【 な行 】


 眺めのいい部屋  ★★★★

【1986年 : イギリス】
 監督:ジェームズ・アイヴォリー/音楽:リチャード・ロビンズ
 出演:ヘレナ・ボナム・カーター(ルーシー)、
    ジュリアン・サンズ(ジョージ・エマソン)、
    マギー・スミス(シャーロット)、
    デンホルム・エリオット(Mr.エマソン) 、
    ダニエル・デイ・ルイス(シシル)、
    サイモン・カラウ(ビーブ牧師) 他

20世紀の初頭、フィレンツェを訪れた良家の令嬢が、そこで出会った青年との恋を通して大人の女性へと目覚めてゆく姿を描くラブロマンス。
イギリスのお嬢さんであるルーシー・ハニーチャーチ(ヘレナ・ボナム・カーター)は、少々頑なな所はありますが、感覚的にはわりと現代女性に近い感じです。言いたいことははっきり言うし、自分という人間をきちんと見て欲しいという願望も持っている。 それに対してマギー・スミス演じる年上の従姉、シャーロットは滑稽なほど慣習を気にする古いタイプの女性です。愛やロマンスに興味はあるけど、それを表に出すのははしたないと信じて大げさに敬遠する、昼メロでよく見るお節介おばさんみたいな人。そういう二人の噛み合わない対比がこの作品の重要なエッセンスになっています。
ルーシーは令嬢としてのしつけは一応されていますから、教養のない失礼な男は嫌いですが、イギリスの階級意識に束縛されない自由な考えの持ち主であるエマソン親子には興味があります。とりわけ、妙に哲学的でそのくせ情熱的な息子ジョージからのアプローチには少なからず心を動かされているのです。でもそれを素直に態度に出すことはできません。元来の意地っ張りと、やはり古来からの階級意識も邪魔をしているのでしょう。そんな彼女がとうとう意地を捨て、“眺めのい部屋”を得るまでの物語がゆったりと描かれています。

監督のジェームズ・アイヴォリーは同じE.M.フォスターの原作を三部作と称して映画化しており、本作はその第一作目に当たります。二作目が「モーリス」、三作目が「ハワーズ・エンド」。いずれもアイヴォリー印ともいうべき独特の情緒に溢れています。
出演している役者もおなじみの顔ぶれが多く、特にヘレナ・ボナム・カーターは三作とも皆勤賞ですね。その弟役であるルパート・グレイヴスも引き続き「モーリス」で重要な役を与えられています。
好青年な男前、ジュリアン・サンズは言うに及ばず、特筆すべきはダニエル・デイ・ルイスのお堅い紳士ぶりでしょうか。背筋に定規が入ってそうなシャチホコばった佇まいが笑える。いろんな役をやるたびにまったく別人になってしまう彼の芝居は本当にお見事です。
最近になって発売された完全版DVDでは、ビデオ版に比べると字幕も微妙に変更されているようです。ちょっとわかりやすくなったかな?しかし復活したあの未公開シーンは永遠に未公開でよかったんじゃないかと・・・。趣味に走り過ぎです監督(ていうか原作者)。
物語自体は決して劇的ではないけれども、なんともいえず色香のある作品です。オープニングに流れるプッチーニの「私のお父さん」を耳にすると、その色香がすぐにでも目の前に蘇る、個人的にとても好きな作品。



 ニュー・イヤーズ・デイ 約束の日  ★★★☆

【1999年 : イギリス】
 監督:スリ・クリシュナーマ/音楽:ジュリアン・ノット
 出演:アンドリュー・リー・ポッツ、ボビー・バリー、
    マリアンヌ・ジャン・バプティスト、
    アナスターシャ・ヒル、ジャクリーン・ビセット、
    ラルフ・ブラウン 他

