83 ()「旧石器捏造事件」考

―学界はカルト宗教と化す―

 

7、脂肪酸分析 ―類が友を呼ぶ―

 脂肪酸分析とは、あらゆる動植物がもつ脂肪酸の組成が種によって異なることを利用して、残存する脂肪酸を分析することによって元の動植物の種を判定するものである。日本では唯一中野益男がこれを行なっていた。

今は馬場壇A遺跡も藤村によって捏造されたことが確認されているが、かつて中野はこの発掘調査時に脂肪酸分析を行ない、出土石器およびその周辺の土からナウマンゾウの脂肪酸が検出されたと報告したのである。佐原真はこの時の感激を次のように述べる。

 

1986年の8月のある夕べ‥‥宮戸島の宴席で馬場壇A遺跡の石器からシカとイノシシらしい脂肪酸が出たと、私にささやいた中野氏は‥‥。私たちが宮戸島の晩餐で現生動物ではイノシシにいちばん近いと聞いた動物の正体は、脂肪酸組成で忠類村のナウマンゾウと一致することを電話で知らせる中野氏も、奈良でそれを受ける私も、感激でふるえんばかりであった。」(註22

 

 このような佐原の援護や中野自身が岩波新書で執筆する(註23)などによって、馬場壇A遺跡のことは確定的事実として扱われてきた。だから当遺跡の調査責任者であった岡村道雄は、事件発覚後でもこの脂肪酸分析を根拠に旧石器捏造はありえないと主張したほどである(註24)。ところがこのような「大発見」にもかかわらず、中野は正式な報告としては学会の講演要旨として簡単なレジュメ(註25)があるのみで、学術論文として発表していない。

 事件発覚後に難波絋二らが中野の分析を検証した結果、

 

20万年前の石器に残存したとされる脂肪酸を証明するための対照実験として、23ヶ月前(!)に埋めたエゾシカの脛骨の脂肪酸を測定している。

・分析を依頼した岡村と依頼された中野のあいだに、サンプルの数や採取方法の記録の違いがある。

・石器表面から脂肪酸が検出されたとする信ずべき証拠がない。

・本来付着した脂肪酸と二次的に付着した脂肪酸とを統計処理によって分けるとしているが、その方法や統計ソフトが明示されていない。

・なぜ石器に脂肪が残っていたかの説明がない。

 

ということが明らかとなった(註26)。すなわち中野の分析はかなり杜撰なものであったのである。しかも分析対象の脂肪酸は捏造された遺跡・遺物から「検出」されたというのであるから、それ自体が捏造であった可能性が高い。

似た者同士集まった、あるいは類が友を呼んだと言うべきか。

 

(註)

22)佐原真『大系 日本の歴史1 日本人の誕生』(小学館 198711月)1417頁。

23)中野益男「脂肪酸が示す世界」(田中琢・佐原編『発掘を科学する』岩波新書1994102945頁)

24)岡村「日本列島の前期・中期旧石器研究の展望」(註7の52頁)

25)中野「考古学資料に残存する脂質―馬場壇A遺跡の石器に残存する脂肪の分析(講演要旨)―」(日本第四紀学会『第四紀研究284号』198911月 337340頁)

26)難波絋二、岡安光彦、角張淳一「考古学的脂肪酸分析の問題点」(『日本考古学協会第六七回総会研究発表要旨』2001年度 138141頁)

 

8、批判はあったが‥ ―正しくても孤立する―

 一方藤村の「発見」した遺跡に対して、竹岡俊樹は次のように書いて大いなる批判を発した。

 

近年発見された日本の『前期旧石器時代』の遺跡、とりわけ60万年前とされる上高森遺跡から出土した石器群は、このような『前期旧石器』の概念からは大きくはずれている。‥それらはこの地方に分布する縄文時代の『石箆』と形態、製作技術ともに同一である。‥この遺構と遺物は既成の『前期旧石器』の概念からすれば、現段階ではまったく異状、いわばオーパーツなのである。」(註27

 

彼はこの論文提出時に藤村を「一人の特殊能力の持主」と表現して批判しようとしたのだが、会誌編集委員会より削除を強制された(註28)。

また鎌田俊昭は彼に対して「彼は世界中の旧石器がみんなフランス式でなければならないと思い込んでいる。あんまり藤村氏の石器がきれいなもんだから、議論について来れない。だから、おかしいって言い出す。」(註29)と批判した。

そして会田容弘も「上高森遺跡群の進歩しすぎた姿に疑問を露にする。‥‥理化学的年代測定とも整合する資料を年代の根拠薄弱な例と海外の事例を引いて批判するのには無理があろう。」(註30)と批判した。

