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 映画 日記              池田 博明 


これまでの映画日記で扱った作品データベース  映画日記 前月の分  


2009年9月15日以降に見た 外 国 映 画 (洋画)

見た日と場所 作  品        感    想     (池田博明)
2009年10月18日


DVD
プライベート・ベンジャミ

USA
ワーナー
1980年
110分
 製作総指揮と主演をゴルディー・ホーン。ジュディ・ベンジャミン(ゴルディー・ホーン)は二度目に幸福な結婚をしたのに初夜に夫エールが急死。ラジオの人生相談でウマイ話を伝えたのはジム(ハリー・ディーン・スタントン)だった。実は彼は軍の女性隊員調達係。新兵教育施設でルイス大尉(アイリーン・ブレナン)のしごきもきびしい。privateは一兵卒のことで、いわば二等兵。監督はハワード・ジーフ。
 入隊8日後に両親が探し当てて尋ねてきたが、精神錯乱で行方不明との扱いをしたと言われて奮起したジュディは軍隊を辞めるどころか、やる気を出す。赤軍と青軍に別れた模擬戦闘訓練で怠け心からサボリを決めこんでいたジュディの分隊はウロウロしているうちに赤軍の偵察隊に出会い、奇襲で捕虜にして勝つ。
 ジュディは大佐(ロバート・ウエッバー)の指揮する空挺隊に配属される。パラシュート降下をしぶるジュディをそれならと強姦しようとする大佐。えげつない行為を暴露されては困る大佐はジュディをラクな任務に配置替えする。ベルギーでの購買係だった。
 アメリカで共に一夜を過ごしたことのあるフランスの医師アンリ(アーマンド・アサンテ)との逢瀬を楽しむジュディ。しかし、新任地にはルイス大尉もいた。大尉はジュディの私生活を調査、アンリは共産主義者だと決めつける。
 軍隊を取るか、アンリを取るかを迫られて、ジュディはアンリとの結婚を選択する。しかし、アンリの行動には謎が多い。先妻のクレアとも会っているようだし、メイドの少女にも手をつけている。財産に関する契約にもきびしい。つまらない仕事を押し付けられる。結婚式の日には好きなサッカーの試合に行ったと思い、待っているのに、遅れて来て実はクレアのもとでトラブっていたと言う。指輪を受けるときになって、ジュディは「やめた」と結婚を破棄する。参会者は「また錯乱か」と心配するが、ジュディ自身は晴れやか。
 ねらいのはっきりしない作品でした。

    映画川柳 「飼い犬の 不始末を急に 叱責す」飛蜘 
2009年10月17日


DVD
サボテンの花


USA
コロムビア
1969年
104分
 ジーン・サックス監督、I.A.L.ダイアモンド脚本、もとはブロードウェイのエイブ・バロウズのヒット戯曲。
 隣室の作家イゴール(リック・レンツ)に自殺寸前を助けられたトニー(ゴルディー・ホーン)。恋人の中年の歯科医ジュリアン(ウォルター・マッソー)は妻帯者で子供が三人。前夜にジュリアンに捨てられたと思ったトニーは自殺を図ったのだが、実際にはジュリアンは独身だった。プロポーズするジュリアンにトニーは離婚する奥様に挨拶したいと言う。にわか奥様を依頼されたのは10年前から歯科医院で看護婦をしているステファニー(イングリッド・バーグマン)。ジュリアンの依頼を断ったステファニーだったが、翌日トニーの働くレコード店で離婚を承諾する妻の役をやってのける。ところが、トニーはすっかり奥さまに惚れてしまい・・・・ウソが次のウソの引き金になり、なんだか奇妙な展開になるのだが、次第に隠れた愛情が明らかになる。新人ゴルディー・ホーンがアカデミー助演女優賞を受賞したコメディ。音楽はクインシー・ジョーンズが担当していて、主題歌はサラ・ヴォーンが歌っている。
 舞台でステファニーを演じていたのはローレン・バコール。「サボテンの花」とは、ステファニーが受付に置いているふだんは棘のあるサボテンが、突然花を咲かせるという話にもとづく。まるで身持ちの堅い女が突然咲かせる恋情のようだという意味。
 『ゴルディー・ホーン自らを語る』で、アカデミー賞の受賞が決まった時、ゴルディーは外国で撮影中で、自分自身で信じられなかったと証言していましたが、ファニー・フェイスで小柄なゴルディーのミニスカート姿に審査員がマイったのはよく分かります。一方、ステファニーがする身の上話は妻子ある男との恋とか、まるでバーグマン自身のロッセリーニとの恋のようで摩訶不思議な雰囲気、最初はいかにも有能なカタブツ看護師ですが次第に変わっていき、ミンクのコートを贈られて喜ぶ場面や、ダンス・ホールで踊る場面は見ている方が恥ずかしくなるくらいのハジケっぷりです。

    映画川柳 「看護師の 新しいステップは “デンティスト”(歯医者)」飛蜘 

【参考書】鬼塚大輔「ゴールディ・ホーンが見たバーグマンの真実の姿」≪キネマ旬報≫2010年9月下旬号より.
 “ホーンの自伝 A Lotus Grows in the Mudを早速取りよせて興味深く読んだ。・・・・撮影中のマッソーは、ユダヤ人の叔父さんみたいにホーンを扱ってくれたが、時には気難しくなったり、部屋中に除菌スプレーを撒いてから撮影に入ったりして、必ずしも付き合いやすいタイプではなかったとのこと。
 一方、イングリッド・バーグマンの方は、撮影中ずっと緊張し続けていた。ロベルト・ロッセリーニとの不倫、結婚でハリウッドを追放されて以来18年ぶりの復帰作だったのだ。バーグマンは常に寂しそうで、誰にも心を開こうとしなかった。
 レコード店での場面を撮影中に、バーグマンは突然ホーンの方を向いて尋ねた。「ゴールディ、どうして、そんなに上手くできるの? ずっと演技をしてきたみたいに。私なんか緊張しすぎて、セリフが出てこないわ。本当にあなたは映画に出るのは初めてなの?」
 実際はホーンは以前に端役で一本出演しているのだが、取るに足らない役だったので(その作品にはカート・ラッセルという名の子役も、彼女よりずっと大きな役で出演していた)、彼女は頷いた。
 「それじゃあ、あなたから演技のコツを教えてもらわないと」とバーグマン。
 その瞬間、ホーンにとってバーグマンは伝説の大女優ではなくなった。大女優の鎧の下に隠れた、怯えた、傷つきやすい魂をホーンは目にしたのだ。
 ホーンはこの時のバーグマンの姿を心に刻みながら、より逞しくハリウッドで生き抜いていくことになる。”
2009年10月1日


VHS
ファール・プレイ

USA
1978年
(日本公開は1979年)
111分
 ふとしたことから殺人事件に巻き込まれた女性が、刑事と協力して陰謀を阻止する“シャレード”タイプのコメディ。脚本・監督はコリン・ヒギンズ。サリヴァンのオペラ『ミカド』がクライマックスで重要な場面を提供する珍しい映画。
 日本公開時に見ました。ゴルディー・ホーン主演のサスペンス・コメディで、スリルはほとんどありません。悪党たちが適度に間抜けなのもオカシイ。
 冒頭で大司教がそっくりな男に自宅で暗殺されます。場面変わって、あるパーティの席上、離婚したグロリア(ゴルディー・ホーン)は浮かない様子。ちょっとドジな男(チェビー・チィス)に目を止めたりしますが、気乗りしません。離婚を気にして男を避けていてはダメよと友人に励まされますが、一人で車を運転して帰宅します。その途中で車がラジエターの故障で困っている男スコッティを乗せます。町へ着いて8時に映画館でまた会いましょうと約束。しかし、男は誰かに追われていました。約束の時刻に男は来ない。グロリアが映画を見ていると遅れて男はやって来ましたが、胸の下を刺されて血だらけ。映画に夢中のグロリアは気がつきません。男はグロリアに渡したタバコの所在を問い、「小人に注意」と言葉を遺して死んでしまいます。殺人事件発生!と騒ぐグロリア。しかし、席に戻ってみると事件の痕跡はありません。
 アパートに帰ると、グロリアを娘のように慕っている下の部屋の老人ヘネシー(バージェス・メレディス)が話を聞いてくれました。彼はニシキヘビをペットに飼育しています。
 グロリアは図書館の司書ですが、閉館後に謎の白色症の男に襲われます。「コパカバーナ」が演奏されたキャバレーで客の一人に頼み、近くの彼のマンションにかくまってもらいます。やや背の低い紳士風の若い男、これがダドリー・ムーア。彼はグロリアを誤解して改造した彼の部屋の女性シュミラクラだの、空気入れのダッチワイフだの、連れ込みホテル風の照明などを次々に展開して雰囲気を盛り上げます。グロリアにはそんな気はさらさらなくて、礼を言って退室。
 アパートに戻ると今度は顔に傷のある男に襲われます。タバコの箱を取った男が首をしめに来たところを編み棒を腹部に刺して反撃、いったん倒れた男はさらに襲撃に来たところを、白い男に投げナイフで刺されます。気を失ったグロリアは電話で駆けつけた警官に助けられます。刑事はトニー(チェビー・チェイス)とファーギー(ブライアン・デネヒー)の二人。支離滅裂なグロリアの話にあきれる刑事たち。「LSDをやった?」などと聞く始末。それでもトニーは翌日のランチを約束して別れます。
ファール・プレイ 翌日、グロリアは友人に護身用のスクリーマーや防犯スプレー、パンチ・バンドを渡された直後に拉致されます。気が付くと見知らぬ部屋のなか。見張りをスクリーマーでおびき寄せ、スプレーを浴びせてパンチ・バンドで殴って逃走。外はどしゃぶりの雨。
 刑事トニーは汚れた格好のグロリアに驚き、狂言ではないと直感。グロリアが拉致されたという建物の外から靴の片方を発見、さらに部屋の借主スティルツマンに興味を持ち、調査します。さらにこの男のあだ名が小人。この事実を伝える前にグロリアは部屋を訪ねてきた聖書売りの小人を暗殺者と勘違いして窓からつき落とします。幸い命拾いをしたものの重傷の小人マッキューンは病床で転職を考えていました。
 トニーは情報を総合し、黒幕のスティルツマンと白色症の男、傷のある男は仲間で、組織に潜入したスコッティに、傷の男が法王暗殺計画をもらしたと推理します。グロリアが目撃した車はナンバーからサンフンシスコの大司教の車。さっそく大司教の邸宅に聴取に向う。出迎えた秘書カズウェル(レイチェル・ロバーツ)が偉丈婦で冒頭の女性と違います。大司教は、車は運転手タークに盗まれたもので、被害届を出し遅れたと弁解。その晩、トニーは自分の家のハウス・ボートでグロリアと結ばれます。
 翌日、グロリアはファーギーに呼び出されますが、ファーギー自身が悪党に誘拐されていました。ヴィーナスという売春宿で待ち伏せされたグロリアが逃げ込んだ一室で出会ったのは、またもやダドリー・ムーア。彼女は彼に警察への連絡を依頼、その後、悪漢たちに捕まってしまいます。
 秘書カズウェルが教会革命の前科者デリアだと分ったトニーは、グロリア救出に大司教の家に向います。空手を自慢するヘネシー老も付いてきます。出かけるときに、謎のタバコはヘネシーによって、暖炉に放り込まれます。
 大司教宅の地下室で、ファーギーを助け、スティルツマンをドミノ倒しの棚で倒したトニーでしたが、グロリアを人質にして脅す秘書に捕われてしまいます。デリアの口から、法王を歌劇『ミカド』第一幕終りに白色症のジャクソンが狙撃する計画、大司教の双子の弟チャーリーを身代わりにしたことが明らかになります。別に忍び込んできた老ヘネシーがチャーリーを投げた瓶で昏倒させ、秘書と空手勝負。バージェス・メレディスとレイチェル・ロバーツの老々格闘が驚きです。
 法王の観劇は、もう始まっています。歌劇の指揮者がなんとダドリー・ムーア。急いでホールに車で駆けつけるトニーとグロリア。一方通行も交通規制も無視して走る車、途中で二台も車を壊し、三台目でようやく到着。
 三台目のタクシーにたまたま乗っていた老夫婦がJALのバッグを持っている日本人という設定。顔つきはどちらかというと中国人なのですが、日本語を話しています。「誘拐された」とか「刑事コジャックか、頭のはげた人よ、あっはっは」とか。追跡で暴走する車を面白がって笑い続けている“日本”人はちょっと異様。オペラも『ミカド』ですし・・・・。あきらかに“日本”人は意地悪く笑われています。
 警官隊は、舞台裏に潜んでいたジャクソンと撃ち合いになります。仕掛けの帆船に警官と白色症の男の死体がひっかかったまま、歌劇の第1幕の舞台の終りに上から降りてきます。舞台の歌舞伎メイクの歌手たちや観客は驚きますが、法王が拍手をするのでみんなは特異な演出だと理解、拍手します。作り手たちは、法王の常識はずれを笑っていますね。そして法王に追随するセレブな観客たちをも。
 ジャクソンにいったん人質にとられたグロリアとトニーは幕の後ろで熱いキス。そのとき、興行主がカーテンコールのために幕を上げたので、みんなが彼女と彼のキスを見ることに。幕が開いているのに気づいて、決まり悪げにおじぎをくり返す二人。

 途中でトニーが事件の解明に使う犯人たちの写真(なぜか突然トニーに入手される)がスコッティがタバコの箱に隠したフィルムを現像したものだと思うのですが、完成作品では、タバコは(その中のフィルムも)、傷男の外套のポケットからグロリアの部屋に落ちたまま、最後は偶然にも燃やされてしまうので、解明の手がかりになにもならずに話が進んでしまう。脚本をいじりながら撮影し、フィルムを編集しているうちに、手がかりが「飛んで」しまったものでしょう。それに、法王の暗殺計画を進めるためになぜ双子の大司教をすり替えなければならなかったのかも、必然性がないから不思議。法王のスケジュールを正確に把握するためでもなさそうだし、暗殺者ジャクソンは電気技師みたいな格好をして舞台裏に潜入していたから、観劇の特別許可を得るためでもないし。はてさて?

