ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
聖書
 2「・・・あなたは、これらのことを教えかつ勧めなさい。3もし違ったことを教えて、私たちの主イエス・キリストの健全な言葉、ならびに信心にかなう教えに同意しないような者があれば、4彼は高慢であって、何も知らず、ただ論議と言葉の争いに病み付いている者である。そこから、ねたみ、争い、そしり、さいぎの心が生じ、5また知性が腐って、真理に背き、信心を利得と心得る者どもの間に、果てしないいがみ合いが起こるのである。
 6しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。7私たちは、何一つ持たないでこの世に来た。また、何一つ持たないでこの世を去って行く。8ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。9富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。
 10金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲張って金銭を求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛を持って自分を刺し通した。・・・
 17この世で富んでいる者達に、命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富に望みをおかず、むしろ、私たちにすべての物を豊かに備えて楽しませてくださる神に、望みを置くように。18また、良い行いをし、良いわざに富み、惜しみなく施し、人に分け与えることを喜び、19こうして、真のいのちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように、命じなさい」(Tテモテ6:2後半〜10、17〜19)。


はじめに
 ★ネット上で読んだある記事によると、最近の日本人のお金に関する調査では、自分を勝ち組とする人は3%、負け組と見る人は21%、どちらでもないとする人は72%だったとあります。
 ★この調査結果が間違いないものであるなら、「生活が苦しくなった」と言う国民一般に広がる意識にもかかわらず、日本国民の80%は、少なくとも全世界の人々の尺度で測れば、「この世で富んでいる人々」のランクに入るのかも知れません。
 ★そこで、「この世で富んでいる人々」の定義付けは、ここでは、自分を経済的に負け組とする21%の人々を除く約80%の大方の日本国民を意味するものとします。

A.金銭を愛することはあらゆる悪の根である
 ★
「あなた方は神と富とに兼ね仕えることはできない」(マタイ6:24)と主イエスが言われたように、この世では富(金銭)は、神に代わって人を支配する神(偶像)ともなる存在です。
 ★従って、神より金銭を愛する者は、悪の道の出発点におり、あらゆる悪を生む根っこを心の中に秘めていることになります。

B.信心があって足ることを知るのは、大きな利得である
 ★「信心を利得と心得る者ども」(5節)は聖書の時代から現代に至るまで後を絶ちません。すなわち、ご利益をうたう新興宗教ばかりでなく、この世的繁栄や成功・栄達の手段として聖書やキリストの御名を悪用する疑似キリスト教会が繁盛しています。
 ★「信心があって足ることを知る」(6節)の「信心(ギリシャ語/ユウセベイア)は、神をおそれ・敬い・礼拝することです。新改訳はこの言葉を「敬虔」と訳しています。この「信心・敬虔」は生活上の必要事より先に、
「まず神の国と神の義を第一に求める」(マタイ6:33)姿勢でもあります。
 ★「信心があって足ることを知る」と訳された原語の直訳は「満足と共にある信心・敬虔」で、新改訳は「満ち足りる心を伴う敬虔」と訳しています。
 ★この姿勢は「御子の血潮によって買い取られて」
(使徒20:28)神のしもべ・神の民とされたキリスト者にとって当然のことではありますが、口で言うほど簡単なことではありません。この信心・敬虔は日々の生活の中で鍛練されなければ身に着きません(Tテモテ4:7)
 ★物質的欲望をかき立てるコマーシャルの攻勢の中で、「衣食があればそれで足れり」(8節)とする満足を伴った敬虔の姿勢を保つことは、たやすいことではありません。
 ★手元にあった「この世に属するもの」を失って、意気消沈したり、新品の何かを手に入れて子供のようにはしゃぐとするなら、その人は「満ち足りる心を伴う敬虔」をもった人とは言えません。
 ★使徒パウロは次のように言っています。

 
「私は、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。私は貧に処する道を知っており、富に居る道も知っている。私は、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘訣を心得ている。私を強くしてくださる方によって、何事でもすることができる」(ピリピ4:11〜13)。

