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1998年 下半期

“山椒魚戦争” カレル・チャペック
“時の門” ロバート・A・ハインライン
“木星プロジェクト” グレゴリイ・ベンフォード
“重力の影” ジョン・クレイマー
“ホワイト・ライト” ルーディ・ラッカー
“神の鉄槌” アーサー・C・クラーク
“造物主の掟” ジェームズ・P・ホーガン
“量子宇宙干渉機” ジェームズ・P・ホーガン
“地球は空地でいっぱい” アイザック・アシモフ
“火星夜想曲” イアン・マクドナルド
“10月1日では遅すぎる” フレッド・ホイル
“クリスタル・シンガー” アン・マキャフリイ
“タイムマシンのつくり方” 広瀬正
“大暴風” ジョン・バーンズ
“夜来たる [長編版]” アイザック・アシモフ&ロバート・シルヴァーバーグ
“神の目の凱歌” ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル
“残像” ジョン・ヴァーリイ
“3001年終局への旅” アーサー・C・クラーク
“たんぽぽのお酒” レイ・ブラッドベリ
“中性子星” ラリイ・ニーヴン


“山椒魚戦争” カレル・チャペック (ハヤカワSF)

「ロボット」という言葉の生みの親としても有名な、 チェコの作家カレル・チャペックの小説です。 文庫では岩波文庫で出ていたものが、今年(1998年)、 改訳されて早川書房から出たそうです。

スマトラの近くの島の入江に、二足歩行が出来る、 奇妙な山椒魚が住んでいた。 地元住民はそれを魔物と忌み嫌っていたが、 ヨーロッパ人は、この山椒魚には高い知能があり、 真珠を採ってこさせたり港を作らせたりといった海の労働力として使えることを発見した。 自分では海を渡れなかった山椒魚であるが、 こうしてあちこちの海岸線へと連れて行かれ、次第に数も多くなっていった。 やがて各国が争うように山椒魚を利用するようになっていった。 人間の経済が山椒魚抜きでは成り立たなくなり、そしてその時ついに…。

風刺的な小説なので、 その辺りちょっとまどろっこしいような部分もありますが、 特に第二部以降は引き込まれるような展開を見せ、面白いです。 SF的な部分もよくできています。 日本に関する部分が笑えるのはご愛嬌^^;、 読む価値の充分にある作品です。

この山椒魚に関するエピソードは、果たして、 最終章の作者の内なる声の「望んだ」通りになったのでしょうか? (12/29)

僕の読んだのは上で書いたようにハヤカワSF版ですが、 訳者の違う創元SF版もあるようです。


“時の門” ロバート・A・ハインライン (ハヤカワSF)

ハインライン傑作集4 と銘打たれた短篇集。 表題作“時の門” はタイムパラドクスものの名作と紹介されますが、 ハインラインの場合、「矛盾が生じないのは、 結果的に誰も/何も矛盾を生じるようなことをしなかった/起こらなかったから」 という楽観的矛盾回避 (と命名しよう^^;) だからなぁ。 頭はこんがらがるし、登場人物もいろいろと悩みますが、 結局はなるようになる、という活劇です。

さてさて、“時の門” にはロジックの誤魔化しがあるそうですが、 どこのことを言っているのかはいまいち確信が持てません。 作中で主人公も頭を悩ませているようなところは置いておくとして、 ぱっと読んで真っ先に目につくのは「帽子があるということは、 人影は最初二人でなければまずいのでは?」ということです。 でも、これは調整中にたまたま、帽子とタイミングがあった、 とすればそれほど致命的でもないよなぁ。

で、さすがに辛いのでちょっと図を描いてみると、、、 時間的に収まりの極めて悪い箇所が一つあるんですよねー。 各時間の長さの整合性には多少目をつむるとしても…。これのことかな。 ここで詳しく書いちゃうとネタばらしに近いので、 後でちゃんと図を描き直して別のページにでも書くことにします。

