ベケット ★★★
(Becket)

1964 UK
監督:ピーター・グレンビル
出演:リチャード・バートン、ピーター・オトゥール、ジョン・ギールグッド、マーチタ・ハント


<一口プロット解説>
12世紀イギリスのプランタジネット家君主ヘンリー2世は、彼が最も信頼する人物であり大法官にも指名したトマス・ベケットを、教会をコントロールする為にカンタベリー大司教に指名するが、ベケットは次第に教会の利益を代弁するようになりヘンリー2世と対立するようになる。
<入間洋のコメント>
 ベケットと云えば、我々日本人であれば通常はまず第一に20世紀を代表するアイルランド生まれの劇作家サミュエル・ベケットが思い浮かびますが、実はこの映画は彼の伝記映画ではなく、12世紀の中世イングランドを舞台としてプランタジネット朝君主ヘンリー2世に大法官(Chancellor of England)として最初は仕え、やがて教会を手なずける為の傀儡として王の勅令によりカンタベリー大司教(Archbishop of Canterbury)に指名された後は、あにはからんやヘンリー2世にがっぷり四つに真っ向から対立するようになり、その結果王の放った刺客によって殺害され、以後殉教者として列聖されるようになったトマス・ベケットのことを指します。日本ではあまり知られてはいないかもしれませんが、イギリスでは現在でも彼の遺体が安置されたカンタベリー大聖堂への巡礼者が絶えない程ポピュラーな存在であるようです。後で紹介する人類学者ヴィクター・ターナーによれば、イギリス中の小中学生がトマス・ベケットの伝記のあらましを知っているとも言われているそうですが、ターナー自身はカンタベリー大聖堂で巡礼にやってきたどこぞのおかあちゃんが娘に「トマス・ベケットはヘンリー8世に首をちょん切られた」と説明しているのを盗み聞いて、その真偽の程を疑っているようです。ヘンリー8世に首をちょん切られたのは勿論、トマスはトマスでもトマス・モアであり、400年近くも後のお話です。しかし実はこれから説明するように、教皇権と世俗権のはざまの中で悪戦苦闘し最後には殉教者となるという点においてトマス・ベケットとトマス・モアの間には極めて似通ったところがあります。しかも両者とも時の君主が最も信頼した臣下でありながら、結局やむなくその当の君主によって抹殺されざるを得ない運命のもとにあったという点では、驚くほど酷似しています。その意味では、この作品は是非ともトマス・モアを扱った傑作「わが命つきるとも」(1966)と見比べてみることをお薦めします。ヘンリー2世がトマス・ベケットに「トマス!」と呼びかける「ベケット」のシーンは、まさにヘンリー8世がトマス・モアを「トマス!」と呼ぶ「わが命つきるとも」のシーンを彷彿とさせます。