63「実感的『在日』論」批判

 小さな月刊誌『こぺる131』(こぺる刊行会20042)に、仲尾宏さんの「実感的『在日』論」という論考が発表されています。一読して、間違いが散見されることに気づきました。彼は在日問題の専門家のようで、著作を多数書いておられます。しかし間違いがあるのは困ったものですし、疑問もありますのでここに批判を呈するものです。濃い赤が論考からの引用です。

 

(間違い)

たとえば父が韓国人、母が日本人、子が韓国籍として駐日韓国領事館に登録されていた場合、この住民票には母のみが単独で登録される。したがってこの母は「単身」、すなわち夫も子もいないことになる。(2頁上段)

 

1985年以前の旧国籍法であれば、父が韓国人、母が日本人で正式に婚姻届を提出した場合、子は韓国領事館に登録(在外国民登録)してもしなくても韓国国籍となります。「領事館に登録されていた場合」という点が間違いで、関係ありません。

1985年以後の新国籍法では、子は母の戸籍に入り、母と子は住民登録されます。住民票上は母子家庭のような形となります。従って「この母は『単身』、すなわち夫も子もいないことになる」は、1985年以降では間違いとなります。また「領事館に登録」という点も以前と同様に間違いです。

1998年に韓国の国籍法が改正されましたが、それでも以上は引き続いての間違いとなります。

この件に関しては拙論 第33題 「二重国籍」考 をご参照ください。

 

 

戸籍は日本人として血統証明書のような役割を果たしているが、それ以外に何の役にも立っていない法制度である。(4頁上〜下段)

 

戸籍は、出生・死亡・性別・続柄や婚姻・養子、国籍の有無等々を証明するものです。「血統証明以外に役に立たない」というのは間違いです。

 

 

いま、日本以外の民族的出自をもつ人が、この戸籍に参入したいと思えば「帰化」という手続きを踏まねばならない。日本人との婚姻や養子縁組がそうである。(4頁下段)

 

現在の法制度では、帰化と婚姻・養子とは全く別物です。外国人が日本人と結婚や養子縁組しても、戸籍にその事実が記載されるだけで、帰化の必要はありません。「日本人との婚姻や養子縁組」が「帰化という手続き踏まねばならない」というのは、間違いです。

 

 

もし現状のように分断国家が並立したまま日朝国交が回復したとき、このような朝鮮として外国人登録している人びとの国籍はどうなるのか。「北」の政府としては自動的に「自国公民」となる、という立場をとるだろう。(6頁上段)

 

日本と北朝鮮はこれまで国交はなく、したがって「日朝国交が回復したとき」は間違いです。回復すべき元の姿はありません。ここは樹立とせねばなりません。

また自国籍を有するかどうかを判定するのは、その当事国の主権行為です。外国政府が、日本政府の作成した外国人登録上の国籍欄をそのまま利用して国籍判定することはあり得ません。したがって、「『北』の政府としては自動的に『自国公民』となるという立場をとる」とあるのは間違いです。たとえ常識はずれの「北」でも、それをしないでしょう。

 

 

いうまでもなく「在日」の日本名=通称名は1940年の植民地統治下での「創氏改名」がことのおこりである。(8頁上段)

 

これは拙論 第12題「創氏改名とは何か」 第30題 創氏改名の残滓 を参照してほしいところです。創氏には設定創氏と法定創氏があり、後者では先祖伝来の朝鮮名がそのまま創氏されました。また創氏改名以前に来日した朝鮮人でも日本名を通称とした人が少なからずおられます。そして戦後の外国人登録における通称名は自由につけることができるし、また変えることもできます。つまり「創氏改名がことのおこり」なのは全てではなく一部の在日なのです。

戦後の在日のほとんど大多数が通称名=日本名を持ちます。それは戦前の創氏改名に由来する人もいれば、それ以前から持っていた人もいたし、戦後に新たにつけた人もいたし、何らかの理由によって変更した人もいる、が正解です。

 

 

