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   みことば黙想

〈32〉キリスト再臨の迎え方

〈31〉婦人牧師と聖書

 
11女は静かにしていて、万事に付け従順に教えを学ぶがよい。12女が教えたり、男の上に立ったりすることを、私は許さない。むしろ、静かにしているべきである。13なぜなら、アダムが先に造られ、それからエバが造られたからである。14またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、過ちを犯した。15しかし、女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう」。Tテモテ2:11〜15

はじめに

 ★昨今は男女平等・機会均等の時代のため、プロテスタント教会の中で、婦人牧師を擁立している教会が増えて来ました。この現象について聖書を基に考えて見たいと思います。
 ★読者の多くは、上記のみ言葉は時代遅れの、現代には通用しない教えだと考えて居られることでしょう。
 ★もしそうなら、その考えは何を基準にした考えでしょうか。勿論、この時代の流れであり、社会一般の傾向であり、人間の考えを基準にした判断です。
 ★そして、その人間の考えとは、聖書が言うところの「肉の考え」に他なりません。聖書の著者であられる聖霊の「御霊の思い」と「肉の思い」とは相い互いに敵対関係にあるのです
(ガラテヤ5:16,17)
 ★聖書は、その著者であられる聖霊の導きによって解釈され、理解されなければなりません。
 ★こういう事を言うと、何と頭の固い、時代錯誤な人間だろうと言われるのは目に見えていますが、パウロと共に、上記のみ言葉は現代のキリスト教会においても守られなければならない重要なみ言葉であると筆者はあえて主張します。

T.聖書が婦人牧師・長老を認めない理由
 ★この世は、聖書の預言の通り急速に悪い方に、そして滅びに向かっています。キリスト教会は、この世界の流れにのみ込まれ、足元をすくわれてはならないのです。聖書が婦人牧師・長老(伝道師ではありません)を認めない理由を見てみましょう。

 
1.第一の理由
 ★まず第一に、天地創造の秩序です。男性アダムが先に造られ、次に女性エバが造られました。神が、アダムに「善悪を知る木の実を取って食べるな」と命じられたのは、エバが造られる前でした。すなはち、アダムとエバの二人に神が命じたのでなく、後の人類の代表者としてのアダムに命じられたのです。ここに人間に関する神の創造の秩序・順序があるのです。
 ★社会の基礎単位である家庭においても、夫が家長として責任者であり、妻が夫を立て、自分の意見を述べつつも、最終的に夫に従う時、子供もそれにならって親に従順であるべきことを学ぶのです。
 ★牧師と教会との関係は、キリストと教会の関係に似ています。キリストは教会という羊たちの羊飼いです。この羊飼いは良い羊飼いで、羊を守り救うために命を捨てられました。
 ★ですから、牧師は教会の指導者・管理者であって、身を挺して教会員を守るのです。主はこの務めを男性である12人の使徒たちに委ね、その後継者として男性を牧師とすることを決定しておられるのです。
 ★ここで問題になっているのは、男女の能力差ではありません。指導力や教える能力において優れたご婦人方はどの分野にも沢山います。そうでなくて、神の定めた秩序の問題です。神の立てられた秩序は守られなければなりません。どんな組織においても秩序が守られなければ、その組織は正常に機能しなくなります。男女の順序・秩序の問題は父なる神と子なる神との関係とその順序に似ています。
 ★父なる神と子なる神とは神性において同質であって、等しく神であられます。しかし、このお二方には順序があって、父なる神が先であり、子なる神キリストは父に服従なさる神です。同様に、キリストにあっては男もなく女もありません
(ガラテヤ3:28)。等しく神の子らです(ガラテヤ3:26)。しかし、神が定めた順序は厳然としてあるのです。
 ★聖書の言葉に対して、時代遅れだと勝手に判断して無視したり、削除したりしていたのでは、聖書の権威は台無しになります。「教会は真理の柱であり土台です」
(Tテモテ3:15後半)。男が女のように、女が男のようになってきたこの世の流れに逆らって真理のみことばを守らねばなりません。
 ★ここで問題になっているのは、教会内、特に礼拝時における秩序であり、付随的にはキリスト者の家庭内の秩序のことです。教会外の社会、職場や学校や様々な人間の組織の中の男女の秩序の問題ではありません。

