暁前の決断 ★★☆
(Decision Before Dawn)

1951 US
監督:アナトール・リトバク
出演:オスカー・ウェルナー、リチャード・ベースハート、ゲイリー・メリル、ヒルデガルド・ネフ

左:ヒルデガルド・ネフ、右:オスカー・ウェルナー

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を舞台とした戦争もの、というよりもスパイもの映画です。スパイものと云えば、キューバ危機前後から冷戦の緊張が高まった1960年代以後は、資本主義圏vs共産圏という構図か、さもなければボンドシリーズとその亜流スパイ映画のように架空の悪の組織を相手にしたスパイ合戦というような構図になりがちになることはご存知の通りでしょう。それに対して、「暁前の決断」が製作されたのは冷戦構造が明確化し始めた1950年代の初頭であることもあってか、大戦後のソビエトや東欧ではなく第二次世界大戦中のドイツが舞台になっています。勿論、1960年代以後であっても第二次世界大戦中のヨーロッパを背景としたスパイもの映画は存在し、これまでレビューしたものとしては「偽りの売国奴」(1961)、「36時間」(1964)、「トリプル・クロス」(1966)が挙げられます。しかしながら、「暁前の決断」にはそれらの作品と比べても特異な点が1つあります。それは、1960年代の作品に登場するヒーローは、「トリプル・クロス」の場合のようにたとえ社会的な観点から見れば動機が極めて怪しい人物ではあったとしても、あくまでも連合軍側に所属する人間であり、従ってそのような人物がドイツ占領化のヨーロッパでスパイ活動をしていてもオーディエンスの目からすれば動機的な曖昧さはそれほどなく、従ってヒーローがナチスに寝返るなどという展開はまず考えられないのに対し、「暁前の決断」の場合には連合軍側の捕虜になったドイツ人が、連合軍の為にドイツ国内でスパイ活動を行うというストーリーが展開されるので、動機の問題が常に我々オーディエンスの頭の中に去来し得るという点です。また、自分の国でスパイ活動を行っているという事実がヒーローを微妙な立場や心理状態におき、従ってそこに緊張感溢れる心理ドラマが生まれることになります。つまり、60年代以後製作された第二次世界大戦を舞台とするスパイものに比べると、ヒーローがナチスに捕まってしまうか否かというような物理的サスペンスに、ヒーローの内心の葛藤という心理的サスペンスが付け加わることになります。後述するように、そのようなポテンシャルがこの作品において最大限に活かされているか否かということになるとやや疑問はありますが、いずれにせよこの作品は1951年度のアカデミー最優秀作品賞にノミネートされていることからも分かる通り、サスペンス溢れるストーリー展開が見る者を十分に引きつける作品に仕上がっていることは確かです。そればかりではなく、この作品のストーリー展開に関する興味は作品それ自体を越えたところにも存在します。まず第一には、監督のアナトール・リトバクは、ロシア生まれのユダヤ人ですが、かつてドイツに住んでいたことがあり、ナチスが政権を握ると同時にイギリス、フランスそしてアメリカへと逃れた経歴を持つことです。つまり、ナチスが権力を握っていたドイツに対しては、現実経験に根差した複雑な感情をリトバクは必ずや抱いていたはずであり、原作を書いたのは彼ではないとしても、ナチス占領化のドイツでスパイ活動を行うヒーローの活躍を描く「暁前の決断」にそのような思いが全く反映されなかったということはまずなかろうということです。その観点から見ると、オスカー・ウェルナー演ずるヒーローは、連合軍側に味方して自国を対象にスパイ活動を行うことにそれ程大きな疑問を抱いてはいないように見えるところなどは(さきほどこの故に、心理サスペンスとしてのポテンシャルがこの作品において最大限に活かされているか疑問があると書いたわけですね)、ひょっとすると原作者よりは監督のリトバクのドイツに対する何らかの思いが現れているのではないかという印象を受けざるを得ません。確かに主人公が、様々な人々が言った言葉を就寝時に心の中で反芻して、さも思い悩んでいるかに見えるシーンが何度か挿入されてはいますが、どうも本当に悩んでいるようには見えないのですね。取りあえず常識的なパターンに従って、そのようなシーンを追加してみましたというような雰囲気すら窺えます。