民家の再生−津島見学会
橦木塾第1土曜建築学校(1999.1.23)

 降幡建築設計事務所が津島市で手がけた2軒の民家再生の見学会に参加。工事現場と再生後の実例をみることができ非常に興味深かった。降幡建築設計事務所としては再生はこの地域で3年間で6件。まだまだ、民家再生の事例は多いとは言えないが、再生というものが少しずつでも選択肢の中に入ってくれれば、と案内してくれた名古屋事務所長の松田氏の言葉が印象的であった。

●岡本邸−津島の旧街道沿の商家/工事現場

 古い町並みを有する津島市にはお茶室を有する家が多くあり、お茶室ロードとも呼ばれている通りがある。岡本家もそんな家の1つであり、91年のatの特集でも紹介された。その岡本家が都市計画道路整備に伴い、曳家されるとともに増築が行われた。工事はかなり進んでいたが、聞くところによると、この家の再生は不幸な歴史を歩んでしまったようだ。というのは、一旦、曳家と増築の工事が行われたが、工事がずさんであったため、柱が傾くなど、どうしょうもない状態になってしまった。その時に、ちょうど津島市で民家再生を手がけていた降幡建築設計とのコンタクトがあり、いわば泣きついた形になった。工事を担当した春田建設の瀬戸口氏の話では、7分までできていた造作を3分まで落として、再度工事をやりなおしたという。

 ここでは壺庭に面する茶室が見所でもあり、雑誌にも取り上げられていたが、再生でこの茶室は取り壊されてしまった。残念に思って尋ねると、隣接する居室の居住性を考えると、取り壊して採光を確保する必要があったという。当初から、保存する方向で設計をしていれば、保存できたが、一旦工事が進められてしまった後ではどうしょうもなかった。当主の岡本氏もこの茶室を取り壊すのを決断するのに1月はかかったと。もう1つ奥の庭にある茶室は残されていたが、再生の手はまだ手つかずの状態であった。

 降幡建築設計事務所が手がける前の状態(写真があった)と比べると、重厚な感じがでており、街道沿いでアルミサッシが目立つ形で修復されてしまった家と比べると大きな差がある。古い空間を生かしつつ、新たな空間を加えることで、居住性もかなりよい家ができつつあるようだ。それにしても、家の広さには驚いた。

 工事途中の玄関の戸は仮のものが入れられていたが、この戸は他の工事現場で利用されていたものを使い回しているという。再生では、工事でもその思想が浸透しているように感じた。

●横井邸−津島の農村集落内にある農家(元庄屋)/再生後1年

 130年前の家を再生。もとは茅葺きに金属板が葺かれていたが、瓦葺きに。ここには隣に子ども夫婦の住む家があり、この家はおばあちゃんが住むために再生された。そのため、間取りはほとんど昔のままで、玄関右側の部分が変更された程度。土間のところに立派な梁があり、これを見たときに、松田氏はこの再生は成功すると思ったという。

 松田氏がここで強調されていたのは、施主の方とのコミュニケーションがうまくいったという点。職人もとことん丁寧な仕事をやってくれたという。きれいに使いこなされており、居心地の良さを感じさせてくれる。

 玄関左側は昔からの縁があり、ここの戸は木のままであった。工事を始める前にここで月見がされており、ここは木を使わなければと思ったという。これに対して、玄関右側のところにはアルミサッシが使われていた。残念に思って尋ねると、この部屋は普段利用する部屋であり、居住性を考えると、アルミサッシを使わざるをえないという。よくみると、北側の窓もアルミサッシが利用されていた。民家の再生にアルミサッシは不似合いと思ってしまうが、そこが保存と違うところで、居住性が考慮されなければいけないということだろう。

 木材はほとんどが昔の木が利用されていた。130年前の木がまだまだ利用できるというところに驚きを感じる。建具もほとんど昔のものを利用。傷がついているものも、ひどいものは、削ったりするが、気にならないものは傷もそのまま。他人の目からみると、せっかくきれいにするのなら、傷もなくしてしまった方がいいのにと思うのだが、この傷もまた住む人にとっては思い出の1つなのかもしれない。

 工事費は6,000万円。新築であればこの1.5倍はする、ただし、こんな立派な木を手に入れることができないので実際には不可能だろう、ということであった。再生でもかなりの金がかかる。松田氏は、1度に再生することもない、自分の代では、この部分、息子の代にこの部分と少しずつ再生するという方法もあるのでは、と最近思うようになってきたと話してくれた。

 再生というもののあり方を考えさせられた1日であった。

(1999.1.24)

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