 
2.第二の理由
 ★聖書が、婦人牧師を認めない第二の理由は、14節にある「アダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、罪を犯した」という点です。蛇の姿で現れたサタンはアダムより女の方がだましやすいと見抜いて、女をターゲットにしました。サタンの思惑通り、女はサタンにだまされ最初に罪を犯しました。
 ★エバが先に罪を犯しましたが、彼女は騙されて罪を犯しました。しかし、アダムは神から直接、禁止命令を受けていた当事者であり、人類の代表者であり、しかもじっくり考えて理性的に、冷静に判断して罪を犯したのですから、その罪の重みは、エバよりはるかに重いのです。
 ★エバがだまされたとはいえ先に罪を犯した代償は、夫に支配され、女は夫に服従するべき者とされることでした
(創世記3:16)
 ★従って、「女が教えたり、男の上に立ったりすることを、私は許さない」と語るのは、使徒パウロではなく、彼を通して語る聖霊ご自身なのです

U.旧約聖書・士師記の女預言者デボラの場合
 ★旧約聖書の士師記にイスラエル民族を治め指導した女預言者デボラと彼女に助けられて敵軍カナンの王ヤビンの将軍シセラと戦ったイスラエルの指導者バラクの話が出て来ます。
 ★女預言者デボラの預言に答えて、バラクはカナンの王シセラとの戦いに出陣しましたが、彼はデボラに同行を求め、彼女に頼ったので、主に約束されていた敵の王を打ち取る栄誉をケニ人ヘベルの妻ヤエルという女性に譲る結果となりました。すなわち、戦いにおいて女性に頼ったバラクは敵軍の王を打ち取る指導者としての名誉を女性に奪われました
(士師記4:1〜24)
 ★この出来事によって、主は神の民イスラエルの指導者として男性を求めておられることを明らかにされました。
 ★旧新両約聖書共、聖書全体が神の民の指導者として男性を指定していることが分かります。

V.関連する問題点
 ★以下の問題も各題目のもとに論じるべき大きなテーマですが、ここでは少しだけ触れて置きたいと思います。

1、女性は子を産むことによって救われるとは?
 ★このみ言葉を文字通りに捕らえると、子供を産まない女性は救われないことになってしまいます。それは、どう考えても聖書全体の教理と調和しないので、そういう意味ではないことは明白です。
 ★「ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである」
(Tコリント11:11,12)
 ★女は男の助け手として、アダムのあばら骨から造られたとは言え、男は女を母として生まれて来たのであり、女のマリヤの生む能力なしにはキリストはこの世に来ることがお出来にならなかったと言えます。
 ★従って、女性の生む能力は家庭と教会と社会と国家とに命を与え、生かし、救う力であると言うことが出来ます。女性が主から与えられた生む能力と育てる能力をフルに発揮することによって、家庭と教会と社会を救いそれによって自分自身を生かし救う事が出来るのだとこのみ言葉は教えていると言っていいでしょう。

2、礼拝における女性のかぶりものについて
 ★Tコリント書を素直に読むと、女性は礼拝の時、かぶり物をつけるのは当時の時代独特の風習なんかでなく、神のみ心だと著者が言っていることが分かります。
 ★宗教改革者のジャン・カルヴァンのTコリント註解書を読むと、カルヴァンも女性は礼拝中にかぶりものをつけるべきだと言っています。しかし、今の改革派教会にはこの習慣はありません。
 ★プロテスタント教会がこの習慣を捨てたのは、カトリック教会の非聖書的要素を捨てる作業の中で、間違って一緒に捨てたのかとも思えます。
 ★かと言って、筆者は今自分の教会の礼拝でこのスタイルを今すぐ採用しなければならないと思うほどの、み言葉による礼拝スタイル改革の必要性を強く感じているわけではありません。ですから、家内にこれを強要する気は全くありませんが、しかし、もし自分が女なら、このスタイルを実践することになるかも知れません。
 ★この問題はもう少し学ぶ必要がありそうです。


キリスト紀元2007年 12月 1日公開



〈32〉キリスト再臨の迎え方


聖書
 「6その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。7しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々が裁かれ、滅ぼされるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。
 8愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。9ある人々が遅いと思っているように、主は約束の実行を遅くしておられるのではない。ただ、一人も滅びることがなく、全ての者が悔い改めに至ることを望み、あなた方に対して永く忍耐しておられるのである。
 10しかし、主の日は盗人のように襲ってくる。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に作り出された物も、みな焼き尽くされるであろう。
 11このように、これらはみなくずれて落ちて行くものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなた方は、12極力、きよく信心深い行いをしていなけらばならない。その日には、天は燃え崩れ、天体は焼け失せてしまう。