「ベケット」では、そのトマス・ベケットをリチャード・バートンが、またヘンリー2世をピーター・オトゥールが演じており、二人ともアカデミー主演男優賞にノミネートされています。因みに、ピーター・オトゥールはこのヘンリー2世役が気に入ったのか、5年程後になって「冬のライオン」(1968)で再びヘンリー2世役を演ずることになります。但し、「冬のライオン」は彼の息子達が王権を巡って陰謀を繰り広げる後年の時代が扱われており、トマス・ベケットはとうの昔に天国に召され彼の名前が何回か言及されるに過ぎません。また「ベケット」という作品は、主演男優賞ばかりか、他にも作品賞、監督賞、助演男優賞、脚本賞など11部門で12のノミネートがされていますが、残念ながら1964年度はジョージ・キューカーの「マイ・フェア・レディ」(1964)が巾をきかせていたので受賞は脚本賞のみに留まったようです。しかし、素晴らしい作品であることに変わりはなく、個人的には歴史モノ映画の中では映画史に残る優れた作品の1つであると見なしており、おとぎ話的な「マイ・フェア・レディ」よりは圧倒的なドラマとパフォーマンスで見る者を引きつける「ベケット」に軍配を挙げたいところです。川本三郎氏は「アカデミー賞」(中公新書)の中で1960年代のアカデミー賞レースにおけるイギリス映画の攻勢に関して述べた章で、作品賞にノミネートされ惜しくも受賞を逃した1960年代のイギリス映画として「ダーリング」(1965)、「アルフィー」(1966)、「冬のライオン」(1968)を挙げ何故かこの作品については全く言及していませんが、これは少々不思議なところです。確かにこの作品にはアメリカ資本も関連しているようなので純粋なイギリス映画ではないものとして除外されたのかと最初は思いましたが、すぐ後でリチャード・バートン、ピーター・オトゥールの主演男優賞ノミネートについては記述されています。但しアメリカ映画「マイ・フェア・レディ」のレックス・ハリスンがオスカー受賞者として挙げられているので、俳優に関してはアメリカ映画への出演をも含め、作品賞は純粋なイギリス映画に限ったということかもしれません。まあ恐らくアメリカの著名なハル・B・ウォリスがプロデューサーであるということで厳密な判定の上「ベケット」は除外したのだと思いますが(同様に彼がプロデュースした「1000日のアン」(1969)にも言及されていないので多分それが除外の理由だと思いますが、おゼゼの出所は別として一般的にはこれらの作品はイギリス映画と表記されることも多く、何をしてイギリス映画と見なすかという判断は意外に難しい側面がありますね)、いずれにせよイギリスの歴史を扱ったマテリアルをイギリス出身の監督が監督しイギリス出身の俳優が演じた、いかにもイギリス的と賞賛したくなるこの素晴らしい作品が作品賞候補であったことには但し書き付でも言及して欲しかったように思います。

