第10章 天湖の女神

  ----Ubud/Bedugul/Candi Kuning/
     Pura Ulun Danu Bratan.



 ウンダ川は、バトゥール湖に源を発し、南流してインド洋――バドゥン海峡に注ぐ大川である。

 クルンクンの東郊を流れるこの川を眺望するレストランで少憩し、美耶子ら一行はウブッドへ戻った。チャンディ・ダサに宿替えするとユリから聞き、ワヤンはとても寂しがった。

 厚木に同行し、美耶子はギアニャルの小村ボナ村へトランスダンスを見に行くことにした。5時の再訪を約し、厚木は去った。独りになり、疲れが出たのであろう。ベッドに横たわるや、すぐに寝入ってしまった。

 夢の中で、美耶子は見知らぬ湖のほとりに立っていた。湖一面に霧が立ちこめ、冷気が膚を指した。湖畔に沿うて進むと、高層のメルが湖の上に浮いているのが見えた。

 その時、直径10メートルほどで、表面が銀色に輝く球体が突如美耶子の前に現われた。その瞬間、ほんの一瞬だが、頭の中が刺激され、脳が洗浄されるような感覚に襲われた。

 その瞬間、美耶子は卒倒しそうになった――球船のドアが開き、中から一人の女性が降りてきたのだ! その人は、何と美耶子の叔母であった。

 叔母は霊感の強い人で、小さい時からUFOの目撃談をよく聞かされていた。テレパシーで叔母は乗船を促した。乗船したいと念じた瞬間、美耶子は船内にいた。

 音もなく船が浮上した。美耶子が驚いていると、飛行船の床に窓が開いた。かなりのスピードで飛んでいるらしく、下界の景色がめまぐるしく変わった。数分後――と感じられた――、船が速度を落とした。

 美耶子が船内から見たものは、エジプトはギザの大ピラミッドであった。ややスピードを増し、船は飛び続けた。砂漠から海、さらにジャングルへと景色が変わり、今度はメキシコ中央高原はテオティワカンのピラミッド群が現われた。再び海を渡り、密林からアンコール・ワットが顔を覗かせた。

 次に見えたのは、インドのヒンドゥー教寺院に似た高い尖塔であった――その後の調査により、この建造物はジャワにあるロロ・ジョングラン寺院であることが判明した。

 部屋の扉をノックする音に、美耶子は目覚めた。ドアを開けると、長袖の白シャツにジーパンをはいた厚木の姿があった。

 白地に薄紫の花柄をあしらったワンピースの上に長袖のカーディガンを羽織り、美耶子は部屋から出た。標高200メートルを超すウブッドでは、熱帯とはいえ夜になると肌寒い。

 ボナ村までの道すがら、美耶子は先ほどの夢を回想していた。夢の一部始終が微細に記憶に残っており、回想を繰り返すごとにその印象は深まった。時折厚木が話しかけても、反射的にうなずくのみであった。

 その後のことはあまり記憶にない。


中部ジャワのチャンディ・ロロ・ジョングランの写真です(JPEG/45KB/351×237Pixel)中部ジャワ、チャンディ・ロロ・ジョングラン(JPEG/45KB)

 美耶子にとってバリで5回目の朝が訪れた。昨夜ボナ村より帰宿した美耶子は、厚木と別れるやベッドに倒れ伏した。連日の強行軍で、疲れが極限に達していた。だが、熟睡できたので今朝は快調である。

 今日の目的地は、北部のブレレンとの県境に近いブラタン湖である。ブラタン湖は、バリ第4の秀峰、標高2096メートルのチャトゥル山の火口にできた湖である。涼しく風光明媚な湖一帯には植物園やゴルフ場が整備され、バリ随一の高原リゾートとして有名である。

 途中、野猿の棲む森で有名なサンゲェのブキット・サリ寺を過ぎ、車はブレレン街道の山道を登っていった。

 標高が増すにつれ水田が玉蜀黍畑に変わり、バナナや椰子の木が消えてどことなく見慣れた山の景色になってきた。熱帯の毒々しい草花に混じり、可憐な花をつけた山草が点々と見えた。

 ブラタン高原は熱帯フルーツの宝庫でもあり、ブキット・ムンスの市場にはドゥリアンやマンゴスティン、パッションフルーツ、マンゴ、ジャックフルーツ、パパイヤなどが並ぶ。熱帯原産の果物に混じり、バリでは珍しいイチゴやブドウ、リンゴも売られている。