イギリス南部に住む17歳の二人の少年が過ごす、苦悩と葛藤の1年を描く青春ドラマ。
親友同士であるジェイクとスティーヴンはその年の暮れ、クラスメートと共に待望のスキー旅行に出かけたが、突然起こった雪崩事故に巻き込まれる。気の合う仲間も、想いを伝えたばかりのガールフレンドも一瞬にして失ってしまい、生き残ったのはジェイクとスティーヴンの二人だけ。絶望したジェイクは一度は死を決意するが、そんな彼にスティーヴンがある提案をする。自分たちに「12の課題」を課し、それを遂行したら1年後の“ニュー・イヤーズ・デイ”に一緒に死のうというのだ。
『新聞の1面に載る』『銀行強盗をする』『警官を殴る』。そんな奇妙な課題をスティーヴンはひとつひとつ達成していく。一方ジェイクはそうして起こる家族や世間との摩擦に向かい合うたび、少しずつ自分と周囲の関係を見つめ直していた。次第にスティーヴンに付き合いきれない気分になるジェイク。だが、実は「12の課題」にはある誓いが隠されていたことを知るのだった・・・。

思えば十代の頃、世界は狭かったなあ、などとつくづく遠い目をしたくなります。
大人から見れば取るに足らないような瑣末な不安に躓き、迷い、憤り、しょんぼりと肩を落としていた頃。短絡的で浅はかな、子どもっぽい理由付けが、まるでこの世の真実みたいに思えたりして。
ジェイクとスティーヴンの誓いは、画面のこちらから見ていると大層痛々しい感じもします。そんなに必死に、刹那的にならなくたってさぁ、と思わず声をかけたくなる。
でも彼らの目に映る世界はあまりに狭くて、たったひとつの目的のためにしかもう走れないと固く信じているのです。若いよねえ。それが羨ましいと思う年でもないけど、よく似た感覚に気が重くなった自分も確かにいたなあ、ということを思い出させてくれました。
『ぼくたちが大人になれない、12の理由』というこの作品のキャッチコピーは、まさしくその甘苦い感じ。
二人ぽつんと途方に暮れるの少年たちの姿は、誰かにとっては路傍の石であり、誰かにとっては思い出のきれいなガラスかもしれない、そういう小品です。



 ニューヨークの恋人  ★★★

【2001年 : アメリカ】
 監督:ジェームズ・マンゴールド/音楽:リチャード・ロビンズ
 出演:メグ・ライアン(ケイト)、
    ヒュー・ジャックマン(レオポルド)、
    リーヴ・シュレイバー(スチュアート) 他

タイムスリップにより出会った男女2人を描くロマンティック・ラヴストーリー。
1876年、ニューヨーク。レオポルド公爵(ヒュー・ジャックマン)は、愛する女性とめぐり逢えないまま、結婚相手を決めざるをえない状況にあった。そんな時、彼はブルックリン・ブリッジから落ちてしまい、現代のニューヨークにタイムスリップ。広告会社で働くキャリアウーマンのケイト(メグ・ライアン)に出会うが、彼の時代錯誤で奇妙なふるまいに周囲は戸惑うばかり。だが仕事にも恋にも疲れていたケイトは、やがて彼の誠実な心に引き寄せられていく・・・。

19世紀と現代をつなぐ物語ということで、セットや衣裳にはそこそこ金かかってるようにも見えます。 が、いかんせんストーリーが・・・オチがー・・・。
ラブコメ女王のメグ・ライアンを起用したとはいえ、ヒロインの魅力がイマイチ伝わってこなかったのが惜しまれます。こんな女性を好きになるかなあ、百数十年前の男がさあ。
二人が惹かれ合っていく過程が結構むりやりというか、ある意味演出しすぎというか。
ヒュー・ジャックマンは相変わらず濃ゆいけどいい男だし、まあ白馬にさえ乗らなけりゃ見栄えとしてはいい感じだと思うんですが。残念残念。



 ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア  ★★★★☆

【1997年 :ドイツ】
 監督:トーマス・ヤーン /音楽:フランツ・プラザ
 出演:ティル・シュヴァイガー(マーティン)、
    ヤン・ヨーゼフ・リーファース(ルディ)、
    モーリッツ・ブライプトロイ(アブトゥル)、
    ティエリー・ファン・ヴェルフェーケ(ヘンク)
    ルトガー・ハウアー(クルテッツ) 他

