シーラ号の謎 ★☆☆
(The Last of Sheila)

1973 US
監督:ハーバート・ロス
出演:ジェームズ・コバーン、リチャード・ベンジャミン、ジェームズ・メイスン、ラクエル・ウエルチ
左から:ジェームズ・メイスン、ラクエル・ウエルチ、ジョーン・ハケット、
イアン・マクシェーン、ダイアン・キャノン、リチャード・ベンジャミン

「サイコ」(1960)のアンソニー・パーキンスが共同で脚本を書いた作品で、かなり複雑なプロットを持ったミステリーです。パーティの帰りに奥さん(シーラ)をひき逃げされたジェームズ・コバーン演ずる映画プロデューサーが、自分の持つ豪華ヨットにその時の関係者を集めてゲームを始めるというあたりは、ホストがゲストを招いて殺人ゲームをはじめるいわゆる「そして誰もいなくなった」パターンのストーリー展開を思わせます。「そして誰もいなくなった」の二度目の映画化である「姿なき殺人者」(1966)のレビューでも書きましたが、このパターンのミステリー小説、ミステリー映画の特徴は、たとえば「そして誰もいなくなった」の原作者であるアガサ・クリスティで言えばエルキュール・ポワロやミス・マープルのような事件を第三者的観点から推理する探偵が存在しないことです。因みに探偵以外は全て犯人であったという同じくアガサ・クリスティ原作の「オリエント急行殺人事件」(1974)などは、このような探偵小説、探偵映画が持つ特質の一種のカリカチュアライズであると考えられると個人的には見なしています。すなわち探偵ものには、事件に対して全くの第三者であることがオーディエンスにも確実に分かっている探偵が必ず中心登場人物になることによって(しかしながらただものではないアガサ・クリスティは探偵ものではないけれども「アクロイド殺人事件」でこの掟を破ろうとするわけですね)、それに感情移入するオーディエンス自身も第三者的な立場に置かれるという大きな特質があるわけです。ところがそのような探偵が登場しないミステリーでは、犯人ではない登場人物としてたった一人の登場人物ですら論理的に除外しておくことができない為、オーディエンスは第三者的立場ではなく登場人物ともども不安定な状況連関に巻き込まれることになるわけです。しかしながら「そして誰もいなくなった」にしろ、この「シーラ号の謎」にしろ、少なくとも全ての状況を把握しているはずのホストがいるではないかということになります。従って、そこにひねりが加わって、前者の場合には客は招待されたがホストが現れずそもそも誰がホストであるか自体に大きな焦点が置かれ、また後者では2時間の映画の丁度中間あたりで肝心のホスト自身が殺されるという展開になります。因みに「シーラ号の謎」と同じく1970年代に製作された映画に「名探偵登場」(1976)という作品があり、この作品でも招いたホスト(トルーマン・カポーティ)が殺されますが、結局本当に殺されたのかどうか分からないというチャランポランな展開になります。要するに「オリエント急行殺人事件」が通常の探偵ものミステリーの一種のカリカチュアとして捉えることができるとするならば(うーーん、そう考えるのは私めくらいかもしれませんが)、「名探偵登場」は「そして誰もいなくなった」タイプミステリーの一種のカリカチュアだと見なすことができるでしょう。さてそのようなわけで、「シーラ号の謎」では主演のジェームズ・コバーンは前半だけでお役目御免になります。その後の展開に関しては、まあ古い映画ですがネタを暴露する結果になるので詳述は避けることにして、1つだけ指摘しておきましょう。それは、この映画はコバーンがお役目御免になる点を境として、前半と後半でオーディエンスに与える興味の方向が大きく変わることです。前半はコバーンの仕掛けるゲームが一体どのような展開をたどるのかという点に力点が置かれますが、後半はそのコバーンそのものが殺されて要するに全く別のミステリーがそこから開始されます。また、後半の前半はリチャード・ベンジャミンがにわか探偵となってプロットを進展させ、後半の後半はジェームズ・メイソンがにわか探偵になってラストシーンに導くという構成になっていて、映画全体を考えるとかなり展開が込み入っています。それをどう捉えるかは見る者によって異なるでしょうが、個人的な感想としては、ストーリー展開自体はアンソニー・パーキンスといういわば一種の素人(もう一人の脚本担当も作曲家のようです)が脚本を書いたにしては実に巧妙であるけれども、その巧妙さはややもするとひねり過ぎ、すなわち人工的過ぎる印象を与え、いわばアガサ・クリスティのようなプロのライターの手になる作品の持つナチュラルさよりも、人工的な手練手管が勝りすぎている印象があります。それでも、最初の一回目は目先が変わってかなり楽しめる作品だと言えるでしょう。正直言えば個人的にはこの映画、大の大人がしょうもないゲームに打ち興ずるシーンがメインとなる前半の方が好きですね。何しろ、昔シミュレーションボードゲームを山程買っていた私めはゲームには弱いので・・・(何のこっちゃ?)。最後に付け加えておくと、この映画でジェームズ・メイソン演ずるキャラクターが「Little Child Molester」として言及されるのは、思わず業界ジョークのように思えました。というのも彼は「ロリータ」(1962)、「ジョージー・ガール」(1966)、「としごろ」(1969)等でうら若き少女達をたぶらかしていた前科があるからですね。「砂漠の鬼将軍」(1951)のロンメル将軍も落ちるところまで落ちたものです。


2006/10/21 by Hiroshi Iruma
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