30題創氏改名の残滓

定着している俗説

 かつて日本が朝鮮を植民地化していた時代におこなった創氏改名政策について、「日本風の氏名を朝鮮人に強制するもの」と誤解し、戦後の在日朝鮮人たちが日本名を通称として名乗ってきたのは「創氏改名の残滓」であるという俗説が広く定着している。これが根拠のないものであることは、拙論「第12題 創氏改名とは何か」にある通りである。しかしこの俗説が朝鮮関係の専門書でも今なお堂々と書かれているのを読むと、一旦定着してしまった間違いの歴史を訂正することは、なかなか難しいと痛感する。しかし間違いをいつまでも放置するわけにもいかないのである。

 創氏改名について簡単におさらいすると、それは日本名を強制するものではなく、それまでの朝鮮の伝統になかった家族名を新たに創ることを強制するものであった。従って例えば戸主が「金」さんという家の場合、「金本」と創氏を届け出ればその家族全員が「金本氏」となり、もし届け出なければその家族全員を「金氏」とする、という制度が創氏改名である。前者の場合を「設定創氏」と言い、後者の場合を「法定創氏」と言う。そして後者のように「金」「朴」といった民族名のままで創氏した割合は、朝鮮人全体の2割であった。

 戦後の在日朝鮮人は、100%近くが通称としての日本名を持っていた。1970年代以降に本名を呼び名乗る運動が展開されて、日本名を持たない在日も多くなったが、それでも90%以上が日本名を持つ(任栄哲氏の1990年調査『朝鮮学報』141)。かつての創氏改名では2割が先祖伝来の朝鮮名をそのまま創氏したのであるから、戦後の在日のほとんどが朝鮮名ではなく日本名を名乗ったというのは、その数字からして「創氏改名の残滓」ではあり得ないものである。

 

創氏改名の残滓の例

 在日朝鮮人の法律相談事例に次のようなものがあった。子供のころに帰化した在日が、その後民族問題に悩み、民族名を取り戻そうと家庭裁判所に「金」姓に変更するよう申し立てた。裁判所は「同通称名(金)が申立て人の家族の氏として社会的に定着している」という理由でこの申し立てを認める審判を行なった(京都家審昭和62年6月16日)。このなかで「家族の氏」というものが朝鮮民族の伝統にないもので、かつ現在の韓国・北朝鮮の家族法制にもないものである。「家族の氏」という考え自体が創氏改名の一番の狙いであり、従ってこれこそが「創氏改名の残滓」なのである。

 今はお亡くなりになったが、昔お世話になった在日大韓キリスト教会の牧師さんのお名前は「洪」さんであった。その奥さんが自分の名前を「洪(こう)」と称したのでお聞きしたところ、「本当は「(はい)なんですけど、日本では女性は結婚すると男性の名前に変えるでしょう。だから私もそうしているの。」と大らかにおっしゃった。つまり一家の主人の名前である「洪」をファミリーネームとして家族も名乗るのであるから、これは創氏改名の狙いどおりの行為であり、従って「創氏改名の残滓」と言うべきものである。

 

朝鮮民族はなぜ家族名がないか

 朝鮮民族は男系の血縁共同体が非常に強固に維持されてきたところである。これを一般には「宗族」と呼ぶが、朝鮮人自身は「門中」と呼ぶ。男系中心であるから、当然男尊女卑は非常に厳しい。女性は結婚しても男性の一族に入るわけではなく、実家である男系の血縁を示す「姓」をいつまでも引きずることになる。そして男子を産んで初めてその母として、夫の一族のなかでその存在が認められるのである。つまり厳しい女性差別のゆえに夫婦別姓となり、従って家族で共通する名前を持たない。それが朝鮮民族の伝統的な家族制度である。

このごろ日本で議論される夫婦別姓議論とはかけ離れたレベルであることに注意が必要である。

 

(追記)

 繰り返すが、創氏改名は日本名を強制するものではない。従って在日が日本名を使用しているのを「創氏改名の残滓」と考えることは、歴史事実を直視しない誤った歴史観である。

 家族が一つの名前(家族名=ファミリーネーム)を持つ、ということが創氏改名の趣旨である。

 

ホームページに戻る