前夜(後編)

「さぁ、飛虎、選ぶがいい。どうやって達かせて欲しい? 唇が欲しいか? いつもお前は恥ずかしがって涙など見せるが、本当に嫌いなわけではないのだろう?」
 聞仲の囁く声が耳をくすぐる。しかしこれほどの距離で囁かれても、聞仲の言葉は輪郭のない音色のように、飛虎の頭をすり抜けていった。
「聞、ちゅ……」
「しょうのない奴だ」
 口元に笑みが上る。無意識に飛虎が行う誘惑の、何という鮮やかさ。
 そっと聞仲がその唇で飛虎の先端を包むと、飛虎は小さく呻いて、あっけなく達した。
「はっ、はぁっはぁ……あ、はぁっ」
 飛虎の湿った喘ぎが聞仲の耳に心地よく響く。
 この声を、賈氏とかいう女は閨房で聞くことが出来るのか? 狂おしいほどに乱れる、この愛らしい声を?
 聞仲は口元に残った白い蜜を指先で取り、それを飛虎の口元に運んだ。
「聞仲……」
「お前が汚したのだ」
 眉をしかめる黄飛虎の口元に、それでも指を押しつけて、強引に口の奥深くまで指をつき入れる。
「っぐ」
「しっかりと潤してくれ」
 その指が何に使われるのか気づいた飛虎は更に嫌そうな顔をしたが、聞仲のもう一方の腕が飛虎の背に回るとそうすることが当然のように思えて、一本、また一本と丹念に舐めあげていった。
 それは、飛虎の馴染んだ腕だった。初めて聞仲から一本取ったとき、戦で凱旋の鬨を上げたとき、聞仲は「よくやった」と言う代わりに、飛虎の背を力強く叩いた。そして飛虎の母親が死んだときには、いつもの腕からは信じられぬほどの優しさで飛虎の背をさすり、無言で彼を慰めてくれもした。
 聞仲の長い指がのどの奥まで差し込まれ、苦しさに呻いても、飛虎は聞仲の指を舐め続けた。
 ……その腕が背から外れるまでは。
「飛虎、どうすればいいのか分かっているな?」
 聞仲の声は冷静で、それが飛虎の心に水をしさした。ふてくされたように横を向く飛虎の顔を掴むようにして自分の目線に合わせ、それからゆっくりと触れるだけのキスをする。そのやり方がまた飛虎の気に障ったようだった。
 自分の強引が過ぎているのは分かっているが、それでも聞仲は自分の態度を改めるつもりはなかった。今夜だけなのだという思いが聞仲を残酷にする。
「そのようにして辛いのはお前なのだぞ?」
「俺の勝手だ! 悪いのは聞仲なんだからな……!!」
「ほう……。そんな威勢が長くは保たぬと、先程私に見せたばかりではなかったのか?」
 飛虎の顔に朱が走った。何という顔……! その妖しい顔に魅せられながら、聞仲はなお四肢を突っ張っている飛虎の背に覆い被さるように体を寄せ、そっと伸ばした指で飛虎の後ろをまさぐった。
 一本、それはするりと吸い込まれた。そこは聞仲を拒んでいる飛虎の意志を裏切るかのように内へ内へと蠢き、聞仲の指を体の奥深いところまでいざなった。
「っつ……」
 軽く指を曲げた拍子に、飛虎は辛そうな声を上げた。これだけ体を強ばらせているのだ、苦痛ばかりを与えてしまうだろう。聞仲は飛虎の涙を見たいとは思ったが、しかしそれは飛虎を苦しめたいからではない。
「飛虎、どうでもその強情を解く気はないのか?」
「……誰の、せ…だよ!」
「私のせいだというのか?」
 更に1本指を増やす。2本の指で別々に内側をさするように撫でると、部屋中にペチャリと卑猥な音が響いた。
「や……!」
「お前の婚儀の悔しさを一人で必死に耐えていた私の元に、何でもない顔をして現れたのは誰だ?」
「やめ、聞ちゅ……、それや……!」
「嫌だと? 私だってお前が大人しく婚儀の準備をしてさえいてくれれば、こんな事をしたりはしなかったのだぞ!」
「やっ…てめ、わざと音、立ててるだ……ろ! やめろよそれ……!!」
「まだそんなことを言っているのか? 全くお前という奴は、本当に楽しませてくれる……」
 1本、更に1本と指を増やそうとしたが、さすがに飛虎の体にそれだけの数は無理なようだ。
「きついな、飛虎。もう少しゆるめてくれねば、私が辛いのだが?」
「誰のせ……っつ!! やめ、ろって……! や……っ!!」
 飛虎はいつでも素直なセックスを好んだ。ほんの時折り、飛虎の恥じらいを誘うためにこうして馴らす以外の指使いをしたことはあるが、それはいつでも堪らない羞恥を煽るようで、飛虎があまりにも激しくそれを拒むために、聞仲は思う様飛虎をなぶることはなかった。
 ――――だが。
「嫌だって……言って、んだろ、ぶんちゅ……」
「何故?」
「は……、俺の中に……、何かいる……みた……」
「私の指だ、構わんだろう?」
「や……!!」
 首を振った拍子に、辺りに涙が飛び散った。嫌だ嫌だと泣きながら、飛虎のこの姿は何だ? 愛らしいほどに内股をすりつけあい、背を丸めて聞仲に己の痴態を見せつけている、この姿は?