    映画川柳 「目明きでも 危険を承知で ヘビに怖じず」飛蜘  

[追記]2011年秋にようやくDVDが発売されました。Amazonのレビューに皆さんの絶賛の声が集まっていました。小品ながら傑作・佳作という好意的な評価ばかりでした。いくら熱心に話しても分かってくれる人がいなかったと悔しい思いをしていた方もたくさんいたようです。ゴルディー人気は日本にもあったのかと嬉しい気持ちになりました。 
2009年9月25日

DVD
ザ・ビートルズ

ミニ・ドキュメンタリー


2009年
51分
 9月9日に発売された『ザ・ビートルズ』リマスター・ボックスCDの付録のDVD。13種類のLPアルバムに沿って、編年体で写真、証言、ドキュメンタリー・フィルムが並べられています。ボブ・スミートン監督、ジュリアン・ケイダン編集。日本語字幕なし。
 編曲のジョージ・マーティンの力量が印象的。LP『ラバー・ソウル』あたりから、ビートルズの曲は著しく変わってきました。シングルで言えば、「イェスタディ」以降でしょうか。

 私にとって、ビートルズは10歳以上、兄貴分なので同世代とは言えません。意識して聴いたのは1965年の2月か3月頃で、中学一年生のとき。東京オリンピックも終って翌年、クラスメートのハセガワ君が「ビートルズのレコード、聴く?」と話しかけてきたのでした。

 「ポップスのレコードは聴いたことがないんだ。どんなの?」
 「とっても、いいんだ。家に来なよ。買ったレコードを聴かせてあげるから」

 私は卒業直前に引っ越したため越境通学していて、他の学区の小学校から来たので、中学には小学校からの知り合いという人はいなかったのです。だからといって自分から友人を求めるわけでもなく、ぼんやりしていて、他人の家に行くことも、他人を家に招待することもなかったのですが、なぜかこのときは鉄砲町にあったハセガワ君の家にお邪魔してLPを聴かせてもらったのでした。
 そのとき聴いたLPが、なんだったのか、覚えていません。当時、ラジオでヒット曲としてよく流れていたのは、イタリアのカンツォーネで、ジリオラ・チンクエッティの「夢見る想い」やボビー・ソロの「ほほにかかる涙」、ミルバの「砂に消えた涙」(1965年1月)など。あまりにもそれらと違う曲だったので、戸惑ったのだと思います。たぶん『ビートルズ・フォア・セール』だったかも。帰るとき、ハセガワ君は、シングル盤を1枚貸してくれたのですね。これはA面が「ロックン・ロール・ミュージック」で、B面は「ノー・リプライ」でした。家のお粗末なプレーヤーで聴いて、どっちの曲にも驚いたのですが、B面の「ノー・リプライ」の哀調を帯びた調子に感じ入り、翌日レコードを返すときに「ノー・リプライがいいね」と言ったら、ハセガワ君は「俺もそう思った」と答えました。・・・と記憶で書いてしまったが、A面「ロック・アンド・ロール・ミュージック」、B面「ノー・リプライ」というシングルは発売されていなかった。

 と言っても、それからビートルズを夢中で聴いたわけでもなく、ラジオから「イエスタディ」が流れたときには、既に作曲に凝っていた私は「変な曲」と思いました。冒頭からメロディーが半音階風な進行をするんですね。半音階ではないのですが。ビートルズに詳しかったのは、弟の方で、リンゴ・スターがいいだの、ジョージ・ハリソンの哲学者然とした風貌がいいだの、ポールの歌声がいいだのと言っていました。ジョン・レノンのことは何も言ってなかったと思います。私はほとんど無関心で、歌を聴いてもそれが誰の声かを意識することもなく、弟の話も半分うわの空で聞いていました。
HELP しかし、映画『ヘルプ』を見に行った弟が最初のシーンから最後のシーンまで面白おかしく話してくれたので、映画は見に行きました。
 弟は、最後の方で氷の海から男が現れるのがオカシクてと言うのですが、私には何がオカシイのかさっぱりわからず・・・・結局、それほど感動したわけでもなく、「見た!」という程度にとどまっていました。
 毎日、朝から晩まで運動部(バレーボール部)の練習で忙しいうえに、クラシック音楽に夢中だったので、それ以外のことに気を使う余裕はありませんでした。それでも、1966年のビートルズ日本公演のテレビ中継はしっかり見ています。最初にビートルズが歌ったのが「ペイパーバック・ライター」だったので、「変な歌詞の曲だな」と思いました。
 「暮らしの手帖」にレコード評を書いていた黒田恭一さんがクラシックでないLPを紹介したのが、ビートルズの『サージャント・ペパーズ』と、ビリー・ホリディの『奇妙な果実』だったことを覚えています。ラジオで流れる歌を聴く程度の淡いファンとなって後は、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」に最も感動しました。あの現代音楽的な和音と響きが気に入って、英語でよく口ずさんでいました。いまでも歌えるから驚きです。Nothing is real (リアルなものは何も無い)とは・・・。そして、ビートルズ解散後にジョンが歌った「マザー」や「ゴッド」で、すごいと思い直し、そこから聞き直しました。原点のロックに立ち帰ったジョン・レノンにいちばん興味があります。シェークスピアと並べて関心を持っています。今は『ジョンの魂』では、「ラブ」がいちばんすごい曲だと思っています。年齢でしょうか・・・ね。 

【参考書】
 中山康樹『ビートルズ笑撃の裏入門』(2009年、ヤマハミュージックメディア)
 この本に日本で発売されたシングル盤一覧がある(p.138)。それによると、1965年2月5日発売で「ノー・リプライ/エイト・デイズ・ア・ウィーク」、「ロック・アンド・ロール・ミュージック/エブリー・リトル・シング」の二枚がある。二枚だったのかな。
2009年9月18日

USA

DVD
1941

USA
(ユニバーサル&コロンビア)1979年
145分
 スピルバーグが監督した唯一のコメディ。 製作総指揮は『デリンジャー』のジョン・ミリアス、 原作は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルが学生時代に書いた。ジョン・ミリアスも脚本に加わっている。撮影監督は『モンテ・ウォルシュ』を監督したウイリアム・A・フレーカー。
 真珠湾攻撃の6日後、1941年12月13日の24時間のドタバタを描いている。日本軍が攻めてくるという不安からちょっとしたことでパニックになる人々。まったく戦争に興味のない青年もいる。実際に当時は日本軍に対するアメリカ人の恐怖は大きいものがあったようです。時代考証にかなり凝っています。
 『JAWS』のパロディで始まる冒頭。JAWSの代わりに海から出現するのはドイツ製Uボートで日本軍。 ふとした間違いからハリウッドを攻撃しようとする司令官・三田村(三船敏郎)と副官(清水宏)、潜水艦に同乗するドイツ艦長(クリストファー・リー)。
 一方、ひとりで戦闘体勢になっている飛行士ワイルド・ビル・ケイン(ジョン・ベルーシ)は躁状態。
 飛行機に乗ると発情する女秘書ドナ(ナンシー・アレン)、ドナに執心の若い士官(ティム・マシスン)、ガール・フレンドのベティ(ダイアン・ケイ)とのダンスに賭けるウォーリー(ボビー・ディ・チッコ)。 ウォーリーの友人(ペリー・ラング)、ウォーリーとベティをはりあう兵隊シタースキー(トリート・ウィリアムズ)、シタースキーが好みで追いかける女(ウェンデイー・・ジョー・スパーバー) 、黒人兵(フランク・マックレー。黒人が白くなり、白人が黒くなって笑い転げる場面もある)。
 『ダンボ』に涙する中将スティルウエル(ロバート・スタック)、海岸線の民家に大砲を設置するトゥリー軍曹(ダン・エイクロイド)、迎撃機司令官(サミュエル・フラー)、マッドマン・マドックス大佐(ウォーレン・オーツ)、兵士フォーリー(ジョン・キャンディ)、 ミラー(ディック・ミラー)、小将デュボイス(J・パトリック・マクナマラ)。
 大砲をぶっ放すことになる民家の夫婦(ネッド・ビーティ、ロレイン・ゲイリー)と子供たち(ジョーダン・ブライアン、ステーブン・モンド、クリスチャン・ジカ)、民家の隣りの家の主人(ライオネル・スタンダー)、 観覧車の上の高所恐怖症の老人クラム(マーレイ・ハミルトン)、観覧車の若者(エディー・ディーゼン)、潜水艦の捕虜になる男(スリム・ピケンズ)、セールスマン(シドニー・ラシック)。
 ウィリー(マイケル・マッキーン)、 リース(ミッキー・ローク)、店の女(ルシール・ベンセン)、酒場の男(エリシャ・クック)。 クレジットではジョン・ランディスも出演していた。司令官ロバート・スタックに文書を届けにサイドカーで突っ込んでくる伝令役だという。
 戦車がところかまわず走り抜けて家を破壊する。観覧車が軸を外れて転がり海に落下、戦車も爆撃で橋から落下する、 潜水艦が去った後、花輪を打ちつけた拍子に家がズレて崖に落下。破壊に次ぐ破壊を、特撮をまじえて、かなりの部分を実写で見せる壮大なドタバタ喜劇。
 スラップスティックの本懐は壊すことにあり。

    映画川柳 「遊園地 笑って遊んで カーニヴァル」飛蜘
2009年9月15日


扶桑社文庫
ロリ・マドンナ戦争

USA
(MGM)
1973年
106分
 1973年に日米で公開されたリチャード・C・サラフィアン監督の傑作だが、なんと米国でもビデオもDVDも出ていない幻の作品だった。原作(1969年)を書いたのが『アリバイのA』(1982年)でブレイクする前のスー・ グラフトン。このたび扶桑社文庫で原作の翻訳が発売された。
 ロリ・マドンナ役のシーズン・ヒューブリーの可憐さもさることながら、脇役グラフィティに挙げられるような渋い配役と途方もない物語の設定、切れ味のいい演出で当時、一部で話題になった。サラフィアンはTVでも『戦慄の第四帝国』など目のさめる仕事をしていた。

 チェロキーの血を引くフェザー家の面々に父親ロッド・スタイガー、長男スコット・ウィルソン、次男エド・ローター、三男ティモシー・スコット、四男ラン ディ・クエイド、五男ジェフ・ブリッジスという豪華メンバー、女は母親のキャサリン・スクァイアーだけ。それぞれ鳥の名前がつけられています。母親チキー(ヒヨコ)、長男トラッシュ(鶫)、次男ホーク(鷹)、三男スカイラー(雲雀)、四男フィンチ(雀)、五男ロビン(駒鳥)=コック(雄鶏)という具合。『リトル・トリー』でもチェロキーの子孫は密造酒作りに精を出していました。

 一方の対立するガッシャル家は父親ロバート・ライ アン、母親トレサ・ヒューズ、長男ポール・コスロ、次男キール・マーティン、三男ゲーリー・ビュージー、妹ジェーン・グッドフェロウ。

 脚本にも加わったスー・グラフトンは「登場人物が多すぎた」と反省しているらしいが、むしろその人物像が映画の魅力だった。撮影監督は『太陽のかなたに』『さすらいの大空』のフィリップ・ラスロップ。音楽はアパラチアン・ミュージックのフレッド・マィロウ。『ソイレント・グリーン』の音楽も手がけている。
 DVDが発売されることを願ってここに記しておく。


 川本三郎『ロリ・マドンナ戦争』 (『朝日のようにさわやかに』(1977,筑摩書房)より

 なにしろ監督は『バニシング・ポイント』を作った人だし、ポスターに出ているシーズン・ヒューブリーは、植物属乙女科みたいな素敵な子だし、これはきっとまたニューシネマ風ないいとこのお坊ちゃんとお嬢ちゃんが、愛と自由を求めてさすらっちゃう映画か、関係ネエナと思っていたのだが、MGMのライオンがふた声咆えて始るや、予想に反して泥くさく、まぐさの匂いがプンプンしていてすごくいい。
 舞台はテネシー州ナッシュビル近くの丘陵地帯。林の中の密造酒造り、どろんこまみれの豚小屋。ポンコツカー。アメリカにもこんな田舎があるのかと驚くほどのド田舎。ロバート・ライアンの一家とロッド・スタイガーの一家が牧草地争いを始めついに一家あげての全面戦争になってしまうまで。どっちも典型的なアメリカのプア・ホワイト。コールドウェルの「タバコ・ロ−ド」を思わせる貧しさだ。貧乏な一家らしく子供がたくさんいてそれがみんな汚くって粗野な息子たち。長髪ヒッピーとも東部のインテリ青年とも無縁な、文明から遠く離れたアメリカ中西部の田舎っぺ。日本でいえば末子さんに、これ以上いらない留男君それでも又生まれちゃった又一郎君、又三郎君だ。最近のアメリカ映画は東部や西海岸の文明の最先端を避けて、中西部のむさっくるしい男たちの心を描くのが多くなったが、これはいいことだ。
 『イージー・ライダー』のラストで2人のヒッピーを撃ち殺してしまうあのプア・ホワイトのおっさん達を、偏見にみちた南部人、ファシズムの温床、と非難して片づけてしまうのはあまりに進歩的すぎる。東部資本にさんざん喰いものにされ、気がついた時には自由とか文明とか反戦!とかいうぜいたく品から遠く離れてしまったアメリカ中西部の男たち。たしかに彼らは貧しさゆえに、ヒッピーから黒人にまでいじけた反感を持ってはいる。だが、アメリカの土に泥だらけになってへばりついているのも彼らなのだ。彼らだって貧しさにうちのめされていじけているばかりではない。彼らもまた泥まみれの中で夢見る男たちなのだ。いやこの映画では男というよりもまさにガキそのものだ。荒っぽいくせに妙に心やさしいガキにはロックよりカントリー・アンド・ウェスタンがよく似合う。迷い込んだみなし子の女の子に、ここは汚いから洗えよと石ケンをあげるジェフ・ブリッジス、女には乱暴する、いれずみはするといったむさい奴なのにC&Wが好きなエド・ローター、もうケンカはイヤだと言ったとたんバアさんに頭をぶち抜かれてしまうゲーリー・ビュージー(この3人『ラスト・アメリカン・ヒーロー』でもよかった!)。あるいは、無抵抗のままオヤジになぐり殺されるスコット・ウィルソン、テレビのSF『禁断の惑星』にかじりついていたポール・コスロ。脱出だの旅だのとまったく無縁な彼ら。ただ一カ所にしがみついてうずくまるしかない青春。田舎に生まれ、そこから流れることすら出来なかった若い彼らが次々に死んでいってしまうラスト。カントリーボーイへの泣けてくる挽歌だ。

 ・『ロリ・マドンナ戦争』日本版パンフレットより あらすじ (原作の記述は茶色文字にて)
 
 レイバン・フェザー(ロッド・スタイガー)とパップ・ガットシャル(原作の表記はガッシャル Gatshall)(ロバート・ライアン)とは、両家の間に横たわる牧草地の所有をめぐって険しく対立していた。
 牧草地はもともとレイバンのものだったが、税金の滞納から競売に付された。彼の土地と分っていたので、誰も入札に応じなかったが、パップ一人が値をつけて落札した。だから、牧草地は法律上はパップのものに違いなかったが、国の権力を認めないレイバンは、飽くまで「自分の土地だ」と主張し、腕ずくで抵抗したので、いまや両家は一触即発、家族ぐるみで戦う険悪な状態にあった。
 そんなある日、両家の動きが急にあわただしくなった。フェザー家の長男スラッシュ(原作の表記はトラッシュ)(スコット・ウィルソン)と三男のホーク(原作では次男、トラッシュの誕生から11ケ月後に生まれたと母親が話す)(エド・ローター)が飛び出していくと、ガットシャル家の長男ピラム(ポール・コスロ)や次男のルーディ(キール・マーティン)たちが、双眼鏡まで持ち出して、物陰からトラックの動きを監視していた。
 トラックはウィリアムベリーの十字路で、バスから降りたばかりの少女をつかまえると、有無を言わせず引き立ててきた。その間にガットシャル家の次男ルーディと三男セブ(ゲーリー・ビュージー)が、フェザーのウィスキー密造場を襲って設備を叩き壊し、彼らに問題の牧草地から奪われた豚の一頭を取り戻した。
 誘拐された少女はルーニー・ジル(シーズン・ヒューブリー)と名乗り、「ナッシュビルへ行くので乗り換えのバスを待っているところを連れて来られた。何がなんだか分らない」と抗議したが、レイバンは「ロリ・マドンナだろ!」ときめつけ、少女の言葉に耳をかさなかった。
 事件はルーディのアイデアから起こった(原作では父親のアイデア)。フェザーに奪われた豚を取り返せと父親から言われ、その手段として思いついたのだ。彼はまずロリ・マドンナという架空の女を作り出し、「ルーディと結婚のため、バスで8時半に着き、バス停で迎えを待つ」旨をしたためたロリ・マドンナ差し出しの葉書を、フェザー家の郵便受けに入れておいた。
 「奴らはチャンスとばかり、花嫁を人質にしようと停留所へ出かける。だが、勿論ロリ・マドンナなんているわけがない。奴らが無駄骨を折っている間に、こちらは豚を取り戻す」。これがルーディの描いた筋書きだった・
 フェザーはまんまとトリックにかかった。ガットシャルは豚を一匹取り返したが、勢いに任せて密造場までぶち壊したことが、相手の怒りを一層あおりたてる結果となった。
 また、ルーディをまごつかせたのは、フェザーが少女をトラックで運んで来たことだった。レイバンたちは少女をてっきりロリ・マドンナと思い込み、牧草地を取り戻す絶好の材料を手に入れたとほくそえんだが、何も知らずに、偶然両家の争いにまきこまれたクルー・カットの可憐な少女ルーニーこそ、とんだ災難だった。パップはじめガットシャルの人たちは何のかかわりもない少女を巻き添えにした責任を感じ、何とかしなければと考えていた。
 両家の家族ぐるみの争いの中で、双方の若い世代は必ずしも親たちの激しい敵意を支持しているわけではなかった。彼らの間には友だち同志のつながりが尾を引いていた。ルーディは幼馴染のスカイラーと会って状況を説明したりしている。なかでも、フェザー家の次男スカイラー(ティモシー・スコット)とガットシャル家の末っ子シスターE(ジョーン・グッドフェロウ)とは相愛の仲で、ゆくゆくは結婚するつもりでいた。四男のフィンチは少し頭が弱い。
 ある夜、シスターEは牧草地を抜けてスカイラーに会いに出かけた。密造場の林にさしかかったとき、悪ふざけをしていたスラッシュとホークにつかまって強姦された。彼女のショックと悲しみは兄たちの怒りをかき立てた。
 一方、誤って人質にされたルーニーは身寄りもなく一人ぼっちだったので、大家族のフェザー家がもの珍しかった。また、この家の者たちも、女といえば母親のチッキー(キャサリン・スクァイアー)しかいないところへ思いがけなく舞い込んだ若い娘に、何かと心をそそられた。なかでも一番年下のザック(ジェフ・ブリッジス)が彼女と仲良しになった。
 ザックは彼女に親切だった。彼には結婚の経験があった。女はリド(原作はリダ)・ジョーといい、この家の誰からも愛された。わけてもレイバンは彼女の男まさりの野性味が気に入った。だが、彼女は家族の目の前で馬を乗り回していたとき、コラールのフェンスに激突して死んだ。ショックに逆上したレイバンは、馬好きのスラッシュが丹精込めて育てた馬を、片っ端から撃ち殺してしまった。息子たちはこのときから父親に付いていけなくなった。なかでもスラッシュの打撃は大きく、母親には「あの子は馬と一緒に死んだ」と思えた。
 夜、パップはシスターEを連れてフェザー家に乗り込み、強姦事件をなじるとともに、ルーニーを明朝帰してやること、また牧草地に立ち入るなと要求した。だが、レイバンが承知するはずがなかった。
 ガットシャルは牧草地に鉄線を張り巡らし、「私有地。侵入者は見つけ次第、射つ」と立て札をした。フェザーはライフルで彼らを追い払い、立て札を射ち壊した。そのうえ、牧草地に石油をまきちらし、ライフルを射ち込んで野火を起こした。そのため豚を避難させようとしたガットシャル家のエルスペス夫人(トレサ・ヒューズ)が、スラッシュの弾に当り、手当ての甲斐もなく死んだ。そのスラッシュも彼をなじる父親レイバンに日ごろの反感をぶつけたため、激しい折檻を受けて死んだ。
 焼けただれた牧草地をはさんで、二つの埋葬が両家の悲しみと怒りのうちにとり行われた。そして、ガットシャルは決戦に立ち上がった。
 父や兄たちが銃をつかんで出て行くのを見届けると、シスターEは旅行カバンを持って家を去って行った。事態を憂慮したセブは一足先にフェザー家にかけつけ、両家の争いをシェリフの手にゆだねようと申し入れたが、不幸な誤解から射殺された(原作ではシェリフは無関係で最後の段階ではまだ説得している。ホークを差し出せとガッシャルに言われ、瀕死の重傷を負ったホークは自分から出て生き、戸口で撃たれるのがラスト)。その間、かねがね今の生活に飽き足らなかったスカイラーも、シスターEの後を追うようにトラックで家を去った(原作では間接描写で直接描写は無い)
 そのあとには宿命の戦いがくりひろげられた。そして、ホークもピラムもルーディーも、若者たちが次々に死んでいった。原作の最後に付された墓碑銘は、ガッシャル家は母親エルスペス、ウィルヘルム・バーンハード(ビラム)、ハンス・セバスチャン(セブ)、フェザー家は母親チキー、長男トラッシュ、次男ホーク、五男コック。
2009年9月15日