竹岡はその頃の自分を取り巻く状況について

 

数年前からいろいろ言ってきても、だれも相手にしなかった‥‥ある研究者に『竹岡さんと一緒にやるとみんなに嫌われる』と返事を頂いた」(註31)

 

と発言している。当時の彼はなかなか賛同を得られずに孤立したのであった。

孤立したのは竹岡だけではなかった。その10年以上も前に、藤村らが「発見」し調査した座散乱木・馬場壇遺跡等の旧石器について小田静雄とキーリが厳しく批判する論文を発表した(註32)。小田はこの時の周囲のプロたちの反応を次のように言う。

 

そのときにいろんな噂が私の耳に入ってきました。これで『小田は死んだ』。あいつは前期旧石器を探せないから、それで妬んで、あんなことをあっちこっち言って回っているのではないかと、言われました。私は本当に悔しい思いをしました。」(註33

 

結局は事件発覚によって竹岡や小田の批判が全く正しいことが判明した(註34)。他のプロたちの言説はすべて否定された。

 

(註)

27)竹岡「『前期旧石器』とはどのような石器群か」(旧石器文化談話会『旧石器考古学561998年所収)。なお「オーパーツ」とは、あってはならない場違いな遺跡・遺物の意味。

28)旧石器文化談話会会誌編集委員会「『旧石器考古学』56の竹岡俊樹論文掲載の経緯について」(『旧石器考古学6120019294頁)。このなかで同委員会は「個人の名誉にかかわる事柄で」「今回の件に関しては、第三者の体験談や風評(寄稿当時)に依拠し、明確な事実と証拠に裏づけされていない竹岡氏の記述に対してリライトを要求したものです。」「削除していただけない場合は原稿の掲載を断念せざるをえないことも編集委員会で合意しました。」として、削除の強制は正当だったと主張した。これは結果的に藤村を擁護したことになるし、発覚後もその姿勢が変わっていないと見られても仕方ないだろう。

29)鎌田の発言。註1093頁。

30)会田。註13と同じ。

31)竹岡の発言。註7の5859頁。

32)小田静夫、C・T・キーリ「宮城県の旧石器及び『前期旧石器』時代研究批判」(『人類学雑誌9431986年所収)

33)小田の発言。註7の18頁。

34)他に発覚以前から藤村を批判した研究者として、角張淳一と馬場悠男を挙げねばならない。

角張は事件時にはすでに「前期・中期旧石器発見物語は現代のおとぎ話か」をHPに公表していた。今は見られなくなっているが、経緯が発表されている。

http://www.okunomasao.com/1126houkoku/0411026kouen-kadohari.htm

 

9、彼は「神」になった ―学界はついにカルト宗教と化す―

 捏造事件は今のところ藤村の単独犯という結論になっている。彼が一人で石器を埋めて、それをみんなの見ている前で掘り出すという行為を繰り返した。そして彼の捏造「功績」は25年間の長きにわたって気付かれることがなかった。しかもその間に多くのプロたちが彼を賛辞したのであった。

 

「(藤村が)全国の研究者やマスコミに中期旧石器文化を認知させた功績はきわめて大きい。‥‥彼が遺跡を探し求めて歩き回る範囲がそのまま、前期・中期旧石器文化が確認された範囲と同じであるのも、彼の業績のすごさを証明している。‥‥彼がやおら現れて黙々と掘りはじめる。すると発掘現場に緊張が走り、やがて発見の勝ち鬨が上がってあたりが途端に活気づく。‥‥私たちには同じような褐色にしか見えない地層だが、ひょっとすると彼にはその微妙な色の違いが見えて、地層と地層の境、つまりかつて地表面であった地層の上面を、鋭く見極めることができるのだろう。‥‥長年培った勘が、隠されていそうな地形と石器の臭いを嗅ぎ分けるのであろう。」(註35

 

藤村新一さんは遺跡をまず見つけて、発掘中にはこういう特殊な遺構を、石器が出てくる前から予見するのだそうです。宮城県、山形県、福島県に分布する三万年以上前の遺跡の大部分は彼が発見したものです。‥‥藤村さんが日本国中を歩いたら、旧石器の遺跡は今の何十倍にも増えるのではないかと思います。」(註36

 

この『前期旧石器』調査の隆盛は、関連石器のほぼすべての発見に関与している石器文化談話会の藤村新一の存在がなくてはあり得なかったかもしれない。藤村の『異能』はいまや周知のことであり、彼にとっての新開拓地である山形県でもいかんなく発揮されて袖原遺跡を発見し‥‥」(註37

