目黄不動尊(最勝寺) 天台宗 牛宗山
明王院 最勝寺(さいしょうじ)(江戸川区平井1−25−32) JR 総武線 平井駅
下車 バス 小松川高校前下車 徒歩3分 江戸川区の町並みに触れたくて、駅から歩くことにしました。商店街を抜け、淡々とした住宅街の中で、通りがかりの自転車のお年寄りに道を聞きました。 『丁度いいから・・・、ついてきなされ。この辺は何もなくてなー。』 『ほうー、随分遠くから・・・。花はみんな丹精していなすって・・・。アパートなんかでもやってさなる。寄ってみなさるかね・・・?』 と案内してくださったのがこの通りみち。そこから少し行って 正面に荒川の堤が見えると最勝寺でした。 大きな石塔「元 本所表町
天台宗 最勝寺」に迎えられて 目黄不動明王 関東三十六不動霊場第十九番の石柱の奥に 不動堂があります。 縁起 先ずはお参りを済ませ、納経帳に御朱印をお願いし、住職の素晴らしく達筆な字にお礼を云って、縁起を頂戴しました。 『目黄不動 としています。そして、最勝寺については 『最勝寺 牛宝山・明王院と号し、天台宗に属する。本尊には釈迦如来(慈覚大師の作と伝えられる)及び不動明王(良弁僧都の作)を安置する。 無縁塚 縁起に関しては、他の資料でもほぼ同様です。ただ、学生社「江戸川区史跡散歩」では、『この尊像(=不動尊)は、はじめは東栄寺(末寺)にまつられていたものであったが、廃寺になったので最勝寺へ移されたものである。』(p173)しています。東栄寺がどこにあったのか興味が湧きます。 街道守護、将軍家との関わり、牛島神社(牛の御前)の別当 縁起を手にしてみると、最勝寺の目黄不動尊も、街道守護、将軍家との関わりが説かれていました。 目黄不動縁起では『江戸に入る街道を守らしめたが、当寺に安置する不動明王は、五色不動のうち目黄不動と名付けられ、その中の中心的な意を持つ由緒あるものである。』として、街道守護と黄を中心に置く、四神・色説を採っています。 最勝寺縁起では、江戸名所図会を引用して『寛永年間大樹此辺御遊狩の頃、しばしば当寺え入御あらせられしにより、仮の御殿など』が造られたとしています。さらに、最勝寺が牛島神社(牛の御前)の別当寺であったことが明らかにされています。 牛島神社は墨田区の向島にあります。江戸切絵図では、最勝寺は隅田川の東河畔、墨田区の駒形にあったことを残して、まさに、その関連を語ります。 それにしても、随分と距離があります。すでに、夕刻になりかかっていたので、もう一回出直して、最勝寺の旧地、「元 本所表町」へ行ってみようと気を新たにして、荒川土手を帰路につきました。 夕づまりの荒川は帰りを急ぐ人が一斉に動いて、もの悲しい風情でした。
|