DVD
ザ・コーポレーション


カナダ
2004年
145分
 マーク・アクバー(製作も)及びジェニファー・オニール(編集も)監督、 ジョエル・ベイカン原作・共同制作。内容を略述すると以下の通り。
 現代の企業はおおむね健全だが、なかには「腐ったリンゴ(bad apples)」もある、というブッシュ大統領の言葉が引用される。映画『白鯨』の白鯨や『フランケンシュタイン』の怪物になぞらえられる現代の怪物、そ れが「企業」である。
 ≪歴史≫ 企業は産業革命で誕生し、当初は免許制で公共の利益に照らして製品を生産した。法人化することによって法律上の“人”となる。この“人”は株 主にのみ忠実な人である。儲けることしか考えていない。社会的貢献をしている企業は少なく、目的達成のために働く。解雇・組合つぶし・工場火災などは日常 茶飯事である。
 人に例えるとその特徴のひとつは(1)「他人への思いやりがない」。ナイキのTシャツのドミニカでの労働賃金は小売価格の0.3%でしかない。(2) 「関係を維持できない」。誘致した企業は現地の労働者に利益をもたらすどころか有害な化学物質による汚染などの重大な環境問題を引き起こす。例えばDDT (日本での占領軍のDDTによる消毒のフィルムが使われている)。有害性に気づいていたのに安全だと主張する、(3)「他人への配慮に無関心」、モンサン ト社の牛への抗生物質投与が非難されたときに企業は使用していないと主張、(4)「利益のために平気でウソをつく」。抗生物質のバラまきは耐性菌を拡大さ せることになる。ベトナムの森林も被害を受けた。兵士も被害を受けた。兵士の被害は賠償されている。(5)「罪の意識がない」。廃棄物で汚れた河川。企業 は環境保護なんて一瞬しか考えないのだ。(6)「社会規範や法に従えない」、最初に対策を講ずるより、賠償金を払った方が安上がりだ。企業はいったいいか なる人格なのかを診断すると、「人格障害者(サイコパス)」ということになる。企業を作っているのは人間なのに。インターフェイス社の社長レイ・アンダー ソンは、「文明は飛行機のようなものだ。重力の法則に反している」と言っている。
 ≪商業の病理傷害≫ 「誰にも道徳的な心はある。しかし、状況によっては人はガス室の執行人にもなるし、聖人にもなれるのだ」(チョムスキー)。生業と 個人の性格は一致しない。シェル・ナイジェリアは世界一の公害企業だ。
 インド人の物理学者・生態学者ヴァンダナ・シヴァは「ターミネーター・シードは一度しか収穫できない。企業がシードを独占する」と批判。あるコンザルタ ントは「競合会社の情報を聞き出すために会社の人間を騙すことにも罪の意識は無い」と発言。また、商品を扱うブローカーは「9.11のとき、俺たちはこれ で金(きん)が上がるぞと考えた」と発言。油田が火災になれば石油が値上がりするのだ。戦争はある企業にとっては大きな儲けになる。
 ≪保護境界線≫。金融研究のリフキンは歴史上の「囲い込み(エンクロ−ジャー)に注目した。自然の資源を横領することによって富が発生する。
 資源を扱う企業を民営化することは必ずしも良いことではないのだ。それは専制者に売り渡すことになりかねない。公営企業にはそれなりの意義があった。水 や空気は公的に保護しなければならない資源だろう。
 ≪市場戦略≫ 子供のおねだりに対する親の反応を調査してみることによって、企業は子供に焦点を当てた販売戦略を立てる。CMには心理学者が協力し、将 来の買い物好きに子供を操作するのだ。購買意欲を開発しようとする「広告業は怪物的企業だ」(チョムスキー)。学生の学費をねん出し、広告に利用する企業 も出始めた。
 ≪民営化の祝典≫ 企業はブランド・イメ−ジを売る。ときには≪サクラの勝利≫、サービスをしてサクラを育てる戦略もある。
 ≪前進≫チャクラバティ判決は新しい商品を創り出した。それは微生物である。GE(ゼネラル・エレクトリック社)とチャクラバティ博士は原油を食べる微 生物に特許を申請し、裁判所はこれに許可与えた。7年後、最高裁も人間以外の生物は特許の対象になると決定した。そのため、生命科学企業の競争が激しく なっている。
 ≪疑念を抱jく人々≫ モンサント社の牛成長ホルモンrGBHの使用申請は米国では簡単に認可されたが、カナダでは却下された。報道記者エイカーはこの 人工薬物に関するドキュメンタリーを製作したが、モンサント社が重要なスポンサーであるフォックス・テレビは修正を要求。83回も修正を行った。原告のエ イカー記者はフォックスTVを訴えたが最高裁で逆転敗訴。
 ≪拡張計画≫水の獲得が将来の課題となると予想されている。第二次大戦中、ナチスとアメリカ企業との意外な関係があった。例えば、コカ・コーラ社はドイ ツ人用にファンタ・オレンジを発明した。また、ユダヤ人を整理するのにナチスが使ったパンチ・カードはIBMの機械に合うIBM手作りの製品だった。戦 後、IBMはドイツの子会社が行ったこととアナウンスしたが、1941年9月や1942年の本社との契約書が残っている。IBMは機械もカードも販売を中 止している。
 ≪敵意の買収≫ 企業はバトラー将軍を抱き込み反政府活動を計画、しかし将軍が暴露して失敗した。
 ≪民主主義会社≫ 「企業の唱える社会的責任はまやかしの可能性がある」(『ブランドなんかいらない』の著者ナオミ・クライン)。
 ≪精神療法≫ 南米での縫製工場での労働搾取を告発した少女の訴えを社長のギフォードは認めた。企業を解散させる法律もあるのだ。
 レイ・アンダーソンは自分の会社の罪悪を率直に認め、今後は「新たな再生可能なエネルギーで“持続可能な”山に登る」と宣言した。「なんでも利便性を求 めることをやめよう」という声も起こっている。ボリビアのコチャバンバでは水道事業に対して、市民の民営化反対の闘争が実を結んだ。
≪大病の後≫ マイケル・ムーア監督は自分の作品に企業がスポンサーとしてつく皮肉な現況を語る。自分は“欲”を売っているのだと自覚しているそうだ。

    映画川柳「自宅では 人間的でも 無道徳」飛蛛 

 ジョージ・オーウェルは『1984年』で、“二重思考(ダブル・シンク)”という新語(ニュー・スピーク)を使っていた。二重思考とは、“その二つが矛盾 することを知りながら、両方とも正しいと信ずること、・・・・意識的に無意識状態になり、それから、自ら行ったばかりのその催眠行為を意識しなくなること”(ハヤカワepi文庫,p.56-57より)。企業戦士は二重思考の使い手である。

藤田真男のここ掘れワンワン
  
 第49回 世界を滅ぼす怪物企業に戦いを挑む壮大なドキュメンタリー   (2006年7月)

 今、世界は破滅の淵に立たされている。破滅をもたらすのは巨大化した企業だ。米国には毎月の売り上げが10兆円を超す企業もある。ノンキな日本がライブ ドアだの耐震偽装だので空騒ぎをしている間にも、世界は確実に破滅の淵へと突き進んでいる。
 『ザ・コーポレーション』は、この戦慄すべき事実を多角的に検証し、企業犯罪を裁く大作ドキュメンタリーだ。映画監督マイケル・ムーアを筆頭とする反企 業活動家や学者のほか、悪徳企業の幹部や御用学者も登場するが、彼ら被告側証人の偽証、欺瞞はたちまち反証される。作中の個々の企業犯罪の実例の中には、 日本では知られていない事件(世界有数の公害企業シェル・ナイジェリアに反対した活動家6人が処刑された。モンサント社の企業犯罪隠ぺいに加担したFOX テレビを番組制作者が訴えたが逆転敗訴した、等々)もあるが、それが企業やマスコミの最低限のモラルばかりか司法制度の崩壊をも示す事態であること、また 氷山の一角であることも想像がつく。
 例えば「2025年までに世界の人口の3分の2が飲み水を失う」という予測がある。地球上の水資源(その総量は極めて少ない)の独占は既に始まってい る。その手口は世界銀行(日本も出資。地球規模の地上げと乱開発の元締め)がアメとムチで各国政府や自治体を買収し、引き換えに企業が公営水道事業を乗っ 取るといったものだ。雨水さえも企業が独占できる。映画の字幕では「民営化」と訳してあるが、正しくは「私有化」「私物化」だろう。「地球を私物化しても いいのか」という作者の問いに対して、ある御用学者は開き直って反論するが、その傲慢さには唖然とさせられる。私物化は今や微生物や遺伝子にまで及び、 「地球の私物化」も決して誇張や比喩ではないのだ。
 作者は、法律上は人と同じ権利と義務を持つ法人たる企業の罪状(奴隷的労働、環境汚染、等々)を挙げ、その「人格」を鑑定し、現代の企業はサイコパス (精神異常者)だと判決を下す。この映画は狂人の手から世界を奪い返そうとすつ人々の、地球の命運をかけた戦いの報告でもある。その戦列には未来に対する 自らの責任に目覚めた大企業の経営者も加わっている。こんな知的で高潔な経営者も実在する。多数の死傷者を出しながら米国企業の手から水道を奪還した純朴 で勇敢なボリビア市民の「子供たちの未来はとても暗い。だが、私は民衆の怒りと叛乱を信じている」という言葉も感動的だ。『指輪物語』の小さな英雄たちの ような人々もまた実在する。世界は変えられるのかもしれない。






2009年9月15日以降に見た 日 本 映 画 (邦画)

見た日と場所 作  品        感    想     (池田博明)
2009年10月15日

フジテレビ
21:00〜23:18

10月22日
22:00
不毛地帯

フジテレビ
2009年
約110分

2話以降は1時間枠で放映
 山崎豊子原作、山本薩夫監督、山田信夫脚本、仲代達矢主演の東宝映画として1976年に映画化kされているが、未見でした。フジテレビで新たに製作・連続ドラマ化したもの。
 今回の脚本は橋部敦子、演出は澤田鎌作(第1話)。「不毛地帯」は主人公・壹岐正(唐沢寿明)が戦犯として送られたシベリアの流刑地をイメージの核としているが、戦後に新たに働くこととなった商社が暗躍する戦後日本の政界・財界を意味するキイ・ワードでもある。第1話は極寒でのシベリアでの強制労働が印象的。
 壹岐は 陸軍士官学校を首席で卒業、第二次大戦中は大本営の参謀として作戦立案にあたっていた。終戦を受け入れずソ連軍に対する徹底抗戦を主張する関東軍を説得するため、 停戦命令書を携えて満州に向かった。 そこで、関東軍の幕僚・谷川正治(橋爪功)らとともにソ連軍に拘束された壹岐は、戦犯としてソ連の軍事裁判で強制労働25年の刑を宣告。シベリア極北の流刑地ラゾに送られる。極東軍事裁判でソ連軍証人として戦争の作戦は天皇によるものと証言すれば刑は赦免されたが、壹岐は一貫して作戦の責任は軍の参謀にありと主張、同じ扱いを受けていた秋津中将(中村敦夫)は証言を拒否して自殺した。そのため過酷な強制労働に戻され、11年に渡って耐えた壹岐は、 昭和31年に帰国。それからの二年間、壹岐は体の回復と、 シベリアから帰国した部下たちの就職の世話に専念した。 その間、妻の佳子(和久井映見)が家計を支えていた。
 ある日、士官学校時代からの親友、防衛庁の空将補・川又伊佐雄(柳葉敏郎)がやって来て、壹岐を防衛庁に誘った。 しかし、壹岐は作戦により多くの兵士や民間人を死なせてしまった責任から、 国防に関わる資格はないと答えて誘いを断った。
 壹岐はかねてから誘われていた近畿商事への就職を決意。 近畿商事は繊維を扱う商社だが、重工業化・国際化を推進しようとしていた。 社長の大門一三(原田芳雄)に壹岐は、軍人時代のコネや肩書きを一切利用しないことを条件に、 近畿商事に入社し、社長室嘱託として繊維部で働き始めた。
 戦争に関わらない父を見て、壹岐の長女・直子(多部未華子)は大喜びだった。
 壹岐は社長のカバン持ちを命ぜられたニューヨークで、アメリカの戦闘機の売り込みに、近畿商事が推薦するラッキード社のF型に対し、東京商事(遠藤憲一ら)が試作機二台しか作っていないグラントを売りこもうと防衛庁や政治家に金を貢いでいる実態を聞かされる。防衛庁とは関わらないつもりの壹岐だったが、異なった道での国防を意識し始めたのだった。

 第2話からは50分間。昭和34年、大門社長は官房長・貝塚(段田安則)がにぎりつぶしている防衛庁の戦闘機報告書の件の追求を自由党総務会長で反総理派の大川一郎(亀石征一郎)に依頼するが、急に大川は腰砕けになる。巨額の賄賂が渡されたらしい。壹岐には防衛庁空幕の調査課出身・小出宏(松重豊)が部下として付けられる。壹岐は小出と共に東京商事が賄賂に外国の銀行口座を利用していることを突き止め、大蔵省に文書で告発、グラントに決まりかけていた流れを替えた。しかし、テスト飛行中にラッキードのF4戦闘機が墜落したというニュースが入って来た。

     映画川柳「割烹着 白さがはえる 三十年」 飛蛛

【参考書】 壹岐正のモデルは瀬島龍三だそうである。保坂正康に『瀬島龍三』(文春文庫)があるが未読。
 栗原俊雄『シベリア抑留』(2009,岩波新書)。ソ連により強制抑留された日本人はおよそ57万5千人(日本国政府の推計)。死亡者は5万5000人から9万2千人と幅がある。ソ連軍兵士は映画の中で「お前たちは捕虜ではない。戦犯だ」と言うが、国際法上はあきらかに捕虜で、ソ連の行為はあきらかな国際法違反であった。
 ソ連は戦争で失った労働力を捕虜で補っていた。収容所は独立採算制で捕虜が働くほど所長の懐は肥えた。食料は不足した。旧軍隊の秩序を笠に着て私腹を肥やしたり兵卒をこきつかう日本軍将校もいた。民主化運動の担い手は「アクチブ」と呼ばれ恩恵を餌に仲間を吊るし上げた。
 1953年3月5日スターリンが死亡。1956年10月、鳩山首相が訪ソ、19日「日ソ共同宣言」。その後、戦犯たちの帰国が始まった。しかし、補償はされなかった。
 天皇の責任を餌にした取引はこの本には記されていない。極東軍事裁判で連合国側の足並みが乱れて立件しなかった細菌戦の731部隊の断罪を目的とする裁判の例が出ている(p.121)。
2009年10月10日