 

 彼は旧石器研究の権威たちからこれほどに賞賛された。さらに周囲やマスコミは彼を畏敬の念を込めて「石器発見の神様」「ゴッドハンド(神の手)」「神業(かみわざ)」などと呼んだ。彼は「神」になったのである。

 「神」だけができる奇跡的発見、「神」への賛美、「神」を批判する者の排除、そして「神」が見つけ給うモノを学術資料として世間に広めた「宣教師」、さらに見えるものが見えず、見えないものが見える敬虔な「信者」たち‥‥。「宣教師」「信者」が実はプロの研究者たちだったのである。

旧石器研究の学界は、カルト宗教団体の様相を呈したのであった。

 

(註)

35)岡村『縄文の生活誌』(講談社 200010月)2425頁。

36)芹沢 註9の9798100頁。

37)安斎『理論考古学』(柏書房199410月)257頁。

 

10、責任を問われることなく‥ ―彼一人を悪者にして責任逃れ―

 そして2000年11月4日午後8時、藤村は新聞記者より石器埋蔵行為を撮影したビデオを見せられ、捏造を認めた。「神」の実像が「文化的犯罪の兇悪犯」(註38)であると発かれた瞬間であった。同時に日本旧石器考古学のプロたちの研究レベルがどれほどのものであったかが明らかになった瞬間でもあった。

 彼は厳しい指弾と制裁を受けた。しかし関係したプロたちはどうであったのだろうか。彼らは考古学研究の王道を歩んでいたら早くから捏造を見抜けたはずであるが、その道を歩むことがなかった(註39)。そしてこのことが捏造をさらに拡大させて、国民の多大な血税と若き考古学徒たちのエネルギーを無駄にさせたのである(註40)。彼らは共犯あるいは加担者なのであって、その責任は実に大きいものがある。

しかし日本考古学協会の前・中期旧石器問題調査研究特別委員長の戸沢充則は次のように述べた。

 

それらは、いずれも捏造事件の反省の上にたって、当面果たしうる責任の一つとして、検証作業に協力するという思いの中で作成された報告書、レポートであると理解してよいと思います。予稿集には名を出していませんが、多くの研究者が発掘の現場で、また石器検証の場で、あるいは独自の立場で苦悩の念をおさえながら自己検証を通じて検証調査に協力している等、我々はこの目で見、そして、話を聞いております。

 特別委員長としては、そうした関係者の努力を受け止め、ただ単に責任を問うのではなく、さらに事実の解明のための協力に期待し、その結果の反省を、今後に生かす主体者になってほしいと願う」(註41 傍線は引用者)

 

関係者たちによる事実解明作業は、研究者以前の人間として当然のことであろう。問題はこれによって明らかになった事実に基づいて、それぞれがどのような責任を果たしたのかである。ところが考古学協会は上述のように「責任を問うのではなく」としてしまった。

当事者のなかには恥じる言葉もなく他人事とし(註42)、さらには臆面もなく旧石器研究史を発表する(註43)権威者がおれば、捏造資料に基づいてなされた研究蓄積が「今でも大きな成果であったと考えている」(註44)と書く中央官僚研究者もいたし、発覚後まだ間がない時期に県の代表として自県の考古学界動向の報告(註45)をした地方官僚研究者もいた。彼らを含めて事件関係者においては、謝罪の言葉はあっても引責辞職や弁償したという話を聞かない。それどころか反省の弁すら見当たらない関係者も少なくないのである(註46)。

事件そのものは決着したこととされたのであるが、彼らは考古学協会のお墨付きのもと、藤村一人を悪者にして自分らは騙された被害者だという意識をつくりあげて責任逃れを図ったのではないかという疑問は消えない。(註47)

佐々木藤雄はこの事件から

 

かれらが失格者の烙印を押されることも、考古学界から永久追放されることもなく安穏としていられるのは、プライオリティーの侵害や相互批判の欠如、権威づけられた定説への追随、発掘資料の私物化という日本考古学を広く覆う職業病、学界内でもっとも民主的といわれる団体を含めた日本考古学の伝統的体質の故にほかならない。‥

考古学の現在的存立基盤の検証を何らなしえない日本考古学のありよう‥」(註48)

 

と批判した。その通りと言うほかない。日本考古学そのものの研究能力や資質、さらにモラルに至るまでもが問われているのである。

 

(註)

