ジョクジャに関する読書案内
Last Modifed: 1998.6.11.
[ジョクジャ全般]
- 鳴海邦碩「王宮の都市・職人の街――ジャワの歴史都市の集住構造」鳴海邦碩ほか編著『神々と生きる村・王宮の都市』京都:学芸出版社,1993.12,pp.109-215.
<王宮都市ジョクジャと職人の街コタ・グデを取り上げ、ジャワの歴史都市の成り立ちを考察する。なお、題名の一部である『神々と生きる村』の部分は、バリの村落を扱っている>
- 土屋建治「ジョクジャカルタ――中部ジャワにおける<みやこ>の成立と展開」『東南アジア研究』21-1(1983/6),pp.17-28.
<ソロと並び称される古都ジョクジャの建設と、誕生の歴史的必然性についての研究。都市としてはソロやジャカルタよりも歴史の浅いジョクジャが、何故ジャワ人の精神的古都と成りえたのかなど、興味深い>
- Beek, Aart van, Life of the Javanese Kraton. (Image of Asia). Singapore: Oxford University Press, 1990.
<中部ジャワに現存する四つの王宮、スロクルトとマンクヌガラン(ソロ)、ヨクヨクルトとパクアラマン(ジョクジャ)の紹介>
- Clara van Groenendael, Victoria M., The Dalang Behind the Wayang: The role of the Surakarta and Yogyakarta Dalang in Indonesian-Javanese Society. (VKI vol.114/KITLV). Dordrecht and Cinnaminson: Foris, 1985.
<影絵芝居ワヤン・クリの人形遣い、語り手であるダランは、ジャワ人の人生哲学に影響を与える。ソロとジョクジャのダランの果たす社会的役割について>
- Ricklefs, M.C., Jogjakarta under Sultan Mangkubumi 1749-1792, A History of the Division of Java. London: Oxford University Press, 1974.
<長年にわたる交戦の末、1755年スルタン・マンクブミとオランダはギヤンティ条約を交わし、中部ジャワの王宮はソロとジョクジャに分裂した。スルタン・アマンクブウォノ1世の事績とジャワ王国二分割の歴史的意義について>
- Sartono Kartodirdjo, The Pedicab in Yogyakarta. Yogyakarta: Gadjah Mada University Press, 1081.
<ジョクジャの街の風物詩となっているベチャ。庶民の足となっているベチャの現状と問題点に関する研究>
- Soedarsono, Wayang Wong: the state ritual dance drama in the Court of Yogyakarta. Yogyakarta: Gadjah Mada University Press, 1984.
<著者は王家に連なる人物。ワヤン・ウォンとは人間(wong=orang)が演じるワヤン(芝居)の意味である。ジャワおよびヨクヨクルト王宮に伝わるワヤン・ウォンの歴史、独自性について。写真と参考文献が豊富>
[パクアラマン王宮]
- Soedarisman Poerwokeosoemo, Kadipaten Pakualaman. Yogyakarta: Gadjah Mada University Press, 1985.
<1810年オランダはフランスに併合され、ジャワは名目上フランス領となるが、間もなくイギリス軍により占領された。ジャワ副総督となったラッフルズは、ボロブドゥルなどの発掘で功績をあげる一方で、敵対するジョクジャに遠征を行ない、1813年パクアラム王家(パクアラマン)を分立させた。中部ジャワの四番目の王家、パクアラマン誕生の経緯と歴史について>
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