<平泉1 高館>
(ひらいずみ・たかだち)岩手県平泉町

旅行日 '87/8 '95/8 '09/8

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 元禄二年五月十三日(1689年6月29日)、芭蕉は宿泊先の一関から日帰りでここ平泉を訪れています。往復約20Kmの道のり。平泉での滞在時間は3時間程度ではないかと思われます。ずいぶんと慌ただしいこと・・。現代の観光バスツアーみたいですが、芭蕉ほどの素養を持ち合わせた人物でしたら、これで十分なのかの知れません。

 東北新幹線「一ノ関」駅から在来線に乗り換えて2つ目、平泉駅で下車。
 金色堂のある中尊寺へゆく前に、義経(よしつね)最期の地、高館(たかだち)へ寄ってみましょう。
 義経は源平の合戦で数々の武功を挙げるも、兄の頼朝(よりとも)の怒りに触れ、平泉へ遁走。しかし奥州藤原氏泰衡(やすひら)に裏切られ、ついにはここ高館で悲壮な最期を遂げています。ときに文治五年(1189)、芭蕉が訪れるちょうど500年前のことでした。
 福島・医王寺のページでも紹介したとおり、芭蕉は大の義経びいき。やはり訪れたかった地なのでしょう。
 小高い山を登った上に右写真、義経堂が。堂内には木製の義経像が祀られています。
 

 さて、下界を見渡すとすばらしい眺め。眼下の川は、もちろん東北一の大河北上川
 かつてはこの川の辺に、人口15万とも言われる陸奥(みちのく)最大の都市が開けていましたが、源頼朝の奥州攻めに遭い、都市は壊滅。そんな昔話を知ってか知らずか、北上川は悠々と陸奥の平原を流れています。
「国破れて山河あり。城春にして青々たり」と、笠打ち敷きて、時のうつるまで、なみだを落とし侍りぬ。

続いて、芭蕉の句(↓)をどうぞ。



<芭蕉の句>

 夏艸や 兵共が 夢の跡
(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)

<句意> (今こうして高館に立ってみると、目の前には)夏草が生い茂っているなあ。(ここはかつて義経以下の)兵士たちが功名を夢みて奮戦した跡なのだ(しかし、その功名も虚しく一場の夢と消え去り、草ぼうぼうたる廃墟と化している)。
三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より

 右写真は高館に建つ句碑。


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