 (新改訳/11このように、これらのものはみな、崩れ落ちるものだとすれば、あなた方は、どれほど聖い生き方をする敬虔な人々でなければならないことでしょう。12そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。)

 13しかし、私たちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
 14愛する者たちよ。だから、この日を待っているあなた方は、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。15また、私たちの主の寛容は救いのためであると思いなさい。
 このことは、私たちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなた方に書き送った通りである。16彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、分かりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、他の聖書についてもしているように、無理な解釈を施して、自分の滅亡を招いている。
 17愛する者たちよ。それだから、あなた方はかねてから心がけているように、非道な者の惑わしに誘い込まれて、あなた方自身の確信を失うことのないように心掛けなさい。18そして、私たちの主また救い主イエス・キリストの恵みと知識において、ますます豊かになりなさい。
 栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン。
 Uペテロ3:6〜18

T.主の寛容は救いのためである

A.世の人々はやがて消えて無くなるものに熱心に投資し、永遠になくならないものには一銭の投資もしていない

 ★世の人々は、「人は裸で生まれ、裸で世を去ること」を知っていながら、やがて自分の手元から奪い去られる世の宝を増やそうと、投資に励みながら、死後の永遠の命に関してまったくの無関心を決め込み、これを学ぶためにも一銭たりとも使おうとしない姿は、まったく病気だとしか言いようがありません。真実のところ、彼らは神の御目には「死んでいる」のです
(エペソ2:1,5)
 ★主イエスが、
「不正な家令(管理人)のたとえ」で教えようとしておられる真理はこのことなのです。すなわち、不正な家令が第二の人生の安泰のために、今その備えを始めているように、あなたもこの世の富を来たるべき世の永遠の生活のために投資しなさいということです。
 ★私たちキリスト者が、世の終わりの裁きと死後のいのちがあることを信じる重大な根拠は、イエス・キリストの復活の歴史的事実です。

 
「神は義をもってこの世界を裁くためにその日を定め、お選びになった方(主イエス・キリスト)によってそれを成し遂げようとされている。すなわち、この方を死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人々に示されたのである」使徒17:31

B.神はすべての人々が悔い改めて救われることを望んでおられる

 ★神はすべての人々が自分の罪を悔い改めて、主イエスを信じて救われることを切望しておられます。そのために、キリスト教会の伝道によって福音を聞いた人々が信じて救われることを期待しておられます。

 「この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである」Tコリント1:21


 ★神は、決して信仰と救いを強制なさることはありません。信じる信じないは万人の自由です。
 ★しかし、唯一の救い主であるイエス・キリストを拒否する人々は、自分のすべての罪の裁きを受けなければなりません。
 ★従って、父なる神は全世界の人々に福音が伝えられ、救いに予定された人々
(使徒13:48)が、すべて救われる日が来るのを、忍耐して待っておられるのです。
 ★キリストの降誕から主が、2000年以上もの永きにわたって待っておられるのは、それは待ち過ぎるのではと、私たち人間の側は考えますが、主にとっては、「一日は千年のようであり、千年は一日のようなのです」。すなわち、主にとっては十字架と復活の出来事が起きてから、まだ3日も経っていないのです。

U.主の再臨を早める
A.主の再臨を「早める」とは

 ★上記12節は新改訳では「その日の来るのを速めなければなりません」と訳されていますが、口語訳ではこの言葉が出て来ません。
 ★これは、新改訳で「(その日の来るのを)速める」と訳されている言葉(ギリシャ語/スピュードー)が、「早める」という意味と共に「熱心である」という意味をも持っていることから来ています。
 ★従って、新改訳が「神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません」と訳しているのに対して、口語訳では、節がずれてはいますが、「神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなた方」と訳されている訳です。


B.「その日を熱心に待ち望むこと」と「その日の到来を早めること」

 ★「世の終わり」と「キリストの再臨」の日時は、父なる神がご自分の権威によって定めておられることで、御子なる主イエスにさえまだ明かされていない、と主イエスご自身が語っておられます
(マタイ24:36;使徒1:7)
 ★従って、原則的には私たち人間の側が、何らかの努力によってその日を早めることは出来ないことになりますが、しかし、信仰の世界においてはこの二つのみ言葉は両立するのです。
 ★すなわち、私たちキリスト者がその日の到来を熱心に待ち望み、「御国が来ますように」
(マタイ6:10)「主イエスよ。来てください」(黙示22:20)と真剣に祈る時、「全世界に出て行って福音を宣べ伝える」(マルコ16:15)熱意と機運が盛り上がり、終末到来の条件の一つとしての世界宣教(マタイ24:14)が達成され、主の再臨が結果的に人間の側から見て早められることとなります。