海へ向かって突っ走る難病のアウトロー・コンビと、彼らを追うふたりの落ちこぼれギャングが繰り広げるアクション・ロードムービー。
致命的な腫瘍を脳に抱えたマーティン・ブレスト(ティル・シュヴァイガー)と末期骨髄腫のルディ・ヴリッツァー(ヤン・ヨーゼフ・リーファース)はそれぞれ余命幾許もないと宣告され、「末期病棟」の同室に入院させられる。勝ち気で粗暴なマーティン、気弱で内向的なルディ。性格もまったく正反対の二人だったが、病院の厨房に忍び込み、テキーラを酌み交わしながら話すうちマーティンがこんなことを言い出した。
「天国じゃ、みんなが海の話をするんだぜ。 海がどんなにきれいかってね」
だがルディはまだ一度も海を見たことがない。
「海を見たことないやつは指くわえてるしかないな。おまえ、話に加われないぜ」
二人はこうして病院を抜けだし、最後の旅へ出ることにした。盗んだベンツが、大金の積まれたギャングの車だとも知らないで・・・。

当時タクシー運転手をしながら自主映画を撮っていたトーマス・ヤーン監督が、偶然出くわした人気俳優ティル・シュヴァイガーに「読んで!」と書き溜めていた脚本を送りつけたことから生まれた作品。けっこう無謀です監督。しかしティルはその脚本をたいそう気に入り、製作・脚本・主演の3役をこなしたうえ、本作のために製作会社まで立ち上げて奔走したそうですよ。
ティル・シュヴァイガーは非常に男臭い色気のある役者で、以前「ブルート」というドイツ製マイナー作品を見て以来、ものすごくインパクトのある人だなあと思っていたドイツの俳優です。作品の冒頭で彼が振り向いて見る女性は自身の奥様。微笑みかける赤ん坊は息子さんだそうな。
この物語の背景には常にマーティンとルディを待ち受ける“死”があるはずなのですが、 繰り広げられるのは不思議なほど陽気でコミカルで爽やかな世界。やってることは無茶苦茶なのに決してヤケクソなわけではなく、生きている今を楽しみたい、夢を叶えたいという彼らの姿がそうさせるのでしょう。脇で絶妙の掛け合いを見せてくれる落ちこぼれギャングの二人組みも相当イイ味です。彼らがいてこその軽妙さであることは間違いありません。
ナイーヴなルディの背をドンと押して冒険に連れ出すマーティン。発作を起こして苦しむマーティンを、まるでお母さんのように労るルディ。そんな二人が絶体絶命のピンチを迎えたとき、ぎゅっとお互いの手を握り合うシーンが可愛かった。すごく好きな場面です。
静かに穏やかに迎えるラストの光景が秀逸。淋しいけれどもどこかあたたかく、タイトル曲が一層心に沁みてきます。見る人を選ばずたくさんの方にオススメできる映画ですよ。



 ノッティングヒルの恋人  ★★★★

【1999年 : アメリカ】
 監督:ロジャー・ミッチェル/音楽:トレヴァー・ジョーンズ
 出演:ジュリア・ロバーツ(アナ・スコット)、
    ヒュー・グラント(ウィリアム)、
    リス・エヴァンス(スパイク)、ジーナ・マッキー、
    ティム・マキナリー 他

アメリカのスター女優としがない本屋の店主の、偶然から生まれたラブストーリー。
ノッティングヒルにある小さな書店の店主のウィリアム(ヒュー・グラント)は、正直者だが口べたで、妻にも去られた今では平凡な日々を淡々と送っている典型的な英国人だ。珍妙な同居人の言動に振り回されたり、気の合う仲間に冷やかされたりすることはあっても、それもまた愛すべき穏やかな日常だった。
ある日、ハリウッドの大女優アナ・スコット(ジュリア・ロバーツ)が彼の本屋にふらりと現れるまでは…。