「指は嫌か?」
 聞仲の声もかすれている。当たり前だ。この様な飛虎を目の当たりにしては……。
「指でなければ、何なら良いのだ?」
 そっと体を入れ替えて、聞仲は飛虎を仰向けに横たえ、膝を立てて大きく開かせた。抵抗すれば封じるつもりだったが、もうすでに飛虎は意識というものを手放しているようだった。
 ピチャリ、クチュリと、湿った音はまだ響いている。その音がする度に、飛虎の体だけがぴくりと震えた。
「あ……あぁ…、聞ちゅ……」
「何だ……?」
 はだけている上着の前を大きく開き、胸に唇を寄せる。小さな突起を歯で抓むと、飛虎は小さな声を上げた。
「俺がおま……えに、あ…いに、来なけ、んっ……れば、良かった……のか……?」
「ああ……」
 ぷつりとした歯触りを楽しみ、舌の上で押しつぶすように転がすと、聞仲の指を包む収縮が聞仲の舌の動きに同調した。
「でも俺……俺は、お前に……あい、たっ……かったん……」
 声と言うよりも吐息でそう言う飛虎の顔を、聞仲は上からまじまじと見つめた。
 目が虚ろになっている。何を言っているのか……?
「明日にな……たら…、おれ、も…賈氏……と、ん、けっこん……してる、から……。はぁ、だ……ら、今日……」
「……それは飛虎……」
 聞仲の声も吐息になっていた。
「お前も私と同じ気持ちでいたというのか……?」
 飛虎の指が、力無く聞仲の襟元を掴んだ。震える指にはそれだけで刺激になるのだろう、飛虎は指に力を入れては弱め、また力を入れた。聞仲はそっと飛虎の指を襟から離し、自分の歯の間に挟んで軽く咬んだ。あぁ、と深い溜息を吐いた飛虎は、溜息と同時に聞仲の指をきつく締め付けた。
「飛虎、明日になっても、お前は私のものだ。そうだな?」
 飛虎の顎が微かに頷いた。そんな筈はない。飛虎は明日には賈氏の夫となる、そう分かっていても、飛虎のその様子は充分に聞仲を歓ばせた。
「婚儀が全て終わったら、お前はまたここに来る。……そうだな?」
 微かな頷き。聞仲は素早く指を抜き去り、替わりに己をあてがって、奥深くまで一気に体を突き入れた。
「あ……! 聞仲……!!」
「飛虎、飛虎よ。お前は私の物だ。そうだな……!?」
 押さえようとしても、聞仲は自分の動きを押さえることは出来なかった。未だに硬い飛虎の体を思いやることすら出来ない。
 聞仲は飛虎の体に溺れた。
 何かに追い立てられている。自分たちはどこかに追いつめられていると、そんな焦りが聞仲の心臓を鷲掴みにして揺さぶった。聞仲はそれを振り払いたくて、飛虎の甘い体をただひたすらに貪った……。



 少し眠ってしまったようだ。目が覚めたとき、辺りは薔薇色の光に包まれていた。
「陽が昇る、か……」
 聞仲は飛虎の体を整えてから、自分の着衣を確かめた。されるままになっていた飛虎が目を覚ましたのは、全てが終わった後だった。
「あ……? 聞仲……」
「要領のいい奴だ。全ての支度を私にさせるとは」
「悪い」
 起きあがって伸びをする飛虎に、昨日の乱れの跡はない。
「とっとと戻るがいい。夕べは城外で小さな乱があった。お前は私と二人で、それを鎮めに行ったのだ」
「そんな嘘、すぐにばれるに決まってるって」
「なに、妖怪仙人にでも罪をなすりつけておけば、疑いようも確かめようもあるまい」
「相変わらずだな」
