されていました。私は自分の状態からしてこれが最後のお役に立つ機会と内心思っており、支援してくださる人の介助を受けて、モルヒネを使用しながら、病院から講演会会場に行かせてもらいました。

私が、もう最期かな、と感じ出したのは、さまざまな検査を受けるたびに聞かされる医療者の言葉にの中に明るい情報を見つけられなかったことにもあります。耳鼻咽喉科では「結果が気になりますから再検査します」、血液科では「白血球が増えてますから・・」、大腸の検査では「これ以上は内視鏡ではわかりません」。そのたびに、やっぱり病状は進んでいるんだな、という悪い印象ばかりが強くなっていきました。
おまけに、腰はどんどん痛くなりますし、貧血もきつくなってきて、とうとう入院1ヵ月後には意識不明になり集中治療室に運ばれてしまいました。血圧が38/19になり、検査結果の出ていない段階だったので主治医の先生も「がん死を確信」されていたようです。本当なら、ここで私のオマケの人生も終わっていたのかもしれません。ところが、先生看護師さんたちの懸命の手当てのおかげでまた生き返ることができたのです。土曜日の夜に、病院のみまさまにはご迷惑をかけました。
その後の先生との会話も、「血液検査でちょっと気になることがあったので、専門の先生に判定をお願いしたよ」「先生、僕は気にしてないですわー。もう全身に転移してますでしょうし」「いや、ボクが気になるのですよ」…とまあ、こんな風でした。

そして、いよいよ検査結果を聞かされる日になりました。2002年12月5日です。私は先生から「がんがかなり悪くなっています」と言われるのを覚悟していました。先生はゆっくりと言われました。
「結論から言いましょう。すべての検査の結果、がんが消えていたよ」
一瞬、わが耳を疑いました。聞き間違えたのかと思いました。
「先生、それ、ほんとー?」
「信じられないけど、そうなんだ。がんがないんだよ。がんが消えている。奇跡だよ。なんでだろう?わからない。」
私は夢かと思ってほっぺたをつねりました。
つねりながら私もつぶやきました「なんでだろう?わからない…」。
そして、次の瞬間、「これ本当なんだ!」と思ったら、肩の力がスーッと抜けていきました。

検査結果を聞かされるときにはもう最期、と、最悪のことを予測していましたから、思いもよらない好結果を聞かされた感じはなんともいいようがありません。野球で言えば、9回裏のサヨナラホームランのようなものでしょうか。
またこの緊急入院の原因は「内痔核悪化」ということもわかりました。翌月無事に退院でき、またオマケの人生の続きが始まったのです。

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