 ここでふと気付くのは、イギリスでは自国の歴史を扱った素晴らしい作品が数多くあるのに、アメリカではローマなどの他国の歴史を扱った作品は数多くあれど、自国の歴史を扱った作品がほとんど存在しないことです。アメリカという国は歴史が浅いとは云えども、たとえば独立戦争や南北戦争を扱った作品ですらほとんど存在しないのはむしろ驚きです。西部劇の中には南北戦争を含め史実を扱ったものもかなりありますが、しかしそれらはイギリス産の歴史映画とは異なり、歴史は単にバックグラウンドとして利用されているだけであり、実体はアクションを見せるのが第一の目的であることは否定できないところです。たとえば「アラモ」(1960)をモロに歴史映画であると見なす人はまずいないのではないでしょうか。またコロンブスのアメリカ発見500年を記念して1992年にいくつかのコロンブス関連映画が突発的に製作されたりなどということはありましたが、むしろそのような事態そのものがアメリカにおける歴史映画に対する関心のなさを逆照射していると云えるかもしれません。これに対してイギリスでは、自国の歴史を扱った優れた作品が少なからず存在します。しかも、これらの作品はいずれもアクション性がミニマイズされており、ドラマティックなパフォーマンスを通じて歴史的なパーソナリティを浮き彫りにするという側面が際立っています。その典型例として、「わが命つきるとも」のトマス・モアと並んでこの「ベケット」のトマス・ベケットを挙げることができます。トマス・ベケットという人物の面白さは、最初は君主ヘンリー2世の一種のHenchman(取巻き)として重用され最も有能で信頼される相談役でもあった彼が(何しろ売春宿にまで連れ立って出掛けるのです)、狡知に長けたヘンリー2世の傀儡として教会という組織に組み込まれるや否や、一転してヘンリー2世の最大の敵になるところにあり、日和見的な人物であればともかくトマス・ベケットのような意思堅固な人物に関して、何をしてそのような変節を可能ならしめるのかという点が実に興味深いところにあります。それを理解する前提として、当時のヨーロッパ、というよりも中世、近世を通じたヨーロッパの歴史の根底には、宗教或いは宗派間の血で血を洗う争いとともに王や皇帝を中心とした世俗権力と教皇を頂点とした宗教権力との泥沼のせめぎあいが常に横たわっていたことを理解しておくことが必要なことは云うまでもありません。ベケットが活躍する時代の直前には、高校の世界史の教科書でも有名なあの「カノッサの屈辱」と称される事件が発生したのであり、先生が出来の悪い生徒にバケツを持たせて廊下に立たせるかの如く(そのような行為は現在ではパワハラとしてPTAから問題にされるでしょう)、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世を雪のちらつく戸外に立たせた教皇グレゴリウス7世は、世俗権力に対する宗教権力の圧倒的な勝利を世界に示したことになりますが、しかしそれも長くは続かずベケットが生きていた頃は、ヘンリー2世という世俗権力と教会の利権が大きく対立していた時であり、「ベケット」の冒頭付近のシーンからも分るように、ヘンリー2世はフランスで戦争を継続する為の資金を教会から調達しようと脅しをかけている頃でありました。勿論、教皇という大きな権力をバックに控えた教会が簡単にそのような要求に従うはずもなく、世俗の最高権力者であるヘンリー2世としてはなんとかしてそのような頑固な教会を意のままにコントロールしたいと考えるのは無理からぬところであり、その為に彼は最も信頼し最も有能な部下であると考えているトマス・ベケットをカンタベリー大司教の座に据えてしまうわけです。秘密工作員どころか堂々と刺客を放ったつもりでいたところが、あにはからんや最も忠実な部下であると考えていたはずのベケットが、これまでとは全く逆に教皇権の最大の代弁者に変わってしまうのですね。ここには、勿論トマス・ベケットという人物の持つ特質もそうですが、それ以上に中世において宗教が持っていたパワーや浸透力の大きさが顕現していることを見逃してはなりません。ベケットという人物に関して云えば、彼は決してエリートであったわけではなく、もともとは商人階級の出身でした。また、この作品では、ヘンリー2世に「Little Saxon」と呼ばれているように、トマス・ベケットはサクソン人すなわちこの年号を忘れたならば高校の世界史で確実に落第点を食らってしまう程有名な1066年のヘースティングスの戦いによってノルマン人に征服された被征服者であるということになっており、その意味でも本来は権力側ではなく権力に支配される側に属するべき人物であるものと考えられているわけです。但し、これについては、前述のヴィクター・ターナーはベケットの両親はノルマンディのカーンの出身であり(すなわち英本土土着のサクソン人家系の出自ではないということでしょう)原作者のJean Anouilhの記述は正しくないと述べています。中世において宗教が持っていたパワーや浸透力の大きさに関しては、ここまで何回か名前を挙げた人類学者のヴィクター・ターナーが「Dramas, Field, and Metaphors」(Cornell University Press)という著書の中でトマス・ベケットを1つのケーススタディとして述べており、それを参考にして考えてみたいと思いますが、その前にまずベケットの心境がいかに変化したかについて「ベケット」の中のシーンから追ってみることにしましょう。