DVD
女教師


日活
1977年
100分
 田中登監督作品だが、見ていませんでした。清水一行の原作を中島丈博が脚本化した。撮影は前田米造。
 土曜日、下校時刻五時を過ぎたと全校放送で生徒指導の教師・影山(山田吾一)が呼びかける所沢西部中学校。音楽室でピアノの練習をしていた(曲はショパン?エチュード?)女教師・田路節子(永島暎子)は男子生徒五人に襲われ暴行された。黒いビニール袋をかぶせられたため顔は分からなかったが、声で一人は三年生の江川(古尾谷康雅=雅人)だと分かる。一部始終を目撃していた教師・瀬戸山(砂塚英夫)は江川の担任でもあった。対策を立てようと校長(久米明)や教頭(穂積隆信)らと相談、影山は警察へ届けることを主張するが、他の教師は逡巡する。瀬戸山は「田路先生は処女だったんでしょうか」などと言いだす始末。
 田路は同僚の英語教師・浅井(鶴岡修)に相談する。補習を終えて狭山湖へのドライブの途中でカーセックス。告白を聞いた浅井は警察へ届けると交際相手の自分の外聞も悪いと反対する。
 瀬戸山は予備校生の田路の弟・恵司(福田勝洋)の部屋にあった証拠品の黒いビニール袋の指紋を消す。瀬戸山は江川の母親(絵沢萌子)に顛末を話すが息子可愛さに母親は瀬戸山を誘惑。田路はひとまず沼津の実家へ帰っている。数日後に学校へ出た節子は同僚の冷たい視線を感じる。浅井も迷惑そうだ。音楽教師の佐藤美也子(宮井えりな)も一緒の合唱コンクールの指導を拒否。組合役員の教師(蟹江敬三、樹木希林)から、事件は節子が江川を誘惑したことになっていると聞く。役員も節子の話をまともに聞こうとしない。
 瀬戸山は目撃者がいたと自分のことを隠して江川を脅すが、江川は目撃者は佐藤だと断言。瀬戸山が確かめると佐藤も東側のドアから目撃していたことが分かる。共犯者どうしのセックス。それぞれ暴行場面を思い出し興奮する二人。噂を流したのも佐藤だった。一方、影山は節子に噂に負けてはダメだ、毅然とした態度でいなくてはと諭す。しかし、音楽の授業中、生徒が騒ぎ出し収拾がつかなくなる。ひとり静かに事態を見つめる江川。
 弟・恵司は姉の消息を心配する。影山は弟に退職願が札幌から送られてきたと伝える。弟は教師たちに怒って外へ飛び出す。三年生は修学旅行中に江川が便所に行ったまま戻って来ないと仲間が申し出る。
 母親から瀬戸山へ江川が名古屋で誰かに誘拐・監禁され、500万円の身代金を要求されているとの脅迫電話があったと連絡が入る。影山は、姑息な学校の態度に対する挑戦だと解釈する。  
 犯人に言われた通り、DAIMARUの袋に金を入れ、ひかり号に乗る母親。東京駅で金を渡し、江川は名古屋駅にいた。目が殴られて腫れ上がっている。
 一方、川に沈んだ車から浅井と佐藤の死体が上がる。節子は自殺未遂で網走の病院に入院しているという。
 退院した節子は弟のところへ帰宅。弟から五百万円と事件の真相を聞く。あの日、弟は偶然会った江川を殴ったが、その後で江川は田路先生に慰謝料を払いたいと計画した誘拐狂言に誘われる。母親に電話した後、江川はその前にやっておくことがあると、佐藤のアパートへ。佐藤は浅井とセックス中だった。浅井を殴り、佐藤を恵司に犯させる江川。浅井から目撃者は佐藤だけではなかった、瀬戸山ものぞいていたと聞く。確かめようとしたが、佐藤は死んでいた。強姦殺人だと非難する浅井を撲殺して車に乗せ、沈めた江川。
 五百万円を持って影山に事情を打ち明ける節子。弟を伴って警察へ事情を話に行く三人(映像は出ない)。一方、江川は瀬戸山を東松山の古墳遺跡に呼び出していた。江川の母親から安く買った赤いワーゲンを走らせ呼び出しの現場に着いた瀬戸山を、江川は殺したい奴がもう一人いるんだと襲いかかるのだった。十五歳なら死刑にはなんねえだろと。最後に瀬戸山は江川を轢く。
 弟・恵司が江川に殴りかかる場面で、突然、泉谷しげるの「季節のない町」が印象的に流れる。

    季節のない町に生まれ 風のない丘に育ち 
    夢のない家を出て   愛のない人に会う
    今日ですべてが終わるさ  今日ですべてが変わる
    今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるさ

 また、トンネル状の遺耕の中を逃げ走る赤いワーゲンと、槌をふるって殴りかかる古尾谷の凶暴さが印象的。田中登監督と古尾谷雅人が後に組んだ『丑三つの村』よりも際立つ暴力性。二人が組んだ『人妻集団暴行致死事件』も気になります。中古ビデオを見直すつもりです。

     映画川柳「季節なく すべてが終わる 町づくし」 飛蛛 
2009年10月11日・9日


NHK総合
21:00

19:30
原発解体

NHK
2009年
58分

消えない不安
臨界事故から10年

NHK
2009年25分
 特報首都圏「消えない不安」;10月9日(金)19:30-19:55。茨城県東海村の原子力発電所で臨界事故が起こったのは、1999年9月30日、午前10時45分だった。ウラン溶液をバケツで炉心に入れるようなずさんな管理で、当時あきれたものである。作業員三人が重傷を負い、うち二人が死亡、放射能もれで660人が被爆した。
 原発の近くにあった工場で働いていた大泉さん夫婦も被爆した。消防団員がやってきて「窓を閉める」ように言ったが、その理由を言わなかったため、そのまま窓を開き放しにしていたという。被爆の恐怖から工場もその後、閉鎖、妻は自殺未遂まで起こしたという。10年たっても発病の恐怖が続いていると告白。
 国は翌2000年6月に原子力災害特別措置法を制定、現場を管理するオフサイト・センターを設立、しかし、新潟県の原発火災事故で規定のレベル以下の放射線もれだったため、住民に安全である報道を出さなかったりと、施設内で働く人と周辺住民との間の意識の違いが際立つ事態も起こった。東海村では現在、68%の住民が事故が起きることへの不安をぬぐえないでいる。
 被爆者への対応や治療の研修なども遅れている。救急医療の現場は多忙で研修の時間が取れないのだ。全国300の医療施設に配備されたホール・ボディ・カウンター(身体の被爆放射量を検査できる装置)も、検査技師がいてもデータ解析できる専門医はいないところが多いという。

 NHK特集「原発解体」;10月11日(日)21:00〜21:58.ディレクターは鈴木章雄、ナレーターは中條誠子。原発維持コストと解体処分コストが原発が生産する電気量を上回ることは伊東光晴が中学生向けの経済学書で30年以上前に指摘していた。私も小田原城内高校での「理科U」の原子力の授業原子爆弾と原子力で何度か取り上げたことがある。
 日本の原発もすでに寿命が来ており、処分問題は火急の課題になってきた。世界に目を転じてみれば状況はまったく同じである。都合で前半3分の1を見損なったが、ドイツのビュルガッセン原発解体は原子炉自体が強い放射性廃棄物となり、人力で解体は危険なため、ロボットによる遠隔操作で行なっている。すでに当初予算を上回り、時間もかかっている。ドイツでは地盤が弱体で地下に埋蔵した廃棄物のもれが懸念されれアッセ元処分場問題が深刻化して、解体作業は中座している。放射性廃棄物処理委員会の委員長は「最初から処理のことを考えるべきだった」と発言。だが、原子力の専門家でない伊東光晴に分っていたのだから、既に原子力関係者は分っていたのではないだろうか。
 原発先進国イギリスでは45基作った原発のうち既に25基が閉鎖。解体コストが11挑円かかるが国民の理解は得られていないという。
 閉鎖したトロスフィード原発では所内に貯蔵しているが30億円の建設費がかかるみ込み。
 新たな処分場建設に地域の住民の理解も得られず、地域の発展につながる事業を起こせるわけでもなく、処理事業は進んでいない。
 しかし、気候温暖化問題に絡んで原発推進のシナリオが加速してきた。フィンランドや中国で建設ラッシュ(中国では3年間で16基を建設する予定)。イギリスも建設に方針を転換した。日本でも9施設が解体時期を迎え、建設予定が2基。しかし世界のどの国も処分問題を解決できていないのである。
2009年10月8日


DVD
わが愛の譜
滝廉太郎物語


東映
日本テレビ
1993年
125分
 澤井信一郎監督、木村大作撮影、郷原宏原作、宮崎晃・伊藤亮爾・澤井信一郎脚本、佐藤勝音楽の音楽映画。滝に思いを寄せていたというピアニストで第二回文部省のドイツ留学生の中野ユキ(鷲尾いさ子)が回想する形式になっています。

△帰国演奏会後、幸田延と兄・露伴

△ユキから楽譜「謝肉祭」を借りる

△日雇い人夫・鈴木とみさ子


 中野ユキのモデルは、第1回留学生の幸田延の妹、幸田幸で、本当はヴァイオリニスト。実際の幸田幸は滝と恋愛関係にあったわけではないので、遺族からクレームがつき、虚構の人物に替えたそうです。
 全体としてウェルメイドな伝記映画ではあるものの、なぜ滝廉太郎の伝記映画なのかという疑問はぬぐえませんでした。滝連太郎没後九十年記念企画。本格的音楽映画として、日本版『アマデウス』を作ろうとしたのでしょうが、怪物モーツァルトとサリエリに比べて、優しすぎる滝廉太郎は小規模です。

 音楽一途で「一生、生徒として勉強を続けたい」と言っていた滝が、国の威信を背負ってドイツに留学、肺を病んですぐに帰国せざるを得ず、ユキと約束したピアノ曲、「憾」(うらみ)を最後に作曲して亡くなります。女性に対して禁欲的だった滝の一途さを風間トオルがわざと生硬な演技で表現しています。ピアノ演奏場面は俳優さんたち一人一人にピアノ・アドバイザーがついて実際に特訓。音にあわせて手を動かせるように曲を覚えての熱演で、特に鷲尾いさ子の完璧な演奏の演技にはスタッフが驚嘆したそうです。

 多彩な出演者たち。滝の親友だった鈴木毅一(天宮良)、鈴木と結婚する女給みさ子(浅野ゆう子)、滝の母(藤村志保)、滝の父(加藤剛)、滝が櫛を贈る女中ふみ(藤谷美紀)、唱歌運動を推進する東くめ(渡辺典子)、絵描きの坂口(柳沢慎吾)、幸田露伴(柴田恭平)、幸田延(壇ふみ)、島崎赤太郎(ベンガル)・・・・宮崎淑子=美子も滝の叔母役・民子で出ていました。

 伝記的事実は、池田小百合「なっとく童謡唱歌」の滝廉太郎篇で、ほとんど知っているため、あまり新味はありませんでした。滝がシューマンに興味があると言っていたことになっていますが、これは澤井監督の創作。澤井自身がシューマンが好きだった(『映画の呼吸』p.347)。

 妻の小百合が1993年に、小田原の映画館へ見に行ったときは客が自分も入れて三人しかいなかったそうです。さらに、映画の三分の二くらいのところに滝の送別演奏会の場面があり、ソプラノ歌手・佐藤しのぶが「荒城の月」を歌います。滝がピアノ伴奏をつとめているのですが、実際にはずっと後で山田耕筰が作曲したピアノ伴奏で弾いており、佐藤しのぶの歌も、山田耕筰が原曲を一部替えた楽譜で歌われている。歴史的にあり得ないことだと思った瞬間に興味を失ってしまったとか。さらにその後に鈴木毅一が小学生に「箱根八里」を歌わせる場面でも、オルガン伴奏に山田耕筰作曲の伴奏を使っていて興ざめしてしまったそうです。どちらの曲も、滝の原曲には、ピアノ伴奏がついていなかった。もっともそんな些細なところに注意してしまう人はいないでしょうが。澤井監督は「どうして原曲でいかなかったかと後悔しています。佐藤勝さんから、どちらにするかと問われて、僕が山田バージョンでと答えての結果だと思いますが、どうしてそんな返事をしてしまったのか、僕自身、訳が分からず後悔しています」と証言しています(『映画の呼吸』p.346)。

 ドイツ時代の滝の場面はコンサートにしろ、「熱情」の演奏指導でユキの自信を取り戻す挿話にしろフィクションですから、「作った話」の感じが強い。
 ところで、私は壇ふみが好きになれないのですが、この映画では気位も高く強気で、ある意味、生意気な幸田延役だったので役柄に合っていました。実際には、幸田延が東京音楽学校で日本の音楽教育に果たした役割は大変に大きいものがあります。また作曲家としても最近そのバイオリン・ソナタが再評価されました。ブラームスを思わせる素晴らしい曲です。彼女がドイツに留学したときに、ドイツ作曲界を牽引していたのはブラームスでした。それにしては、この映画にブラームスの曲が一曲も出て来ないのは不思議です。滝がピアニストを目指していたということで、ピアノ曲が中心に取り上げられていました。

 出て来る曲は、バイエルやソナチネの他、リストの「コンソレーション第3番」「3つの演奏会用練習曲」、バッハ「主よ人の望みの喜びよ」、シューマン「謝肉祭」「間奏曲」「ピアノ協奏曲」、ベートーベン「運命」「熱情」、ショパン「ピアノ協奏曲第1番」、チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」。

     映画川柳「恋人に 遺すピアノ曲が なぜ憾み」 飛蛛  
2009年10月6日

フジテレビ

21:00
誰かが嘘をついている


フジテレビ
2009年
100分
 『俺っちのウェディング』以来の宮崎美子ファンなので、新聞の番組案内を見てさっそく見ることにしました。なお、『俺っちのウェデイング』も日本映画専門チャンネルで放映されました。勿論また見てしまいました(10月10日)。
 痴漢冤罪事件をテーマにしているので、周防正行監督の『それでもボクはやっていない』と展開が同工異曲です。脚本・上杉隆之、演出・宮本理江子。
 時計会社の部長・佐藤敏昭(水谷豊)はある日、いつもより一本遅れの満員電車に乗ったところ、降りたホームで女子高生(佐津川愛美)に「痴漢、しましたよね」と袖をつかまれる。
 敏昭はそのまま駅員室、そして警察に拘留される。 妻の美羽(宮崎美子)は大学生で就職活動中の長男・貴浩(手越祐也)と高校生の長女・由香(谷村美月)には、とりあえず急な出張と説明する。友人の山崎弁護士(モト冬樹)は「否認するな」と助言。会社の本部長・阿藤(浅野和之)と課長・三浦(山本未來)は心配するが・・・。
 家宅捜査のときに帰宅した貴浩に事実を説明する母。敏昭は無実を訴え続けたため、保釈は却下。美羽は民事裁判の経験しかない山崎弁護士に代わって、痴漢冤罪を勝ち取ったことのある弁護士・鬼塚(平田満)を連れてきた。娘にも事件が分り、会社は判決が出る前の依願退職を薦めた。判決は有罪で懲役1年8ケ月、執行猶予3年。控訴するかどうか、悩む家族。
 貴裕は大学をやめ、昼は介護士、夜はホスト・クラブでのアルバイトを始めた。敏昭はせっかく得た清掃業の仕事も有罪判決でクビになるし、息子には愛想をつかされるし、妻は心労で倒れるし、酒をあおってベロベロに酔って、息子に介抱される始末。
 拘置所で痴漢をやっていないと主張していた「おこりんぼさん」は罪を認めて示談にもちこみ社会復帰をしていた。悩む敏昭。しかし、自分は痴漢行為をしていないのだ。控訴に踏み切る決意を家族は支持してくれた。
 山崎が弁護を依頼された盗撮マニアの撮影ショットの中に敏昭の事件のときの女子高生に痴漢する男の手が写っていた。犯人のスーツの色は黒。事件当時の敏昭のスーツは灰色。これを証拠にして控訴審では無罪となった。家族の絆は前より強くなった。

