前夜(前編)
その日聞仲の気分は最悪だった。暖かな陽気も、空が抜けるほど青いことも、何もかもが聞仲の気に障った。
最悪な気分? 当たり前だ。
明日、黄飛虎が結婚するというのだから。
勿論、代々殷の「武成王」を輩出してきた名門黄家の跡取りである飛虎が、結婚をしないでは済むはずがない。長い生を生き、殷の太師という要職に就いている聞仲は、それが分からぬほど愚かではなかった。
だが、頭で分かっていることと感情は、また別の問題である。
秋だというのに暖かな陽気であるのも、空が抜けるほど青いのも、飛虎の婚約者である賈家の娘が美しいのも、全てが聞仲の気に障った。
「どうした? 聞仲、すげぇ面してるぜ?」
ノックもなしに扉が開き、黄飛虎が顔を出した。軽く小首を傾げた様子がまだ幼さを残していて愛らしい。聞仲はふと口元に笑みを作りかけて、慌てて目を反らせた。
「明日婚儀を控えた新郎が、こんな所に来ていて良いのか?」
「ああ、やることがあんまり多くて、嫌になって逃げてきた」
肩を揉みながら、当然という足取りで聞仲の脇まで来ると、もう聞仲よりも高くなった目線から、気まずげに聞仲をのぞき込んだ。
「怒ってるのか?」
「怒ってなどいない」
「ならそんな怖い顔するなよ」
黄飛虎が、拗ねたように下唇を突き出してみせた。
年よりも幼く見えられることを嫌う黄飛虎がこん な子供じみた表情をするのは、聞仲の前でだけだった。勿論、そのことに飛虎は気づいていない。
黄飛虎の顔を見ないように気をつけながら、聞仲は早くこの男を婚儀の支度に追い帰さなければと思案した。
勿論本当に飛虎を帰したいとは思わない。だがここで黄飛虎と二人きりでいては、自分が何をしでかすか分からないのだ。
何しろ、明日には飛虎の婚議が行われるのだから。
「聞仲?」
窓台に手をかけて遠くを見ている聞仲の気を引こうと、黄飛虎は聞仲の肩に手をかけた。
聞仲の肩に、黄飛虎の大きな掌がぬくもりを与えた。肉刺を沢山作った、それでもまだ子供らしい柔らかさを残した、大きな掌のぬくもりを。
「おい、聞仲」
その手に力が入り、聞仲の顔が飛虎の顔に向けられた、その瞬間だった。
聞仲は素早く黄飛虎の腕を掴み、喰らいつくように飛虎の唇に自分の唇を重ねた。
「ぶ、聞仲!?」
「怒っているかだと? 怒っていないとでも思っているのか?」
「だっ……怒ってないって言ったじゃないか!」
力任せに飛虎の体を自分の胸元に引きずり寄せ、飛虎の体から体重が抜けた瞬間を見計らって、聞仲は黄飛虎の体を床に引き倒した。
「聞仲!? おい、お前何考えてる!?」
「お前が考えている通りのことだ」
黄飛虎の目が、一瞬潤んで見えた。泣くのかと思ったが、飛虎がここで泣く理由もないと、聞仲は頭を振る。
「だって……しょうがないじゃないか」
「しょうがない? 賈家の娘は美人だと、私に自慢していたではないか」
黄飛虎の細い腰が腕の中にある。そう思うと、聞仲は明日の婚儀のことも、賈氏とかいう娘のことも、明日の夜には確実に行われる飛虎とその娘とのくそ面白くもない初夜のことも、考えるのはやめにした。
「でも聞仲」
なおも言い募ろうとした飛虎は、しかしそれ以上何も言うことは出来なかった。聞仲の細い指が彼の腰布をほどき、柔らかな内股をなぞったのだ。
「ぶ…んちゅう、俺、明日結婚するんだけど……」
聞仲をあまり刺激しないように、黄飛虎はそっと呟いた。そんなことは言われなくても分かっている。だから腹が立っているのだ。
「余計なことを言うと、手加減はしないぞ」
「俺の結婚に、反対なんかしなかったじゃねぇか。何で今更……っ!」
ゆっくりと内股を撫でていた指が、そのままゆっくりと上っていき、黄飛虎の柔毛の感触を楽しむように円を描いた。
「聞仲……、お前、今更こんな風に怒るのは汚ぇぞ……」
「だが私には、その権利があるだろう?」
下腹部をそっと撫でながら、しかし決してその中心に指を這わせようとしない聞仲のやり方に、黄飛虎は腹が立った。
