いかにして私は三谷幸喜作品に打ちのめされたか

初めて生の舞台を見たのは中学生のとき。堺正章さん主演の、版画家棟方志功の物語だった。もらったチケットで行ったのだが、イタイケに感動した。
高校生のとき、まだ柴田恭平さんが在籍してた頃の東京キッドブラザーズの「冬のシンガポール」を見た。エネルギッシュな舞台に、イタイケに感動した。
その後は社会人になるまで見なかった。その間、私は映画等にハマッていたからだ。
日本の景気が異常によかった1980年代後半、いわゆる「小劇場ブーム」到来。演劇に打ち込むために会社まで退職した先輩(女性)の舞台を見に行ったのをきっかけに、ちょこちょこ気にかかる作品に足を運ぶようになった。どれもそれなりに面白かった。
そんな私に運命の日がやってくる。大げさな言い方だが、私には本当にそんな感じだった。1993年秋のことだった。
その夜、前述の先輩から電話がかかってきた。「今度の土曜日、ヒマだったら演劇見に行かない?」「どんな劇団ですか?」「東京サンシャインボーイズっていうんだけど、なかなか手に入らないチケットだよ」
全く知らない劇団だったが、先約もなかったので行くことにした。本当は、演劇のあと、二人で飲みに行くことの方が大きい楽しみだった。しかし「罠」というタイトルのその舞台を見たとき、想像を絶する面白さに、私は打ちのめされていた。シアター・トップスという劇場を、フラフラになった足取りで、私が最後に退場した。その後先輩と飲みには行ったのだが、今見た舞台の感動を引きずった私は、あまり覚えていない。ただ先輩の話しで、今の舞台の面白さは脚本によるものだと教えてもらった。私は三谷幸喜という名前を脳裏にインプットした。

以来、三谷幸喜さん脚本による舞台は全て見に行っている・・・・・と言いたいところだが、一つだけ見ていない。「巌流島」である。チケットを取れなかったのではない。公演日が変更になったためである。最初、三谷氏の脚本が遅れたため、舞台初日が1週間延期となったニュースを聞いたとき、思わず自分のチケットを確認した。セーフだった。
ところが数日後、更に遅れたため出演者の一人、陣内孝則さん降板、役者の変更のため、またまた初日が延期になった。アウトだった。呆然とし、泣いた。また数日間、怒りが納まらなかった。
しかし「では今後三谷作品は見なくていいか」と自問してみると、やはり見たくてウズウズしてくる自分が目に浮かぶ。そういう訳で今もハマッている。