その他細かく突っ込むと、「同じ時刻、 同じ場所に二つの門の末端がある場合、制御装置側からくぐるのはよいとして、 逆にくぐった場合に着く先はどっちになるかは説明できるのか?」 とか「場所を変えずに時間を遡ると、 遡っている先ではずっと門が存在し続けているのでは? (複数の門がオーバーラップしている可能性がかなり高くなる)」 とかも考えられますが、まあ、細かいことでしょう。 あ、でも時間そのままで場所を変えるときって、 通り道にあるものを全て飲み込みながら動くことになるから、 それって凄いことになりそう…。

さて、“時の門” 以外の収録作品ですが、ハインラインとしては珍しく、 ハッピーエンドでないものが多い感じです。 掌編“コロンブスは馬鹿だ” がなかなか良いです。

邦題が“血清空輸作戦” という収録作品がありますが (原題“Sky Lift” )、 赤血球を補い続けなきゃならないんだから、積荷は「血清」 じゃまずいと思うんですが、、、(本文ではちゃんと「血液」になってます)。 (12/25)


“木星プロジェクト” グレゴリイ・ベンフォード (ハヤカワSF)

アレフの彼方” と同じような設定 (ただし時代は遡った頃) の話です。 厳密に設定が同じ、ではないらしいので“アレフ〜” を“続編” とは言っていませんが、裏表紙の紹介では“姉妹編” と書いてあります。 本作にでてくるあの人物の晩年が、“アレフ〜” のあの人物だそうです。 なるほど。“アレフ〜” を読み返してみなければ。

ストーリーは、「SF中学生日記^^;」“軌道通信” の高校生版といった感じです (本作のほうが古いのですが)。 地球から遠く離れた木星の軌道ステーションで、 研究に従事する人たちの中で育つ子供たちの成長の話です。 木星での研究はなかなか成果が上がらず、 地球の経済状況が悪化しているせいもあって、 研究所の規模が縮小されるだろう、 という危機を迎えていることが一つの軸になります。

こういう話もまずまず好きですが、どちらかというと“アレフ〜” のほうが面白いかな。 でも順序としてはこちらを先に読みたいところですね。 (12/18)


“重力の影” ジョン・クレイマー (ハヤカワSF)

“回転場” と名付けられた場の性質を調べようと組み立てられた実験装置を試運転していた物理学者が、 奇妙な現象に遭遇した。 パラメータを変えていくとところどころで説明できないエネルギーの消費が起こるのだ。 やがてそれが、「超弦理論」の一種で予言された、 目に見える物質とは重力以外では相互作用しない、 「影物質」に係わるらしいことが判明してきた。 その知識を論文として発表したい発見者のポスドクや院生に対し、 その技術の特許を得て儲けようと企む教授、 それを横から霞め取ろうとする悪徳企業^^;が陰謀を巡らせ、事態は思わぬ方向へ…。

現役の物理学者が書いたハードSFです。 第一部の、発見したものの性質を調べようとする辺りや、 理系の大学院生の生活の様子が、とってもリアルです。 話としてもまずまず面白いですが、最後のほう、 話が収拾の方向に向かってからがちょっと簡単に片付け過ぎな感じがしてしまうのが、 唯一残念なところでしょうか。 しかしこれはこの著者の第一作だそうですので、今後に期待が持てますね。

…でも、(例によって例のごとくですが) ハッキングとクラッキングは区別して下さいね。 (12/10)


“ホワイト・ライト” ルーディ・ラッカー (ハヤカワSF)

この作品を分類するとすれば、「マッドSF」でしょう (「その定義は?」とか聞かないでおいて下さい^^;)。 いや、Science Fiction というよりは Suugaku Fantasy か? (ルーディ・ラッカーは本職の数学者です)