V.主の再臨を迎える方法

A.祈り、伝道、聖い生活

 ★主の再臨の日を早め、かつふさわしく迎える方法は、「主よ、来てください」と熱心に祈り、福音伝道に励むと共に、「極力、きよく信心深い生き方をする」(口語訳)ことであり、「聖い生き方をする、敬虔な人」(新改訳)となることであるとペテロは読者に熱く説いています。
 ★その理由として、ペテロは「世界とその中にある一切の見えるものが、火で焼かれ崩れ落ちる頼りないものだから、目に見えるものによらず、信仰によって歩む敬虔な生き方こそ、永遠にさばきに耐える生き方だからだ」と言おうとしています。
 ★後ろを振り返って塩の柱になったロトの妻
(創世記19:26)のように、私たちがこの世の富に対する執着心を断ち切れないまま、終末を迎えるなら、私たちはこの世と共に滅びてしまうことになります。
 ★今という時に、王(神)の救いの招きに対して、「今忙しくて王の招きに応じている暇がありません」
(ルカ14:16〜24)といった無関心な対応を続けているなら、焼けて崩れ去る大地と運命を共にすることになるでしょう。

B.救い主イエス・キリストの恵みと知識においてますます豊かになる(成長する)こと
 ★主イエスの恵みによって救われた私たちは、この恵みと知識においてますます成長することを主なる神に期待されています。
 ★この手紙を書いているペテロ自身が、この恵みによって救われ、この恵みに成長するクリスチャンの手本となっています。
 ★「ただの人」であったペテロを大使徒に成長させたのはこの主イエスの恵みと知識でした。このペテロは恵みと信仰によって、12弟子の一人となりましたが、主を3度も否認する失敗を犯すも、主の恵みによって再び使徒の地位に留まることを許され、ペンテコステの時には聖霊の力によって3千人を救いに導く大きな働きに用いられました
(使徒2:41)
 ★しかし、その後、ユダヤ人に妥協する信仰姿勢を示したために、後輩使徒のパウロに会議の席上、公然たる手厳しい叱責を受ける失敗を再びしでかしました
(ガラテヤ2:11〜14 /執筆年代AD48-57)
 ★自分の手落ちを直に認め悔い改めたペテロは、この書のこの箇所で述べているように、自分をけん責してくれたパウロを高く評価し、彼を「私たちの愛する兄弟パウロ」と呼び
(上記Uペテロ3:15/執筆年代AD65-68)、ペテロの信仰も神学もパウロのそれと一つであることを公にしています。
 ★「人前で私のメンツをつぶしてくれた」と言って、恨みをいだくのが凡夫の常ですが、すべてを主のみ手から感謝をもって受け取る、主の恵みに成長し、キリストにある大人・成人に達した使徒ペテロの姿がここにあります。

 
「あざける者を責めるな、恐らく彼はあなたを憎むであろう。知恵ある者を責めよ、彼はあなたを愛する」 箴言9:8

 ★主イエスの恵みによって救われた者は、「棚から牡丹餅」を待つように、「果報は寝て待て」とばかり怠惰に、何もせずに、口を開けてキリストの再臨と救いを待つ者でなく、主の恵みと知識に日々成長を続け、己が救いの達成に励み、キリストの霊的身の丈まで到達することを目指す者
(エペソ4:13)なのです。

 「恐れおののいて自分の救いの達成に励みなさい」(ピリピ2:12後半)。
 「信仰の戦いを立派に戦いぬいて、永遠の命を獲得しなさい」
(Tテモテ6:12)。

 ★主イエスと共に十字架にかかった二人の犯罪人の中、悔い改めて主の弟子となったあの一人にとって、その十字架上の一日は、失われた数十年の一生を贖って余りある、主にあって千年に相当する価値ある一日となりました。
 ★あなたも、主を信じて、み言葉に従って、一日一日を敬虔に、聖く義しく生きる道を選ぶなら、その一日を千年に値する有意義な時間に変化させることができるのです。



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キリスト紀元2008年 1月 1日公開


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