 まず、ヘンリー2世がトマス・ベケットを大法官に任命した直後、すなわち彼がまだ君主の忠実なしもべであった頃のシーンで、以下のような会話が教会の代表者との間に繰り広げられます。このシーンは、ヘンリー2世が教会の代表者達にフランスで戦争を継続する為の資金を出せと脅しているシーンであり(当然教会代表者達は、教会と世俗の一般民とでは全く違うと主張することによって自分達からすれば全く言われの無き義務を逃れようとします)、ベケットはヘンリー2世の補佐をして以下のように述べます。

ベケット:イングランドは一隻の船である。王はその船の船長である。
(The England is a ship. The king is the captain of the ship.)


これに対して、教会代表者の一人は、船長は神に従う存在でなければならないというようなことを述べると、

教会代表:神は霊感を与えることによって船長を庇護の下に置くことはいかにもその通りである。しかし、神が乗組員の給料を決めたり、給与支払係に仕事のやり方を教えたりするなどとは聞いたことがない。神には、もっと重要な仕事があるのだ。
(Most certainly God protects the ship by inspiring the captain. But I've never heard that he determines the wages of the crew nor insturuct paymaster in his duties. God has more important business.)


或いは別の教会代表者が、この世で重要ないかなる事柄も、教皇を代表者とする教会やそれに所属する司教達によって顕現されねばならないことをまさかお忘れになったのではあるまいなと言うと、ベケットは以下のように返答します。

ベケット:各々の船には一人の神に仕える祭司が同乗していることについてはその通りである。彼は神の祝福を与えるだろう。しかし、神や教会が彼に舵取りから舵を奪えなどと要求したりはしない。
(True, there is a priest on board every ship. He gives God's blessings. But neither God nor the church ask him to take the wheel from the helmsman.)


ベケットは、イングランドを船にたとえて議論していますが、重要なことは彼が教皇権と世俗的な権力は全く別であると述べていることであり、教皇権をバックとした教会は、世俗の政治に対する権限は一切有していないのでそれに関与すべきではない、更に云えば教会と云えども世俗の事柄に関しては世俗の最高権力である君主の命令に従わなければならないということを主張しているということです。つまり、君主であるヘンリー2世の強力な援護射撃をしていることになります。ところが、その時分には大法官に任命されたばかりにも関わらず自信に満ちた横柄な態度で居並ぶ高位聖職者に応対していた彼も、ヘンリー2世がベケットをカンタベリー大司教の座に据えようとして彼と会話するシーンでは、大司教になった後の自分がそれまでと全く同じ立場を維持できるという自信が全くなく、半分命令のような王の提案を固辞しようとします。その時の会話は、以下の通りです。

ヘンリー:我々には、新たなカンタベリー大司教が必要だ。それには、信頼できる人物が一人いると考えている。
(We need a new Archbishop of Canterbury. I think there is a man we can rely on.)
ベケット:それが誰であろうと、大司教の冠が頭に載ってしまえば、その人物は最早あなたの味方ではなくなるでしょう。
(No matter who it is, once the Archbishop's miter is on his head, he will no longer be on your side.)
ヘンリー:だが、もし大司教が私の部下であり、カンタベリーが王の意向に沿うならば、大司教の権力がわしの邪魔になるはずなどなかろう。
(But if the Archbishop is my man, if Canterbury is for the king, how could his power possibly get in my way?)
ベケット:国王陛下!あなたの言う司教達とはどんな人達かよく知っているではありませんか。カンタベリーの座に一度でも座ったならば、彼らは例外なく神の威光を前にしてめまいをおこしてしまうのです。
(My Load! We know your bishops, once enthroned at Canterbury, every one of them will grow dizzy with power.)
ヘンリー:いやこの男は違うぞ。この男は、めまいが何かも知らなければ、神を畏れたりもしない。トマスよ、聞いているかね、フランス娘や戦利品の楽しみを奪って申し訳ないが、君は今晩イングランドに戻るのだ。
(Not this man. This is someone who doesn't know what dizziness means, someone who isn't afraid of God. I'm sorry to deprive you of the French girls, and the other spoils of victory, but, are you listening to me, Thomas? You are leaving for England tonight.)
ベケット:何の任務によってですか、陛下。
(On what mission, My Prince?)
ヘンリー:王の勅令により君すなわちトマス・ベケットを、イングランドの主席司教であるカンタベリー大司教に任命する手紙を君はイングランドの全ての司教に送るのだ。
(You are going to deliver a letter to all the bishops of England, my royal edict nominating you, Thomas Becket, Primate of England, Archbishop of Canterbury.)


ここでヘンリー2世とベケットは顔を見合わせて大笑いする。しばらくして、

ヘンリー:静かにせよ。余は大真面目なのだ。
(Shut up! I'm in deadly earnest.)
ベケット:国王陛下。どうかそれはご勘弁を。
(My Load! Don't do this.)


しばらく、同様な会話が続いた後最後に

ヘンリー:さいは投げられたぞトマス。ベストを尽くし、良い結果を得るのだ。もし私の目に狂いがなければ、必ず君はそうするはずだ。
(The die is cast, Thomas. Make the most of it. And if I know you, I'm sure you will.)


