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   みことば黙想


〈33〉感謝をもって捧げる祈り

 
聖書協会口語訳
 「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰返して言うが、喜びなさい。
 あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。
 ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう」。
ピリピ4:4〜7

 新改訳
 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
 何事も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」。
ピリピ4:5〜7

 
T.祈ることのできる幸い
 ★私たちキリスト者は救い主イエス・キリストの故に、天地の主であられる全知全能の神に祈ることが出来るので、幸せ者です。
 ★人と悪魔が協力して造りだした偽りの神々・偶像にではなく、悪魔も恐れおののく真の神
(ヤコブ2:19)にこそ祈りと感謝と賛美は捧げられなければなりません。
 ★悪魔が支配する邪悪な世にあって安らかな日々を送ることの出来る秘訣は、唯一のまことの神に主イエスの御名によって求めること願うことを何でも遠慮なく申し上げて、神様に知って頂くこと(キリスト者の特権としての祈り)です。
 ★筆者は毎朝、聖書を6章(旧約4章、新約2章)を読んで、主の祈りを手本にして、自分のことや家族のこと、教会の兄弟姉妹のこと、世の人々の救いのことなどを祈ります。
 ★聖書のこの箇所も言うように、この毎朝の祈りによって筆者の心の平安は確実に守られています。7節の「平安が心を守る」とあるその「守る」というギリシャ語「フルーレオー」は「守備隊を駐屯させて守らせる」という意味があります。政府の要人の家の近くに臨時の警官詰め所が設置されて要人の警護に当たっているのを見たことがありますが、そのように、神は私たちキリスト者の心を聖霊とみ言葉によってその平安を守っていてくださるのです。

 
U、「喜べ」「祈れ」との命令形の意味
 ★パウロがこの手紙を書いていたのは牢獄の中です。イエス・キリストの福音を宣べ伝えたために捕らわれの身となったのです。そのパウロが、牢獄の外にいる自由人に向かって、「喜べ」と命じているのです。
 ★喜べない状況・環境の中でも喜べるのが、キリスト者の喜びです。パウロが逆境の中で喜べる理由は、「すべてのことが相働いて益となることを知っている」(ローマ8:28)事から来る喜びです。この世で体験する幸いも災いもすべてが、私たちの今の生活とキリスト再臨の後に再創造される新天新地での生活にとって益となり、最善となるので、感謝できるのです。
 ★私たちはこのことを忘れて、目の前の現実に心を奪われて、悲しみや心配や失望に捕らわれやすいので、み言葉によって、喜びや賛美や祈りに奮い立たされる必要があるのです。
 ★この世における私たちキリスト者の生活は、神に喜ばれる生活の標準に向かっての絶え間ない戦いの生活です。「喜べ、祈れ」とみ言葉によって号令をかけていただかないと、私たちの肉の生来の性質は怠ける方向に私たちを向かわせるのです。

 
V、感謝をもって捧げる祈り
 ★人が感謝する時、それは願いがかなった時、幸せを感じる時、人から何か良いことをしてもらった等の時ですが、人が当たり前のこととして見過ごしていることの中にも、感謝すべきことは一杯あります。
 ★たとえば、身体の不自由な方を見かける時、自分の身体が五体満足であることが如何に感謝すべきことかを思い知らされます。また、不況の中で職を無くし、家を無くした方々が路頭に迷っているのを見る時、衣食住が曲がりなりにも満たされていることの感謝すべき境遇を自覚させられます。
 ★このような、当たり前と思われていた事柄の中に感謝すべきことが一杯あるばかりでなく、私たちキリスト者にはもっと根本的な感謝の理由があります。
 ★キリストなしでは、王様に6000億円の負債のあった人の場合のように(「
仲間を赦さない悪い僕のたとえマタイ18:21〜35)、私たちは巨額の罪の重荷の下で青息吐息の人生を送らなければなりません。自分の罪を無視して生きている不誠実な人々は別にして、人生を真剣に生きようとする人は、自分の罪の現実を避けて通れません。
 ★神の前に6000億円相当の罪の負債のある私たちは自分が罪人のかしらであること
(Tテモテ1:15)に気づく時、ナルドの香油を主イエスの御足に塗った女性のように(ヨハネ12:1〜8)、感謝なしに祈れなくなるのです。

 W、人知では到底測り知ることのできない平安
 ★感謝をもって捧げる祈りから来る「神の平安」は、私たちの理解力の枠を超えて無限の広がりと計り知れない深さを持つ平安です。信仰生活の年を重ねれば重ねるほどその価値を増す平安です。
 ★この平安の有難さは、日々のみ言葉と祈りの時(すなわち、デボーション)を重ねることによって認識を深められます。
 ★日ごとのデボーションを守り続けることは大変な犠牲と努力が求められますが、その報いは大きいのです。パウロとシラスの獄中での感謝の祈りによって、獄舎の扉が全開したように
(使徒16:19〜34)、感謝の祈りは邪悪なこの世のすべての障害物をはねのけるのです。



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キリスト紀元2009年 2月 2日公開


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