城のある宿場町「亀山」を歩く
みえ歴史街道構想鈴鹿・亀山地域推進計画策定委員会現地調査(2001.1.19)
みえ歴史街道構想の地域別計画策定の現地調査第3弾として亀山市を訪れた。
城下町の精巧な模型 |
|
亀山は三重県下で唯一城郭建築物が残っているところで城下町として知られるが、同時に東海道の宿場町であったところである。 |
歴史資料館にある城下の模型 |
歴史遺産の活用 |
|
東海道には巨大な一里塚があったり、連子格子・幕板・板庇の家が残っており、歴史を感じさせる。さらに、その背後の露地にも大きなイチョウの木や関宿の脇本陣が移築された寺、趣のある家など興味深い。 |
連子格子・幕板・板庇の家 |
土蔵を改造した月の庭 |
月の庭の内部(2階) |
東海道を拡幅した商店街 |
|
東海道の宿場の中心は高札場があったところだという。亀山宿の場合は、亀山城の大手門のあたりで、そこで東海道が直角にまがっている。このあたりに本陣もあったが、街道筋でもっとも変わってしまったのが、このあたり。13年前に商業近代化事業で東海道を拡幅し、商店街を整備した。かつては、市内随一の商店街だったようだが、今はその影もない。ここでも中心市街地の商店街は危機的状況にある。拡幅され、アーケードの作られた東海道と古い家並みの残る東海道、どちらがまちにとってよかったのか、と考えさせる。 |
13年前に商業近代化事業で東海道を拡幅整備。 かつては市内随一の商店街だったらしいが… |
利用されてきたから残った「多聞櫓」 最後は、亀山の象徴ともいえる亀山城多聞櫓から市内を眺めた。多聞櫓が何故、残ったか。それは利用されてきたから、という解説はわかりやすい。廃藩の時に失業士族のための職業訓練場として使おうということで破却を免れ、その後も校舎や図書館、会議室などに利用されてきた。現在は、何も利用されておらず、普段は閉鎖されている。内装は改造されてしまって、歴史的な趣は残されていない。 |
|
亀山市の象徴「多聞櫓」 |
多聞櫓の内部 |
多聞櫓からの市内の眺め |
(2001.1.21)