第21題「本名を呼び名乗る運動」考

 

(1) 本名を呼び名乗る運動を考える

 在日朝鮮人は家庭・親族・地区(いわゆる朝鮮部落)内で、本名ではなく日本名を名乗り,呼び合っている事実がある。こういう場所は民族差別とはなんら関係のない所である。そこで互いに日本名を呼び合っていながら、本名を名乗れないのは民族差別があるためで、日本の責任だ、という運動団体の主張は一体どういうことなのだろうか。

 たとえ日本人社会のなかで朝鮮人は日本名を名乗るべきだという差別的合意があったとしても、その圧力に屈して家庭内でも日本名を名乗るものだろうか。また本名を呼び名乗る運動を行い,日本名を名乗る子どもたちに本名を名乗れと迫った在日朝鮮人活動家が、実家に帰ると日本名を呼ばれて素直に返事する姿や、あるいは何の後ろめたさもなく堂々と日本名を名乗る一世の姿を実見すれば、民族差別という外的事由のゆえに本名を名乗れないという論理には無理があると言わざるを得ない。

 在日朝鮮人が日本名を名乗ってきたというのは、在日朝鮮人社会のなかに自分らは日本名を名乗るという集団的合意があったからと言えるものなのである。本名を名乗らなかった主たる原因は日本社会にあるのではなく、在日朝鮮人社会にある。本名を呼び名乗る運動は、日本の民族差別を撃つのではなく、自らの民族復権運動として在日朝鮮人社会自身の変革をめざすべきものである。そしてまたどんなに厳しい民族差別があろうとも本名を名乗ると主張すべきものである。

 民族差別があるから本名を名乗れない、というのは自らの主体的な努力を放棄するものである。

 

(2) 衆議院議員山本たかし氏(民主党)とのインタ−ネットでの対話

「(略) 私にとって最大の収穫は、ゲストスピーカーの辛淑玉(しん・すご)さんの話しが聞けたこと。ご自身と家族が体験してきた『差別・抑圧』の事実を話されたが、淡々とした口調に反して、その内容は強烈だ。

韓国・朝鮮と日本の高齢者が、キムチと漬物を口にしながら語り合う。それが自分の夢だと語る辛さん。『外国人が本名で安心して生きていける社会にしてほしい』。日本社会の大きな課題を改めて指摘された。(略)」 

(山本たかし『蝸牛のつぶやき』2000年1月17日号)

 

「拝啓 山本たかし様  初めておたよりします。

 『蝸牛のつぶやき』いつも面白く拝見しています。しかし1月17日号の辛淑玉さんへの山本様のご感想については、疑問を抱きましたので、一筆とった次第です。

 私自身、かつて在日韓国・朝鮮人の人たちから『差別・抑圧』の話をよく聞かせてもらい、多くの一世の方々からたくさんの苦労話を聞かせてもらいました。その体験から私の感想を述べさせてもらいます・

 『外国人が本名で安心して生きていける社会にしてほしい』という辛さんの言葉は、日本社会を撃つもので、私もかつてはその通りと思ったものでした。しかし多くの在日を知るにつけ、それは日本社会に問題の由来があるのではなく、在日自身に由来があることが分かってきました。

 なぜなら在日のほとんどは、家族内・親族内そして同朋集住地区(いわゆる朝鮮部落)において本名ではなく、日本名を呼び、名乗ってきた事実があるからです。そこは日本社会ではなく、在日韓国・朝鮮人の社会です。差別とは何の関係もない場所です。民族意識の高いはずの総連系の人たちの家族ですら、家族どうしにおいて日本名を呼び、名乗っておられました。また本名を呼び名乗る運動をしておられた在日の活動家の方でも、実家に帰られると、日本名を呼ばれてごく自然に返事しておられた姿も実見しました。またこのような活動家の方が運転する車に乗せてもらった時に、警察の検問の際に『名前は?』と問われて,『〇〇』ですと日本名を名乗るのを傍らで聞いた体験もありました。

 つまり在日は、自らの在日社会の間で日本名を名乗り、呼び合うという習慣を持っていたからで、日本人から差別されるから日本名を名乗ってきたというものでは決してない、ということです。

 辛さんが『本名を名乗れる社会にしてほしい』と日本人に呼びかけるのは,大いに疑問です。それは在日社会に対して、日本社会がどうあろうとも我々は本名を名乗りましょう、と自らの民族運動として呼びかけるべきものです。そして日本人に対しては、我々のこの考えを応援してほしいと呼びかけるべきものです。

 山本様は辛さんの言葉に『日本社会の大きな課題をあらためて指摘された』と評価されておられますが、それは在日自身がなすべき課題です。在日が自分たちがどうような在日であるべきか、本名を名乗るべきか、日本名でもよいとするのか、は在日自身が決めるべきものです。

 日本人は在日のその選択を大事にすることが大切で,我が日本社会にとって大きな課題と言えるものではないと思います。

 勝手なことばかり書きつけたようで、恐縮です。私にとって疑問がありましたので、意見・感想を書かせてもらった次第です。

つじもと       敬具」

 

「つじもと様 ご意見ありがとうございました。

(略)‥おっしゃるように『本名を名乗るべきか、日本名でもよいとするのか、は在日自身で決めるべきもの』でしょう。しかし、多くの人々が日本人名を選んでいるのではなく、選ばざるを得ない状況にあることを我々は想いを馳せるべきだと思います。

 なぜ、在日の方々が,日本名で生きなければならなかったのか。そこには日本社会における、根強い差別があるからだと考えます。これは、国際化が進む中で、解決しなければならない日本の問題だと考えます。‥(略)」

 

 

(追記)

 在日韓国・朝鮮人が本名ではなく、日本名を名乗っていることについて、日本社会の差別的体質に原因がある、それを容認している日本人に責任がある、という論調はほとんど定着してきたかのような観があります。

 この問題は冷静に考えれば在日自身の問題であることが明白です。しかし在日が自分たちに責任はなく、日本社会にこそ責任があるとして指弾することは、当人にとっては楽でまた愉快でしょうけれど、責任逃れという印象を否めません。

またこんな考えに同調する日本人も多くいます。彼らは、私たち日本人こそが反省し差別的体質を改めなければならない、という主張をします。それは更に、自分こそが他の日本人と違って在日に理解のある良心的存在なのだという考えになっていきます。それは在日の責任逃れを容認し、在日の主体性を否定するものなので、私に言わせれば逆立ちした思考なのです。

私のような考えは、今のところ運動側から激しい批判を浴びるものです。しかし、おかしいものはおかしいと、はっきり言う時期に来ていると思います。批判・反論、時には糾弾・罵倒を恐れていつまでも黙っている、というわけにはいかないと考えています。

 

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