ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日が来たり、年が寄って、『私には何の楽しみも無い』というようになる前に」(伝道の書12:1)

はじめに

 ★この世は聖書が言うように曲がっていて邪悪であり、人を落とし入れ、堕落させるものであふれています(使徒2:40;ヨハネ3:19)。私たちは自分の心を聖よく守るために、日々聖書に親しむ必要があります。

 ★「若い人は、どのようにしておのが道を聖よく保つことが出来るでしょうか。御言葉によってそれを守ることです」(詩篇119:9)

 
「あなた方は、この世と妥協してはならない(新改訳/この世と調子を合わせてはいけません)。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである」(ローマ12:2)

 ★この世の旅路を主と共に、聖よく義しく安らかに歩み通すために聖書があなたに語りかける言葉に耳を傾けてください。

T.救い主イエス・キリストを信じるべきこと
 ★主イエスは私たちの救い主であると同時に人間としての生き方のお手本です。主に習うことは有益です。
 ★主イエスのご生涯は、父なる神を愛し、その御心を行う生活でした。12歳の少年の時、主イエスは両親、すなわち母マリヤ、養父ヨセフとエルサレムの神殿で律法の規定に従って過ぎ越しの祭りを守った後、神殿に一人残り、そこで律法学者らの輪の中に入り、律法について質疑応答をしていました。学者達は少年イエスの律法についての知識と理解の深さに驚嘆しました
(ルカ2:46〜47)
 ★マリヤとヨセフは、少年イエスが神殿に居残っていることを知らずに、帰りの一行の中にいるものと思い込んで神殿を出発し一日路の旅の後、彼がいないことに気付きました。
 ★両親は彼を探しながらエルサレムに戻り、三日目にやっと神殿で学者と論じ合っている少年イエスを発見しました。
 ★母マリヤが「息子よ(原語にあり、日本語訳聖書にはない)。どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい。あなたのお父様も私も心配して、あなたを探していたのです」と言うと、少年イエスは「どうしてお探しになったのですか。私が自分の父の家にいるはずのことを、ご存知なかったのですか」とお答えになりました(ルカ2:48〜50)
 ★少年イエスのこの答えは一見すると反抗期に達した12歳の少年の親に対する反抗のように聞こえますが、実は親の思い違いをただす妥当な発言でした。
 ★母マリヤは、少年イエスが天の父なる神を実父とする神の御子で、自分達は単なる一時的な里親のような存在であることを失念し、少年イエスを父なる神の家(神殿)以外のところで探し回り、三日もの時間を浪費したのでした。
 ★少年イエスは人となられた神であるお方としては当然とは言え、12歳にしてすでにご自分が天の父から出た者であり、救い主としての使命を帯びた者であることを自覚し、神の律法と預言(旧約聖書)を深く学び30歳からの公生涯に備えておられたのです。
 ★人生の手本としての少年イエスから学ぶことは、人は出来るだけ早く、若い時から聖書を学び、自分の救い主である神を知ることが重要であるということです。

 ★「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日が来たり、年が寄って、『私には何の楽しみも無い』というようになる前に」(伝道の書11:9〜12:1)

U.聖書をよく読むべきこと
 ★この過ぎ越しの祭り直後の騒動が終わって、故郷ナザレに帰還して以来、少年イエスは両親に仕え、神にも人にも愛されたとあります。神と人に愛される有意義な人生を送るために若い時に救い主イエスを信じ、聖書を人生の指針として選択することは大きな祝福を得る道です。
 ★筆者は大学一年の夏休みに聖書通読に専念し、12日間ほどで創世記から黙示録まで読み通すことができました。キリスト者の標準は年一回全巻通読することです。まず聖書を一度読み通し、年一回通読を続ける事は信仰の成長のために必須です。

 ★
「あなたは、また幼い時から、聖書に親しみ、聖書が、キリスト・イエスに対する信仰によって救いに至る知恵を、あなたに与え得る書物であることを知っている。聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義(罪の許しと聖よく正しい生活)に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良い業に対して十分な準備が出来て、完全に整えられた者になるのである」(Uテモテ3:15〜17)