     映画川柳「ありえない 盗撮ショットが なきゃ有罪」 飛蛛  

 『世界一受けたい授業』(10月10日)によると、身に覚えがない痴漢の疑いをかけられたら、自分を守るためにすることで弁護士が薦める方法は「走って逃げること」だそうです。
2009年10月5日

VHS
おんなの細道・濡れた海峡


日活
1980年
71分
 田中小実昌原作の映画化で公開当時の評価も高かったため、ずっと見たかった作品。あまり名画座に出ず、中古ビデオでもなかなか出品が無かった。CSでも数ヶ月前に深夜で何度か放映されましたが、スカパーe2では、アダルト契約が不可能だったため、見られませんでした。ようやく中古ビデオでゲット。VHS商品(レンタル用)の原価は高かった。
 田中小実昌原作の映画化作品としては神代辰巳監督のデビュー作『かぶりつき人生』(1968)がありますが、井家上隆幸(河出文庫の解説)によると「タイトルだけで内容は関係なし」のこの作品、「日活開闢以来の不入りで神代監督は助監督に逆戻り」、ビデオも映像も出ていなくて、見られません。森崎さんの『喜劇・特出しヒモ天国』に似た状況の作品なのですが、神代作品ですから、もっと淡々と描いていたのではないでしょうか。むかし何かにシナリオが出ていたのですが・・・・見つかりません。
 さて、『おんなの細道・濡れた海峡』は、田中小実昌の小説「島子とオレ」「オホーツク妻」をを田中陽造が脚本化した作品です。「島子とオレ」は泰流社の田中小実昌短編集シリーズでは『ベトナム王女』に収録されています。ストリップ小屋の棟梁=雑用係の男が亭主もちの島子と関係を持ちわびを入れるものの、島子がクスリを飲むのを阻止するために一緒にいてくれと頼まれて、ヒモ生活になる話。「オホーツク妻」は読んでいません。たぶん、カヤ子の話が中心ではないでしょうか。
 若いときのコミさんそっくりの三上寛が東北の辺境の漁師町を漂白しながら会う女たちとの交情を描いたロード・ムービーで、華やかな都会や、金持ちの人たちは、まったく出て来ない、“ふわふわした”映画。カラミの場面はしっかり描かれています。

 東北を行くガラガラの列車の中、ストリッパーの島子(山口美也子)と男(三上寛)が座っていた。男は島子の亭主でストリップ小屋の社長(草薙幸二郎)に彼女を貰い受けに行くところだ。島子に止められてストリップ小屋の近くのホテルで島子を抱く。島子の歯が抜ける。トイレで男は「ボロボロ・・・ポロポロ」とつぶやきながら、死んだ「とうさん」に自分のしがない人生について話しかける。
 さて、小屋の舞台では八代亜紀の「おんな港町」が流れている。小屋の事務室で社長は島子は義兄弟の女房だった。義兄弟はガンで余命いくばくもない体だったこともあって自分の殺人の罪をかぶってくれた、その義理があって唯一籍を入れた女なのだと言う。木刀を手にした若い衆・松夫(田山涼成)や金二(大平忠行)に他の場所に連れられて行く途中で、追って来た島子に「逃げて!殺される」と忠告され、ほうほうのていで逃げだした。
 雪の中を走るバスの中、男はツエ子(小川恵)に出逢う。男はツエ子の持つウィスキーを無心する。すると、ツエ子は男に千円を借り、突然バスを降り、海ぎわの岩かげに消えた。男は「とうさん、女を見殺しにしちゃったよ」とつぶやく。
 男は酒しか出さない飲み屋で女の歯を飲み込むまねをする。「腹がへったなあ」と嘆いていると、奥の部屋で女と絡むヒラさん(石橋蓮司)が「うるさいから」と身欠きニシンをくれた。ヒラさんは一晩中激しくカヤ子(桐谷夏子)を抱いていた。手にからんだ女の髪の毛を焼くヒラさん、カヤ子は「焼き場の匂いがするから。まるで自分が焼かれているみたいだ」と嫌う。桐谷夏子は、石橋蓮司の奥さんである緑魔子をふっくらしたような感じなのだ。
 翌日、男は偶然宮古(岩手県)に向うカヤ子に会って、漁師のヒラさんが九州へ向ったと聞く。
 バスを停めて男が下りて来る。なにかと思っていると、男は便意をもよおしたのだった。男の後にカヤ子も下りて来る。「助かっちゃったわ。あんたが下りてくれて。女のほうからは言い出しにくいでしょ」と、カヤ子は連れションだった。広い大きな冬の海を見ながら、断崖で、大便をする男と、放尿する女。男はカヤ子の尻をチラリと見て「大きいなあ」とつぶやく。
 ジンギスカンをつつきながら世間話をしているうちに二人は気が合って睦みあう。
 島子はストリップで踊りながらもクスリをやっていた。社長はラリ気味の島子を心配している。バックの舞台で流れている歌は美川憲一。
 男はカヤ子にポロポロとはパウロのことで、姦淫するなかれという教えを説いたキリストの弟子、父親が教会の神父だったと話す。イクラうどんを食べながら、「(うどんも、チンポも)さみしいね」と話していると、突然ヒラさんがやってきた。カヤ子は「なぜ怒らないのよ!」といたたまれず部屋を出て行った。「怒れないんだ」と寂しげなヒラさんに、男は遅くまで付き合った。
 舟用の尿瓶をヒラさんは持っている。その尿瓶に小便をしながら色を比べてヒラさんは「年取ってるからオレのは元気が無いし、色が悪い」と評する。男は「いや、そんなこと、ないですよ」と慰める。男は思い立って、島子に電話すると、島子は「なぜ逃げたのよ。おんな一人置いて逃げるなんて」と非難する。男は「お前が逃げろっていうから・・・・分った。明日いちばんの電車でそっちへ行く」、島子は「いま亭主は自分の思い通りにならないんで気が立ってるから今度こそブッ殺されるわよ」と止める。島子はラリ気味である。電話を終えて部屋に戻ると、ヒラさんとカヤ子が激しくからんでいた。男は尿瓶をそっと返して「お達者で」と部屋を離れる。
 翌日、バスに乗ると、男は死んだと思っていたツエ子に再会。他の女に先を越され、大騒ぎになって死ねなかったそうだ。お礼をあげるとツエ子に言われ、男は、躊躇するが、結局、誘惑にまけて体を重ねてしまう。ツエ子は逆立ちしている。「あたし受胎日なの。あなたの(精)ムシが一緒になって子供ができるわ。ベーチェット病で一年後に失明するの。ヤケになっていたところだったけど、赤ちゃんができれば死ぬなんて考えずに生きなくちゃと思えるわ」、男「オレのムシは弱虫だから、そんな重い責任には耐えられないヨ」と嘆くが、ツエ子の決意は固い。男は父に「ろくでなしのムシでろくでなしの子ができるヨ」とブツブツ。
 男は勇気を出してストリップ小屋に入った。舞台では島子がシロクロショーの最中。客の男に気付く。男が「島子、オレとやろう」と誘うと島子は舞台を中断して引っ込んでしまう。お客は怒る。事務所では前よりも殺気立った雰囲気。踊り子さんの舞台に変わったらしく、「おんな港町」が聞える。若い衆・松夫の手の包丁がキラリと光った。そのとき、島子が睡眠薬の錠剤を多量に持って入ってきて、もし男に手を出したら全部飲んでしまうと息巻いた。島子は楽屋で男に抱きついた。「あんた、浮気したでしょ」「うん」。
 刺しますかという若い衆を殴って、社長は自分で始末をつけると言う。社長はもし男と無理に別れさせれば島子はラリ中(クスリ中毒)になってダメになってしまうと判断し、二人をそのままにしておくことにする。草薙さん、怪演。
 雪の小道を滑ってよろけながら島子のトランクを抱えた男と、島子の二人は駅に向っていた。

    映画川柳「ボロボロが ポロポロとなる ひとりごと」 飛蛛

  【参考】
 山根貞男編集『ロマン・ポルノ1971-1982全映画 官能のプログラム・ピクチュア』(フィルムアート社、1983)より、山口美也子は西村昭五郎監督『本番』(1977)でデビュー。『肉体の門』『情事の方程式』『さらば愛しき大地』などに出演。小川惠は独立プロ系映画を経てロマポルノには『女高生トリオ・性感試験』(1977)でデビュー。小沼勝監督『さすらいの恋人・眩暈』(1978)などに出演、『山の手夫人・性愛の日々』(1980)以降、引退。
 桐谷夏子は岡本愛彦監督『青春の海』(東宝、1974)でデビュー。映画は『濡れた海峡』が最後で、演劇人。中国生まれのシンガポールの劇作家、郭宝崑(クオ・パオ・クン)の戯曲集『花降る日へ』の監訳、「霊戯」の翻訳などを務めています。

 田中小実昌『新編 かぶりつき人生』(河出文庫、2007)はオカシな本で、もとは三一書房から発行(1964)、全スト=全裸ストリップのはじまりが思い出話風に書かれているほか、「ヤジとわかれ、ゴランをつれてヤサにかえってたドヤのスメコから、たしかにおシンをうけとったという手紙がきて」といった隠語が満載。ちなみに、ヤジ=亭主、ゴラン=子供、ヤサ=家、ドヤ=宿屋、スメコ=娘、シン=金です。
 田中小実昌『自動巻時計の一日』(河出文庫、2004)は、坪内祐三が『文庫本福袋』(文春文庫、2009)でコミさんのエッセンスがつまっていて、もっとも好きな小説と評した、山場がない私小説的な作品。
 コミさんの小説はエッセイと区別がない。比較ということをせず、作為を嫌う人だったので、小説にも駄作はない。もっとも読者によっては、こんなものは小説ではないという人もいるでしょう。コミさんは、モノカキだったのだが、モノカキがエラソーにしているのが好きじゃなかったので、『濡れた海峡』の三上寛のように壁に向って自分もポロポロやっているのが性に合っていたのでしょう。『濡れた海峡』を、コミさんは見たのかなと気になった。きまりが悪くて、なにも言わなかったのかもしれません。
 田中陽造の脚本は『作家を育てた日活ロマンポルノシナリオ選集』(2009)に収録。ほぼシナリオ通りに撮影されています。
2009年10月5日


DVD
野菊の墓


テレビ朝日
ホリプロ
1977年
72分
 TV局開局10周年記念番組として制作された。
 DVDは山口百恵主演映画大全集の9として東芝EMIより発売された。脚本・監督は東宝の西河克己。撮影は前田米造、美術・坂口武玄、編集・鈴木晄、助監督・浅田真男は日活のスタッフ。民子に山口百恵、政夫に佐久田修。ナレーターに北村和夫。
 風呂を焚く民子が政夫の裸を見て戸惑う場面が目新しい。最初の方にごぜの語りを聞く場面がある。みんなはゴゼの語りを聞きに行くのだが、問われて政夫は言下に「いかない」と答えると、続いて民子も「行きません」と答えて、みんなの反感を買う。ゴゼの語りを聞いて、お増(酒井靖乃)は盛んにすすり泣く。
 勉強中の政夫に民子はスイカを持ってくるが、政夫がこっそり来る民子を脅かしたため、スイカを落としてしまう。民子は政夫に「手習いを教えて」と頼むが、母親(南田洋子)は「手習いよりも女には裁縫だ」と諭す。
 翌日、母親はナスもぎを民子に言いつけ、政夫には弁当運びを言いつける。この点は木下作品とも澤井作品とも異なる。早くに弁当を運んでしまって、政夫は民子の手伝いに駆けつける。娘たち(千うらら、佐藤恵利)にひやかされる。ナス畑には突然、常さん(常田富士夫)が登場、民子は驚く。
 兄・太一(若杉透)の嫁・ヨネ(清水理絵)は、次男の政夫と政夫の心をつかんでいる民子に対してライバル意識が強い。長男に代わって家を乗っ取ろうとしていると感じている。したがって意地悪がきつい。
 母親に自分で掃除をしろと言われて、政夫はインクをこぼしてしまう。民子がふくのを手伝う場面がある。
 途中で民子の姉トミの嫁入りが海老苑の三男に決まったという挿話がある。民子は実家へ一時帰宅した。政夫は民子の帰りを待って渡し場通い。いよいよ帰って来た民子の父親(大阪志郎)が一緒に来た。しばらくの間、二人はあまり話さず距離を置く。
 祭りも近いある日、母親は陰山での仕事を二人にいいつける。兄嫁は「二人で山へやったら何が起こるやら」と噂する。当日、民子は股引をいやがる。母親は「町育ちの民子が股引をいやがるのも無理はない。トゲで傷ついたらかわいそうだと思ってのことだが、いやならはかなくてもいい。日の暮れないうちに帰ってくるようにな」と話す。
 噂が気になるので、馬頭観音までは二人は別の道を行く。この作品では山での作業は綿つみではなく、枝打ちされた杉枝の片づけ。政夫はお増のためにアックルを探す。政夫はお増は口は悪いが働き者だ、不幸な境遇なんだと同情をする。野菊の挿話やりんどう、この山の場面のセリフは、木下監督の脚本と同じである。もっとも原作もそうなのだが。この作品だけに、「もし私のほうが年下なら政夫さんのお嫁さんになれるのに」と「お嫁さん」とはっきり告白するセリフがある。
 弁当にトリ肉が入っていて、政夫が「お増のやつ、トリが嫌いなのを知っているくせに(嫉妬したな)」と言う場面は、この作品のみ(原作にはない)。
 中学の寮から政夫が帰宅すると、既に民は家にいない。お増が政夫が寮に出た後の民子の様子を話す。姉さんは根性曲がりだと非難する。この辺のセリフは木下作品そっくり。他の二作品と違って、民子の婚礼の経緯が描かれていない。婚礼の行列もエンドタイトルに出るだけである。民子の結婚の連絡があっても政夫は家に帰らなかったと簡単に説明されるだけで、電報の場面になる。
 他の二作品と異なり、帰ってきた家に、お増は残っていて、政夫の姿を観て泣きくずれる。悔やむ母親。民子の死の経緯は民子の方の父(大阪志郎)や母(斎藤美和)、そして祖母(北林谷栄)の口から語られる。結婚相手は民子の姉トミとの話がうまくいかなかった男で、そんな点でのこだわりもあって、結婚生活がうまくいかなかったようだと説明される。民子が死の床でにぎっていたのは、手紙と政夫の写真。政夫が墓参りをしながら民子の親戚から聞く話の内容やセリフ(「力紙を結んであげてください」とか)は、原作にもっとも近い。

     映画川柳「紫の 野菊を思わす 着物にて」 飛蛛

【訃報】 南田洋子さんは2009年10月21日、クモ膜下出血で亡くなった。享年76歳。2004年頃から認知症で夫・長門裕之氏の介護を受けていたが、長門氏の父親を17年介護したひとでもあった。他人事ではない。ご冥福をお祈りします。
2009年10月4日


DVD
野菊の如き君なりき

松竹大船
1955年
92分
 木下恵介脚本・監督の名作。白黒映画。木下忠司作曲の主題曲のギターのトレモロが哀しく響く。
 73歳という設定の笠智衆が船頭と話している。昔のことを思い出し、政夫老は物語に合わせて、いくつか和歌を詠んでいくのだが、この和歌は原作にはない。文藝作品の香気がするものの、いま見ると気取りすぎの感がある。映画本来のダイナミズムを損なっているようだ。木下作品にそんなことを言ったら身もふたもないのですが。
 斎藤の旧家は農地改革で人がすまなくなり、もう空家になっているという。回想場面はすべて画面が楕円で囲まれている。
 民子(有田紀子)と政夫(田中晋二)は仲がいいので奉公人たちの噂になっている。人の口がうるさくなり、ナス畑に行かされたときには、お増(小林トシ江)や常三に目撃されてひやかされている。
 山の綿つみに母親(杉村春子)が、二人で行くように命じたときも、奉公人の女たちはいい顔をしない。村のものがいろいろと言いふらしているからだという。
 綿つみに行く途上で、野菊に出会った後、民子はなぜ年齢が上なのかしらと嘆く。政夫は早く生まれたんだから当たり前だ、民さんは変なこと言うなと、笑いとばすが・・・。りんどうのエピソードがあって、常三には「ご夫婦で綿取りかい」と冷やかされる。帰りが遅くなってしまい、家人が心配している。そこへ帰宅した二人、政夫に母親が「予定より半月早く、中学へ行くように」と命ずる。船着場での別れの回想の後、現在の風景になる。
 再び回想。11月に帰宅した政夫は民子がいないのに気付く。お増の話では兄嫁がわざと実家へ帰してしまったと言う。政夫が寮に行った後、民子は泣きの涙で暮らしていた。兄嫁はあてつける。母親も民子に意見して、実家に返したのだった。怒る政夫に対して、お増は元日は家にいてくれ、でないと村の衆の笑いものになると説得する。お増と政夫の二人は酔っ払って死んだ常さんの葬式を見る。村の衆は、蔭では心根の悪い者はろくな死に方はせんと笑っていたそうだ。
 熱が出て寝込んでいる民子を郵便屋が観劇に誘いに来る。郵便屋は民子に惚れているのだという。縁談話が出て、政夫の母親は妹の民子の母親に呼ばれて民子を説得する。年上の女房は斎藤家では許さないと告げる。
 政夫の母親と民子の母親の舟のシーンはスクリーン・プロセスだ。縁談がまとまって、いよいよ婚礼の日、民子は人力車に乗り、きっと顔を上げる。そこで、祖母は「お嫁さんはうつむいていきなさい」と助言する。民子はうつむく。
 お増は家を辞めて、中学寮の政夫に民子の結婚を伝えに行く。政夫は残念がる。半年もして、母親からの電報で帰宅した政夫に民子の死を伝えたのは兄(田村高広)だった。
 民子の祖母(浦辺粂子)から民子の最期の様子を聞き、涙をこらえる政夫であった。
 