深い数学の知識が必要なわけではないですが、 「無限」についてはちょっと知っておいたほうがよいでしょう。

どのくらい知っていればよいかというと、「無限」には種類がある、 という辺りです。 以下、知らない方のために下手な説明 (専門でないのでやや間違った説明かもしれません) を試みますので、 知っている方はちょっと (加速状態に入って?) 飛ばして下さい。

☆加速状態はじまり☆

1, 2, 3, … と自然数を挙げていくと、無限に続いていきますよね。 この自然数集合の数 (この場合、「濃度」という言葉を使います)、 「一番小さい(?)無限」です。小さい、ってのも変なので、 無限の度合が低い、と言い直しておきましょうか。 一番小さい、ということは、 「自然数の集合」よりも度合の低い無限は存在しない、ということです。

例えばここで、自然数から偶数だけを取り出したとします。 自然数の集合から 1つおきに取り出すわけですね。 で、偶数というのも無限に続いていますから、 「偶数の集合」の濃度はやはり無限です。 ここで、「自然数の集合から 1つおきに取り出したんだから、 偶数の集合の濃度のほうが小さいんじゃないか?」と思ったあなた。 残念ながら違うんですねー。

「集合の濃度が同じ」とは、「要素同志が一対一に対応付けられる」 ということを意味します。片方の集合が自然数だったら、 もう片方の集合の要素に、一つ残らず番号を付けられ、かつ、 どんな番号を持ってきても対応する要素がある、ということです。 「集合Aの濃度が集合Bの濃度より小さい」 とは、どんなに頑張って集合Aの要素から集合Bの要素への対応づけても、 集合B の中に余りが出てしまう、ということです。

さて、さっきの偶数の話に戻ると、 偶数には簡単に自然数で番号をつけることが出来ます。 1番目の偶数は 2、2番目の偶数は 4、3番目の偶数は…、n 番目の偶数は 2n、 …てな調子ですね。 こうすると、偶数は余ってませんし、どんな自然数を持ってきても、それを 2 倍すれば対応する偶数がわかります。 ということは、実は自然数の集合の濃度と、偶数の集合の濃度は同じ、 なわけです。 不思議な話ですね。 でも、これだけで驚いてはいけません。 実は、有理数 (分子も分母も整数である分数で表せる数) も、 巧妙な手段で自然数の番号をつけることが出来ます。 つまり、有理数の集合もたかだか自然数の集合と同じ濃度 (これを、アレフ・ヌルとかアレフ・ゼロとか呼びます) しかない、 ってことです。

じゃあ、実数はどうか? 実数は、どうがんばって自然数で対応づけようとしても、 絶対に余りがでてしまう、ということが証明されています (その証明の基本的なアイディアは本書を読むと出てきます)。 実数の集合の濃度は、自然数の集合の濃度よりも大きいわけです。 ちなみに複素数の集合は、実数の集合で可不足なく対応づけられます。

では、自然数の集合よりも濃度が大きくて、 実数の集合よりも濃度が小さい集合は存在するのでしょうか? それが「ない」とするのが「連続体仮説」と呼ばれるものです。 実数の集合の濃度はよく c と表されますが、 これがアレフ・ゼロの次の無限の度合、アレフ・ワンかどうか、 という言い方も出来ます。 「仮説」と呼ばれていることからもわかるように、 この命題が真か偽か、今だ証明はされていません。

実数の集合の濃度がアレフ・ワンだとすると、その次の無限の度合、 アレフ・ツーの濃度を持つ集合ってのはあるんでしょうか?