Q.)もしも『ローマの休日』のアン王女が、全て捨てて凡人の男の元へ駆けてきてくれたら?
A.)イヤイヤ、そんなことはありえねェ。世の中そんなうまい話あるはずねェ。
というわけで、これはある意味『ローマの休日』では叶わなかった幸せの形を楽しむことができるラブストーリーかもしれません。女性には非常に人気の高い作品です。
ウィリアムを演じるヒュー・グラントはこの作品でまた一気にラブコメ路線に道を示したわけですが、共演者の中ではなんといってもリス・エヴァンスのスパイクぶりが光ってました。
スパイクは正体不明のとんでもなくおかしな男。だけど唯一ウィリアムに建前抜きの正直な助言をしてくれる相手でもあります。お堅いウィリアムとなんとなくうまく暮らしていられるのは、そうした彼のヒューマニズムの賜物でしょう。・・・けど実際身内に持つと苦労するだろうな、こういう変人は。頑張れウィリアム。彼が本物の身内になる日は近い。
売れっ子のハリウッド女優という自身に近い役どころとなったジュリア・ロバーツは、さほど嫌味たらしくなることもなく、かといって女優らしい尊大な振る舞いはそこそこ残しつつ、上手い具合に作品にはまっていたと思います。ま、個人的に一番ありえないと思ったのはこのアナの言動だったんですけどね。出会ったあのタイミングでキスはしないよ普通。そこは未だに最大のナゾ。平凡な本屋のウィルに大女優が恋する過程がイマイチはっきりしないんだよなァ。
とかブツブツ言ってみるのはそれなりに気に入ってる作品だからですよ。上記周辺の細かいステップさえスルーしますと、気持ちよく少女漫画の世界にひたれる一品かと思います。



 ノーラ・ジョイス 或る小説家の妻  ★★★☆

【2000年 : ドイツ・アイルランド・イタリア】
 監督: パット・マーフィー
 音楽:スタニスラス・サイレウィック
 出演:ユアン・マクレガー(ジェイムズ・ジョイス)、
    スーザン・リンチ(ノーラ・バーナクル)、
    ピーター・マクドナルド(スタニー・ジョイス)、
    ロバート・シトラン(ロバート) 他

『ユリシーズ』『ダブリン市民』などで知られるアイルランドの文豪、ジェイムズ・ジョイスを支えた妻・ノーラに焦点を当てた物語。
1904年、アイルランド。情熱的で感情豊かな娘ノーラ(スーザン・リンチ)は、窮屈な田舎町を飛び出し大都会ダブリンへとやってきた。そして繁華街で作家ジェイムズ・ジョイス(ユアン・マクレガー)に出会い、たちまち恋におちる。かねてからアイルランドの閉鎖性に抵抗を感じていたジョイスはノーラを連れイタリア、トリエステに移り住み、ノーラはやがて長男を出産。だが経済的な困窮やジョイスの嫉妬心から、二人は諍いが絶えない。怒り、悲しみながらも夫の支えになろうとするノーラ。妻にきつく当たりながらも、やはりノーラ以外を愛せないジョイス。離れかけてはまた寄り添い、波乱づくめの二人の日々は続いていくが・・・。

なんといってもヘタレすぎるユアン・マクレガーが味わい深い一品。
ジェイムズの青年期から壮年期までを演じてますが、表情や歩き方などそれぞれちゃんとそれらしく見えるところがやっぱり器用な役者だと思います。体型もまさに中年!というぽってりさんになってました。あんなに腹の出たユアンを見ることって滅多にないかも・・・。
そしてまたまた自慢の喉で一フシ(と言わず2、3曲)歌っているんだな。彼が出ている映画で、音楽がまったく絡まない作品の方が少ないんじゃないですかね。
一途すぎて異様にヤキモチ焼きなうえ、牛や雷を怖がるほどキモが小さく、惚れた女を抱くというよりは微妙に抱かれちゃってる感じも漂う受け受けしいジェイムズ。いくら作家とはいえ、かなりヤバイ感じの妄想癖の持ち主でもあります。しかしこんな男をユアンが演じることによって、なんとなく憎めない感じに見えてしまうのはただの役者贔屓でしょうか。(そんな気もすごくする。)
朝の窓辺に立つ妻をベッドから眺める彼の、あの眩しげな顔の可愛らしいことよ。おねえさんは思わずヨロリとした。ノーラもきっと、理屈っぽいわりにはああいう子どもじみた、頼りな〜い感じをほっとけなかったに違いない。と思います。個人的に。
さて、夫婦の在り方というのはどこの国も、いつの時代も千差万別。ノーラ・ジョイスもまた、こんな男を夫に持ったためにいらん苦労を色々させられます。それはノーラという女性が元来持っていた奔放さや自由な精神が招いた部分もありますけれども、結局のところジェイムズにとっての唯一の女性はノーラでしかありえず、ノーラにしても同じことだったわけですね。あれだけ悶着のあった夫婦なのに、終生添い遂げたという史実にはなんだかちょっと和んでしまいます。つくづく、本人たちにしかわからない絆というものはあるんだなあと思ったことでした。