V.未来に備えて、良い土台を自分のために築き上げるべきこと

 ★「人間はどこから来たのか。何のために生き、死後どうなるのか」という、人生の根本問題を人は知らず、考えようともしないで、目先の目的追求のためあくせくしています。そのような人生は碇の無い船のようであり、嵐の時にその弱さを露呈します。
 ★山上の説教の終わりの箇所で、主イエスは「賢い人と愚かな人のたとえ」を語っておられます。その中で「賢い人は私の言葉を聞いて行う人であり、その人は岩の上に家を建てた人のようである。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない。岩を土台としているからである」と語って、キリストを信じて、その言葉を実践する者は終わりの日の神の裁きの火に耐える人生の家を築き上げることが出来ることを約束しておられます。

 ★「こうして、真の命を得るために、未来に備えて、良い土台を自分のために築き上げなさい」(Tテモテ6:19)。

W.敬虔のために自分を鍛錬すべきこと
 ★「敬虔のために自分を鍛錬しなさい。身体の鍛錬は少しは益するところがあるが、敬虔は今の命と後の世の命とが約束されているので、万事に益となる。これは確実で、そのまま受け入れるに足る言葉である」(Tテモテ4:7後半〜9)。

 ★肉体の鍛錬はこの世の生活を健やかに過ごすために役立ちますが、敬虔のための心の鍛錬はこの世の生活と来るべき世での生活との両方に役立ちます。その敬虔のための心の鍛錬の基礎は「聖書を読むこと」と「祈ること」です。聖書は全66巻を一年間に一度通読出来る様に計画的に読み、祈りは一日少なくとも一回時間を決めて、聖書の言葉を土台にして主イエスの御名によって父なる神に御霊によって祈るのです。これを「静思の時」または「デヴォーション」と呼びます。
 ★主の日(日曜日)の教会での公同礼拝を守ること。色々な事情で教会から遠ざかり、デヴォーションは守っているが公同礼拝は守っていないと言っている人がいます。そういう人の信仰は一人よがりとなりやすく、デヴォーションからも遠ざかるのは時間の問題であり、終わりの日に主から「私はあなたを知らない」と宣言される危険があります。ご注意ください。
 ★敬虔の鍛錬(修行)は、礼拝やデヴォーションだけではありません。日常の家庭生活や職場での人間関係の中で御言葉を実行し、実践に移すことは重要な敬虔の鍛錬(修行)です。「隣人を自分のように愛せよ」
(マタイ22:39)という御言葉はまず身近な隣人である家族に対して実践されなくてはなりません。また、「敵を愛して、迫害する者のために祈れ」(マタイ5:44)という御言葉の実践の機会は学校に職場にたっぷりあります。
 ★御言葉を絶えず思い、実践する者は知恵ある者となります。
 
「如何に私はあなた(主)のおきてを愛することでしょう。私は一日中これを深く思います。あなたの戒めは常に私と共にあるので、私を我が敵に勝って賢くします。私はあなたの証しを深く思うので、我がすべての師に勝って知恵があります。私はあなたのさとしを守るので、老いた者に勝って事をわきまえます。私は御言葉を守るために、我が足を止めて、すべての悪い道に行かせません」(詩篇119:97〜101)。

D.謙遜を身に着けるべきこと

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「イエス・キリストの中に知恵と知識との宝がいっさい隠されている」(コロサイ2:3)と聖書は言っています。この隠された宝は謙虚な心を持った人だけが掘り起こし、発見することが出来ます。何故なら、主イエスご自身が飼葉桶の中にお生まれになり、30歳でキリストとしての公生涯に入る前にナザレの村の一介の大工として過ごしておられた謙遜なお方だからです。
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「いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖と称えられる者(天地の主なる神)がこう言われる、『私は高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだった者の霊を生かし、砕けたる者の心を生かす』」(イザヤ57:15)
 ★世界最初のクリスマスの日に
「救い主がダビデの町にお生まれになった」という第一報は王様や学者や祭司長といった民の上に立つ者たちにではなく、貧しい羊飼い達(ルカ2:8〜20)や天の星を見つめていた東方の謙遜な博士たち(マタイ2:1〜12)に伝えられました。

 ★「同じように、若い人達よ。長老達に従いなさい。また、みな互いに謙遜を身に付けなさい。神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを賜うからである」(Tペテロ5:5)。

結び
 ★主イエスの種まきのたとえの中で、良い畑に落ちた御言葉の種は、芽を出し、大きく成長し、花を咲かせ、30倍、60倍、100倍の実を結びました。
 ★聖書に注目し、関心を持ち読み始めたあなたの心の畑が主の恵みを豊かに受けて、100倍の実を結ぶ時が来るように心よりお祈りいたします。



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キリスト紀元2005年 12月 30日公開


〈15〉若いあなたへ
あなたへのメッセージ
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