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   キリスト教に関するQ&A

     Q.6 カトリックとプロテスタントの違いは?
     
Q.7 プロテスタントに教派が沢山あるのはなぜ?


 Q.5 キリスト教と他の宗教との違いは何ですか?

 A.
他の諸宗教が人間または人間とサタン(悪魔)によって造り出されたものであるのに対し、キリスト教は天地の創造主なる神によって造られています。そのことの確証が人となられた神の御子イエス・キリストの十字架の死と復活です。このキリストの死と復活はキリスト降臨の千年以上昔から旧約聖書に預言されています。生まれる前から救世主として預言されて現れた救い主は他にいません。
 ★ご自身死に勝利された方であるからこそ、私たちを死と滅びから救う力をもっておられます。人の罪をあがなう(罪をきよめて永遠の命を与える)宗教はキリスト教の他にどこにもありません。主イエスは「人は新しく生まれなければ神の国に入ることはできない」と言われました(ヨハネ3:1〜15)。信じる人にその新しい命を与え、義(罪の赦しときよい生活)、と平安と喜びを与えるために、主イエスは聖霊なる神を私たちの心に遣わしてくださいました。私達キリスト者のキリストに対する信仰と救いの確信は、私達の心に宿るその聖霊なる神から来るものです。
 ★サタン(悪魔)は人間を天地の主に反逆させ、地獄の滅びに誘い込むことを本業とする霊的存在の親玉ですが、このサタンは人間から礼拝されることを強く願っています。偶像礼拝諸宗教の背後にはこのサタンがいます。ですから、聖書は「偶像を拝む者は実際はサタンを拝んでいるのだ」(1コリント10:20)と言っています。
 ★仏教の開祖仏陀の教えには、来世はありません。仏教の来世の教えは後世の仏教指導者の考案したものです。来世にまで及ぶ永遠の命を与える宗教はキリスト教の他にはありません(使徒4:12)。


 Q.6カトリックとプロテスタントの違いはなんですか?
 A.
カトリックという意味は「普遍的・全体的・公同の」という意味です。「ローマ」という名称は固有名詞です。従って、ローマ・カトリック教会という名前自体が自己矛盾した名称です。プロテスタント(抗議する者)教会は16世紀ヨーロッパに起こった宗教改革によってカトリックから分離して誕生しました。
 ★プロテスタント教会が聖書に立脚する教会であるのに対し、カトリックは聖書より教皇を頂点とする聖職者階級とその伝統に権威を置く教会です。従って、聖書の十戒の第二戒に「偶像を造っても、拝んでもならない」と禁止されているにもかかわらず、カトリックはこの第二戒を削除し、替わりに第十戒を二つに分けるという稚拙な数合わせをしています(カトリック要理第24課「神の十戒」163項参照)。その上、マリヤ像を造り、これに祈ることを教えています(同上要理第15課「聖母マリヤ」117項参照)。マリヤがキリストをさしおいて神と人の仲介者に任命されたという教理は聖書のどこにも見出せません。
 ★ローマ教皇の名称と地位はローマ帝国の悪徳皇帝フォウカスによって607年にボニファシウス3世に与えられたのが始まりです。その後、1870年にヴァチカン会議によって信仰と道徳に関して教皇の語ることはすべて誤りがないとする教皇無謬宣言が議決されました。この教皇についてのカトリックの主張は勿論、教皇の存在そのものが聖書の教えに真っ向から逆らうものです。聖書はキリストご自身の他、教会の頭として如何なる代理人も認めていません(エペソ1:22)。また、三位一体の神と原典聖書以外、無謬な者の存在を認めていません(「罪を犯さない人はいない。」歴代志下6:36)。宗教改革者のルターもカルヴァンも共に教皇を反キリストと断定しています。
 ★ローマ・カトリックが説く救いの道は、罪を悔い改め、イエス・キリストの罪のあがないの御業を信じ、洗礼を受けるところまでは、聖書の通りですが、それだけでなくカトリック教会が定めるところのさまざまな要素を守らなければなりません。それらは、告解(受洗後の罪の聖職者を通しての赦し)、ミサ聖祭(聖書が一回限りの十字架のあがないによって完成していると明言している〈ヘブル7:27〉キリストの救いの御業を司祭が繰り返し行なっていると主張するカトリック教会の祭り)などです。カトリックは人が救われるのは信仰だけでなく、教会の定めるこのようなさまざまな規定を守る必要があると教えます。しかし、聖書はキリスト信仰に割礼などの行いを救いの条件に加えるなら、キリストはあなたがたにとって無益となる(ガラテヤ5:2〜4)と言っています。ですから、キリスト信仰に告解・ミサなどの業を救いの条件として加えるカトリック教会には救いが無いと言わざるを得ません。
 ★また、聖書はキリスト信仰によって救われた者は、死後ただちにパラダイス(天国)へ行くと約束しています(ルカ23:43)。ところが、カトリックでは、特別に選ばれた聖人以外は、死後ただちに天国へ行くことが出来ません。一般信徒は煉獄と言われる火で罪をきよめるという浄罪界へ行かねばならないと教えます。そして、その期間は地上の家族の祈りや献金によって短縮されると教えます。カトリック教会はこの教理によって富を蓄積して来ました。
 ★プロテスタント教会がカトリック教会とたもとを分かっているのは聖書信仰によります。プロテスタントの存在意義は聖書に対する従順にあります。もし、プロテスタントが、拠って立つ聖書を羊が反すうする如くに日々親しく愛読し、日常生活の中でみ言葉を実践して、み言葉に生きることに熱心でないならプロテスタントの存在意義は失われます。しかし、残念ながらプロテスタント教会においても、聖書を熱心に読む人は多くはないのです。
 キリスト教案内〈10〉神の法律(律法)・十戒について(下)参照


 Q.7
プロテスタント教会に沢山の教派があるのは何故ですか?

 A.
聖書がその原典において誤りのない神のことばであり、信仰と生活の規範であるとする点で、多くのプロテスタント教会は一致しています。しかし、聖書を読み解釈する人間の側に誤りがあるので、いろいろな解釈と信仰が生まれ、教派に分かれる結果となるのです。
 ★たとえば、保守的なバプテスト教会は洗礼の形式を浸礼しか認めません。浸礼とは、受洗者の全身を瞬間的に水の中に浸す洗礼形式です。もう一つの洗礼形式は受洗者の頭上に水滴を落とすやり方で滴礼と呼ばれます。浸礼主義者は洗礼の第一義は霊的死から霊的命への新生の象徴にあるのだから浸礼でなければならない、と主張します。それで、自覚的信仰をまだ告白できない子らに対する幼児洗礼を否定します。
 ★これに対し、滴礼を主たる洗礼形式とする教会(改革派、長老派)は洗礼を新生の象徴としてだけでなく、旧約の民の割礼のように神と信徒との契約の象徴ともみなしますので、信徒の子供にも洗礼を授けます(使徒2:38,39)。五旬節の聖霊のバプテスマ(洗礼)が舌の形の炎のようなものが各信徒の頭上に現れたこともあって、滴礼を主たる形式として採用しています。そこで、バプテスト教会の信仰をもつ牧師が改革派教会に赴任して幼児洗礼を執行することを強要されるなどという事例がもしあるなら、それはその牧師の信仰と良心の自由を侵害することになります。従って、バプテスト教会と改革派(長老派)教会が合同することはあり得ない事なのです。


URL http://31church.net
キリスト紀元2003年 6月 1日公開


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