すなわち、ドイツに住むユダヤ人であったこともあるリトバクは、祖国ドイツに対して敵対行為を行う一人のドイツ人を描くに当たって、それを単に個人的な心理の問題に還元してしまうことはできなかったのではないかとも考えられるということです。但し、勿論これは私め個人の勝手な推測に過ぎないことを付け加えておきましょう。それから、作品それ自体を越えた興味の第二点として、この作品が製作された1950年代前半は、まさに赤狩りマッカーシー旋風が吹き荒れた時代であることが挙げられます。つまり、共産主義に共鳴する活動ひいては祖国アメリカに対するスパイ活動をアメリカ国内で行っていると見なされたアメリカ人が次々と公然と摘発されていた時代だったということです。アメリカ人がアメリカをスパイするという考えは、まさに「暁前の決断」でドイツ人がドイツをスパイするという考えと裏返しの関係にあるようにも見えます。裏返しと云ったのは、前者の場合にはそれが赤狩りという運動の中で否定的な行為であると見なされているのに対し、後者の場合にはそれが肯定的な行為として見なされていることは明らかだからです。勿論、ここで「暁前の決断」の原作者やリトバクが、アメリカの共産主義者達を擁護する為にこの作品を製作したとまで言ってしまえばそれは言い過ぎであり、ましてや共産主義者にスパイ活動をするよう奨励したなどと言えばそれこそ噴飯ものでしょう。しかしながら自由の国と呼ばれるアメリカで思想の弾圧を行うことは、ナチスが弾圧を行ったのと根本的にはあまり変わらないのであり、ドイツ人でありながらナチスに対抗する一人のヒーローを描くことにより、アメリカで当時吹き荒れていた赤狩りのような不当な思想弾圧に対する一種の抗議の意味がそこに含められているのではないかと考えることは必ずしも行き過ぎではないように思われます。殊に前述したようなリトバクの経歴を考えてみれば、大戦前のドイツの状況と大戦後のアメリカの状況の間に何らかのアナロジーを見出したのではないかという可能性は更に大きくなります。またそれが故に、逆に心理サスペンスとしての面白さが希薄になっているきらいがあるように思われることは前述した通りです。それは、この作品を見て、オスカー・ウェルナー演ずるヒーローが、再びナチス側に寝返るのではないかと考えるオーディエンスは恐らくそれ程いないのではないかとすら思われるほどです。オスカー・ウェルナーと云えば、スタンリー・クレイマーの「愚か者の船」(1965)及びフランソワ・トリュフォーの「華氏451」(1966)を頂点として1960年代に国際スターとして確固とした地位を築くことになるとはいえ、「暁前の決断」の頃はほぼ無名でした。ウィーン生まれなのでオーストリア人ということになり、彼は実際第二次世界大戦中に、爆撃で負傷した経歴を持っているようです。現在の目からは、どうしても後年の彼の活躍という色眼鏡を通して見ざるを得ませんが、少なくとも当時のアメリカでは無名であった俳優をこの作品の主演に据えたことは、セミドキュメンタリータッチを加える上でも重要であったように思われます。つまり無名の一兵士が、祖国に反抗してでもナチスという弾圧機関に抵抗したとするイメージの効果的な表現は、ビッグスターを主人公に据えては得られないだろうということです。それこそ、ボンドシリーズになってしまうでしょう。この作品には、ドミニク・ブランシャール(ピエール・ブランシャールの娘)とヒルデガルド・ネフ演ずる二人の女性が登場しますが、この二人に対する主人公のストイックなまでの対応は、むしろ新鮮ですらあります。主人公の迷いのなさを表現する為に、この二人の女性が登場したようにすら見えるほどです。いずれにせよ、この作品が無名の一ヒーローに関する英雄物語であり、犠牲の物語(主人公は最後に捕まってしまいます)であることには間違いがなく、そのヒーローが立ち向かっているのがナチスという強力な弾圧機関であることは言うまでもありません。そしてそれは、監督であるリトバクの過去の経験と全く無縁でないばかりか、この作品が製作された当時のアメリカの政治的な状況とも全く無縁であるとは言い切れないのではないだろうかということです。地味ではあるけれども、堅実な作品と云えるでしょう。IMDBによれば、謳い文句は「A woman's kiss . . . A lighted cigarette - Each had Its meaning! 」だそうですが、そんな浮ついた作品であるようには見えませんね。


2008/07/03 by Hiroshi Iruma
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