    映画川柳「わたしは 死んだほうがいいんです と言ふ少女」 飛蛛
   
2009年9月30日

VHS
桃尻娘・プロポーズ大作戦

日活
1980年
88分
 『桃尻娘』シリーズ3作めにして、最終作。中古ビデオがありました。監督は小原宏裕、脚本は金子成人。撮影は前田米造。この作品は、第1作と異なり、日活ロマン・ポルノではなく、一般映画として公開されました。第2作目も一般映画でした。
 
 玲奈=レナ(竹田かほり)は早稲田大学受験に失敗。浪人の身となるが、高校の卒業式で途中入場で泣いていたように見えた裕子(亜湖)は実は、つわり。《日常性を清算しに行く》(裕子)=「要するに堕しに行くんじゃない」(レナ)、その後からアングラ劇団に加わって北海道の小樽で「ドグラマグラ博士の異常犯罪」の公演に参加するという。「レナちゃん、頬づえなんかついちゃうんだ。カッコいいわよ、俗物みたいで」(裕子)。これは、当時のベストセラー、『頬づえなんかつかない』のパロディ。
 同級生の木川田の源ちゃん(高橋淳)は青山学院大に合格、先輩の青学浪人二年目の滝上(野上祐二)と北海道のニセコへスキー旅行、どういうわけか木川田はレナを一緒に誘う。喫茶店の店員で原作者・橋本治が出演。
 北海道で小樽へ向う車中、二人は北大志望の中学生、ガリ勉タイプの山本秀敏(伊藤康臣)と知り合った。小樽ではミカエル坂田(鹿内孝)の劇団で稽古する裕子と出会う。裕子の踊りは体の動きがなっていない。《日常性の狂気に潜む欺瞞を撃つ》という情念の芝居は、レナにはなんだか訳のわからないものであった。レナと源一は、劇団を手伝っていた十四歳の明子(谷川みゆき)の家に泊まることになった。出迎えたのはなんと、秀敏だった。
 明子と秀敏は異父姉弟で、漁師の父親は死亡、母親の貞子(きたむらあきこ)は、酒場に勤めながら二人を育て、旅館を廃業した後、空き部屋で客相手(高橋明など)に寝ることもあった。秀敏は夜、木川田の寝床に入って来た。ホモ? いや、小さい頃に父を亡くして、さびしいのだ。
 漁師の原田は妻子のある身だが、そっと貞子の許に通っていた。
 ある日、中学の先生から呼び出しを受けた貞子は、代わりに親戚と偽って明子の引き取りにレナを行かせる。和服を着たレナを見かけた裕子も親戚顔をしてついてきて・・・明子は春休み中の校舎に入り込み、男の子に500円でオッパイを見せていたという。
 明子は母親の愛人の原田を誘惑する。原田は若い明子を見て次第にその気になる。
 レナと裕子は、波止場で自殺しようとしていたトク子(永島暎子)を助けた。トク子は、義父(高信太郎)に犯されたという。母親(永島の二役)も実父とその弟の義父に犯されていたという。裕子は父に娘が犯されるという劇団の公演を見ることを薦める。劇を見たトク子は解放されたようで、公演のクライマックスでは西条秀樹のYMCAを歌い踊っていた。レナ自身はあまり劇には感動を覚えなかった。
 その頃、倉庫で明子は原田を誘惑し、からだを開いていた。劇団員で明子に惚れていた青年が、原田を問い詰める。貞子の前ですべてが明らかになる。貞子は「親子どんぶりじゃないの!」と怒る。裕子「(レナに)親子どんぶりって何?」、レナ「母親と娘が同じ男の人と関係すること」。翌日、原田が妻の静子が自殺を図ったと抗議に来る。誰かが二人の仲を告げ口したらしい。原田は貞子に訣別を言いに来たのだ。
 札幌の塾に通う秀敏に付いてレナは札幌へ。しかし、秀敏は塾に行く気になれない。レナはそんな秀敏と一緒に時計台やポプラ並木、大通り公園ではしゃぐ(この見学順は、実際の位置から考えると変だが・・・)。雪の落とし穴に落ちたレナを抱き上げる秀敏の手がレナの乳房の下に触れる。秀敏は、原田の妻・静子に手紙を送ったのは自分だと告白する。母親と姉の仲をさいた原田には、もう来て欲しくないと、説得して欲しかったのだと言う。一方、劇団の裕子は坂田に抱きつくが、坂田はあまり乗り気になれない。
 レナは小樽港で海を見つめる明子に、静子の様子を聞き、手首のケガで全治二週間と聞いて、ホッとする。そして、明子に秀敏の思いを伝える。次に、レナが発作的に札幌の木川田を訪ねてみると、木川田は滝川と共に東京に帰るところだった。スキー客の男女は出会い系と化しており、前の晩、相変わらず滝川は女相手にすぐに果て、木川田は女性を断っていたのだった。
 取り残されたかたちになったレナも東京に帰ろうとする。小樽から秀敏が付いてきた。レナと一緒に行くという秀敏に言い含めて、戻るように説得するレナ。レナは秀敏に胸を触らせる。
 トク子は劇団に入団を希望していた。坂田の言う「生きることは・・・したたかさだ。また、しなやかでなくてはならない」という言葉も登場。この作品の同時上映が森下愛子主演の『もっとしなやかに、もっとしたたかに』だった。
 東京に戻ったレナは、街で裕子に会う。札幌に残ったはずの裕子だったが・・・・裕子は坂田から結婚を申し込まれたので失望して戻ってきたと話す。これは多分、裕子の作り話だ。裕子はいまデザイン学校生と付き合っていると言う。レナは、「あたし女になったの、愛だの恋だのじゃなく、感受性の強い少年に慕われて初めて女になったって言えるの、しかも一流のね」と自慢していた。

    映画川柳「生きること 子宮はとっても 忙しい」 飛蛛
2010年7月1日

録画
桃尻娘
ラブアタック

日活
1979年
91分
 DVDも出ていない、中古ビデオも品切れの2作めが、衛星放送で放送されました(放映は左右を切ったビスタサイズ)。小原宏裕監督、金子成人脚本。一般映画として公開されました。
 レナ(竹田かほり)は裕子(亜湖)から、妊娠したが堕す費用がないと金を無心される。「あっきれたぁ」と相手にしないつもりのレナだった。クラスメートの処女カンパなどでも、必要な金額はなかなか集まらない。木川田(高橋淳)が中年の男性(吉原正皓)との別れでトラブっていたのをネタに相手を強請ろうと計画したが、レナの母親が男性の手紙をレナ宛てと誤解して外出を禁止したためフイ。
 50周年記念文化祭でクラス参加に意欲を見せないクラスメートの中で、お化け屋敷を提案した転校生・醒井涼子(栗田洋子)に賛同したのがきっかけで意気投合したレナは、この転校生の父親が風俗チェーン店のオーナーと知り、その系列の店ロリータで女子大生体験アルバイトを紹介してもらう。
 おさわりバーで指名一番のドヌーブ(原悦子)さんのプロ根性に学びつつ、二人はそれなりに働き、職員の慰安旅行にまで参加する羽目に。女たちが若い男子職員を輪姦?するのを目撃したり、指名がないためクビになりそうな同僚エマ(松竹の佐々木梨里!)を店長(山下洵一郎)を誘惑した後、脅して阻止したり。一週間の体験でバイト料を手にした二人だったが、裕子は病院で身分証明書を落とし、高校生なら保護者同伴で来院するように言われてしまう。二人はドヌーブに病院を紹介してもらう。ドヌーブは避妊手術を受けていた。六本木に花屋を出すまで頑張るのだと言う、そのプロ根性に改めて感心する二人だった。
 一方、お化け屋敷は令嬢の声がかりで結構な演目になっていた。ホモの木川田も協力的。彼の両親(小松方正ら)は女子の友人ができたことを喜んでいる。
 お化け屋敷は、入場者を驚かすだけでなく、暗闇の中、セックスに溺れる男女もあり・・・。そんなカップルを横目で見ながらも教室ディスコで下級生に「お姉さま」と呼ばれるレナだった。レズの女とホモの男の交際こそ、いまどきもっともススンデル関係なんだって。
2009年9月29日

録画
(9月23日に放送)

桃尻娘

日活
1978年

87分
 橋本治原作の映画『桃尻娘』は小原宏裕監督、金子成人脚本で三作あるが、2作め「ラブアタック」はビデオ(品切れ)やDVDが無い。アダルト配信映像のみ。1作目「ピンク・ヒップ・ガール」はCSで放映されました(もとはシネスコサイズなのに、残念ながら放映はビスタサイズ)。コミさん(田中小実昌)によると、尻をヒップ hip というのはほぼ和製英語、英語で言うなら尻はむしろボトム bottom、さらに使い方もヒップス hips と複数形にしないと変だそうです。3作目「プロポーズ大作戦」は中古ビデオがありました。
 竹田かほりと亜湖のコンビは公開当時もかなり話題になりましたが、見ていませんでした。1作めが、衛星放送で放送されて、ようやく見ることができました。

 高校二年生の榊原レナ(竹田かほり)は、春休みに入り、突然失踪したクラスメートの田口裕子(亜湖)を探す羽目になる。裕子の母親(関悦子)から事情を聞いたレナは、ノンノ、アンアン系情報誌を手がかりに、彼女の行先を「あずさ2号」乗り込みの信州と直感。信州へ向かったものの、裕子は金沢に旅立った後だった。レナは、初体験を生物部の先輩・小山とすましていたが、生理が止まって妊娠の不安を抱えての旅行だった。けれども、母親(一谷伸江)はもちろん誰にもそのことを言っていなかった。なんと!レナは高校の生物部という設定だが、それらしい映像描写は無い。純愛を夢みる裕子に図書館で、セックスは「生物学的には、勃起、挿入、射精、受精」と解説する場面くらいか。
 レナは金沢まで車で送るという農協職員・木下(清水国雄)にナンパされそうになるが、拒否すると木下は実は童貞だと告白、途中の雪の中に放り出されてしまう。やっとのことで駅にたどりつき、汽車中で知り合ったのは、出所したばかりのやくざ・山田仙一(内田裕也)と子連れ妻・時江(片桐夕子)。名曲喫茶の店員役で橋本治本人が出演。
 時江の家に泊まることになったレナは、仙一の弟分の健(遠山牛)と知り合い、内灘の海岸へ出かける。浜辺に裕子を発見。裕子は既に同級生・大谷とセックス経験があったが、行為の直前に「コンドームして」と言ったら、経験豊富と誤解されたのがショックだったと話す。レナはそんな裕子にあきれるものの、顔には出さず。二人は時江と同居し、隣室の夜の夫婦の性行為を覗き見たりする。
 すぐに仙一は愛人を刺して逮捕されたため、健とレナは時江の仕事・売春を手伝うことにする。一方、赤ん坊を任されていた裕子は、途中で売春の手伝いをさせられていることに気づき、怒る。レナに別れを告げて、裕子はまたまた失踪。
 レナは裕子の行き先を京都と推理して、京都に向かった。京都でレナは旅行中の同級生・木川田(高橋淳)とその先輩の滝上(野上祐二)に出会う。この二人はホモだちという噂があって、レナは面白半分に木川田に接触していたのだ。裕子は京都で初老の男と一夜を共にし、二万円を貰ったことを報告。あれほど売春を非難していた裕子だったのに、大変な変わりようだった。
 レナは木川田から滝上とのツイン・ルームを代わってくれと頼まれ、承知する。案の定、滝川はレナに抱きついて来て、アッという間に果ててしまったが、レナは出血し、「初めてだったの?」といぶかる滝川をよそに、生理が来たことを知って大喜びするのだった。
 東京へ帰る四人。レナは裕子の変貌に感慨を感じつつも、ホモと寝た自分の行為に、そこはかとない優越感を感じるのだった。可笑しい・・・・。
 京都で失意の女性の行き先をあれこれ推理するホテルの従業員に岸部シロー。
 
    映画川柳「遠足で 崖を登った それピンク」 飛蛛


  藤田真男の「ここ掘れワンワン」より  (2006年2月)

 今月の新作では、にっかつロマンポルノが生んだ快作『ピンクヒップガール 桃尻娘』(1978)もオススメ。シリーズ第3作はTVアニメ『あたしンち』の初期傑作に通じる楽しさで、これもぜひDVD化を! 竹田かほりの相棒のオツムの弱い女子高生を演じた亜湖は、その後、英会話をマスターしてイーサン・ホーク、工藤夕貴主演『ヒマラヤ杉に降る雪』(1999)で日系人のオバサンを演じた、のかどうか、誰に聞いても知らないというのだが、あの独特の狐目は亜湖ちゃんとしか思えない。

 竹田かほりはその後、甲斐ヨシヒロと結婚して引退。亜湖は、『桃尻娘』の前後に小原宏裕監督『青春 PARTU』(1979)や、田中登監督『ハードスキャンダル』(1980)・神代辰巳監督『赫い髪の女』(1979)・根岸吉太郎監督『オリオンの殺意より 情事の方程式』(1978)などに出演。その後、沖島勲監督『出張』(1989)など1990年ごろまで映画に出演しています。現在は“公式ホームページによると、脳の病気と統合失調症で、障害者”とか。
 小原宏裕監督『青春 PARTU』は、田中小実昌さんが誉めていました。2009年9月にCSで何度か放映されます。ちなみに、コミさんは《ポルノ映画》は見ないのですが、日活ロマン・ポルノの《映画》はよく見ています。

 同じ17歳なのに、明治時代は「野菊のような」大人の娘で、昭和時代は「桃尻娘」。桃尻娘版「野菊の墓」を想像してみるといったい、どうなるでしょうか。
2009年9月28日

録画
(2009年6月19日
CS放送NECO放映)

野菊の墓

東映
1981年
91分
 澤井信一郎の監督デビュー作で、撮影はなんと大映の森田富士郎。偶然、プロデューサーの吉田達と東映でしていた吉田喜重との仕事が流れたので来てくれたという。澤井監督は森田のライティングに驚いた、生活感を出す方法等も美術部と森田が相談しながらやってくれたと感謝していました。さすが!カツシンの意図を絵にする名人の森田さん。
 美術は桑名忠之、照明は梅谷茂。清新な傑作で、人物が風景にみごとに映し込まれています。民子を演じた松田聖子も、TVでおなじみの作り笑顔を封印され、この作品では終始「うつむいて」います。したがって、ときどき顔をあげる、そしてあのおでこが目立つ場面がひときわ輝きます。
 相米慎二監督が偶然、映画館で見て感嘆したというエピソードがあります。ネット上のレビューでは民子役の松田聖子と政夫役の桑原正の大根役者ぶりが非難されていますが、映画のみどころって、必ずしも役者の演技ではないでしょうに。この映画では二人を取り巻く芸達者の役者さんたち(特に加藤治子・赤座美代子・樹木希林)と対照的に、主役の二人が素晴らしい存在感を出していたのに、松田聖子=アイドル=演技が下手という観客の偏見は、どうにも情けないものです。確かに松田聖子は演技というほどの演技はしていません。けれども、政夫の手紙をしっかり握って死んでいるだけで十分じゃありませんか。死人に演技も何もありはしない。