(って辺りでお茶を濁しておきます^^;)

☆加速状態おわり☆

本書のストーリーは、集合論が専門の数学の先生が、 眠っているうちに遊体離脱してしまって、数学的な概念が実体化(?) している天国(?)をさ迷って、高位の無限を垣間見て帰ってくる、 というものです。 粗筋だけ書くと堅苦しそうですが、 「マッド」SF ですので堅苦しさとは無縁です。 (11/23)


“神の鉄槌” アーサー・C・クラーク (ハヤカワSF)

太陽系内にある、地球の軌道を通過するかもしれない小惑星は、 既に全て探知されているはずだった。 しかし、地球への道を辿るその小惑星はさまざまな要素が重なり、 なかなか人の目に触れることはなかった。 そして、それがアマチュアの天文家に発見されたとき、 残された時間は僅かに 8ヶ月。 軌道を僅かでも逸せれば、人類の破滅は免れるが、果たして間に合うのか。 マスドライバー「アトラス」を積んだ宇宙船「ゴライアス」 が「カーリー」と名付けられた小惑星に向かう。

グランド・バンクスの幻影” と同じように、初めに事件がだいぶ進んだ時点での話が少し語られ、 そして過去へ戻って短いエピソードが積み重ねられて話が進行していく、 というスタイルの物語です。 クラークらしく、登場人物などが過剰にヒートアップすることはないのですが、 思いも寄らぬことにより状況は二転三転し、 最終的な地球の命運はどうなるのか、とはらはらさせます。 地球、そして「ゴライアス」の運命は如何に。 (11/18)

…解説を読んでびっくり。えぇっ! モーガン・フリーマン製作・主演で “宇宙のランデヴー” 映画化の製作準備中だって?


“造物主の掟” ジェームズ・P・ホーガン (創元SF)

この冬に続編が出る、というのでたて続けですがホーガンです。 「造物主」には「ライフメーカー」とルビが振られています。 ついでに「掟」にも「コード」 とルビを振ってくれたほうがコードの二重の意味を楽しめるのに^^。 さて、ストーリーは…

百万年の昔、異星人の手による自動工場建設宇宙船が銀河を飛び回っていた。 不幸なことにその異星人たちは超新星爆発の連鎖のために滅んでしまった。 その同じ超新星爆発の影響で、宇宙船自体も変調を生じ、 本来なら工場が作られるはずはない、土星の衛星タイタンに、 欠陥つきの工場を建設して行った。 自動工場建設宇宙船を造れるような異星人たちに作られたものだったので、 欠陥がありながらもその工場は動き続けていた。 しかし、タイタンの厳しい環境ともあいまって、 工場で作られるロボットたちがやがて生物のような性質を得て、 逞しく「生きる」ようになって…。

時は21世紀初頭、彼らを発見した地球人は遠征隊を送り込むが、 その中には何故かいんちき心霊術師も含まれていた。 彼をメンバーに加えたものの真の意図はいったい?

トンデモ本などにだまされる人たちに対する嘆息、 自分で考え、論理的に真実を求める姿勢に対する信頼に溢れた話です。 いんちき心霊術師が主人公の SF ってのも面白いですね。 この本で「もっとも SF らしい」のはプロローグですが、 本編も科学に関する話がばしばし出てきて、 うんうんと頷けるセリフが多いのも楽しいです。 (11/12)


“量子宇宙干渉機” ジェームズ・P・ホーガン (創元SF)

日本では久々のホーガンの長編SFです。 “ミラー・メイズ” や“インフィニティ・リミテッド” はサスペンス物だったし、“時間泥棒” は中篇でしたし。

ストーリーは、実際に唱えられている多元宇宙論を元にした、 “未来からのホットライン” 的な研究・開発を、“創世記機械” のような環境下で行う、というものです。 “内なる宇宙” に近い話も出てきます。 そう考えるといろいろなホーガン作品の要素が詰まっている話と言えるでしょう。 最後の恒例の(?)大立ち回りはあんまり派手なことはないですけどね。

傑作、という程ではないですが、ホーガンらしい、楽しめる作品でした。 でも、残してきた世界のことを考えると…。 ところで、題名がずいぶん重いような気がするので、どうせなら“別天地” とか“どこかへ続く道” (原題は“Paths to Otherwhere” ) とかのほうが良かったんじゃないかなぁ。 (10/20)


“地球は空地でいっぱい” アイザック・アシモフ (ハヤカワSF)