38)立花隆『「旧石器発掘ねつ造事件」を追う』(朝日新聞社 20013月)28頁。

39)藤村の共同研究者として一番身近にいた鎌田は、事件発覚の一年半後に「私自身の功績は皆無に等しくなった。研究者として一番脂の乗っていた二十数年間をこういうことに関わってしまった。取り返しがつかない。」と発言をしている(毎日新聞社『旧石器発掘捏造のすべて』20023月 118頁)。捏造にまっ先に気付かねばならない立場の人間が、しかも研究者として脂の乗っていた時期に気付かなかったというのであるから、その研究レベルがどういうものであったか、しかも研究者として当然のことをしてこなかったということになる。更に加えて藤村を擁護し宣伝してきたのだから、共犯者でも最も罪が重い一人である。そうであるのに自分が被害者であるかのような彼の発言は、醜悪としか言いようがない。

40)捏造遺跡の発掘調査費用や指定史跡の土地買収費などに公金が使われた。そして多くの学生がこの遺跡の発掘に参加した。

41)日本考古学協会『日本考古学協会会報146』(20027月)40頁。

42)宮代栄一は「そして興味深いことに、芹沢氏の文章には自らの不明を恥じる一片の言葉もないのである」(註38126頁)、また坂井隆は、芹沢が藤村の関わった多く調査で団長や指導の立場であったにもかかわらず「事件発覚後の表明は第三者的表現になっており、それまでのあり方と大きな差が見られる」(註3の546頁)と、この権威者の感想を述べている。厳しい言葉を使うなら、老醜である。

43)芹沢「前期旧石器研究40年」(『考古学ジャーナル50320036月所収)

44)岡村『縄文の生活誌 改訂版』(講談社 200211月)7頁。

45)山田晃弘「各都道府県の動向 4、宮城県」(日本考古学協会『日本考古学年報542001年度)』(20035月)108頁。彼は自分が事件当事者であることを認めている。事件の決着が出ていない段階であったのに、原稿を依頼する方も引き受ける方もどういう感覚を持っていたのか疑問を持たざるを得ない。

46http://www.okunomasao.com/kami/kami-epi-4.htmに捏造関係者百名以上(重複含む)の名前が列挙されている。彼らは共犯あるいは加担者のはずなのだが、その多くが反省を語っていない。

47)『神々の汚れた手』(梓書院 20046月)を公刊した奥野正男は、このことについて一貫して追及し続けている。敬意を表したい。

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku223.htm

48)佐々木藤雄「自壊する考古学・成長しない集落論」(『土曜考古2520015月)101102頁。

 

参考文献(註以外のもの)

藤村新一「旧石器のみつけ方」(角川書店『ここまでわかった日本の先史時代』1997年所収)

    「私には50万年前の地形が見える」(講談社『現代』200011月号所収)

梶原洋 「内陸および東アジア」(『季刊考古学7420012月所収)

馬場悠男「捏造遺跡の検証は免罪符」(文芸春秋『日本の論点2002』200111月所収)

江坂輝彌「日本の前期旧石器探索史」(『考古学ジャーナル50320036月 3頁)

奥野正男「旧石器遺跡の捏造をめぐって」(『東アジアの古代文化11820042月所収)

日本考古学協会前・中期旧石器問題調査研究特別委員会『特別委員会報告T』『同U』

河合信明『最古の日本人を求めて』(新人物往来社)

(関連論考) 第35題 「遺跡捏造」考  第14題 「考古学」考

 

【コラム】  韓国にもあった捏造事件

 韓国でも「別黄字銃筒捏造事件」と呼ばれる同様の事件が発生している。

韓国海軍海戦遺跡発掘団は1992年に、壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)の際に日本水軍相手に李舜臣が亀甲船で使用した「銃筒」を海中で発見、引き揚げた。これは当時の韓国で大きな話題となり、すぐさま国宝に指定された。ところが95年になってこの団長の大佐が別件の収賄容疑で逮捕され、その捜査過程で「銃筒」が実は捏造であることが発覚した。彼はその数年前の87年に鋳造製作された銃筒を海に沈めて、それを「発見」したということが明るみになったのである。さらに捜査を進めると、彼が共犯者とともに当初から捏造を計画しており、94年にも亀甲船の「刀錐」なるものを捏造していたことが判明した。

事件の経緯はともかく、国宝指定の際に短時間とはいえ多くの専門家が観察・精査したはずである。しかし彼らは数年前に製造された偽物製品を数百年前の本物とし、しかも国宝としての価値があると鑑定したのであるから、これもまた節穴の目としか言いようがない。従ってその研究レベルに疑問符がつく。

二〇世最終末期に日本と韓国で類似の歴史資料捏造事件が相次いだということである。両国ともに極めて不名誉で恥ずかしい話だ。

http://www.clash-j.net/memo/korea02.html

 