 伊藤左千夫の原作は『野菊の如き君なりき』と題して、二度映画化されています。一度めは1955年松竹大船、木下恵介脚本・監督で有田紀子・田中晋二・杉村春子・田村高広・笠智衆・松本克平など、二度めは1966年大映東京、富本壮吉監督(脚本は木下恵介)で安田道代・太田博之 ・宇野重吉・川津祐介・楠田薫など。さらに、山口百恵主演のTVドラマ(西河克己監督)もあります。木下恵介作品と西河克己監督はDVDがありますので、純愛映画などに興味が無い私でも、それを見てみたくなりました。安田道代の民子というのも途方も無い配役で面白そうです。写真は松田聖子に雑巾がけの演技をつける澤井監督。

 坂東三十三ヵ所の礼所一番・杉本寺の石段を一人の老人(島田正吾)が踏んでゆく。老人・斎藤政夫は昔の思い出を語る。渡し舟で行く川べりの村。政夫(桑原正、新人)は、醤油問屋を営む旧家の跡取り息子。政夫が十五歳のとき、母きく(加藤治子)の世話のため、従姉で十七歳の民子(松田聖子)が住み込みになった。幼馴じみの二人の仲は次第に親密になり、姪の初子(赤座美代子)や奉行人の間で噂にのぼるようになった。祭りの日、きくは山の畑の綿つみに二人を出す。政夫は民子を美しい野菊のような人だ、僕がそう決めたからね、僕は野菊が大好きだと言い、民子は政夫をリンドウのような人だ、私がそう決めた、私はリンドウが大好きと答える。初子の夫(村井国夫)は取りあわないものの、心配したきくは、政夫を予定より一ヵ月早く中学の寮に入れることにした。一方、民子には本家の兄(丹波哲郎)が軍人・吉岡からの縁談を持ち込んだ。貧しい民子の家(父親役は愛川欽也、後妻役は白川和子)には願ってもない良縁だった。
 姉さん女房は体裁が悪い、政夫の将来に傷がつくと、民子を縁談を断れないように追い込んでいく大店の大人衆のやり方に憤慨した女中のお増(樹木希林)は暇をもらって、中学の政夫に知らせた。花嫁行列にかけつけた政夫は、民子にりんどうの花を渡すことしか出来なかった。この澤井作品だけが、婚礼の日に駆けつけたという設定にしていた。最初から宮内婦帰子脚本のポイントになっていたものだという。澤井監督は「強引なシーン」だったと話している。
 数ヵ月後、政夫のもとへきくから電報が届いた。民子は吉岡の姑(北條真記子)に疎まれ、胎児の父親も誰かわからないと非難され、遂には流産して、実家に戻され、病床についたまま、亡くなったのだ。民子は最期の床で、政夫から中学の寮に行く直前に渡された手紙と結婚の行列で渡されたリンドウの押し花をしっかり握りしめていた。

    映画川柳「(きくの説得) 十五歳 道理がわからぬ 政夫だが」 飛蛛

 映画の唯一の欠点は、民子の死を嘆く母きくが、こんなことなら二人を一緒にしてやればよかったと弁解するところでしょう。加藤治子は難しい演技を見事にやりとげているものの、この言葉は状況からは奇妙です。観客は、どうしても「いまさら、なんだよ」と感じてしまいます。あの時代なら、きくの結婚観は仕方の無いものなのだし、民子にとってもよかれと思って進めた縁談なのだから、死んだという結果だけをとらえて、政夫と民子を一緒にしてやればよかったと嘆くのは行き過ぎでしょう。人生なにが起こるか分らない。ひょっとすると、民子は吉岡家でそれなりに幸福な人生を送ったという展開だってありえたわけだから、弁解のセリフは不要だったのでは。もっとも、これは伊藤左千夫の原作(新潮文庫)を反映したものでした。
 木下恵介作品や西河克己作品と比べますと、兄嫁があまり悪く描かれていません。士族のお嬢様だったんで口うるさいという風に、奉公人たちから言われてはいますが、民子を家の後継ぎを狙う自分のライバルという見かたはしていないのです。 

【参考書】
 澤井信一郎・鈴木一誌『映画の呼吸』(2006、ワイズ出版)
 澤井監督は高校生の頃に見た木下恵介監督作品『野菊の如き君なりき』に感激、映画界に入って木下恵介のような映画をつくりたいと思っていた(p.23)という程だから、かえって木下作品と似ないようにシナリオ段階から苦労したと言う。
 当時、松田聖子は額を前髪で隠していたのを、おでこを強調するような髪型とカツラを納得させたのは初対面からの澤井監督の絶対ここは引けないという毅然とした態度だったという(p.135)。
 川崎宏著「狂おしい夢 不良性感度の日本映画」(青心社刊)に収録された本作公開直後の澤井信一郎への周到なインタビューによると、女性の側からの視点を期待して宮内婦貴子に依頼した脚本に目を通したスタッフは、あまりの出来の悪さに「ガク然」としたのだそうで、「90%くらいは、プロデューサーの許可を得て僕(澤井)が書き直した」のだそうだ。


   藤田真男の「ここ掘れワンワン」より  (2005年4月号)

 『セーラー服と機関銃』(1981)の撮影を終えた相米監督が、スタッフとオールナイトの映画館に入った。映画が始まると、みんな疲れていたせいか、見る前からつまらないアイドル映画という先入観があったせいか、たちまち爆睡。しばらくして、ひとりで見続けていた相米監督が「おい、みんな起きろ。これはいい映画だぞ」とスタッフを叩き起こし、全員で襟を正して見たという。映画は松田聖子主演『野菊の墓』(1981)だった。
 この話は今は亡き相米さん自身の口から聞いた。いかにも相米さんらしいマジメさがうかがえる話で、ボソボソ語る彼のぶっきらぼうな口調を思い出すと、今でも胸の奥に何かあたたかいものが感じられる。それは映画を愛する人々が灯し続けた小さな炎のあたたかさだろう。
 『野菊の墓』は澤井信一郎監督のデビュー作だ。実に20年にわたる助監督生活を経てデビューした遅咲きの新人監督が、これほどみずみずしい感性を保っていられたとは、驚くべきことだった。
2009年9月22日

13:05-45
おかんの逆襲

NHK大阪
2009年
45分
 38歳になる独身の娘・田中愛子(純名理沙)のおかん(三島ゆり子)が、父親(佐川満男)の退職を機会に家のリフォームを計画。母親の計画に協力した建築士・八木(ほっしゃん)は幼馴染だったが・・・。弟は付き合っている相手が妊娠したと言うし、すっかり家を追い出される体勢になった娘はブライダル・コンサルタントの仕事中もボンヤリしていて、上司のバツイチで飲み友達の、谷村小百合(鈴木砂羽)に指摘されるまでミスに気がつかない始末。
 軽いテンポで見せるTVドラマ。おかん役の三島ゆり子さんが懐かしく、目が離せませんでした。脚本は、中村志保、演出は櫻井實。
2009年9月17日


DVD
ポルノ時代劇
忘八武士道


東映
1973年
81分
 石井輝男監督の奇作。原作は小池一雄・小島剛夕の劇画。脚本・佐治乾。音楽・鏑木創。江戸時代、“人斬り死能”と呼ばれるお尋ね者の浪人、明日(あした)死能(しのう)(丹波哲郎)が主役のアクション映画。

 赤い背景に黒い人影、橋の上で追手と斬り合った死能は血が吹き飛ぶにもかかわらず返り血を浴びていない。川に飛び込み、 「死んでゆくのも地獄なら、生きていたとてまた地獄」と水死を決め込む。しかし、死ねなかった。 忘八ものの白首袈裟蔵(伊吹吾郎)が助け、女の人肌で温めて蘇生させたからだ。
 「忘八」とは、孝=親孝行、悌=兄や目上に使えること、忠=君に尽くすこと、信=人を信ずること、礼=礼儀  義:正義、廉=欲心無き正しい行い、恥、これらを忘れることだと説明される。
 女衒・玉出しの姫次郎(久野四郎)の案内で借金に苦しむお紋(ひし美ゆり子)を連れに行く。抵抗するお紋に対して死能がひと太刀ふるうと着物がハラリと 落ちる。非難する野次馬に姫次郎は金をバラまく。白首は気位の高い武家の娘を“人形”に仕立てるには「だるま抱かせ」を行う。大股開きで緊縛したまま犯す のだ。最初の男はセリで決めるといい、死能は仕事の代金として五十両を渡される。表は吉原の廓の三浦屋。セリは裏で行われている。商人たちが十両、二十両 とセリ合っているところへ死能は五十両を払ってセリ落とす。しかし、死能は女を抱かない。お紋が突然縄を解かれ、すべては芝居だったと明かす。長屋の連中 も芝居小屋から借りたサクラ。“人形だめし”というテストだったのだ。死能は忘八の資格がないと判定された。死能の言葉を笑った女中の耳を死能は斬り落と す。損得に関わりないことには怒りもしないのが、忘八の掟。これにも死能は反してしまった。廓の外には取り手がいっぱい。忘八ものが密告したのだ。死能と 捕り手の斬り合い。
 その場の途中で廓の総名主・大門四郎兵衛(遠藤辰雄)が登場し、死能は自分が預かると宣言する。同心・加太(深江章喜)は抗議するが、葵の紋の鈴は将軍 より賜った権威の印、江戸城築城の折り、地方から集めた下人たちが喧嘩ばかりしていたのを女を江戸に入れて娼館を開かせ、騒動を収めた功績を買われて初代 が受けて以来の廓公認の印であった。
 大門は興隆を誇った吉原がさびれているのを懸念、湯屋女や茶屋女などの私娼がはびこっているのがその原因だと話す。そして、死能に私娼組織をつぶせと命 じた。遊女は死能に体を使った忘八言葉を教える。また、死能は二代目首切り浅右衛門の使った鬼包丁という刀を授けられる。短銃の筒先を斬り落とすほどの居 合の速さ。
 死能は私娼と遊ぶ旗本の役人を斬る“けち斬り”に励む。湯屋の客(小島慶四郎)らを女とともに裸にして街中を引きまわしたこともあった。幕府側は忍び・ 黒鍬ものを使って忘八に対抗しようとし始める。黒鍬者(川谷拓三)は死に際に自分の顔をつぶすほどの厳しい忍びである。
 ある晩、死能と姫次郎がソバの屋台(浪花五郎)に近づくと、荷車の男(畑中伶一)が樽を転がし、油をまく。それにソバ屋の老人が火をつけて周囲は火の海 となる。そこへ突如登場した女忘八たち(ひし美ゆり子、池島ルリ子、相川圭子、一ノ瀬玲奈ら)は刺子の着物姿で頭に布をすっぼりと被り、火の中に飛び込ん でその中を転げまわって消火する。黒こげになった着物を「衣服を切り取ってくれ」という声に応じて切り裂くと中から全裸のお紋が現れてくる。彼女に貸した 短刀で次々と女たちが全裸で現れる。熱くなった身体を冷やすために女たちは水を浴びる。姫次郎は大やけどを負い、虫の息。死能の「医者を呼んで来い」の要 請に応じてお紋が去る。
 五人の女たちに死能は「お前たちも行け」と命ずる が、女たちは「総名主の離れるなとの命令ですから」と立ち去ろうとしない。姫次郎は死亡し、死能は「死骸の始末をつけてから帰る」と言って、女たちを先に 返す。
 女たちが帰る途中で黒鍬組の小角(内田良平)が待ち伏せしていた。仲間の仇を取ると女たちと闘う。小角は女たちを捕え、さらに殺そうとしたとき、死能が 止める。死能との決戦で小角は敗れ、「おれもお前も権力者に利用されるのが落ちだ」という意味の言葉を遺す。
 隠れ家につくと医者を呼びに行ったはずのお紋は外人女(ダナ・ケイ)相手の責めに夢中。女たちは嫉妬し、仲間割れの争いになる。総名主が現れ、死能から 離れた罰で処刑すると宣告。そこへ死能が戻って来て女たちが帰ったのは自分の命令だと言う。女たちの命を救った形だが、総名主は忘八ものは恩義を感じない と忠告する。
 役人たちと忘八ものの決戦の準備が始まる。いよいよ斬り合いが始まったところで、老中の裁決があるとの知らせが入る。決戦は中止。
 吉原では元旦に遊女は体を清め、総名主の前で裸でそろって挨拶をする。遊女の仕事は翌二日から始まる。お城で代表を呼んでの老中の採決があった。総名主 は共存共栄の案が出されたと白首に話す。廓の大通りを解放して茶屋女に商いをさせる、どうせその場所はこちらの縄張りだ。思惑通りに事が運んで上機嫌の総 名主は老中の条件を飲んだという。その条件とは・・・どうやら死能の始末らしい。「女忘八の出番じゃ」と言う総名主。
 阿片入りの酒を飲まされる死能。彼に帯をとかせるお紋、女たちに囲まれ愛撫を受ける死能。すっかり阿片づけにしてから梅毒女を抱かせて一緒に葬ってしま おうという魂胆。しかし、そんなことは承知の死能、鬼包丁を持って来させて女たちを斬り、総名主にアヘンを吸わせて、自分の代わりに梅毒女の牢に閉じ込め てしまう。
 白首が見守るなか、死能は御用提灯のなかに出て行く。阿片の幻覚から覚めるために自分の身を斬りながら、最期の大殺陣に挑む死能。雪の中たった一人の死 能の姿に「完」。
 他のキャストは忘八ものの片目の勘次(佐藤京一)・おけらの金六(原田君事)、遊女(小林千枝、 北川マキ)、多門伝八郎(笹木俊志)、男(島田秀雄)、湯女( 田貴リエ)、やくざの親分(鈴木康弘)、浪人(土橋勇、宮城幸生、滝義郎)、茶屋の客侍(蓑和田良太)、瓦版売り(人見きよし)、同心(野口貴史),十手 者(関戸純方)など。

      映画川柳 「走る 跳ぶ 忘八おんなの のびやかさ」飛蜘

 公開当時に見ていますが、丹波哲郎のケレンが理解できずにあまり高い評価はしませんでした。再見して、世の中から超越しているがゆえに修羅場の目撃者と なる明日死能の存在が狂言回しとして好都合だったということが分かりました。見どころは全裸美女が乱舞する修羅場にあります。
 『忘八武士道 さ無頼』(1974)は伊吹吾郎主演のシリーズ第二作で、これも見た覚えがあります。
2009年9月17日


DVD
明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史

東映
1969年
92分
 石井輝男監督の「異色実話路線」第一弾。脚本は石井輝男・掛札昌裕・野波静 雄。撮影・わし尾元也。助監督・依田智臣。
 解剖医・村瀬(吉田照雄)は妻の自殺死体を検死することになる。その死の原因を探すために過去の女性犯罪を調べる。この設定は阿部定インタビューという実録と三話オムニバスをつなぐだけの役割。
 昭和32年、東洋閣で起こった殺人事件。主人・千代(葵三津子)は東洋閣を売ることにする。しかし、旦那の浩助(石山健二郎)をたぶらかした宗方絹江 (藤江リカ)は若い渋谷(藤木孝)と共謀、千代を浴場で殺し、ボイラー室の壁に埋め込む。千代の弟が千代殺害の噂を流しているので千代の死体を豪雨のな か、山に埋める。絹江は浩助殺しを渋谷に依頼。別館が完成した絹江は用済みになった渋谷を殺害。火が出た東洋閣で絹江は逮捕。
 阿部定本人がインタビュー生出演。女中・阿部定(賀川雪絵)は主人・石田吉蔵(若杉英二)を絞殺、局部を切り取った。裁判(判事役は沢彰謙)の公判での 定の証言をもとに馴れ初めから事件の経緯を再現。妻・石田とく役は牧淳子、パトロンの名古屋の小山役は加藤嘉。娼妓屋・稲葉の旦那役は上田吉二郎。
 その後、チョン斬り事件があい次ぐ。タバコ屋の老婆トラ(金森あさみ)は学生の進(由利徹)を誘惑するも、拒否されてチョン斬り。上田英治(大泉滉)も 同様。
 連続強姦殺人事件の小平義雄(小池朝雄)。この部だけ白黒撮影。最初の被害者・高崎光子(木山佳)と闇屋を紹介すると騙した人妻・石井りよ(小畑道子) の描写は詳しいが、中村みつ子・竹川芳江(司れい子)・今野和子(松井みか)・馬場弘子(田島千鶴)は写真だけ。最後に昭和21年、緑川柳子(片山由美 子)の事件、外食券や進駐軍に紹介するというエサを示し、おびき出して絞殺、この事件後に逮捕された。昭和24年、宮城刑務所で小平義雄の絞首刑が執行された。
 生殖機能の異常発達と言われた高橋お伝(由美てる子)。明治12年、吹雪の中、首斬り浅右衛門(土方巽)による斬首刑になった。過去を振り返り・・・無 理やり結婚させられた浪之助(林真一郎)は顔が崩れる奇病(弁慶病)になった。お伝に思いを寄せる留吉は波之助を殴り倒し、お伝と一緒に出奔、お伝は女郎 屋に売られたが、市(林彰太郎)がなじみになり、留吉を殺害。さらに金づるの商人を殺して財布を奪い捕えられて斬首刑。
 村瀬の妻の死の原因は結局、謎のまま終わる。
 他のキャストは雪子(中村律子。違う役名だったような・・・)、八千代(三笠れい子)。