アシモフの SF 小話短篇集といったかんじのところ。 タイトルの通り、地球を舞台にした話ばかりが集められています。 地球が舞台、と言っても時間方向や平行宇宙へと脚は伸ばされるわけですが…。 1950年代に書かれたものということで、 特にコンピュータに関しては古めかしい描写であることが否めません (あんな入出力(特に出力)、ユーザインタフェース屋さんが放っておくものか ^^;) が、話の基本的なアイデアはそんなに古くさくない感じです。 でも、アシモフにしてはいまいちかなぁ、という気もします。 “悪魔と密室” “子供だまし” “笑えぬ話” がおもしろかったです。 (10/9)


“火星夜想曲” イアン・マクドナルド (ハヤカワSF)

砂漠を旅していたアリマンタンド博士は、 小さなオアシスで乗りものを失った。 線路はあるが、列車が来るのは二十八ヶ月も先だという。 独り静かに研究に打ち込むのには良いかと、 博士はそこに居着き、列車が来てもそこに住み続け、 そこを“デソレーション・ロード” (荒涼街道) と名付けた。 そのうち他の人々も住み着くようになり、町が育っていった。 やがて博士は町を守るために時の中に姿を消したが、 存在しなかったはずの町、 デソレーション・ロードははち切れんばかりに大きくなった。 しかし、さまざまな出来事の起こった町もいつか消え去る日が訪れる。 存在しなかったはずのこの町も、例外ではなく、塵へ還っていく。

さまざまな人物、エピソードが織り為すあざやかなタペストリーです。 デソレーション・ロードのある未来の火星は、 ファンタジックな世界で、 ギターの奏でる調べは天を衝き雨を降らせ、 酸化鉄の砂漠からバクテリアが鉄を生やさせ、 時間は巻き取られ、天使は空を飛び、悪魔はチャンピオンに挑戦し、 完全機械化人と魂を得た機械が戦い、閃光を放ちます。 SF 的なものとファンタジー的なものとがうまく混ぜ合わされている感じです。 ちょっと俗っぽすぎるかなぁ、という展開もありますが。 ギターのエピソードや、 海、空、大地のプレゼントのエピソードなどなかなか素敵です。

邦題からも判る通り、多分に “火星年代記” へのオマージュも含まれています。 しかし、タイトルは素直に原題(“Desolation Road” )通りに、 “デソレーション・ロード” か“荒涼街道” のほうがぜっっっっっっったいに良いと思うなぁ。 (この本の感想・書評が書いてあるところではたいていそう書いてあるなぁ^^;) (10/2)


“10月1日では遅すぎる” フレッド・ホイル (ハヤカワSF)

時は、一様に流れるものだろうか? ある日突然、地球上はいろいろな時代のつぎはぎの状態になってしまった。 ヨーロッパは第一次大戦頃で、北米は開拓時代のようだ。 ギリシャは何とソクラテスの時代だ。 何故こうなったかはともかく、 目の前のこの“現実” の世界にどう対処すればよいのだろう? ある音楽家の目を通して事件は語られて行く。

「何故こうなったか」が非常に気になるところですが、 残念ながら、それが解明される話ではありません。 そして、さまざまな時代が同居する世界とはいえ、 荒唐無形な話でもありません。 音楽をモチーフに語られる、ゆるやかな話です。 (9/19)


“クリスタル・シンガー” アン・マキャフリイ (ハヤカワSF)

キラシャンドラ・リーは音楽の道で努力をしてきたが、 素質を否定され夢破れた。 そして「クリスタル・シンガー」のことを知り、 それになるべく故郷を離れた。 クリスタル・シンガーとは、 この世界の星間通信や宇宙船の推進に欠かせないクリスタルを、 銀河で唯一産出する惑星ボーリィブランに於いて切り出す職業である。 繊細なクリスタルを切り出すためには絶対音感を含む、特殊な才能が要る。 行けばなれるとは限らないのだ。 しかも、ひとたび行ってしまえば、 シンガーになれなかったとしてももはや戻ることは出来ず、 シンガーを支えるスタッフの道しか残されていない。 しかし、どのみちキラシャンドラに失うものはないのだ…。

