大泥棒 ★☆☆
(The Biggest Bundle of Them All)

1968 US/IT
監督:ケン・アナキン
出演:ロバート・ワグナー、ラクエル・ウエルチ、ビットリオ・デ・シーカ、エドワード・G・ロビンソン

左から:ロバート・ワグナー、一人おいてラクエル・ウエルチ、ビットリオ・デ・シーカ

エドワード・G・ロビンソンが出演した60年代の泥棒映画ということで今回は3本の映画(他の二本は「賭場荒らし」(1960)と「盗みのプロ部隊」(1967))を取り上げましたが、その中では一番見劣りのする作品です。他の二本と共にでなければ、取り上げなかったかもしれません。大金持ちであるはずのギャング(ビットリオ・デ・シーカ)を誘拐したまでは良かったけれど、実は身代金を要求しても誰も彼の為にビタ一文おゼゼを払おうとはしないことが判明し、仕方なく彼のアイディアにより泥棒をせざるを得なくなるという冒頭のくだりは、コメディ調の楽しい泥棒映画が約束されているかのように見えます。しかし、後が続かないのですね。それでも、リズ・オルトラーニの音楽と、冒頭の風景が素晴らしいことを挙げておきましょう。また、キャストの中で特筆に値するのは、英語圏の作品に出演するとコメディアンを演じることが多いビットリオ・デ・シーカであり、ここでもとぼけた味が愉快であり、エドワード・G・ロビンソンを筆頭とする他の俳優専門のスター達よりも余程、自らのユニークな持ち味を遺憾なく発揮しています。デ・シーカは、俳優が本業ではないとはいえ、つまらない二流のコメディアンよりも遥かにコメディセンスがあり、また存在感もあります。それから、「大泥棒」で変わっているのは、貨物列車に積載されたプラティナのインゴットをターゲットとする本来の泥棒を実行する為にはまず資金が必要であるということで、それを稼ぐのに皆でまず四苦八苦するところです。その程度の泥棒に四苦八苦しているようでは、プラチナインゴットを貨物列車ごとかっさらうなどという大それた行為が成功するはずはなかろうとチャチャを入れたくなりますが、何せ彼らは素人連中という設定なのです。

ということで、「大泥棒」に関しては、これ以上特に述べることはありませんが、興味深いことに今回取り上げたエドワード・G・ロビンソンが出演する60年代の泥棒映画3本全てにおいて泥棒は最終的に失敗します。のみならず、これは、個人的に見た全ての60年代の泥棒映画について当て嵌まることであり、その確実性はほとんどニュートンの重力の法則なみです。それが、なぜ興味深いかというと、個人的に最近見た泥棒映画の全て(「スコア」(2001)、「オーシャンズ11」(2001)、「バンディッツ」(2001))において、泥棒はニュートンの重力の法則なみの確実さでことごとく成功するからです。この違いがどこにあるかというと、それは映画に対する見方が時代と共に変わりつつある点に存するように思われます。つまり、個々の映画よりも、時代様式が優先されるということです。従って、60年代の泥棒映画で泥棒がことごとく失敗し、21世紀の泥棒映画で泥棒がことごとく成功するのは、重力の法則と同じ程度に確実だと言い切れるのです。60年代の映画で泥棒がことごとく失敗するのは、泥棒の成功が描けないないように作用する重力が働くからであり、21世紀の映画で泥棒がことごとく成功するのは、泥棒の失敗が描けないないように作用する重力が働くからです。前者は映画にモラル的な観点が忍び込まざる得なかった時代の産物であることがその主たる理由であり、後者は映画的な美学の範疇にモラル的な観点が忍びこむことはダサイと見なされる時代の産物であることがその主たる理由であるように思われます。たとえば、「盗みのプロ部隊」では、最後にドンデン返しがあった後、そのドンデン返しをもう一度ドンデン返すかのように、単なる通りすがりのひったくりがプロ達の盗んだダイヤをあっけなくひったくるシーンでジエンドになりますが、このシーンは既に映画としてストーリーが完結した上で余計なシーンを付け加えているに等しいのです。けれども当時は、そのようなシーンを付け加えざるを得なかったのでしょう。泥棒の成功が描けないないように作用する重力が当時いかに強力であったかが、この一例でも分かるというものです。要するに、「盗みのプロ部隊」のラストシーンには、「こんなに都合良く泥棒が成功することなど現実には有り得ないのですよ」というモラル的なメタメッセージが込められているのです。ほとんど全ての60年代の泥棒映画に、このようなメタメッセージを読み取ることができますが、1つ興味深い作品があります。それは「ミニミニ大作戦」(1969)です。「ミニミニ大作戦」のラストシーンでは、奪った金塊を載せたバスが、山道でスリップして崖に辛うじてひっかかり今にも谷底に落ちんとせん状態になったままジエンドになります。これはあたかも、作品の製作者が泥棒を成功させて良いものかどうか迷ったかのようでもあり、結論を決め兼ねてそのような極めて中途半端なエンディングでお茶を濁したかのようにすら見えます。「ミニミニ大作戦」は60年代も末の作品であり、徐々にモラル観が変わりつつあったが故のことかもしれません。というわけで、泥棒映画にすら時代時代の物の見方が反映されざるを得ないことが分かって、なかなか興味深いところです。


2002/11/02 by 雷小僧
(2008/11/06 revised by Hiroshi Iruma)
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