 左手の丘上に白亜の瀟酒なホテルを見ながらゆるゆると急坂を登ると、前方に聚落が見えてきた。ブラタン観光の正面玄関――ブドゥグル村である。

 良質な銀細工で有名なブドゥグルは、ジャワのマジャパイト征服以前にさかのぼるバリ・アガ人の村である。この村の起源について、次のような伝説がある。

 古代ブダウルの王が、ふとしたことから愛馬を見失ってしまった。悲嘆にくれた王は家来を集め、馬を発見した者に褒賞を与えることを約束した。家来は東と北へ捜索に出かけた。東へ向かった一団が馬の死骸を発見した。奸計を用い、彼らは広大な土地を手に入れた。これがチャンディ・ダサから少し北にあるトゥンガナン村の起源である。

 一方、北に向かった一団は馬を発見できず、さりとてブダウルの都に帰ることもできないので、ブドゥグルの地に留まったという。

 ブドゥル――古代のブダウル――とトゥンガナン、ブドゥグルの3村は、現在でも姉妹村の関係を保ち、寺院祭では供物を持って訪問し合っている。

 ブドゥグルを抜けた辺りでチャトゥル山の火口原に入り、今度は坂を下った。ブレレン街道に別れを告げ、ウォーターリフトが描かれた看板の前から間道を下ると湖岸に出た。

 標高1200メートル――バリで最も天に近い湖は薄い霧におおわれ、対岸のブラタン山が湖面に陰翳を落としていた。日差しが強く、空気は冷たく湿っていた。



 湖畔につくられた庭園を散策し、厚木と美耶子はウルン・ダヌ・ブラタン寺まで歩くことにした。庭園を出て、モーターボート乗場や観光施設のある所まで来ると、場違いな格好をしていることに気付いた。ここは高原リゾートなのだ。修学旅行でジャワから来た高校生の一団に冷やかされ、白人観光客からカメラを向けられながら二人は寺の方へ進んだ。

 観光地に限れば、バリでは外国人が好奇の対象になることは少ない。その代わり外国人旅行者が観光の対象物――被写体――と化すことは、よくある。

 湖面に漂う霧の中にメルが見え始めた頃、周囲は静寂を取り戻していた。

 寺の境内に入った途端、美耶子は微妙な気の変化を感じた。高貴なエネルギーが全身を包んだ。ウダヤナ王の墓室でも、ブサキー寺院でも体験しなかったことである。

 石畳の参道を進むと、O字型に分岐した小逕の中央に、高さ3メートルほどの石塔があった。塔の前で佇んでいると、道端に坐した老人が「ブッダ、ブッダ」と叫んだ。よく見ると、塔のなかほどに設えた壁龕(へきがん)の中に仏像が置かれている。1950年代に近在の仏教徒が寄進したものという。

 すでに触れたように、古代ブダウル王国は仏教を信奉していた。

 記録によれば、11世紀初頭、当時バリの有力宗派の代表が集い、ブダウル(現ブドゥル)において宗教会議が催され、宗派を統合して綜合宗教を創造したという。会議に出席したのは、インドラ教とバユ教、カラ教、ブラーマ教ウィシュヌ教、シャンブ教、それにシワ教と仏教、特定の宗派に所属しないルシ集団の代表であった。

 この会議において、ヒンドゥー系の諸宗派がシワ教に統合され、唯一絶対神サンヒャン・ウィディ・ワサを中心にシワ教と仏教が併存するバリ=ヒンドゥー教として体系化された。寺院などで行なわれる儀礼や祭には、シワ教の祭司と仏教の僧侶が同席して執行される慣わしとなった。

 会議の行なわれた寺は、現在プラ・サムアン・ティガと呼ばれている。サムアンは「会議」、ティガは「3」の意である。

 ウルン・ダヌ・ブラタン寺の入口付近に仏塔を寄進したのは、パンデと呼ばれる鍛冶屋集団の仏教徒である。

 北部のブレレン県には仏教徒が多く、県都シンガラジャから18キロ西のバンジャル・テガ村の山中には、バリ島唯一の仏教寺院、ウィハラがある。

 雑然とした境内を進み、二人は再び湖畔に出た。一面が濃い霧におおわれ、湿気と冷気がいちだんと増した湖は奇観であった。

 湖畔に佇んでいると、波の弾ける音がした。耳を欹てると、人の声が聞こえ、赤やピンクに染まった人影が湖上に浮かんでいるのが見えた。すると、突如銅鑼の大音響が鳴り渡った。どうやら供物を携えて湖上の寺へ参詣する人達らしい。島へボートを漕ぎ出したところ濃霧で接岸できず、引き返そうにも湖岸が見えないので銅鑼で合図しているらしかった。