      映画川柳 「(小池朝雄は) 絞殺の 女の苦悶が 忘られず」飛蜘
2009年9月16日


DVD
徳川いれずみ師 責め地獄

東映
1969年
95分
 石井輝男監督の性愛路線第四弾。脚本は石井輝男と掛札昌裕。撮影はわし尾元 也。企画は岡田茂・天尾完次、助監督・篠塚正秀、音楽・八木正生、美術・雨森義允、照明・和多田弘、録音・堀場一郎、編集・神 田忠男、進行・俵坂孝宏。  

 タイトルに乗せて、磔や鋸引きなど残酷処刑が紹介される。
 墓場で墓を掘り返し、死人の腹を裂き、鍵を取り出す女がいた。お由美(片山由美子、新人)である。鍵は貞操帯だった。開こうとすると鍵は付け根から折れてしまう。由美は数日前のことを思い出し始めた。
 由美は借金を返済するため、与力・鮫島(田中春男、白塗り!で登場)の口ききで大黒屋に奉公した。しかし、そこは刺青女がひしめく異様な売春宿だった。女主 人・お竜(藤本三重子)は、長崎の異人クレイトン(ユセフ・オスマン)の求めに応じて女たちに刺青を入れて売り飛ばしているのだ。
 城での刺青合戦のため、きれいな肌を探していた彫秀(吉田輝雄)は由美の肌に惚れこみ墨を入れた。由美はお竜のサド的な緊縛の責めに耐えたのも彫秀との 時間が貴重に思えたからだった。
 緊縛師・弦造(林真一郎)が由美を抱こうとする。だが、お竜がそれを許すはずがなかった。お竜は弦造の妹ゆき(尾花ミキ)を責める。そして彼女の目をつ ぶし、由美には貞操帯を装着する。隙を見てその鍵を弦造が呑みこんでしまった。弦造はお竜に殴り殺される。
 長崎へ売る女が不足している。鮫島は牢内の女囚を女郎に仕立てあげることにする。女牢名主(賀川雪絵)を脅して他の女たちをたばねさせる。腕に入った前 科の印の上に刺青を彫るのだ。お絹(葵三津子)は乗り気である。なぜか女牢に由利徹・大泉滉もいる(吹き替えは女性!)。選抜される女囚たち(小田切恵 子、水上富美)、そのなかに由利・大泉も入っているのは御愛嬌。
 彫秀の父親・彫五郎(矢奈木邦二郎)の一番弟子・彫辰(小池朝雄)は彫り台としてお竜を口説くが、お竜はもっといい肌を知っていると言う。それは、お由 美だった。ほどなく、城中では刺青の天覧試合があった。将軍・綱吉(若杉英二)の前で次々に刺青を見せる女たち。お由美の肌には彫辰の「責め地獄」が彫ら れていた。一同感嘆するが、彫秀は異議を申し立てる。その女はまだ刺青のすべてを見せておりませんと。由美に一杯の酒を飲ませると、背中に彫られた「押し 込み彫り」が浮き上がってくる。吉祥天女像であった。綱吉は感心し、「互角。勝負なし」と判定する。
 各藩の重臣たちが、大黒屋を訪れるようになった。お竜は由美が弦造の子を妊んだ事に気づく。由美は子供を産みたいと弦造の墓を掘り起こした。しかし、役 人に捕われた由美は、海上火あぶりの刑に処せられた。
 
 一方、彫秀は彫五郎を殺したという冤罪で島送りになっていた。実は鮫島が彫五郎を殺し、その罪を彫秀にかぶせたのだ。鮫島とお竜は彫辰を脅し、仲間に引 き入れていた。彫秀の許婚者・お鈴(橘ますみ)は「きっと帰ってくる」という彫秀の言葉を信じていたが、彫辰に刺青を入れられ、長崎の異人に売り飛ばされ ようとしていた。 長崎行きの船には女囚たちも乗せられていて、南蛮屋敷に連れていかれようとしていた。目をつぶされたおゆきを介抱するお鈴の姿もあった。お竜は毎日女たち に墨を入れる彫辰が仕事に熱心でないのに業を煮やし、麻薬を注射する。薬をエサに仕事をさせようというのだ。長崎の異人館からお鈴とおゆきは脱走。途中で お鈴は自分を囮にしておゆきを逃がす。おゆきは泣き女の葬列にまぎれて棺桶に隠れた。その棺桶は薪の上に乗せられて火であぶられる。すんでのところでおゆ きは棺桶から飛び出すので周囲の人はパニック。逃げ込んだところで、おゆきは女衒の鬼吉(芦屋雁之助)に捕まる。鬼吉はクレイトンに刺青をした女を斡旋す る下人。刺青を入れてもらおうともぐりの刺青師のところへおゆきを連れてゆく。この刺青師が島抜けをした彫秀だった。彫秀はお鈴がおゆきに託した根付を見 て表情を変える。その根付は自分がお鈴に渡したものだったからだ。
 異人館に忍び込んだ彫秀はお鈴に会う。しかし、絶望したお鈴はすでに毒を飲んでいた。こと切れる前にお鈴は彫五郎殺しの下手人が鮫島とお竜であることを 話した。復讐を誓った彫秀はクレイトンの娘ハニー(ハニー・レーヌ)を誘拐、無理やり墨を入れた。
 領事館で刺青競演会が開かれた時、彫秀がハニーを連れて現れる。闇に浮かぶ夜光塗料の刺青が怪しく美しい。彫秀はハニーを人質に短刀を持って復讐の刃を ふるう。クレイトンは自分の無実を訴え、悪いのは鮫島とお竜だと言う。彫秀の刃は鮫島にまずねじこまれた。クレイトンに斬りつけられて危ういところを救っ たのは彫辰だった。彫辰は彫秀に謝罪して死ぬ。会場は火の海。彫秀は父を慕って泣き叫ぶハニーを置き去りにしようとするが、お鈴の言葉が聞こえる。“あな たはそんなことができる人ではないわ”と。彫秀はハニーを火から守り、逃がすが、自分は火のなかに倒れた。
 その場を逃れたお竜は追手に捕われ、股裂きの刑に処せられた。股が裂けるロングショットでストップ・モーション。

 他のキャストは権十(佐藤晟也)、おとき(牧淳子)、大黒屋の客(上田吉二郎、人見きよし)、与力(小田伸士)、刺青女郎(木山佳、三笠れい子、黒田の り子、高木恵子、美笹ゆき子、司 みち子)、刺青師(五十嵐義弘、畑中怜一)、検査役(岡田千代)、客(清水正二郎)

     映画川柳 「(小池朝雄は) 腕比べ 負けたわざ師を 追い落とす」飛蜘
2009年9月15日


DVD
徳川女刑罰史

東映
1968年
96分

 前作『徳川女系図』から4ケ月もしないうちに封切られた石井輝男監督の性愛 路線の第三弾(第二弾は『温泉あんま芸者』)。脚本は石井輝男と荒井美三雄。撮影・わし尾元也、音楽・八木正生。助監督・牧口雄二。
 吊るし斬り、火あぶり、牛裂きの刑などがタイトルバックに描かれる。江戸の町で引き回しの刑の女・おみつ(橘ますみ)は、あの日のことを思い出してい た。兄の大工・新三(吉田輝雄)が怪我をしてしまった。大工仲間の権造(沢彰謙)は名医と評判の番長の先生(芦屋雁之助)が治療にあたってくれるから大丈 夫だという。ただし、おみつを妾に欲しいという呉服商・巳之助(上田吉二郎)が金を出しているのだ。雨の夜、巳之助はおみつを無理やり抱く。新三はみつの 様子から事態を察する。兄の復讐を止めるみつに、新三は妹への愛を告白する。勘太(蓑和田良太)と権造は巳之助をけしかける。神輿のワッショイのかけ声が 響くなか、新三の目の前で巳之助にみつは犯される。翌日、新三は首に剃刀を突き刺して自殺を図る。みつが剃刀を抜くと新三はこと切れる。そこへ来合わせた 巳之助にみつは剃刀をふるう。
 奉行所で南原一之進(渡辺文雄)はみつを拷問、近親相姦の罪を白状させようとするが、みつは口を割らない。しかし、取調べの与力、吉岡頼母(吉田輝雄) は兄とうり二つだった。近親相姦を否定すれば遠島、肯定すれば死罪という吉岡に、みつは≪兄のもとに行きたい≫と自ら兄を誘惑したとウソをつくのだった。 潮が満ちてくる浜辺に逆さに磔にされて(水磔の刑)、みつは溺死。吉岡は死の苦しみを延長するような刑に疑問を呈する。
 南原が関わった事件を調べる吉岡は「珠光院尼僧 首切りの件」の調書を読む。尼寺・珠光院に着任した玲宝(賀川雪絵)は庭で、近くの寺の僧・春海(林真 一郎)を見かける。春海は尼僧・妙心(尾花ミキ)と恋仲で、通ってきていたのだ。玲宝お付きの燐徳(白石奈緒美)は春海を見た玲宝の眼に嫉妬し、玲宝の体 を求めた。数日後、玲宝は妙心と春海の野合を目撃、滝壺で清めよと春海に命じて、裸身をさらし、春海に抱かれる。一方妙心を拷問にかけ、春海をあきらめる ように責める。拷問は熱鍋ドジョウ責め、逆さ吊り、トウガラシ責め、焼きゴテと激しさを増し、妙心は死んでしまう。春海も妙心をあきらめず、玲宝を嫌う。 思い余った玲宝はナタで春海の首を切り落とす。様子を案じた年長の尼は月照(美松艶子)に奉行へ注進を命ずる。役人に囲まれた玲宝は春海の生首をかかえて 短刀で自害。燐徳は発狂。拷問に加わった燐徳、周智(牧淳子)、行恵(小島恵子)、尊栄(英美枝)、そして既に死亡した玲宝の五人は磔になった。ワイルド の『サロメ』を下敷きにしている。
 続いて、「彫丁 白人女刺青の件」(?)。江戸一番と呼ばれた彫り師、彫丁(小池朝雄)は芸者、君蝶(沢たまき)に入れた拷問絵図を南原に馬鹿にされ る。女がただの苦しみの表情で恍惚の表情が無いというのだ。彫丁は湯屋で三助(由利徹)と品定め。肌の美しい町娘、花(三笠礼子)を誘拐する。女を薬で眠 らせ刺青を入れ始める。南原に本物の責めを見せて欲しいと申し出る。南原は長崎へ行き、牢屋敷で、隠れキリシタンの外人女(ハニー・レーヌ)らを苛烈に責 める。同行の吉岡は呆れる。彫丁は少しずつ刺青を完成させてゆく。女を苦しめる地獄の羅刹の顔がまだ彫れないと現場での墨入れを求め、責めの最中に彫丁は いきなり南原を刺す。悶絶する南原、喜んでその表情を花の体に入れる彫丁。駆け付けた役人に刺青を入れた花をとられまいと抵抗する彫丁。牢屋敷はこぼれた 油に火がついて火事になる。外人女と花は吉岡が助け出したが、彫丁は焼け死んだ。刑罰のありかたが責めに快楽を見出す南原のような人間を生み出したのでは ないかと吉岡は自問する。

     映画川柳 「(小池朝雄は) 断末魔 顔を彫りとる 刺青師」飛蜘 

 石井輝男「作ってるとき、芥川龍之介の『地獄変』のイメージがあったんですね」(『石井輝男映画魂』ワイズ出版より)
2009年9月15日


DVD
徳川女系図

東映
1968年
90分
 石井輝男監督による東映の異常「性愛路線」(異常という言葉は後で付けられたもの)の一本。脚本は石井輝男・内田弘三、 撮影は『仁義なき戦い』の吉田貞次、助監督は後に傑作『女子大生失踪事件・熟れた匂い』を撮る荒井美三雄。
 綱吉の頃、大奥。新参舞という新人の女たちの裸踊りを遠眼鏡でのぞいていた将軍(吉田輝男)は太腿の内側にホクロがある女を見染める。その女おみつ(御 影京子)は以前に紐にひっかかり将軍来参の鈴を鳴らして咎めを受けるところを将軍に救われて以降、密かに将軍に想いを寄せていたのだった。しかし、大奥で は京都派・お伝の方(三原葉子)と江戸派・万里(までの)小路(有沢正子)の反目があり、おみつは反対勢力の京都派・雪岡(三島ゆり子)らにより秘所をロ ウソクで焼かれてしまう。しかし、ホクロの女としておちか(高島和子)が送り込まれた。数日後にせボクロであることを綱吉は聞き知ったが、詰問することは しなかった。
 赤白の褌を付けた女相撲が開かれる。五人抜きのおきぬ(谷ナオミ)に挑戦したのは、おさよ(賀川雪絵)だった。綱吉はおさよと相撲を楽しむ。ざっくばら んな物言いのおさよが気にいったのだった。御台所の信子(三浦布美子)は、おさよに手がついて身ごもることを案じている。
 京都派は柳沢出羽守(南原宏治)を懐柔して味方につけようと常盤井(国景子)を交渉役に。柳沢は常盤井を口説居て手ごめにしてしまう。柳沢が大奥に送っ た京美人・染子(応蘭芳)を綱吉は寵愛する一方、おさよを抱く綱吉だったが、睦言でおさよは「照円さま」とつぶやく。照円の正体を聞くがおさよは知らない と言い張る。綱吉は照円(春美)が寺の僧であることを調べ、白州でおさよを詰問するが、おさよは舌を噛み切って自害。おさよの上司に当たる雪岡も喉を突い て自害する。染子はつわりを訴える。懐妊は誰のタネかを疑う綱吉。染子は柳沢のお手付きと訴える密告書を見た綱吉は染子を柳沢に下げ与える。将軍にはタネ が無いのだ。 
 玉子転がしや鯉つかみなどの戯れがある。染子は柳沢の寵愛を受けていた。綱吉は柳沢の妻・定子(内田高子)を夜伽に所望してみる。柳沢は顔色も変えずに 承知し、定子も綱吉の行為を受け入れる。綱吉は煩悶する。
 一方、常盤井はおみつを将軍に会わせる。おみつは綱吉を純粋に愛していると言う。綱吉はそれが本当ならふたつの目をつぶしてみよ、そうすれば信じようと 言う。女たちの裏切りやウソですっかり人が信じられなくなってしまったのだ。綱吉は城中一の堅物・牧野備後守(小池朝雄)で試す。牧野の妻・阿久里(小畑 通子)を誘惑してみたのだ。阿久里は綱吉に体を任せた。しかし、その後、牧野はなにゆえの乱心かと綱吉に問い質す。綱吉は煩悶するが、その様子を見た牧野 は綱吉が本心からの乱心ではないことを理解する。そして、主君に対してあるまじき言葉を言ったと、夫婦ともども死をもって詫びるとの書状を遺す。般若の面 をつけて激しく舞う綱吉。
 みつは目をつぶして尼僧になった。綱吉は染子の子を吉里と名づけて世継ぎにしようと言う。信子はその子が綱吉の子ではないと言うが、綱吉はひとを疑うこ とがどれほど不幸をもたらすかが分かったと告白。
 そんな綱吉を背後から刺す信子。綱吉は今度生まれ変わる時は別の身分にと思いながら死亡する。みつは夕陽を背に去っていく。
 他に出演女優は、おたえ(富永佳代子)、おさわ(一星ケミ)、おかじ(火鳥こずえ)、おゆき(加山恵子)、藤垣(三浦徳子) 、おしの(辰巳典子)、おりき(祝真理)、おみね(三乃瀬愛)、おまち(立花加幸)、おつの(林三恵)、桂昌院(喜多川千鶴)、駒尾(牧淳子)、お静(岡 田千代)、萩乃(小島恵子)、おこと(小柳リカ)、おきく(星野美恵子)など。当時のピンク女優大出演。

      映画川柳「(小池朝雄は) 死をもって 主君を諌める 忠義の士」飛蛛 



シェイクスピア作品の映画化やその関連の映画は除く。
それらは別ファイルになっている。→ 『シェイクスピアの劇と映画


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