結婚前日にこんなことをするのは非常識だし、妻となる賈氏に悪いとは思うが、しかし聞仲の気持ちを無視できるほど、二人の仲は浅くはない。
だが、だからと言って、これは。
「聞仲、犯るならさっさと犯ればいいだろう!?」
「誰がそんな勿体ないことを?」
時折、間違えたとでも言いたげに黄飛虎のぴくぴくと震える中心に指が触れ、そしてすぐに離れていく。それだけでもう苦しげに眉根を寄せているのは、飛虎が若い為でもあるが、聞仲がそんな体になるよう、仕込んだ為でもあった。
「聞仲……」
食いしばった口元から牙がのぞいている。腰が意味ありげに揺れているが、飛虎はその先をねだるという、はしたない真似はしなかった。
「聞仲……!」
愛らしい牙。目には今度こそ涙が浮かんでいる。聞仲はその涙を旨そうに舐め、ゆっくりと味わってから、愛らしい牙にキスをした。
「達きたいか?」
飛虎の口の中が熱い。震えて密をたらす飛虎自身も、じゅうぶんに熱く、熟し切っているだろう。
「達きたいか? 飛虎よ」
飛虎の腕が、力もなく聞仲の上着を握りしめた。指先がふるふると震えている。何というプライドの高さだろう。聞仲はうっとりと飛虎の甘く滑らかな牙をもう一度咬み、歯茎の裏をくすぐるように舐めあげた。
「達きたければ、自分からそう言うがいい。今日の私に優しさを求めても無駄だぞ」
飛虎の目がきつく、なじるように聞仲を見つめていたが、それすらも聞仲にとっては甘い快感を呼び起こすための媚薬だった。 聞仲の口元に浮かぶ歪んだ笑みに気づいたのだろう、奥歯をきつく噛みしめてから、黄飛虎は諦めたように目を閉じた。
「聞仲……」
「ん……?」
殊更にゆっくりと、聞仲の指が円を描く。
「聞仲、も…う、」
「もう? もうなんだ? 飛虎よ」
っは、と小さな溜息がこぼれた。ぽろぽろと飛虎の頬に涙が伝う。いつもならもうとっくに許している聞仲だが、今日は飛虎の涙を見ていたかった。
「飛虎、私にも分かるように、声に出してくれなくては」
「達か……せて、くれよ……!」
「はしたないな、飛虎。そんな言葉を自ら使うのか?」
「っなっ! 誰が言わせたんだ!」
上着を掴む飛虎の手に力がこもる。飛虎はこんな言葉遊びには馴れていない。そこがいいのだと、聞仲は密かに微笑んだ。
「ああ、そうだな。そのはしたなさには、褒美を与えなければ」
その言葉を聞いただけで、飛虎の体は正直に反応した。体を小刻みに震わせ、とろとろになるほど歓びの密を滴らせている。後指一本でも触れれば、すぐにも飛虎は達してしまうだろう。
「飛虎、どうして欲しい?」
聞仲は意地悪く、飛虎の根本をきつく握りしめた。小さく飛虎が叫んだが、聞仲は聞こえなかったと言わんばかりに、達きたくても達けないでいる飛虎を丹念に撫で、その感触を楽しんだ。
「どうして欲しい? お前に与える褒美なのだから、お前の望むとおりにしてやろう」
「達かせてくれって、ちゃんと言ったじゃないか!」
堪えきれずに叫んだ飛虎の口元に、聞仲は人差し指を寄せて「しぃっ」と諭した。
「大きな声を出してはいけない。誰かに聞かれて、困るのはお前なのだから」
聞仲はそのままもう一度深く飛虎に口づけた。猫の仔がミルクを飲むような、湿った音が辺りに響く。
「さぁ、飛虎、選ぶがいい。どうやって達かせて欲しい?
…続く…作者・桐沢の頭の中に棲んでいる聞仲
作者からの一言
「飛虎の可愛らしさを語ろうと思うと、百億ページを使っても書ききれる物ではないが、私がいかに飛虎を愛しているかということが、これで西岐の奴らにも知れ渡るだろう。なに?私と飛虎は本当のところどうなっているのか、だと?……ふっ。」
宜しければ忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。
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