2000.02.11

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門司港紀行◎第日目◎念願の、水城!!

奴国の丘歴史公園●特別史跡・水城 

 

第1日め。この日がいちばん忙しいスケジュールでした。福岡についたあとはひたすら車で移動。まず、立ち寄ったのは「奴国の丘歴史公園」です。ここは、岡本遺跡を整備した史跡公園です。資料館はこじんまりとしたところですが、受付の方が親切で、無料のパンフレットをもらい放題^^;してしまいました。ありがとうございました>受付の方。関東からの訪問客というのはめずらしいらしいです。ちょうど水城についての展示をしていたので、それもうれしかった。水城の木樋の模型など、興味深かったです(これはちょっと写真を撮るのが憚られた)。

奴国の丘歴史公園。閑静な住宅地のなかにあります。銅矛のオブジェが出迎えてくれます。

これは石棺の上の部分。公園内にあります。上のほうに移っているのが「覆屋(おおいや)」です。

岡本遺跡を整備した史跡公園です。これは全体図。けっこう広いのです。公園の入り口付近に資料館があり、背後の丘が遺跡です。

遺跡である丘には覆屋があります。そこでは遺跡の甕棺墓(かめかんぼ)群のいくつかを公開しています。

「奴国の丘歴史公園」をあとにして、「水城」へ向かいます。その途中、見晴らしのよさそうな丘の上の公園に立ち寄ります。その心は...水城がみえるかなと思って。水城は巨大な遺跡(というよりもう地形の一部という状態)なので、高いところからみえるだろうと。

歴史公園のあと、もうひとつ公園による。そこから水城をみるためです。これはその公園の一番高いところにあった方位盤です。水城のことも書いてあったがこの写真では見えないですね^^;

 

で、方位盤付近からの眺め。公園の向こうに高速が通ってるのわかります?そこできれてる木の連なりが水城なんです。高速道路などで分断される前は、この公園のほうまで伸びていたのです。

「特別史跡・水城」に着きました。じつは、ちゃんと遺跡になっているのか自信はなかったんです。看板が立ってるだけかな、と。ところがちゃんと遺跡としてありました。水城を分断してる道路の脇に、看板と木樋の模型が。さらに道路をはさんで向かい側に小さな公園があるのですが、そこに説明板がありました。しかもさらに細い道を隔てて公園があり、その奥には駐車スペースも。ちゃんと水城見学ができるように考えられているのです。感動。

「水城」そのものは、もう……感動のあらしです。中大兄皇子(天智天皇)がここを作ったんだ!と思うともう、それだけで。それにしてもすごい土木工事だったと思います。その前に唐・新羅連合軍に大敗していますが(白村江の戦)、「大敗直後でこんなものが作れるのだろうか」というのが率直な印象です。大敗にしても、国力は残していたのでは? いずれ「水城」についてちゃんと調べてみたいです。

水城の規模: 長さ1.2km 基底部の幅 80m 高さ 10m

特別史跡・水城跡。史跡として説明板や近くに駐車スペースがありました。

真ん中の車の後ろに見えるのが水城の断面。この道路(国道3号線かな?)は水城を分断しているのです。


水城は、外観上は長く大きな堤です。しかし、中の構造はけっこう複雑。堤の外側(海側=福岡方面)に水を溜めるため、その下を縦横に木樋が設置されていました。この写真はその樋の断面模型です。大樋の場合、その断面は幅120cm、高さ70cm。これを1.2kmの長さの堤の下に通したのですから、どれほどの大工事だったかがわかります。


史跡碑、断面ときて、今度はどーんと眺めたもの。手前からの木の連なりが水城です。

反対側。この水城の他に、小さめの水城跡がいくつか発見されています。水城が築造された場所は、現在の春日市・大野城市で、福岡市より内陸です。


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