クイン・メリー/愛と悲しみの生涯 ★★☆
(Mary, Queen of Scots)

1971 UK
監督:チャールズ・ジャロット
出演:バネッサ・レッドグレーブグレンダ・ジャクソン、パトリック・マクグーハン、ティモシー・ダルトン
左:バネッサ・レッドグレーブ、右:グレンダ・ジャクソン

先日「わが命つきるとも」(1966)を取り上げましたが、そこでは英国国教会の草分け的な存在となるイングランド王ヘンリー8世が、自分の最も信頼する相談役であったトーマス・モアを処刑するに至る一連の過程が描かれています。何故、信頼していたにも関わらず処刑せざるを得なくなったかというと、ヘンリー8世が当時彼の嫁さんであったキャサリンを離婚しようとしたこと、及びイングランド王をイングランドの教会組織の首長たらしめんとしたことに対し、カトリック教徒であったトーマス・モアが首を縦に振らなかったからです。これに関する顛末については、「わが命つきるとも」のレビューでかなり詳しく述べたのでここでは敢えて繰り返しませんが、その折にヘンリー8世が結局カトリックの合意を得ずに王妃キャサリンを離婚して直ちに再婚したのがアン・ブーリンであり、その結果として生まれた娘がこの「クイン・メリー/愛と悲しみの生涯」でグレンダ・ジャクソンが演じているエリザベスT世(当然テュ−ダー朝イングランドを舞台としたこの作品のレビューで現女王であるエリザベスU世に言及することはあろうはずもないので以下エリザベスと記します)です。エリザベスは、スペインの無敵艦隊をたたきのめしたり、オヤジのヘンリー8世がカトリック教会から分離独立して基礎を築いた英国国教会を発展させたりなど、後の大英帝国発展の基礎を確立したともいえるような傑物でしたが、しかしながらかくしてこの世に怖いもの無しとも思われる彼女にも夜中に枕を高くして眠れない人物が一人いました。それも女性です。実はそれが、当時スコットランド王位に就いていたメアリ・ステュアートであり、その彼女をバネッサ・レッドグレーブが演じています。ではエリザベスは何故メアリ・ステュアートを恐れたのでしょうか。それは、メアリ・ステュアートがエリザベスの祖父でもあったヘンリー7世のひ孫であり、スコットランド王であると同時にイングランドの王位継承権を持っていたことに加えて、彼女の背後にはカトリックという強大な組織が控えていたからです。しかも、カトリックの立場からすれば、ヘンリー8世が自分達の合意を得ずに勝手に離婚して再婚したアン・ブーリンとの間にできた子供は云わば私生児にすぎないのであり(この映画でもカトリックの牧師?がエリザベスをbastardと呼んでいる程です)、エリザベスはイングランド王位を継承する正当な権利など持たないニセの王様(imposter)であることになります。これに対して、そのような系図上の問題が存在しないメアリ・ステュアートこそが正当な王位継承者であるとカトリックは見なします。従って、そのような潜在的なパワーを持ったメアリ・ステュアートが、しかもイングランドの裏庭とも云えるスコットランドに君臨していては、さすがのエリザベスも落ち着いてはいられなかったということです。下手をすれば前門のヨーロッパ大陸と後門のスコットランドから挟撃を食らう可能性があったということです。従ってこの作品でも描かれているように、エリザベスはあの手この手を使ってメアリ・ステュアートを政治的に無力化しようとします。後述するように、無能なヘンリー・ダーンリ卿(ティモシー・ダルトン)を旦那として送り込んだりすらします。青木道彦著「エリザベス一世」(講談社現代新書)によると、スペイン大使がエリザベスのことを「10万の悪魔が巣くった女性」と評したそうですが、彼女は権謀術数に長けたマキャベリ顔負けの政略の達人でもあったのですね。いずれにしても、メアリ・ステュアートは、エリザベス暗殺の陰謀に関わり、それが発覚します。しかしどういうわけか、エリザベスはメアリ・ステュアートを陰謀のとがで幽閉はしても(それも名物のロンドン塔に幽閉することはエリザベス自身が禁じたそうです)、長い間処刑はしませんでした。結局、この作品でも描かれているように、エリザベスはメアリ・ステュアートが有罪を認めれば死罪は免除するつもりでしたが(これはよく考えてみれば白黒のはっきりしたエリザベスにしては珍しく矛盾した態度に見えますね)、後者がそれを拒絶したので彼女の首が最後に宙を舞うことになります。メアリ・ステュアートとエリザベスの対立は勿論表面上は王位継承に関するものでしたが、忘れてはならないことはそのバックに旧教(カトリック)と新教(英国国教会)の対立があったことであり、この時代のみに限らずヨーロッパの歴史における政治史の裏側には、ほとんど常に宗教的対立が存在したということです。「わが命つきるとも」では、カトリックに忠実であったトーマス・モアが英国国教会の基礎を築いたヘンリー8世に処刑されますが、そのことと、カトリックであったメアリ・ステュアートが英国国教会を発展させたエリザベスに処刑されることとの間には、構図的に相同的な面が存在すると言えるかもしれません。しかし歴史とは皮肉なもので、生涯独身を通したエリザベスには子供はおらず(またヘンリー8世と最初の奥さんキャサリンの子であったメアリ1世(カトリックを信奉し新教徒を血祭りにあげたためブラディ・メアリとも呼ばれた人です)にもスペイン王フェリペ2世との間に子供はできず、ヘンリー8世と3番目の奥さんジェーン・シーモア(007に出演していた女優さんのことではありません)の子であったエドワード6世にも夭逝した為子供はいませんでした)、結局メアリ・ステュアートの息子でスコットランド王であったジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王を兼ねることなり(同君連合)、ここにテューダー朝が断絶してステュアート朝が幕開けすることになります。