しかしヘンリー2世の目が狂っていたとは云わないまでも、教会の持つ人を変えてしまう程のパワーを過小評価しすぎていたのですね。それに対してベケットの方では、上の会話からも明らかなように、そのようなパワーについて正しく認識しており、自分であってもそれに抗し切れないであろうことを予感しており、そうなれば自分はヘンリー2世の敵とならざるを得ないことを察知していたが故に必死でヘンリー2世の提案を拒絶しようとします。結局彼は、カンタベリー大司教の座につきますが、まだこの時点では大法官の指輪と大司教の指輪の両方を指に嵌めています。しかし、彼の変節は早くもある教会関係者が世俗権力すなわちヘンリー2世の家来達に逮捕され、逃げようとして殺されてしまった件を巡ってのヘンリー2世と彼との対立で明瞭になります。その時の会話は以下の通りです。

ベケット:ギルバートは、容疑者を教会による法の裁きに委ねるべきでした。もし有罪であれば、我々がそれに対する罰を決定したはずです。
(Gilbert should have handed the accused over to the church for process of law. If guilty, we would have determined his punishment.)
ヘンリー:余が法だ。・・・中略・・・
(I'm the law.・・・)
ベケット:私は、私の聖職者達が世俗の権力の手で牢屋に放り込まれ裁きを受けるのを許すわけにはいかないし、黙って彼らが殺されるのを見ているわけにもいきません。
(I can't allow any of my clergy to be thrown into prison and tried by the civil authorities. Neither can I stand by and let my priests be murdered.)
ヘンリー:君、君が許せないだと!君が黙ってはいられないだと!君は真面目に自分が大司教だと思い込んでいるのか。
(You. You can't allow? You can't stand by? Are you taking yourself seriously as Archbishop?)
ベケット:私は大司教です。陛下。
(I am the Archbishop, My Prince.)
ヘンリー:余のおかげによってだ。狂ったか、君は大法官であり、私のものだ。
(By my grace. Are you demented, you are Chancellor of England. You are mine.)
ベケット:私は同時に大司教でもあります。あなたが、私をより深い義務へと導いたのです。
(I'm also the Archbishop, and you have introduced me to deeper obligations.)

・・・中略・・・

ヘンリー:君が私の臣下を攻撃する時、君は私を攻撃しているのであり、君が私を攻撃している時、君はイングランドを攻撃しているということが理解できないのかね。
(Don't you understand that when you attack my nobles, you attack me, and when you attack me, you attack England?)
ベケット:イングランドには王冠以上のものが存在します。あなたは、いずれそのことに直面することを学ばねばなりません。陛下。
(There is more to England than the crown. You must learn to face that eventually, My prince.)

・・・中略・・・

ヘンリー:王の名誉よりも偉大な名誉とはいったい誰の名誉なのかね。
(Whose honor is greater than the King's?)
ベケット:神の名誉です。
(The honor of God.)


と言いながら最後にベケットは、大法官の指輪をヘンリー2世に返却します。つまり、これによってベケットは世俗の権力と教皇権とが両立しないことを認め、自分は後者に属すことを明確にヘンリー2世に伝えたことになります。簡単に云えば裁判権の問題が取り上げられているわけですが、それは単なる一人物の生死の問題ではなく、権力の問題が背後に横たわっているが故にどちらも譲歩するわけにはいかず、これによりヘンリー2世とベケットは互いが互いの権利を侵害する敵同士にならざるを得ないということが決定的に明確化します。この時以後ベケットは一目散に殉教へと至る道を駆け抜けていくことになります。その決意の表れは、以下のような彼のモノローグにも見事に表現されています。

◎俗世界に染まった浪費家、道楽者であったあのベケットが今この場所に立っているとは何たる皮肉だろうか。しかし、それにもかかわらず彼は今ここにいる。だが王は、理由が何でであれ私に教会という重荷を背負わせたのであり、今私はそれを背負わねばならない。袖を捲り上げ背中に教会を背負ったのだ。何ものも私をしてこの重荷を降ろさせることはできないであろう。
(It is a supreme irony that the worldly Becket, the profligate and libertine, should find himself standing here at this moment. But here he is in spite of himself. But the king for good or ill, chose to pass the burdon of the church onto me, and now I must carry it. I've rolled up my sleeves, and taken the church on my back. Nothing will ever make me set it down again.)