気の強い、めげない女性キラシャンドラが天賦の才と運とで突き進む、 シンデレラストーリーです。 話の中心は、シンガーとクリスタルの不思議、 シンガーの、通常の人間よりも強烈な喜びと苦しみです。 別にクリスタルの謎を解き明かそう、って話ではないです。 クリスタルを歌う、クリスタルと共鳴する、ってどんな感じなんだろうなぁ。 (9/13)


“タイムマシンのつくり方” 広瀬正 (集英社文庫)

たまには日本人作家の SF も読んでみようシリーズ第二弾。 でも、やっぱりつまらなかった…。

主にタイムマシンネタの短篇やショートショートからなる短篇集です。 過去を変えるとどうなるか、「さっき言ったことは嘘です」 と言われた場合、真実なのはこのセリフか、それともさっき言ったことか、 というアイデア*だけ*がえんえんと繰り返される感じです (まあ、違うのもあるけど)。 解説で筒井康隆氏が引用している福島正実氏(SFマガジンの元編集長、 ハインラインの “夏への扉” の翻訳者) によるこの時代の SF 同人誌と呼ばれるものに載っている作品への評、 「アイデアの骸骨が、貧弱な文章の衣をまとっている」 というのが当たっているような気がします。 筒井氏は「『貧弱な文章の衣』のかわりに論理と考証で武装した…」 と表現していますが、その「論理と考証」の質が 「武装」と言うにはほど遠いと思います (まさにその辺が「骸骨」と言われている所以であると思うのですが)。 この辺の“science” な部分に対するセンスの不足が日本の SF をつまらなくしている原因のような気がするなぁ。 (9/1)


“大暴風 (上・下)” ジョン・バーンズ (ハヤカワSF)

時は2028年、国連が、北極海に核兵器を隠匿するシベリアに対し、 その基地への爆撃を行なった。 しかし、北極海の底にはメタンハイドレート (メタンを大量に閉じ込めた氷) がたっぷりと眠っており、爆撃によって一気にメタンが放出された。 メタンは温室効果を引き起こす。 それが、大気中に通常の数十倍の濃度になってしまったのだ。 暖められた海は桁はずれの暴風を生み出し、 世界中が脅威的な高潮に飲み込まれて行く。 打つ手はあるのか?

軌道通信” と同じ人の作品です。 登場人物がたくさん出てきて、いろいろな視点から書かれる話です。 その割には話の奥行きは今一つ。 一応各人物に繋がりはありますが、もうちょっと (6, 7割に) 減らして全体の長さを短くしたほうが良かったのではないかなぁ、 という感じです。 ガジェットはいろいろ面白いし、 「もし海が現在よりも暖かかったらハリケーンはどうなるか」 という考察、 さらにはけっこうぶっ飛んだ展開もあってそこそこは面白いのですが、 全体としてはちょっとちゃちな感じです。 アメリカ以外が無視されていることが、その感じを大幅に助長していますね、 たぶん。 “軌道通信” はもっと楽しめたんですけどねぇ。

(8/28)

ワンポイント

“クズみたいな本” って、もちろん、 1998年上半期に読んだ SF で紹介している、あれのことだよねぇ^^;。


“夜来たる [長編版]” アイザック・アシモフ&ロバート・シルヴァーバーグ (創元SF)

その惑星には 6つの太陽があり、常にどれかの (もちろん、たいていは複数の) 太陽が空にあった。 ただし、2049年に一度の例外を除いて、である。 その惑星、 カルガッシュの人々は以前に訪れた夜のことなど何も知らず平和に暮らしていた。 暗闇に長時間晒されると、彼らの精神はとても耐えられないだろう。 最近発見された引力の法則から「夜」 の訪れを察知した天文台を中心とする大学の人々と、 伝説から「夜」の到来と「星々」 の出現を確信している宗教団体とがそれぞれ警告を発しているが、 市民にはあまり浸透しない。 そして遂に運命の日がやってくる。

