目黒不動尊2 見るものがありすぎる 目黒不動には、実に魅力的な舞台装置がしつらえられています。先ず、目黒区教育委員会の解説板からその一部を紹介します。 『境内は台地の突端にあり、水が湧き老樹が茂り、独鈷(とっこ)の滝や庭の池が美しく、庶民の信仰といこいの場所でした。 銅造大日如来坐像
目黒不動は台地の高台に作られていて、本堂は一番高いところに位置しますが、それに連続して林があり、その中に露座の大日如来坐像が祀られています。目黒区指定有形文化財に指定されていて次のように説明しています。(昭和59年3月31日 指定) 『この像は宝髪、頭部、体躯、両腕、膝等十数か所に分けて鋳造し、それを寄せて一体とした吹きよせの技法で造られている。体躯にくらべ頭部を大きく造るのは大仏像共通の特色で、面相も体躯も衣文表現もよく整っている。 不動尊に大日如来とはどうして? 以下は、不動を本尊とする寺の知人である住職に聞いた話の受け売りです。 さらに、大日の化身である不動には排他性がない。日本固有の山岳信仰も修験道となって不動尊信仰と結びつき、庶民の間に根強く支持されてきた。 「寛永11年、50余棟に及ぶ山岳寺院配置の伽監が復興完成・・・」との目黒不動の縁起はそのことを意味しているのではないか。また、本堂の不動尊を見守るように露座の大日如来坐像が祀られているのは、大日如来と不動尊の密接な間柄を、誰にも、目に見えるように配慮したものであろう。』とのことです。 独鈷の瀧(とっこのたき) 江戸名所図会には、次のような説明が書かれています。 昔は三口にわかれて湧出せしが、いまは二流となれり。そのかみ一年、この流水(たき)の涸れたりしことありけるが、沙門某江島の弁天に起請奉り、再びもとのごとしとぞ。ゆえにいまも、年々当寺より江島の弁天へ衆僧をして参詣せしむること、怠慢なしといへり。『和漢三才図会』に、「倶梨迦羅の滝」とあり。』 台地を通して湧き出る水場がいかに重視されたかは云うまでもありませんが、水垢離(みずごり)の場であると同時に、村の灌漑用水に使われたところが、いかにも村の寺院らしいところです。また「倶梨迦羅の滝」(くりからのたき)と呼ばれたあたり、不動信仰の庶民への近寄りに、大日如来坐像と共に配慮されていることがわかります。これは目白不動で書きたいと思っています。 前不動 江戸時代中期の仏堂建築として、当時の姿が残されていることから、「東京都指定有形文化財」に指定されています。江戸名所図会には『左右に十二天の像を安置す。楼門の左の方にあり。』と記されています。 ☆☆☆☆☆ 帰路は、大鳥明神社、蛸薬師、羅漢寺などにお参りして、太鼓橋を渡って、行人坂、大円寺を経て目黒駅に出るコースを取ると、変化に富んだ江戸時代が手に取るように体験できます。その場合、江戸切絵図(白金)や江戸名所絵図を片手にすればその感慨は立体的になってさらに深まります。 江戸名所図会に載せられている目黒 広重 名所江戸百景の中の目黒 大円寺には、清涼寺式の釈迦如来立像(国重要文化財、近くでは鎌倉の極楽寺にある)があって、1月1日〜7日、4月8日に開帳されます。 この道は、不動尊のご縁日の28日などには「人の行く方へ行けば目黒なり」となる道です。 (2001.10.22.記)
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