山行記録(2日目) (1日目) (3日目)
2004年09月18日(土) 晴れのち曇り
コースタイム
北岳山荘 6:05 → 6:48 中白根山 6:52 → 7:54 間ノ岳 8:12 → 9:18 農鳥小屋
9:36 → 10:33 西農鳥岳 → 11:31 農鳥岳(昼食)11:53 → 12:29 大門沢下降点
12:33 → 14:10 大門沢源頭部見える 15:06 大門沢小屋 (泊)
外が明るくなり始めた頃に目が覚め窓の外を見るとまだ日は昇ってこないが徐々に地平線の雲が赤く染まってきていた、富士山が黒いシルエットとなって見える、カメラを構えて日の出を待つが良い写真を撮れないうちに朝日が顔を出し、朝食の時間(5:30)になってしまった、早々に朝食をいただき出発の準備をする、今日の行程も結構長いのでのんびりしていられない。 小屋の前で記念撮影をして早々に出発する、小屋の裏の稜線に上がり中白根山に向かう、今朝の天気は快晴までは行かないが青空が広がっており気持ちが良い、稜線の緩い登りをゆっくりでも40分程で中白根山の山頂に着く、振り返れば足下に北岳山荘の赤い屋根が見え、その先には北岳がそびえている、更に左手から北岳後方には仙丈ケ岳や甲斐駒ケ岳が朝日を浴びて見えている。 ここから間ノ岳へは今日一番の登りになるが、昨日の標高差1700mの登りに比べたら屁でもないと思い登るがやはり応える、間ノ岳山頂に到着、ここは日本で4番目の高峰である、なにせ今日は3000mの稜線縦走で3000mを越すピークを次々と走破するのである。 間ノ岳山頂でも記念撮影をする、昨日から同じコースを歩いている顔も多数見られお互いカメラのシャッターを切り合う。 間ノ岳からは大きく下り鞍部に建つ農鳥小屋に向かう、農鳥小屋から西農鳥岳に上り返す、約300mの標高差だがここを登れば後は大きな登りは無く小さなアップダウンをく繰り返して行く、西農鳥岳の山頂には山頂標識がなく方向標識が立っているだけで知らずに通り過ぎてしまう人もいる、西農鳥岳を過ぎると登山道は小さなピークを巻くように農鳥岳に向かっている、このトラバース道を緩く登って行くと農鳥岳の山頂に飛び出す。 山頂で記念写真を撮り、山頂から少し下がった風の当たらない所で昼食にする、昼食は北岳山荘の弁当で五目酢飯におかずの付いた疲れても食べやすい物で完食する。 農鳥岳を後にする、ここからは下りになり後は登りは無い、この後の下りの大変さも分からずに気分は上々になる、歩き始めて間もなく小雨がぱらつき始めたので傘を出す、風は殆ど無いので傘にした。 25分程で大門沢下降点の鐘の付いた黄色い鉄塔の所に到着した、この鐘は縦走中に吹雪に合い下降点を見つけられずに遭難した登山者の遺族が設置したと記されている。 ここからはほんとの下りだけになる、下り始めは這い松の中を急激に下る、そして樹林帯に入るのだが尚急な下りは続く、登山道はゴロゴロした石の道が続き足の指のつま先や膝に効いてくる、農鳥岳を過ぎた当たりから曇って来ていたので樹林帯(針葉樹)の中は薄暗くなっており気持ちも重くなってくる、途中で足を休ませながら下り続ける事1時間半ほどでやっと沢が見えてほっとする。 沢が見えたのでもう少しかと思ったがここからも約1時間かかりやっと大門沢小屋に到着した、本当の気持ちとして「下りなのにいやになった」です、ごめんなさい。 小屋に着いて宿泊の受付を済ませビールを購入し小屋に入る、この小屋で泊まる場所は冬季に開放する非難小屋部分で山小屋そのままに番号が壁に貼ってあり布団が並べてあるだけである。 しかし今日も登山客は少なく一人布団1枚でゆったりと寝る事が出来る様だ、荷物を置いたら早速にビールで乾杯になった、WTNの酒は昨日で無くなったが今日はYMZが古酒「泡盛」をザックから出す、酒盛りをしている内に外はかなり強い雨になってきた、まだ上から下りてくる人達がいるはずだ、しかし自分らはなんと運が良いのだろう、昨日、今日を振り返って見ると要所々々では雲が取れて視界が開け、雨が降ってもぱらつく程度でぬれる事も無く、高山病にもならず、今は酒を飲んでいる、神様に感謝である。 夕食の時間になり食べに行く、食事は本当の山小屋の食事だ、昨夜の北岳山荘の夕食が豪華ディナーに思えるがありがたくいただく。 消灯は8時だが7時には寝床に付いた、消灯になり電気が消えると、この小屋は谷間の樹林帯の中に有るためか闇につつまれて何も見えない、夜間にトイレに行くには懐中電灯が必須だ。 中々寝付かれなかったが闇の中で目を閉じている内に寝てしまった様だ。