<福島・医王寺>
(いおうじ)福島県福島市

旅行日 '95/10

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 芭蕉と曽良は文知摺観音を参拝したのち、続けて医王寺(いおうじ)を訪ねました。
 『平家物語』他で名高い佐藤継信(つぐのぶ)・忠信(ただのぶ)兄弟の菩提寺がこの寺。右写真が兄弟の墓で、墓石が2基、仲良く並んでいます。
 源平の世、源義経(よしつね)の家来として信任の厚かった兄弟でしたが、兄継信は屋島の戦いで、弟忠信は京都吉野で、主君を助けるために非業の死を遂げた、とされています。
 芭蕉は他ならぬ、大の義経びいき。わざわざ遠回りしてまで、この寺に寄ったのでした。


 医王寺へは福島駅から「福島交通飯坂線」というローカルな電車に乗って15分、「医王寺前」駅で下車し、なぜか1qばかり歩いた所。
 拝観料を払って境内へ。まずは、奥のほうへ佐藤兄弟の墓(↑)を参りにゆきましょう。
 兄弟の死には後日談があります。妻二人が夫たちに成り代わって甲冑(かっちゅう)を身に着け、嘆き悲しむ兄弟の母親の心をなぐさめた、とのこと。左のスタンプがまさにそのシーン。

 女なれどもかいがいしき名の世に聞こえつるものかなと、袂(たもと)をぬらしぬ。

 涙もろい芭蕉さん。こんな話が好きだったのですね。

 戻って、宝物殿へ。『奥の細道』にも記されている「義経の太刀弁慶が笈(おい)」を拝することができます。
 右の写真が「弁慶の笈」(参拝のしおりより)。「笈」とはリュックサックのように背負って使った箱形の収納器です。
 曽良の日記によると、実は芭蕉はこれら宝物を見られず、どころか寺の内にも入らなかった(入れてもらえなかった?)とのことなのです。そうと分かると次の句はイヤミっぽく聞こえる・・。

続いて、芭蕉の句(↓)へ。



<芭蕉の句>

 笈も太刀も 五月にかざれ 帋幟
(おいもたちも さつきにかざれ かみのぼり)


<句意>
 五月の初めなので(あちこちに)紙幟がひるがえっている。笈も太刀も飾って(端午の節句を祝ってもらいたい)。
三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より

 境内の句碑(→)ですが、この写真では碑面が判然としません。目をよく凝らして見れば、中心のやや右寄り、太刀の文字がどうにかお判りいただけるでしょうか?




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