第5章 バリ線図

  ----Ubud/Pejeng.



 午後10時。長かった一日が終わろうとしていた。

 疲れを押し、今日の出来事を美耶子は日記に書き留めた。そして早々とベッドに身を沈めると、すぐに寝入ってしまった。

 タナーロットで日没を見届けた後、デンパサール市内の中華料理店で夕食をとった美耶子と厚木は、翌朝の再会を約し、各々の宿へ戻った。本当は、興奮覚めやらぬうちに話したいことが山積していたが、疲労と未解決の難題が二人の意思を阻んだ。

 一方、ベッドに横臥しながら、厚木は独り思いに耽っていた。ゴワ・ガジャでの美耶子との遭遇・・・寺や車中での論争・・・タナーロットにおける瑞相と想念――。何にも増して不可解なのは、美耶子との遭遇が運命づけられていたらしいこと、それにバリに関する重大な問題を二人で解かねばならないことである。

 美耶子は先日バリに来たばかりで、彼女がバリのことをとりわけ研究しているとは思えない。とすれば、厚木が今取り組んでいる問題と関係があるのだろうか。厚木が探究していることとは、バリの古都=古代ブダウルの宮都(の位置)についてである。

 そもそも厚木がブダウルの都に興味を持ち始めたのは、ブドゥルの考古博物館を訪問してからであった。

 2年前、ウブッドを拠点に各地の寺院や旧跡を巡った。その折り、インドネシア教育文化省考古局のバリ支局がブドゥルにあることを知った。併設の博物館を訪れた時、館長で、かつ唯一人の館員でもあるワヤン氏が館内を案内してくれた。

 展示館にはバリ各地からの出土品が陳列され、「ペジェンの月」――プラ・プナタラン・サシーに保管される銅鼓――の実測図や製造法を説明したパネルも展示されていた。野外展示場の吹き抜け小屋には、二尾の亀を重ね合せたユーモラスな石棺が置かれていた。

 館内を一巡しながら、厚木は古代バリ人に思いを馳せた。現在、バリ人の大半はヒンドゥー教を信仰し、バリは「ヒンドゥーの神々の島」などと呼ばれている。

 だが、ここの展示品を見る限り、ヒンドゥー的な要素は見当たらない。一方、現在バリ人の多く――とくにトリワンサと呼ばれる貴族層は、16世紀にジャワのヒンドゥー王国滅亡後バリに亡命してきた「マジャパイト人」の末裔を自認する。

 「ペジェンの月」が定説通り紀元前3世紀の作とすれば、9世紀後半――882年――にシンガマンダワ王家のスコワナ碑文が出現するまでの約1200年間は空白である。

 いつ、インド文化はバリに達したのか? それ以前に、バリ文化を担っていたのはどのような人々か?――いろいろと思いを巡らせているうち、いつしか厚木は寝入ってしまった。


ブドゥル考古博物館の亀型石棺の写真です(JPEG/83KB/372×260Pixel)ブドゥル考古博物館の亀型石棺(JPEG/83KB)

 翌朝、美耶子は厚木の宿を訪ねた。宿はペジェンの村長の屋敷の一隅にあった。

 バリのデサ、すなわち村落は、デサ・アダットと呼ばれる慣習村とデサ・ディナスと呼ばれる行政村との二重構造になっている。

 慣習村は、アダット、すなわち慣習法を同じくする寺院の祭祀を執行する集団で構成される伝統的な村である。

 行政村は、オランダ統治時代に村やバンジャルを統合し、支配力を強化する目的で設置され、独立後も受け継がれている。どちらの村も2〜3のバンジャルに細分される。

 両方の村にはそれぞれ首長がいるが、徴税や政府と住民との媒介役にすぎない行政村の村長、プルブクルよりも、自治的な村の政治・経済・寺院祭祀の実質的な指導者である慣習村の村長、クリアン・デサ・アダットの方が権限が強い。厚木の逗留先の主人はクリアンであった。