 ★私たちキリスト者は使徒パウロのこの信仰のレベルに到達することを目標にしています。神から来る平安と安心は目に見える持ち物には寄らないのです。

C.惜しみなく施し、人に分け与えることを喜びとせよ

 ★
「良い行いをし、良いわざに富み、惜しみなく施し、人に分け与えることを喜び、こうして、真のいのちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるようにせよ」(18〜19節)。

 ★
「私たちは、何一つ持たないでこの世に来た。また、何一つ持たないでこの世を去って行く」(7節)。

 ★私たちは誰も裸でこの世に生を受け、裸でこの世を去って行かねばなりません。ただし、すべての人々が来世に持参できるものがあります。それは、その人の地上での行いです。キリスト者が信仰によって行った良い働きは高く評価され、十二分に報いられます。

 「また私は、天からの声がこう言うのを聞いた。『書き記せ、「今から後、主にあって死ぬ死人は幸いである」』。御霊も言う、『しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らに付いて行く』」(黙示14:13)
 「主イエスを信じる者は裁かれることなく、永遠の命を受ける」
(ヨハネ3:16,36;同5:24)

 ★非キリスト者の行いも正当に評価されます。ただし、非キリスト者の罪は一切赦されることなく、隠れた所で行ったわざも、口から出たすべての言葉も
(マタイ12:36)、心の中のすべての思いも厳格に裁かれます。偶像礼拝・占い・まじないの類は神と人の敵・悪魔への礼拝行為として殺人・盗み・偽証・姦淫と並んで厳しく裁かれます。その結果、キリスト信仰なしに神の法廷で無罪放免され、天国への入国を許される人はただの一人もいません。

 「もう一つの書物が開かれた。それは命の書であった。死人はその仕業に応じ、この書物に書かれていることに従って、裁かれた。海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのその仕業に応じて、裁きを受けた」(20:12後半〜13)。


 ★私たちの持ち物や身体や命そのものが地上にいる間、神様から一時的に預かった神のものであり、死後や世の終わりに、その神の所有物をどのように使ったかを裁かれます。
 ★キリスト信仰から生まれるよい行いは豊かな報いを受けます。キリストを信じる信仰の故に、神に捧げたものや人に対する慈善のわざは、天に蓄えられたその人の宝物となります。

 
「あなたは自分のために、虫が食い、さびが付き、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝を蓄えてはならない。むしろ自分のために、虫も食わず、さびも付かず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝を蓄えなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである」(マタイ6:19〜21)。

 ★使徒ペテロを通して、死人の中からよみがえったタビタ(またの名をドルカス)の善行は、その慈善を受けた多くのやもめたちによって証言されていました
(使徒9:36〜43)
 ★そのように、キリストの兄弟姉妹であるクリスチャンに対して行われた善行、施された慈善のすべては天の御国において記録されているばかりでなく、主のみ前でその兄弟姉妹によって証言されます。「主よ、この人は私に(私たちに)このような良いことをしてくれました」と(ルカ16:1〜13/不正な家令のたとえ)。

 ★実生活での実感として、自分は現代の格差社会の負け組だと自覚している貧しい人々が身近に21%の割合で居るのですから、そのような身近な人々特に主にある神の家族に善行を施しましょう
(ガラテヤ6:10)。ただし、右手のしていることを左手に知らせないような仕方で、すなわち、人に見せるためではなく、隠れた所で見ておられる神が報いてくださることを信じて、神様だけに知れる形で行いましょう(マタイ6:1〜4)

 
「貧しい者を憐れむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる」箴言19:17

 ★多くの場合、
ハドソン・テイラーの場合のように、すぐにその善行が報いられることはないでしょう。しかし、来るべき世においても報いられないような、主にある善行は一つもありません。なぜなら、永遠に変わらないみ言葉(上記箴言19:17)が保証しているのですから。



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キリスト紀元2007年 6月 20日公開


〈17〉この世で富んでいるあなたへ
あなたへのメッセージ
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