 かくしてベケットは、教会という世界に入るや否や今までの自分の考え方を180度転換させ殉教への道をひた走ります。これは彼の意思が弱かったからなどでは勿論全くなく、全く逆に彼のような偉大な人物にすらそのような決定的な大転換をもたらし、最後は自らの死へとすら導いていったその力とは一体何なのかが問われなければならないことを意味します。これに関して興味深い指摘を行っているのが、人類学者のヴィクター・ターナーです。彼の本領はアフリカのンデンブ族の調査など未開社会の人類学的研究にありますが、そこで得た知識を中世イギリスにも応用してトマス・ベケットとはいかなる人物であったのかを把握しようとしています。彼は、未開社会の研究から一種の社会ドラマ(Social Dramas)という観点を抽出し、儀式などの社会装置がその社会を構成する各構成員に対して、意識的であれ無意識的であれある特定のパターン化されたアクションを引き起こさせるような機能或いはポテンシャルを孕んでいることを様々な例を用いて説明しています。つまり、個人の意思を越えた強烈な磁場が、社会或いは何らかの共同体という一定の布置の中に儀式のような社会装置を媒介として出現することが示唆されており、ベケットは当時のキリスト教会が有する磁場、更に云えば世俗権と教皇権のせめぎあいから発生する混沌とした磁場に見事に絡め取られた歴史的な要素であると考えることができます。ターナーはこのような磁場や布置をルートパラダイム(root paradigm)と呼んでいるようですが、以下のように述べています。

◎私は次のように信じている。すなわち、トマス・ベケットは、ヘンリーとの関係が私的な領域から公的な領域へと或いは友情から敵対へと移るに従って、また人間的な共同体の中心的な善についての直感を水面下に秘匿した(それはベケット自身に関しても意識上からは隠されていた)宗教的な信念や実践のシステムの利益になるように彼の態度が自己利益から自己犠牲へとシフトするに従って、関連しあった一連のそのようなルートパラダイムの完全なる影響下にますます置かれるようになったのである。
(I believe that Thomas Becket came more and more fully under the sway of a linked set of such root paradigms as his relationships with Henry moved from the private to the public sphere, from amity to conflict, and as his attitude shifted from self-interest to self-sacrifice on behalf of a system of religious beliefs and practices, which itself concealed, even from Becket, intuition of the central good of human comunitas.)


つまりベケットは、彼が当時の世俗の権力と宗教的な権力が織り成す複雑な社会連関に巻き込まれるに従って、またその中で彼が後者の代表としての重荷を背負うようになるにつれて、ますます自分の意思では統御することができない社会的ドラマの中の1つの役割の中へと嵌めこまれていったということです。つまり、1つのシステムとして構成される複雑な構造的布置連関の網目の中の1つのノードとして織り込まれたということです。何やらピエール・ブルデューのハビタスの考え方にも近そうですが、ターナーの場合には個人の具体的なアクションに対する影響力に主眼が置かれているように思われ、モードのような微細且つある程度の持続性を有する慣習的な様式よりはアクションという劇場のメタファーとでも呼べるようなより瞬間的且つドラマティックな捉えられ方がされているように思われます。また、この見解を敷衍する為に彼は以下のような問いを立てます。

◎いかにして、ある特定の諸々のイベントがパターン化された道筋に沿って展開され、その結果データの集積の中から一連の連続的な見分けが可能なフェーズを引き出すなどということが可能になるのか。
(How certain events seem to develop along patterned lines so that it is possible to elicit a consecutive series of recognizable phases from the welter of data.)


ターナーは、この問いに対して自ら以下のように回答します。

◎行為者はそれにもかかわらず主観的なパラダイムに導かれており、それは教育やステレオタイプ化された状況における行為モデルの限定のような社会化装置を有する社会文化的な主流プロセスを越えたところに由来することもある。そのようなパラダイムは、それらを身につけた人々の振舞いの形態、タイミング或いはスタイルに影響を及ぼす。このように導かれた行為者は、ランダムであるどころか、いくつかの文化圏においては人間社会的な諸々の事象の経験的な規則を説明するための運命或いは宿命というような概念すら呼び起こし得るほどに構造化された振舞いを彼らのインタラクションの内に生成しまたそのように構造化された社会的なイベントを生成する。
(The main actors are nevertheless guided by subjective paradigms−which may derive from beyond the mainstream of socio-cultural process with its ensocializing devices such as education and limitation of action models in stereotyped situations. Such paradigms affect the form, timing, and style of the behavior of those who bear them. Actors who are thus guided produce in their interaction behavior and generate social events which are non-random, but, on the contrary, structured to a degree that may in some cultures provoke the notion of fate or destiny to account for the experienced regulation of human social affairs.)

