鈴鹿市の歴史資源
みえ歴史街道構想鈴鹿・亀山地域推進計画策定委員会現地調査(2000.12.10)
みえ歴史街道構想の地域別計画策定の現地調査第2弾として鈴鹿市を訪れた。 |
|
![]() 神戸城の石垣 |
![]() 神戸の見附の石垣 |
さらに伊勢街道を北上し、東海道との分岐である日永追分を見てから東海道の杖突坂へ。麓から歩く。ここは東海道でも急坂で知られるところで、芭蕉が「歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな」の句を残している。季語のない不思議な句だが、馬の乗って坂をあがったために落馬してしまった、歩いて登れば落馬しないですんだのに、という意味らしい。ここでも蘊蓄(うんちく)が語られた。 |
|
![]() 杖突坂の芭蕉の石碑の前で |
![]() 芭蕉の句碑 |
次いで、東海道の宿場町である石薬師宿へ。東海道の宿駅制定が1601年であるが、それから遅れて1616年に作られた。このあと訪れた庄野宿は1624年にできたものである。四日市宿と亀山宿の 距離が長かったから制定されたということのようだが、伊勢参りの人々は東から来た人は日永追分から伊勢街道へ、西から来た人は関の東の追分から伊勢別街道を通ったということで、旅人は少なく、また、七里の渡しや鈴鹿の峠越えの日程の関係で、この両宿に宿泊する人はほとんどいなかったという。 |
![]() 石薬師寺にて。地域の篤志家から贈られたもの |
(2000.12.11)