アシモフの出世作となった中編を、 ロバート・シルヴァーバーグとの共作で長編化した作品。 第一部“薄明” が当日に至る前の話、 第二部“夜来たる” が中編と同じ、夜の到来する運命の日の様子、 そして第三部“夜明け” が夜の去った後の話です。 第一部、第二部は元の中編におおよそ忠実です (中編版には第一部に当たる部分はないのですが)。 第三部は完全に長編版オリジナルです。 ああなるんだったら、 最後まで引っ張らないでもうちょっと早めに決断しないと (話の面白みという意味でも) まずいんじゃないかなぁ、と思いました。

というわけで、第二部までで切っても良かったかな、 というのが正直なところです^^;。 第二部までならば完成度を増した中編版、という感じです。 (8/15)


“神の目の凱歌 (上・下)” ラリー・ニーヴン & ジェリー・パーネル (創元SF)

早川では「ラリイ」と表記されてますが、創元では「ラリー」 と表記されているので、個々の本に関して書くときはその本での表記に従っています。

さて、 “神の目の小さな塵” からおよそ 20年、遂に続編の登場です。 果たして、「馬は歌った」のか? と、 前作を読んでいなくて or 忘れてこのフレーズが解らない人は前作から読みましょう。

話としては、前作のとても長いエピローグ (含・外伝)、と言った感じでしょうか。 前作ほどのインパクトや緊迫感はありません。 新登場の登場人物たちもさほど目立ちませんね。 ジョイスさんはもっと大ポカをやってくれるものと期待してたんですが^^;。 ということでやや物足りない気もしますが、でもまあ、 前作を楽しんだ人にはまずまずは楽しめるでしょう。

付録に「“神の目の小さな塵” 合作ノート」が収録されていて、 これももちろん楽しめます。 (8/7)


“残像” ジョン・ヴァーリイ (ハヤカワSF)

ジョン・ヴァーリイの短篇集ですが、 “ブルー・シャンペン” とはだいぶ雰囲気が違います。 何か、こう、楽観的というか。 暗くなりそうな話でも、何か楽観的です。 内容はというと、“はじめに” に書かれているとおり、 バラエティに富んだ物語が揃っています。 そのうち幾つかは同じ世界を舞台にしているようです。 “カンザスの幽霊” が一番面白かったかな。 レコーディングのおかげで殺人にほとんど意味がない世界、 というのがうまく活かされています。 犯人は途中で大体予想がつきましたが。 短篇集のタイトルにもなっている“残像” は、 もう一、二度読めばもっと味わいが出てくるかなぁ、 という感じでした。 (7/28)


“3001年終局への旅” アーサー・C・クラーク (早川書房)

このコーナー、これで遂に100 作品目 (のはず) です。 それを飾るのは“2001年宇宙の旅” に始まるオデッセイシリーズの完結編。

時は31世紀初頭、 海王星の軌道付近で太陽系を離脱する軌道に乗っていた「漂流物」が回収された。 その正体は千年の昔にディスカバリー号からほうり出されてしまった、 フランク・プールであった。 彼は完全に死んでいるわけではなかった。 運良く放射線による致命的な障害も受けておらず蘇生された。 蘇生した彼は千年後の社会や技術に驚嘆しつつも次第に適応していくが、 やがて、やり残したミッションのこともあり (ルシファーとなった) 木星へと赴く。 そして、ボーマン (だったもの) と再会する。 その後も平和に暮らしていたが、ボーマンから戦慄のメッセージを受けとった…。

2001年〜” の完結編というよりは、3001年の世界の描写のほうに重点があるような気がします。 そこはもちろんたっぷりと楽しめます。 完結編としての展開は、「“2001年〜” の変奏曲のひとつ」という感じです。 “2061年〜” の巻頭で触れられているように、 あまり直線的な繋がりの続編と思わないでくれ、 というのが今回もあるような気がします。 “2001年〜” のあり得る未来がこれだけでは、ちょっと悲しい。 もっと他の「真相」があってもよいんじゃないかなぁ、と。 だって、モノリス (とその製作者) やスターチャイルドの位置付けが、ねぇ。 楽しめるのですが、クラークならば、もうちょっと期待したいところです。

そうそう、フロイド博士はどうしたんだ?

