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〈4〉万人祭司の時代

 ★福音派教会の礼拝を見ると押しなべて牧師の存在と役割が大きすぎ、あたかも説教を聞く会のような観を呈しています。カリスマ派の教会もこの点は同じで、牧師が説教も癒しの祈りも一人で担当し、一般信徒はスタジアムで競技を観戦する観衆のようです。
 ★新約聖書の描く初代キリスト教会はこれとは様子が違います。キリストのからだの手足として全員が積極的に参加する礼拝の様子が描かれています(1コリント12〜14章)。まず、九つの聖霊の賜物ですが(12:8〜10)みなの益のために、各々にそれらの賜物が与えられている(同12:7,11)とあります。牧師の役割はみことばを宣べ伝えることと共に、キリストのからだなる各聖徒に与えられている聖霊の賜物を引き出し、育て、礼拝や集会の中で用いさせることです。預言、異言、その解き明かしばかりでなく、各聖徒に与えられた様々な癒しの賜物などを教会の礼拝ばかりでなく聖徒の交わりの中で用いるよう指導して行くのです。あるカリスマ派の信徒は家庭の中で癒しの賜物を発揮していながら、教会ではそれを用いていません。用いる機会を教会が与えていないと言った方が正しいかも知れません。
 ★「私は聖霊の賜物をもっていません」と多くの信徒は言うかもしれません。しかし、聖書は「求めなさい。そうすれば、与えられます」(ルカ11:9〜13)、「聖霊の賜物を熱心に求めなさい」(1コリント12:31;同14:1,12)と言います。聖霊の賜物は一方的に与えられるものでなく、熱心に求める者にだけ与えられるもののようです。
 ★集会で預言が行われる場合、二人か三人が語り、ほかの者はそれを吟味する形で、一人ずつ残らず全員が預言できると聖書は言っております(1コリント14:29〜31)。新約時代の預言は、「徳を高め(信仰を築き上げる)、励まし(神の道に励ます)、慰める(心の傷を癒し、霊的健康を回復させる)」(1コリント14:3)ためのもので、一部の教会で行われているように教会の進路を道案内するためのものではありません。
 ★このようにして、礼拝や集会を聖霊の導きに委ねる時、その礼拝や集会は超自然的要素を伴うものとなり、来るべき世の力を体験する場となるのです(ヘブル6:5)。新約時代の教会にはキリストのほかにスーパースターはいらないのです。万人祭司の時代ですから(1ペテロ2:9)、キリストを頭とするキリストのからだを皆の奉仕で築き上げて行くのです。


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キリスト紀元2003年 6月 1日公開

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