Pediocactus sileri
    (Engelmann) L.Benson 1961

    ペディオカクタス・天狼(てんろう)

 ガラス細工の繊細な美しさと、荒々しい野性味。自生地の過酷すぎる環境が育んだその生態は、栽培者に求道者の境地を求めるかのようです。天狼はどんな視点から見ても、サボテンを愛する人にとって最高峰と呼べる植物ではないでしょうか。実際、スクレロカクタスの白紅山とならんで永く北米難物種の双璧として語られてきました。しかし、カリフォルニアに広く分布する白紅山と違い、アリゾナとユタのごく狭い地域にしか生育していないため、国内への導入数もごく少なくて、ワシントン条約以前の輸入球黄金時代にも伝説のサボテンでした。私自身は20年ほど前に輸入株をカタログで見たことが数度ありますが、到底手も足もでない高額なものだった記憶があります。当然、それらの天狼は大事に栽培された筈ですが、当時の株で今残っているものは皆無と思われますし、ほかのサボテンのように二世三世が伝えられることもありませんでした。最近でもごくたまに輸入種子による接ぎ苗を見かけますが、これらは姿も刺も間延びして「伝説の強刺サボテン」の片鱗を窺い知ることは出来ません。むろん、実生正木で本来の風格を持つまでに育った苗は、国内外ごく数人の趣味家の栽培室以外には存在せず、まさに幻の名品となっています。もしかするとこと天狼に限っては、他の多くのサボテンのように栽培植物として私たちを楽しませてくれることを期待せず、野においてその荒ぶる姿を畏怖すべきなのかも知れません。しかし私はそれでもなお、実生すれば発芽率悪く、湿潤な環境ではすぐ腐敗し、径1センチまで育つのに3年もかかるこの”極難物”を、自らのものとすること諦められずにいます。
 
 天狼は、径5〜12センチ、高さ5〜25センチくらいに育ち、多くは単幹ですが、まれに群生することもあります。漆黒〜赤褐色〜黄金色〜白色の中刺(3−10本)と、白色のガラス質の側刺(11−15本)が、球体が見えないほど密生しています。中刺も若苗では透明感のある美しいものですが、古株ではテロカクタスの鶴巣丸のようにささくれて豪壮な印象を与えます。花は5月頃咲き、径長さとも2−2.5センチくらいの漏斗状。黄色から薄い桃色で、エスコバリア・ビビパラのように、花弁の周縁部にフリンジ(微毛)があります。種子は艶のない灰黒色で3ミリ以上ある大きなものです。
 自生地は、ココニノ郡を中心とする米アリゾナ州北部、そしてユタ州南部のごく一部。狭い範囲に限られていて、多くはネイティヴアメリカンの居留地です。標高1400メートル前後のなだらかな丘陵地で、石膏泥の地層と赤い砂岩系の地層の境目付近にコロニーが集中しています(大地の色が白から赤に変わる境目)。多くはカピカピに干上がった、ほかの植物がほとんど生えていない場所で、夏は摂氏40度を超え、冬は氷点下10度を下回る過酷な環境です。乾期の彼らは収縮し、刺で球体の緑も見えず、およそ生きているのか死んでいるのかも不明な風貌。ひび割れた不毛の大地に、ささくれた刺で武装した天狼がしがみつくように生えている様は、見る者に畏敬の念さえ抱かせます。自生地のコロニーはいずれも個体密度が高く、数は多いのですが、分布範囲が狭いため、稀少種であることも間違いありません。
 分類のうえでは、かつて「ユタヒア属」とされていたことをご存じの方も多いと思います。その後、Bensonらによりペディオカクタス(月華玉の仲間)に移されましたが、最近ではHuntらがスクレロカクタスに分類しています。ペディオカクタスのなかでは「月華玉」のニグリスピナスにとてもよく似ていますが、花や刺の質などではエスコバリアやテロカクタスとも共通点が多い。一方、実生苗の姿や生育プロセスなどではスクレロカクタスにも近い部分があります。そしてまた「英冠」のエキノマスタスとも似たところがあります。つまり誰にでも似ているようでいて、実は誰にも似ていないサボテンが天狼なのです。現状ではペディオカクタスとするかスクレロカクタスとするかで見解が分かれていますが、いっそ一属一種であった「ユタヒア・シレリ」を復活させては?などと思ったりもします。もっとも、このユタヒアという名のもととなった「ユタ州」のコロニーは実はアリゾナ州内であったことが後に判明しています。下の写真のユタのコロニーはそれとは別の場所です。このページでは、総合的な特徴がスクレロカクタスよりもペディオカクタスに近いという私の私見と、多くの栽培家のあいだでもペディオカクタスとして扱われている現状に鑑み、表記の扱いとしました。
 