私はら致事件の報道のたびに、あの行為が「民主主義」と「人民共和国」の名においてなされたことは心底悲しかった。(12頁下段)

 

拉致事件は、北朝鮮自身が犯罪であることを自覚してなされたものです。この国は実行犯に外国の偽造パスポートを持たせたり、工作船に外国の旗を掲げさせたりしたのであって、自らの国を明示して犯罪をしてきたわけではありません。だから長年否定し続けてきたのです。動かせない証拠を突きつけられて、ようやく認めたものです。

「民主主義と人民共和国の名においてなされた」という事実は全くありませんので、間違いです。

 

(疑問)

外国籍者は住民として二義的な取扱いのカテゴリーとして処理してきた戦後の法制とそれを「異」としてこなかった行政の怠慢、それにそのような取扱いを当然としてきた日本人一般の意識(2頁下段)

 

このような取扱いを当然としたのは、在日もそうでした。彼らは日本人と同じに扱うことは同化だと反対したものでした。当事者自身がそう考えていたのですから、行政の怠慢とは言い切れないでしょうし、日本人の意識だけを問題にすべきでもないでしょう。

 

 

ある研究者は「在日」に参政権がないことをつい昨日まで知らなかったという。(2頁下段)

 

この研究者は何を専門としているのでしょうか。全くの専門外ならこういった無知はあり得るでしょうが、この文の直前に「部落史の研究者」とありますから、人権関係の専門家でしょう。そうであるなら、この方は研究者として疑問と言わざるを得ません。

 

 

民族的出自が異なることによって、あるいは血統が異なることによって、日本社会の住民としての権利がいちじるしく侵されてきた(3頁上段)

 

日本国籍でありながら民族的出自や血統を理由に権利が侵されているのなら、それは重大な人権侵害です。しかし外国人が内国民より権利の制限を受けるのは全世界共通で、当たり前です。外国人が内国民と全く同じ権利というのはあり得ないものです。

 

 

かつて日本人側からの結婚差別が甚だしく、婚姻に至らなかった悲劇の多さ(7頁下段)

 

昔は朝鮮人自身も日本人との結婚に反対したものでした。多くの悲劇をもたらした結婚差別は、日本人側だけでなく朝鮮人側にもありました。

 

 

日本でくらしている「在日」だけがもとは強いられたとはいえ、なお日本名で暮らしていることの方が「異常」ではないのか。異常なのは「日本で暮らすなら、それが当然」という日本社会のあり方ではないか。(10頁上段)

 

拙論 第21題 「本名を呼び名乗る運動」考 で、「在日朝鮮人が日本名を名乗ってきたというのは、在日朝鮮人社会のなかに自分らは日本名を名乗るという集団的合意があったからと言えるものなのである。本名を名乗らなかった主たる原因は日本社会にあるのではなく、在日朝鮮人社会にある。」と論じました。日本のあり方が「異常」なら、在日のあり方も「異常」と評価すべきでしょう。

 

 

国家とは人類が歴史上のどの時代、どの地域でも支配階級が人民支配のために必要な機構としてつくりだしたものだ。人民が国家を必要としたのではない。(12頁上段)

人があり、人が生まれ育った郷土があり、その人のいのちと郷土のよさを十全に生かしてくれている存在が国家であれば、そのとき私は国家を信頼してその国家をはじめて「祖国」とよぶ。(13頁上段)

 

この方の国家観は、国家はいつでもどこでも支配階級が人民支配するためのもので人民にとって必要ないのだが、命と郷土を生かしてくれるなら信頼しよう、というものです。そう考えるならば、自分が政治家(=国家の責任者)になって命と郷土を生かす国家を作る努力をすべきでしょう。そしてその時に、人民支配のためのものにしか過ぎないとされる国家を検証すべきでしょう。

 

(追記)

 朝鮮人学校について、誤解を招くコメントをしましたので、その部分について削除します。37日記。

 韓国国籍法の改正を1997年としていましたが、これは国会通過した年で、施行は翌986月です。1998年に訂正します。516日記。

 

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