※原文の「Actors who are thus guided produce in their interaction behavior and generate social events which・・・」の部分はどのように読んでも理解し難く、文脈上の判断からwhichによって修飾される語をbehaviorとsocial eventsの双方であるものとして訳してありますが、この読みが適当であるか否かについてはあまり自信はありません。

ここで云うパラダイムとは前述のルートパラダイムとイコールであるものと思われますが、いずれにせよターナーは一連のイベントは、そのイベントがその中で発生する社会的な状況に関連したルートパラダイムに浸透された行為者達によって引き起こされるが故に、決してランダムに発生するのではなくそのパラダイムによって刻印される一定の形態やスタイルを帯びることになるということを述べています。「ベケット」においては、まさにそのような行為者の一人がベケットであったのであり、その意味ではヘンリー2世もそのような行為者の一人であったと考えられます。但し、「ベケット」で描かれている一連のイベントの連鎖の中において、前者が殉教者という社会的な役割を演じたとするならば、後者は迫害者という社会的な役割を演じたということになります。つまり、この二人はその時代に形成されていた目には見えぬ複雑な文化政治的な水路の中に見事に当て嵌められ流されていったとも云えるかもしれません。ターナーは、直後の段落においてギリシア悲劇における運命について言及していますが、ギリシア悲劇においては神が運命を定めるという違いはあっても、運命にもて遊ばれる側からすればそれが神によって与えられようが目に見えぬルートパラダイムによって与えられようが大きな違いはないのであり、自分では自由意思で振舞っているつもりでいながら実際にはある特定の運命的なパターンに盲目的に従わされているという意味では、ベケットという人物はまさにギリシア悲劇の中の悲劇の英雄に匹敵するような様相すら帯びてくると云えるでしょう。それが故か、ターナーはベケットについて以下のように述べています。

◎一人の人類学者にとっては、ベケットの叙任後の生か死かに彩られた尋常ではない経歴は、通過儀礼すなわち殉教というステータスへと至る通過儀礼という様相を帯びてくる。
(To an anthropologist the whole extraordinary business of Becket's life and death after his installation takes on the character of an initiation ceremony−an initiation into the status of martyr.)
◎自身の道及び自身と同一視するようになっていた教会の道を貫徹する為には死なねばならないだろうということをひとたび悟った後は、彼は心の平和と固い信念及び行動の一貫性を成就し、これらは血塗られたクライマックスに至るまで失われることはなかった。
(Once he knew that he would have to die to get his own way and the way of the church, with which he seems to have identified his own, he achieved a peace and certitude of mind and consistency of action which never failed him until the bloody climax.)


比喩的な言い方をすれば、まさに時代そのものがベケットの殉教という壮大な儀式を取り行っていたかのようにも捉えられるということです。ターナーは、彼の議論を総括するかのように以下のように述べています。

◎私の見方、すなわちアフリカの儀式的なシンボリズムに関する著作の中で発展させた見方によれば次の通りである。すなわち、ベケットは自分自身が強力で”ヌーメンのような”シンボルと化したのであり、それはまさしく他の支配的或いは焦点となるシンボルがそうであるのと同様に、彼が反対物の一致、すなわち意味の両極の間のテンションにおける意味論的な構造を表象する存在となったからである。
(My own view−developed in my books on African ritual symbolism−is that Becket become himself a powerful, "nouminous" symbol precisely because, like all dominant or focal symbols, he represented a coincidence of opposites, a semantic structure in tension between opposite poles of meaning.)