 栽培に関しては、ペディオ・スクレロのなかでも最難物(それにしても、美しい植物ほど難しいのはなぜなんだろう?)であると感じています。種子の発芽率はとりわけ低く、一斉発芽も起こりますが、まったく発芽しないこともあり、その理由も判然としません。実生苗も成苗も腐敗菌に強くありません。根がすぐ赤くなります。また、成長期がほかのペディオ・スクレロ類と比べても短く、新刺をあげる期間は年に1か月半くらい。私のところでは2月下旬〜4月いっぱいしか灌水せず、あとは休眠です。秋に水をやっても吸水はしますが、ほとんど成長しません。
 実生苗は最初の2年くらいはヒョロヒョロ育ちますが、これは自生地でも同じ。大地のひび割れのなかから地表に向かって伸び上がるのです。しかし、径1センチくらいになると根が充実して伸縮自在になり、成長期には高さ3、4センチあっても休眠期には地表1センチほどまで縮む感じになります。私のところでは、径3センチくらいまで実生で育っているものがありますが、雰囲気は野生株とあまりかわりません。アメリカのある栽培家の温室には、野生株同様に育った成球が何本も並んでいましたから、栽培不可能ではないのでしょう。しかし、私のように、腐らせぬよう徒長せぬよう硬作りを心がけると、恐ろしいほど成長はゆっくりで、径3センチまでに10年弱かかります。しかし接ぎ木したものはどうやっても間延びしてしまい、接ぎおろししても結局そこから作り直さないと美しい姿にならず時間短縮になりません。エビ接ぎは正木とほぼ同様に育ちますが、これもすごく成長遅鈍で正木と大差ない。・・とにかく、落ちが多い上に、気が遠くなるほど時間がかかる。それが最大の難しさで、こればっかりはどんなに広くて立派な温室がある人でもどうにもならないだろうし、栽培者の思い入れとセンス、それと気長に待つ心のゆとりがすべて、といったところでしょうか。植物栽培は自然相手なんだなあ、とつくづく実感させてくれます。まさに難物栽培の醍醐味ですが、正直私も、うちの天狼が開花に至る日がほんとうにやってくるのか、自信はありません。しかし、それを実現しているホンマもんの名人がこの世にいることは確かですから、諦めちゃうのはもったいないし悔しい、そう思っていますが。
 伝説の強刺サボテンにして、稀代の難物、天狼。こいつを実生正木で咲かせたら、間違いなく名人として威張っていいでしょう。皆さんも是非、もたもたやってる私なぞ追い越して、この難物最高峰を我がモノとしてください。そして、天狼正木大群生、みたいなのが品評会のベンチを飾る日がいつか来ますことを・・。





     (写真か植物名をクリックすると詳細情報、画像があります)

P.sireli
(Coconino Co. ARIZONA  "North") 天狼

サボテンの王、天狼はアリゾナ州北部、ユタとの州境付近が故郷です。これはなかでも北側に位置するコロニーで、乾ききったカピカピの石灰泥にしがみついて生き抜いています。
P.sireli
(Coconino Co. ARIZONA  "South")

上記よりは南の、やや標高が下ったエリアのコロニー。こちらは石灰とレッドサンドが混じるところ。開花中の写真もあります。
P.sireli
(Coconino Co. ARIZONA  "West")  

これは同じ地域の西寄り、ネイティヴアメリカン居留区にあるコロニー。雨のあとで瑞々しく成長しています。
P.sireli
(Washington Co. UTAH) 天狼(ユタ産)

かつて「ユタヒア属」とされたこともある天狼は、ユタ州のごく一部にも分布します。ほかの植物のほとんどない石灰の山に猛刺の凄まじい姿でしがみついていました。


        





     

    

                          
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