 型通りの挨拶を交わし、美耶子を自室のテラスに招じ入れると、厚木はコーヒーをいれた。コピ・ブブックの粉が沈殿するのを二人とも無言で見つめていた。

 コーヒーを一口すすり、先に口を開いたのは厚木であった。「昨日は少し強行軍だったね。どう、疲れはとれた」

 「えぇ。お蔭様で昨夜はぐっすり眠れたわ」今朝は5時に起床し、ワヤンの妹と一緒に朝市に行ったことを美耶子は話した。

 「ところで、昨日の話なんだが」と、これ以上世間話は無用とばかりに、厚木は話題を変えた。美耶子もそのつもりであった。「君がタナーロットで見た光の方位を地図で調べたら、たいへんなことが分かった」

 テーブルの上に置いてあった地図をテラスの床に広げ、厚木はタナーロットの場所を指で示した。次に、地図の上で真北の方角へ指を動かし始めた。

 「タナーロットから真北に向かうと、バトゥ・カウという山に当たる。バリで二番目に高い山だ」

 再び地図のタナーロットの上に指を置き、今度は真南の方角へ指を動かした。プラ・ウルワトゥ寺の所で指が止まった。

 「君が最初に見た光線は南北の方向に見えた」厚木は興奮していた。美耶子は、地図上の三つの地点を何度も目で追った。

 「地図で見ると、バトゥ・カウ山とタナーロット寺とウルワトゥ寺は、南北に一直線に並ぶんだ!」

 美耶子は驚いた。昨日見た光にこのような意味が隠されていたとは思いも寄らなかった。北東に見えたもう一つの光の意味について美耶子は訊ねた。

 タナーロットから北東の方角へ、厚木は地図の上で静かに指を動かした。厚木の指が小刻みに震えているのに美耶子は気付いた。目で指を追う美耶子も胸が高鳴った。果たして、指はグヌン・アグン山で止まった。

 「これだけじゃない」と、またもや信じられないという顔をしている美耶子に、厚木が言った。

 「アグン山とバトゥ・カウ山はほぼ同緯度で東西に並んでいる」声が上ずっている。「つまり、アグン山とバトゥ・カウ山とウルワトゥ寺との三点を結ぶ直角三角形ができるわけだ」

 ここに至り、美耶子の驚きは絶頂を極めた。厚木もかなり興奮しているらしく、冷静さを保とうとしているが、身体の震えが止まらない。

 興奮が和らぎ、平常心が戻ってくるにつれ、今度は疑問が湧いてきた。

 気分転換にと、厚木はコーヒーをいれ直した。粉が沈むのを待つ間、美耶子は質問を反復していた。

 コーヒーカップに口をつけてから、美耶子は言った。「たいへんな発見ね。でも、私が見た光と一緒に感じた『ヒント』とどういう関係があるのかしら」

 「それなんだが」と、昨夜考えたことを厚木は話し出した。「あの『ヒント』を解いたのがさっきの結果だ。どうやら、バトゥ・カウとウルワトゥ、それにグヌン・アグンが『問題』に深く関わっているらしい」

 勘の強い美耶子は、「問題」が何を示しているのかをすぐに理解した。「『問題』というのは、貴方の捜しているバリの古都ね」

 「そう」と、コーヒーカップを撫でながら厚木は言った。「三点を結ぶ三角形の中にバリの都がある、ということかな」

 「ブドゥルを一点に加えて三角形を作ったらどうかしら」と、少し上目遣いに考えてから、美耶子は言った。「例えば、グヌン・アグンやバトゥ・カウと結んでみたら」

 三角形自体に意味があるなら、この三角形に限る必要はない。地図に定規をあて、厚木はアグン山とバトゥ・カウ山の頂上を線で結んだ。それから二つの山からブドゥルに向けて線を引いた。二人の前に大三角形が出現した。