 飛虎の口元にが僅かにゆるむ。それからゆっくりと立ち上がり、マントのしわを軽く指で直すと、黄飛虎はさわやかな笑顔を聞仲に向けた。
 ……昨夜の事を記憶の片隅にさえ、ほんのかけらも残していない笑顔だった。
「さぁ、とっとと行くがいい」
「ああ……、じゃあな」
 ほんの一瞬だけ飛虎がその目に寂しさと切なさといたわりの色を見せたので、聞仲はあえて飛虎に背を向け、昇ってくる朝日を見つめた。
 背後で扉の閉まる音がして、靴音が遠ざかっていく。ああじゃあな、とは、またずいぶんとあっけない終わり方だ。……キスすらも残さないで……。
 陽は恐ろしいほどの早さで中天を目指してゆく。聞仲は、その朱色を失っていく光を、じっと見つめていた。
 飛虎は昨夜の不安を何も覚えてはいまい。聞仲の元を訪れた理由さえ。
 飛虎は昨夜何と言った? 明日になれば自分は賈氏のものになると? 飛虎のその曖昧な不安こそ、聞仲には馴染みの物だった。それは不安などではなく、もう決まったこと、確実に飛虎は「聞仲のもの」ではなくなるのだ。
 聞仲には、哀しいほどこれからの飛虎を予見することが出来た。あるいは、彼はこれからも聞仲の元を訪れるだろう。だが、もう昨夜までの自分たちではなくなるのだ。
 飛虎には全てを吸収し、自分の物にしていくという素直さがある。彼は賈氏を吸収し、賈氏の夫である自分を吸収し、多くの子供の父親となる自分を吸収するだろう。そうして名実ともに黄家の惣領となった黄飛虎は、もはや昨夜までの飛虎ではないのだ。
 聞仲を見つめる瞳の色はそのままに、しかし確実に、彼は彼でなくなってしまう。
 その肌の記憶さえも。
 聞仲はそれでも良いと思った。それこそが人間としての生を力強く生きていく飛虎にはふさわしい。何事にも真摯に向かい、全てに背を向けることをしない飛虎には。
 だからこそ聞仲は飛虎の人生の中のほんの僅かな、瞬くような時間を大切にしたかった。聞仲の中の飛虎を、飛虎の中の聞仲を、いつまでも大切に撫で、思い出しては眺めていたかった。
 黄飛虎の胸の奥にもそのような懼れがあったのだろう。彼は何事にも目を背けない。そんな小さな不安にさえも。だからこそ彼は昨夜聞仲を訪れ、そして去っていったのだ。
 陽は高く昇り、辺りは透明な眩しさに包まれていた。窓台の下に赤い輿の行列が見えたような気がしたが、聞仲はその行列を視界から追いやった。
 今はただ、昨夜の飛虎と向き合っていたかった。昨夜の、昨夜までの、今まで自分たちが育んできた、2人だけの飛虎と自分を見ていたかった。
 遠くで歓声が聞こえる。
 ふと睡魔が聞仲にのしかかった。眠りの中の二人は何事に対しても奔放であり得た2人だろうか?
 陽の光に背を向けた聞仲は、昏い部屋の中、静かな眠りに身を沈めていった。
 ――――――ただ1人だけの、深い静かな淵の底に―――――――
作者・イヌ吉の頭の中に棲んでいる聞仲
作者からの一言
 「ふっ。どうだ? 西岐の奴腹も私の飛虎への愛の深さに驚いたことだろう。なに? しつこいようだがそれで本当のところ私と飛虎がどうなっているのか、だと? 黒麒麟! 黒麒麟はいないか! 次は狐の所に私の飛虎への思いを見せつけに行くぞ! 」(聞仲様退場)



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