(7/15)


“たんぽぽのお酒” レイ・ブラッドベリ (晶文社)

イリノイ州グリーン・タウンで夏が始まる。 子供にとって、夏は特別な季節だ。 もちろん、12才のダグラスにとっても。 大人にとってはあっというまに過ぎ去る季節も、 子供にとっては一日一日が長く、夏全体もまた (やがて去ってしまうけれども) 長い。 子供たちは毎日、駆け回り、笑い、アイスクリームをなめ、昔話を聞き、 時には寝込み、夏を生きる。Children in the Summer。 今年の夏の、長い長い日々に、ダグラスはいろいろなものやことを発見し、 いろいろなものやことを失った。 その一つ一つが、おじいちゃんと作るたんぽぽのお酒一瓶一瓶に詰まっていく。 夏の日々はダグラスに何を残してくれたのか。

「男の子にとっての夏」のいっぱい詰まった、 ブラッドベリの殊玉のファンタジーです。 ちょうど、もの凄く暑かった日に読み始めたのですが、 まさに夏の始めにうってつけの話だと思いました。 想像に難くないようにこの話の最後には夏が終りますが、 読み終えて、駅のホームの夏の広告を見て 「あれ、夏はもう過ぎてしまったのでは」 と一瞬思ってしまいました^^;。 それほど浸れるほどに懐かしい夏が詰まっています。 (7/9)

ワンポイント

BGM: “Children in the Summer” (矢野顕子, アルバム“Love is Here” 所収)


“中性子星” ラリイ・ニーヴン (ハヤカワSF)

ニーヴンの第一の短篇集。「ノウンスペース・シリーズ」の一冊でもあります。 「ノウン・スペース」とは銀河系内で人類の手の及ぶ 30 光年四方の空域のことです。 その内部にも人類以外の知的生命がいますが、外部にも、 クジン人やアウトサイダー人、 そして交易を生業としてどの空域まで行っているのかわからないパペッティア人などがいます。 それぞれ、個性的な性質を持っています (どんな性質かは読んでみてのお楽しみ^^)。 そんな世界で起こる、人類を主人公とした話の数々が「ノウンスペース・シリーズ」 です。

表題作“中性子星” は…。 「絶対に壊れない、可視光以外は通さない」 はずのパペッティア人の作った船殻を使った宇宙船で とある中性子星の探査に訪れた人類の科学者が、 事故で死んでしまっているのが発見されます。 このままでは信用を失ってしまう、 ということでパペッティア人は一人の人間をその調査のために派遣します。 その男は無事帰れるのだろうか?

このパペッティア人の作った船殻、この本での重要な小道具で、 非常に面白い存在です。 で、「可視光以外は通さない」っていうけれど、 当然あの見慣れた力もしっかり透過してますね^^。 「絶対に壊れない」ったってあんなものを大量に食らったら、 さすがにやばいに決まってますよね^^。

表題作の他、「そこで見た光景は何か?」“銀河の<核>へ” や 「ブービートラップには気をつけよう」“帝国の遺物” “ソフト・ウェポン” 、 「これがほんとに知的生命?」“恵まれざる者” などの面白い話が詰まっています。 比較的派手な舞台設定でも、話の展開などには「ハードな」 要素も含まれているところがよい感じです。 (7/3)

Contact: aya@star.email.ne.jp.cut_off_here