14「考古学」考

 考古学は『広辞苑』によれば、「遺構や遺物によって人類の古文化を研究する学問。古くは古物学といった。」と説明されている。これはなかなか適切な説明だと思うのだが、考古学研究者のなかには、古物学から踏み出して「考古学は歴史学である」と考え、原始・古代社会を考古学の立場から復元し、考察し、理論化しようとする人たちが多い。これが声高に論じられると、周辺の研究者たちから「考古学って昔のことが何でも分かってしまうものなのですね」と皮肉られてしまう。

 

考古学の限界性

 考えてみれば、考古学は歴史学そのものではない。歴史学のなかの資料学のうちの一つでしかない。

 考古学的資料というのは土地に刻まれた遺構、地中に埋もれた遺物であるが、人間の生活においてそういう形で残すものは、その全生活のうちでほんのごくわずかに過ぎない。逆に言うと、遺構・遺物からは昔の人間生活のほんのごくわずかしか見えてこないものなのである。しかもほとんどが「物」であるから、字の書かれたものでない限り、当時の社会や精神なんて皆目分からない。

例えばある遺跡で他地域産のものが出土したとすると、考古学では「物」が移動したことは証明できるが、それが貢納なのか、下賜なのか、贈答なのか、略奪なのか、商品流通なのか‥‥の証明は、文字資料が伴わない限り不可能なのである。

 また例えば弥生時代の遺跡を発掘して、掘立柱建物群や竪穴式住居が何棟か検出されたとしよう。考古学では建物の規模や範囲、そして出土遺物から詳しい時期が分かるが、資料学の一つとして言えることはそこまでである。しかしそこから一歩踏み出すと、超大型建物は神殿、大型建物は首長の家、小型建物は倉庫、竪穴式住居は庶民の家、そして当時のムラはこうであり、こんな社会であった、と論じることになる。

 そもそも建物というものは、全日本史やひいては全世界を見渡してみれば、民俗学や文化人類学の範疇と重なろうが、様々な性格がある。前述したものだけでなく、共同集会所としての建物もあれば、共同祭礼のそれもあるし、工房・作業所もあるし、女性のお産のための産屋、葬儀のための喪屋、若者宿、娘宿、男女交合のそれもある。

 住居といっても果たして夫婦子供が一つ屋根の下で住んでいたのかどうか。複数の妻が別々の家に住んで夫がそれらを巡る場合もあるし、妻妾同居もある。またムラでも、同族集落のように構成員すべてが血縁である場合もあるし、複数の血縁集団が集まっている場合もある。後者でも地縁共同体となって共同作業するところもあれば、血縁が違えば赤の他人と全く共同作業をしない所もある。また住居の規模がそのまま住人の社会的階層性を表わす場合もあれば、全く関係のない場合もある。

 このように実際においては建物の性格は様々であり、従ってムラのあり方も様々である。建物の跡という遺構だけでその性格を判断することは、文字資料でもない限り極めて難しい。そんなことよりも以前に、地面に痕跡を残さないような建物も世界には多くある。

 とすると弥生時代の遺跡の建物跡群を見て、これは神殿、それは首長の家、あれは庶民の家、従ってこのムラはこんな性格の集落だ、などと論じるのは、根拠がないということになる。しかしだからといって、これは神殿ではあり得ない、などと否定するのも根拠がない。

これは考古学的資料から得られる情報が極めて限られるためで、ここが考古学のもつ限界性である。

 

考古学の自由奔放性

 そしてこの限界性の故に、考古学はそこから簡単に踏み出すことができ、さらに自由奔放に説を立てることができるということになる。なぜなら遺構・遺物を見て、インスピレーションやひらめき、および論理の組み立てによって、当時はきっとこんな社会でこんな生活を送っていたであろう、という説は百人百様の考えが可能になるからだ。それは前述したようにその通りだと証明することは困難だし、またそれが全くの間違いだとする証拠もほとんど無きに等しい。極端な言い方をすれば、声の大きい人や社会的地位の高い人の説が「通説」とされているのである。

 検証が困難であるならそれは想像と変わらないもので、小説と言ってよいレベルなのだから、学問と言えないのではないか、考古学は古物学の範囲に止まるべきだ、という批判は免れないだろう。

 

総合的な研究を

しかし人類の歴史の解明に近づきたいとする努力は買うべきである。その志向性は考古学のみから歴史を考察するのではなく、文化人類学・民俗学・文献学・政治学・社会学・民族学・哲学・経済学‥‥等々のあらゆる学問や資料学をトータルに踏まえた上で、過去の人間社会を追究していくものであると考える。

「私は考古学をやっているのであって、そんなことは知りません。」「私は考古学の立場でしか言いません。」などと高言する考古学研究者はいかがなものか。

個別の研究にこだわるのではなく、すべてを総合的に考察してこそ歴史の研究であろう。考古学のみに終始してはならない。

 

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