プラ・ウルン・ダヌ・ブラタンの湖上のメルの写真です(JPEG/52KB/372×260Pixel)湖に浮かぶメル(JPEG/52KB)

 霧が薄れ、湖上に浮かぶメルが姿を見せ始めると、先日の夢の光景が美耶子に蘇ってきた。

 「えっ。君、このお寺を見たことがあるのかい」話を聞いて厚木は驚いた。

 「ええ。昨日のお昼、疲れて眠ってしまったの。その時よ、このお寺を見たのは」夢の中でUFOが現われ、それに乗船して世界を一巡りしてきたことも美耶子は話した。

 「その夢の舞台がここだとすると、今度はUFOが降りてくるのかい」厚木は地面を蹴るしぐさをした。

 二人は空を見上げた。ようやく霧が晴れ、雲の割れ目から陽光が差してきた空には何も見えなかった。

 「お寺の方へ行ってみよう。何か手がかりが見つかるかもしれない」と、厚木に促され、美耶子は後を追った。

 寺伝によると、ここには湖の女神ウルン・ダヌが祀られている。湖自体の神格であると同時に、湖より流出する川の恵み、さらに川から水を引き入れる水田の恵みというふうに拡大され、水に関係するもの全般にわたって崇拝されるようになった。

 バリの穀倉地帯、タバナンとギアニャルを流れる諸川の源であるブラタン湖とバトゥール湖の女神は、とりわけ篤く崇拝されている。

 水を満々と湛える湖の上に浮かぶ小島に寺はあった。島というが、細い通路で湖岸と繋がっていた。先ほどの参詣者の一団が寺で礼拝を済ませ、ボートで湖岸へ戻るところであった。

 島には11層の大メルと小さな祠があるのみだが、聖なる塔の屋根の数がこの寺で祀られる神の地位の高さを示していた。

 「メルの屋根の数は特定の神様と関係があるのだよ」と、歩きながら厚木は言った。「11層のメルはシワ神のためのものだ」

 「でも」と、困惑気味に美耶子は言った。「このお寺にはウルン・ダヌ女神が祀られているのでしょう」

 「うん。ただ、どの寺も最終的には全部シワ神が祀られているんだ」メルの前に到着してなおも厚木は話し続けた。

 「バリにはサンヒャン・ウィディ・ワサという最高神がいるが、この神様は人前には現われないとされている。神々は全部この神様の分身とされるから、シワ神が代表するというというわけさ」

 「じゃぁ、このお寺も最終的にはシワ神やサンヒャン・ウィディ・ワサ神にたどり着くわけね」ハンカチで汗を拭いながら美耶子は言った。

 「理論的にはね」と、メルを見上げながら厚木は続けた。「でも、この湖の女神は、ヒンドゥー教が海を越えてバリへ伝わる前から崇拝されていたに違いない。湖に限らず、山や木とか岩とかも同様だ。バリの神々がヒンドゥー化されていく過程で階層化が進められ、神々のパンテオンが形作られた。稲作に深く関わる湖や川、水を支配するウルン・ダヌ女神は、そのなかでも別格の高い地位を与えられたのさ」

 「それで、古代ブダウルの宮都を中心とした大円の円周上にこの寺が置かれたわけね」ようやく美耶子の目に笑みが戻った。

 古代バリの宮都を探索していた厚木と美耶子は、宮都の候補地である現在のブドゥル村からグヌン・アグン山およびバトゥ・カウ山までの距離が等しいことを発見した。その実距離は31キロである。

 ブドゥルを中心とし、同地から両山までの距離を半径とする円を描くと、ブドゥルの北西約42.5度に位置するバトゥ・カウ山から時計回りにヌサ・プニダ島に至る半円――カジャ半円――の円周(約48.6キロ)上には、バリで重視されている寺や山、村が全部で7箇所重なることが確認された。


カジャ半円のイメージです(GIF/17KB/400×300Pixel)カジャ半円のイメージ(GIF/17KB)

 この半円はブラタン湖を横断し、プラ・ウルン・ダヌ・ブラタン寺――正確にはその前身である古代の聖所――は、その円周上に建造された可能性が高い。

 それから、二人は別々にメルを廻った。厚木は、メル脇の湖岸に打ち捨てられた小さな人形(ひとがた)を見つけた。先ほどの祭礼で、供物として捧げられたものだろう。

 周囲に誰もいないことを確認すると、厚木は人形をそっとバッグに忍ばせた。

(第10章終わり)

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NISHIMURA Yoshinori@Pustaka Bali Pusaka,1996-2000.