(本稿はhttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunidaiの続きです)

 

 

(追記)

 旧石器捏造事件の舞台の多くは、行政(教育委員会)主体の発掘調査現場である。そこには考古学専門の担当職員が常駐していた。藤村は最初のうちは調査の補助として参加するに過ぎなかった。しかし彼は捏造を繰り返して「成果」が認められるとともに、調査を指導するようになり、さらには調査団長として責任者にまでなるに至った。捏造する藤村をここまで「評価」させた要因の一つが、行政による発掘調査であったことに注目すべきである。

つまり行政発掘は必ずしも信頼できるものではないことが暴露されたのである。                       

 ところが当事件が発覚して数年しか経っていない現在、遺跡の発掘調査というものは行政や官営財団が行なうべきもので、民間に調査させると利益のために手抜きをするから許されない、とする有力意見がある。官の調査は信頼でき、民の調査は信頼できないというのであるから、事件の教訓はどうなったのであろうか。

彼らは発掘調査における官民競争を否定し、これまで通りの官独占を主張する。しかし法律は民間参入を否定していない。先の総選挙で、小泉改革の郵政民営化が国民の圧倒的支持を受けた。従って彼らの考えが広まるものとは思えない。

これからは官も民も、効率と価格そして何よりも質を競争する時代になっていくだろうと予想する。

2006年1月30日記)

 

(追記)

「旧石器捏造」共犯もしくは加担者一覧表

(註46 http://www.okunomasao.com/kami/kami-epi-4.htm

+捏造石器肯定発言者・捏造石器宣伝本の共編者)

 

【あ行】

岡村道雄・太田昭夫・阿部博志・小井川和夫・石野博信・岡崎晋明・織笠 明・石崎俊哉・大塚初重・安部博志・伊藤邦弘・相原康二・大竹憲治・安部祥人・井上雅孝・大平好一・秋山洋司・相原淳一・安斎正人・小野 昭・安蒜政雄・稲田孝司・石井則孝・会田容弘・尾本恵一

 

【か行】

鎌田俊昭・梶原洋・菊池強一・熊谷常正・加藤孝・加藤道男・川島雅人・古泉 弘・栗島義明・後藤秀一・日下部善己・木村浩二・黒坂雅人・工藤研治・工藤雅樹・木村英明・小林達雄・木村英明

 

【さ行】

須藤隆・佐川正敏・齋野裕彦・関谷晃・佐々木茂驕E白石浩之・齋藤吉弘・佐藤良二・白鳥良一・杉浦重信・進藤秋輝・鈴木忠志・芹澤清八・佐藤則之・佐藤宏之・佐久間光平・齋藤主税・酒井宗孝・齋藤邦雄・須賀井新人・佐藤耕三・芹沢長介・佐原 真・斎藤 忠・渋谷孝雄・佐々木高明

 

【た行】

舘野隆・土浜光朗・柳沢みどり・柳沢和明・手塚 均・田中英司・辻 秀人・玉川一郎・田中則和・田中 敏・寺島文隆・堤 隆・舘野孝・高橋文明・高橋信一・津金澤吉茂・戸沢充則・辻誠一郎・勅使河原彰・田中 琢

 

【な行】

長崎潤一・西村 康・中束耕志・野尻 侃・長島雄一・中野益男

 

【は行】

早坂春一・藤井誠二・早川正一・藤沼邦彦・藤原妃敏・比田井民子・古川一明・藤本強・林 謙作・服部隆一郎・埴原和郎・春成秀爾・馬場悠男

 

【ま行】

松崎元樹・宮崎 博・真山 悟・増沢文武・森 幸彦・真淵久夫・三辻利一・松藤和人・村井ー雄・武光 誠

 

【や行】

柳田俊雄・横山裕平・山田晃弘・山口卓也・横山浩一・結城慎一・矢島國雄

2006年7月15日記)

 

(追記)

 拙論第82http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunidai の註(21)で、捏造旧石器から歴史を組み立てた著作をいくつか列挙した。こういった本は捏造旧石器宣伝本とも言うべきもので、事件発覚後は絶版にして、これ以上は世に出さないとするのが当然の措置である。

ところが藤本強『モノが語る日本列島史』(同成社 1994年)は、事件が発覚して10ヶ月経った2001年9月10日付けで第2刷を出しているのである。中身は以前のままで、捏造遺跡を紹介して旧石器時代を論じている。

今日、本屋でこの本の奥付を見て、目が点になった。

2006年8月2日)

 

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