アフリカの儀式の研究成果を中世に適用しても良いのか否かという批判が予想されるのは別としても、重要なことはベケットという一人の人物に結晶化する歴史現象は、歴史における意味構造連関のフォーカルポイントとして機能していたということであり、大袈裟な言い方をすれば歴史の必然がベケットという人物を通して顕現したのだと捉えられるかもしれません。

 そこで次に考えてみたいことは、冒頭で類似する点が多いと述べた「わが命つきるとも」のトマス・モアとトマス・ベケットの間には、実は400年の違いと同様、そのような状況にどのように反応したかという点に関して大きな違いがあったのではないかということについてです。そのような違いは両者のとった態度に明瞭に表れているように思われます。すなわち、韜晦戦術(これについては「わが命つきるとも」のレビューを参照して下さい)モードに突入しパブリックな領域からプライベートな領域に移行したトマス・モアと、同じパブリックな領域の中で一方の極端から他方の極端へ走ったトマス・ベケットの間には、近代的自我の形成という意味においては大きな違いがあったのではないかということです。その時代の権力の網目の中に捉えられ最後には殉教に至った点においてはトマス・モアもベケットと全く変わりませんが、しかしながらパブリック領域に蜘蛛の巣の如く張り巡らされ、いみじくも他方のベケットがその中に見事に絡み取られてしまう運命にあったルートパラダイムから、韜晦戦術を駆使しプライベートな領域へ閉篭もることによって何とか逃れようとした点では、モアはベケットとは大きく異なるのではないかということです。そして、その違いが何に由来するかというと、内面的な自我の発達度ではないかということです。12世紀に生きたベケットは定められた運命から逃れようとしても、それを反省的に捉えようとする自我が全く発達していなかったので、古代の未開人達が儀式の網目の中に捉えられてしまったのと同じようにそこから逃れることができなかったのに対し、400年後の世界に生きたトマス・モアは先駆者としてではあれ既に近代的な自我を兼ね備えた人物だったが故に、ベケットが持っていなかったそのような能力を駆使した韜晦戦術によって一種の煙幕を張りその陥穽から逃れようとすることが出来たのではないかと考えられます。ターナーが述べるように、ベケットは一度覚悟を決めた後は心の中は平安であったのに対し、モアは外部に対する沈黙とは全く裏腹にパブリックな領域から遮断されたプライベートな領域の内部においては自我の闘争を最後まで繰り返していたということです。プライベートな領域が発達していなければ、プライベートな自我に関する悩みも少ない代わりにパブリックな領域に簡単に籠絡されてしまうのであり、ベケットはまさにそのような状況に陥らざるを得なかったのです。

 ということで実に素晴らしい作品ではありますが、この作品で1つ腑に落ちない点があります。それは、パメラ・ブラウンが演じているヘンリー2世の王妃エレノアの扱いについてです。この作品では彼女は、編み物をすることしか能がないなまくら女房でもあるかの如く描かれていますが、フランスとイングランドの両国で王妃になったという稀有な経歴を持つ歴史上のエレノアはもっと行動的で女傑とも云うべきような人物であったはずだということです。それは、「冬のライオン」でキャサリン・ヘプバーンが演じているエレノアを見てもかなり看取することができますし、或いは彼女の時代を先駆けるかの如くの活躍については神奈川大学の石井美樹子氏がどこかで書いていたように覚えています。詳細は忘れましたが石井氏によれば、たとえば彼女とヘンリー2世の息子であるリチャード獅子心王(「冬のライオンでは若き日のアンソニー・ホプキンスが演じていました」)が、十字軍遠征時に捕囚された時、70歳の高齢にも関わらず身代金を持って旅をしたことすらあるくらいの行動力と決断力を持った人であったようです。まあ「ベケット」は、トマス・ベケットとヘンリー2世がメインで他はほとんど端役にすぎないような作品なので、その辺は都合のように変えられたということかもしれません。ただ、画龍点青を欠くような印象があることも否めませんね。いずれにせよ、歴史が好きな人には絶対のお薦め作品と云えるでしょう。

2007/10/21 by Hiroshi Iruma
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