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〈5〉ローマ・カトリック教会とマリヤ礼拝


 ★カトリック教会は公式的には「マリヤを礼拝しているのでなく、崇敬しているのだ」と言っていますが、実際には、信徒に「マリヤに祈りを捧げること」を教え、マリヤを神格化しています。カトリックの描く幼子イエスを抱くマリヤ像と十字架にはりつけになったキリスト像は、信徒に「マリヤの偉大さ」と「同情に値するキリストの無力さ」を印象づけます。
 そこでカトリック教会の人々は、キリストによりも、はるかに多くマリヤに祈りを捧げます。自分たちの罪に怒るキリストをなだめ、とりなしてもらうためにマリヤに祈るという訳です。
 聖書に関するQ&A Q12.主イエスは何故母マリヤに「婦人よ」と呼びかけられたのか?ご参照

 ★キリスト教会の歴史の中で始めの150年程はマリヤ礼拝はまったく見られませんでしたが、皇帝コンスタンチヌスが対キリスト教友好政策を取り、後の皇帝テオドシウスがキリスト教を国教と制定するや、にわかクリスチャンとなった元異教徒たちが偶像礼拝の習慣を教会の中に持ち込んで来ました。それで、かれらは以前拝んでいた偶像の替わりにマリヤ像や聖人像を拝むようになったのです。
 ★カトリックの指導者階級(聖職者階級)にとって、マリヤ礼拝は信徒たちを治めるのに都合がよかったのです。マリヤは黙々と従順に育児や家事をこなす主婦信徒や無料奉仕に近い奉仕活動をする修道女たちを慰め、励ます模範となったのです。
 ★上記のような背景に対して信徒たちの目を閉じさせ、盲目的に体制に従う従順な群れに保つために、カトリックは聖書を長年にわたって信徒たちが読めない死語ラテン語の中に閉じ込めて来ました。
 ★去年公開された映画「パッション(キリストの受難)」は、多くのプロテスタント教会でも話題となりましたが、この映画がカトリック教理を土台にしたカトリックの宣伝映画でもあることは余り知られて無いように思います。
 ★筆者自身は、聖書で十分満足していますので、このての娯楽映画を見たいとは思わないのです。ただ、未信者や求道者を指導するための参考に見ておいてもよかったかなとは思います。
 ★さて、制作者メル・ギブスン自身が明かしているように(The Passion-Evangelical Leader's Hall of Shame)、この映画は、新約聖書だけに基づいて作られたのではなく、カトリック修道女アン・エメリック(1774〜1824)の見たキリスト受難に関する幻を描いた同修道女の著書「イエス・キリストの悲痛な受難」に出てくる記述をも取り入れて作られています。問題は、この修道女がオカルト(下記注釈ご参照)実践者である点にあります。すなわち、新約聖書以外の受難の情報をサタン(主イエスはサタンを『偽りの父』と呼んでおられる。ヨハネ8:44)から手に入れているという点です。
 ★この映画には聖書の、有名な次の場面が意図的に削除されているとのことです。
 「イエスを裏切ったユダは、その場所をよく知っていた。イエスと弟子たちとがたびたびそこで集まったことがあるからである。
 さて、ユダは、一隊の兵卒たちと祭司長やパリサイ人たちの送った下役どもを引き連れ、たいまつやあかりや武器を持って、そこへやって来た。しかしイエスは、自分の身に起ころうとすることをことごとく承知しておられ、進み出て彼らに言われた、『誰を探しているのか』。彼らは『ナザレのイエスを』と答えた。イエスは彼らに言われた、『私が、それである』。イエスを裏切ったユダも、彼らと一緒に立っていた。イエスが彼らに『私が、それである』と言われた時、彼らは後ろに引き下がって地に倒れた。」ヨハネ18:2〜6
 ★ここには、権威を持った強い御子なる神としてのキリストの姿が描かれています。この直後、ペテロが大祭司の僕の片耳を剣で切り落とした時、キリストはその僕の耳を癒した(ルカ22:50、51)後、弟子たちに、「私が祈って、父なる神に12軍団以上の天の使いたちを、今遣わしていただくことが出来ないと、あなた方は思うのか」(マタイ26:51〜54)と言っておられます。すなわち、キリストはその気になりさえすれば、敵どもをけ散らすことを、いとも簡単にお出来になるのです。しかし、それでは人類の救いの事業はだめになってしまいます。キリストは、私たちの罪のために十字架にかかり、死後三日目に栄光のからだによみがえるためにこの世に来られたのですから(マタイ20:28;1ペテロ2:22〜24;ピリピ2:6〜9)。
 ★この本当は強いイエス・キリストが故意に隠され、マリヤの助けを借りて、すなわち、マリヤを共同の救い主に仕立ててやっと救いの事業をやり遂げたというカトリック的な弱い(不完全な、ゆがめられた)キリストがこの映画では描かれているのです。この映画は、決して純粋な福音を伝える作品ではないのです。

 ★注釈「オカルト」

 ラテン語のoccultare オクルターレ「おおい隠す」という意味の動詞から来たことばで、魔術、占い、まじない、死者との交流などの悪霊と関係をもつ秘術、一言で言えば、「サタン礼拝とそれに関わる事」を指します。これに関わりをもつ者は、サタンと共に裁かれます。聖書は、これを十戒の一戒と二戒に反する重大な罪とみなします。「あなたがたのうちに占いをする者、卜者、易者、魔法使い、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。」(申命記18:10〜14)


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キリスト紀元2005年 3月 10日公開

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