ということで、高校の世界史の復習はこのくらいにして、作品の出来はどうであるかについて次に述べることにしましょう。勿論ある程度の脚色はありますが、ストーリーに関してはほぼ上記説明した実際の歴史通りであり、それ以上追加することは特にありません。それ以外のこととしてまず注目すべき点は、監督がチャールズ・ジャロットであることです。何故注目すべきかというと、彼の前作は、エリザベスの両親ヘンリー8世とアン・ブーリンを扱った「1000日のアン」(1969)だからであり、要するに英国史の続きものを撮ったということになります。ヘンリー8世とトーマス・モアを扱った「わが命つきるとも」、ヘンリー8世とアン・ブーリンを扱った「1000日のアン」、エリザベスの若い頃を描いた「悲恋の王女エリザベス」(1953)に続けてエリザベスとメアリ・ステュアートの関係を扱ったこの「クイン・メリー/愛と悲しみの生涯」を鑑賞すれば、テュ−ダー朝イギリス史の専門家になれること請け合いです、とはさすがに大袈裟でした。さて、タイトルが示すように「クイン・メリー/愛と悲しみの生涯」の主人公は、歴史という表街道を大手を振って歩いていたエリザベスではなく裏道をひっそり歩いていたメアリ・ステュアートです。すなわち歴史という檜舞台に立っていた現実世界における主人公はエリザベスであったのに対しこの映画では扱いがその逆になっており、大袈裟な言い方をすれば歴史の裏街道を描くことが意図されていたと云えるかもしれません。要するに、この作品は歴史の大きな流れを客観的に描くことよりもメアリ・ステュアートの数奇な運命をドラマティックに描くことを主な目的としていたということになりますが、そのメアリ・ステュアートをイギリスの名女優バネッサ・レッドグレーブが演じており、この作品でオスカー主演女優賞候補にも挙げられています。しかし、この作品で目立っているのは、同じくイギリス出身の大女優であるグレンダ・ジャクソンの方であり、まあエリザベスという役柄は、マーガレット・サッチャーを演ずるならこの人しかいないだろうと思わせる彼女にピタリとマッチした為か、あの手この手の権謀術数を駆使し舌鋒鋭く取り巻きの野郎どもをあごで使うエリザベスを実に楽しそうに演じています。そういうわけで、登場時間が遥かに短い彼女の方が、主演のバネッサ・レッドグレーブを食った形になっているようにも見え、歴史の裏街道を描くというこの作品の意図がややボケた感があるようにも思われます。とはいえども、これはある程度仕方がないことであり、殊に当時グレンダ・ジャクソンは主にイギリスで活躍していながらも「恋する女たち」(1969)と「ウイークエンド・ラブ」(1973)によってオスカー主演女優賞に輝いた絶頂期に差し掛かっていたことを考慮すれば、エリザベスという輪郭が極めて明確な傑物(因みに「悲恋の王女エリザベス」ではジーン・シモンズが若き日のエリザベスを演じていますが、個人的にはジーン・シモンズが最も輝いたのはこの作品であると考えており、エリザベス役にはそれを演ずる女優さんを輝かせる効果があると言ってもそれ程大袈裟ではないのではないでしょうか)を彼女のような女傑に演じさせてしまったならば目立つなという方が無理であり、いずれにせよ彼女にかなう女優さんは当時は恐らく誰一人としていなかったでしょう。まあこの作品は二人の女王様達が主人公であり、彼女達が取り巻きの野郎どもコキ使う様子は女の子には胸がスカっとするかもしれません。たとえば、メアリ・ステュアートの旦那であったヘンリー・ダーンリ卿をティモシー・ダルトンが演じていますが、彼はエリザベスの権謀術数の中にあって単に将棋の歩の役を果たしているにすぎないことにも気付がつかず(というよりもそんなことにも気が付かないくらいのアホなのでエリザベスが歩として使うわけですが)勝手に自分は王様であると思い込み挙句の果ては暴徒にタコ殴りに殺されてしまうようなバカ殿として描かれており、未来のジェームズ・ボンドもこの作品では全く形無しです。それからこれからこの作品を見る人の為に1つ指摘しておかねばならないことがあります。それは、「クイン・メリー/愛と悲しみの生涯」にはアクションシーンがほぼ全く存在しないことです。たとえば古代ローマを舞台としたスペクタクル史劇を見る楽しみの1つは、大軍同士が入り乱れての戦闘シーンや一騎打ちなどのアクションシーンを見ることです。それに対して、この作品を始めとして前述した「わが命つきるとも」や「ベケット」(1964)などの英国史を扱ったイギリス映画には、大軍であろうが一騎打ちであろうが戦闘シーンは全く存在しないかほとんど存在しません。従って、バックとなる歴史について何も知らないと文字通り動きが少ないだけに映画自体がスローであるように感ぜられ、だるい映画であるように思えてしまう可能性が大であると云えます。そういうわけで、この手の作品は決して誰が見ても面白いとはとても保証できませんが、しかしながら歴史に興味ある人にはお薦めです。まあそれに個人的には、この作品の場合、グレンダ・ジャクソン演ずるエリザベスを見ているだけでも楽しいですね。それに比べると主人公のメアリ・ステュアートを演ずるバネッサ・レッドグレーブは、オスカーにノミネートされているとはいえ私めには平均的に見えます。男優陣では、パトリック・マクグーハン、イアン・ホルム、ナイジェル・ダベンポート、トレバー・ハワードらが、彼ら独自のいかにもイギリス的な味を発揮していて素晴らしいですね。イギリス産の歴史映画は、やはりパフォーマンスを楽しむというところにミソがあることは、わざわざ指摘するまでもないところでしょう。


2007/09/19 by Hiroshi Iruma
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