 三辺の長さを測り終え、厚木はつい大声を出した。「ブドゥルから二つの山までの距離が同じだ!」

 美耶子の口からも感嘆の声が漏れた。

 「もう一度測ってみよう」という厚木は未だ信じられない様子である。
 厚木はさらにもう一度測り直してみたが、やはり同じ結果であった。

 ここで断わっておきたいことがある。厚木の使用しているバリ島の地図は、ドイツのNELLES社製の18万分の1地図である。

 東京やバリ中の書店を駆け回って入手できた最も精度の高い地図だが、どちらかというと観光地図であり、精確さに疑問が残る。5万分の1のインドネシア官製地図があるらしいが、未だ入手していない。

 したがって、特に断わらない場合、この地図を指すことにする。

 厚木の計測結果は次のとおりであった。地図上におけるグヌン・アグン山(A)−バトゥ・カウ山(B)間は25.4センチ、ブドゥル(C)−グヌン・アグンまたはバトゥ・カウ間はそれぞれ17.2センチであった。縮尺から求めた実際の距離は、AB間が46キロ、ACおよびBC間が31キロである。また、角ABCおよび角BACはそれぞれ42.5度、角ACBは95度である。


ブドゥル−アグン−カウを結ぶ三角形のイメージです(GIF/7KB/390×220Pixel)ブドゥル−アグン−カウを結ぶ三角形のイメージ(GIF/7KB)

 「もっと精密な地図が欲しいな」と、計測結果をノートに記録しながら厚木は言った。

 18万分の1地図では、地図上の1ミリが実際の180メートルに相当する。が、今はこれで満足せねばならなかった。

 「偉大なる山」という意味のグヌン・アグンは、標高3142メートル、バリ島の最高峰である。富士山によく似たコニーデ式火山で、太古より噴火を繰り返し、最近では1963年3月に大噴火した。

 山の中腹にはバリ・ヒンドゥー教の総本山プラ・ブサキーがあり、「母なる山」「神々の棲む聖なる山」「世界の臍」として、バリ人の崇拝するところとなっている。別名をウダヤ・パルナタといい、これは「東の大山」という意味である。

 バトゥ・カウは、標高2276メートル、バリ島第二の高峰である。「西の大巌」という意味で、東のグヌン・アグンに対峙する。やはり山の中腹に六大寺院サド・カヤンガンの一つ、プラ・ルウル・バトゥカウがある。別名をバトゥ・カルといい、これは「椰子の実の殻の山」という意味である。

 この二つの山は、バリの山々の中で格別の崇敬を受けており、まさに東西の横綱と呼ぶに相応しい。他にこの両山に匹敵するのは、北の聖山グヌン・バトゥールしかない。

 二つの山がいかにバリ人から崇拝されているかについて、厚木は語った。そして両山から等距離の地に宮都を築いた古代ブダウル王国の人々に思いを馳せた。

 だが、美耶子の関心はより現実的であった。「それにしても、古代人がよく計測できたわね」

 「古代人の技術を見縊ってはいけないよ。古代の建造物は精密な設計と測量のもとに造られているんだ」エジプトや中米マヤのピラミッド、アンコール・ワットやボロブドゥールの仏蹟、その他世界各地の例をあげながら、古代文明の建築・測量技術について厚木は説明した。

 ようやく話がバリに及んだ。「確かに、ボロブドゥールに匹敵するような大遺蹟は、バリには存在しない。だからといって、古代バリ人が文明と無縁の野蛮人だったとは言えないというのが、これまで僕が研究してきて知ったことの一つだ」

 バリは小さい島ながら高山が多く、土地は起伏に富んでいる。至る所からグヌン・アグンなどの麗姿が仰げる。だから、ピラミッドなどの人工の山や塔をわざわざ建造する必要がなかったのだ。

 「そもそも山自体が神と考えられたのだし、自然の山の頂上や山麓に社(やし)を建てればよかったのだろう」

 話し終えると、厚木はコーヒーを一気に飲み乾した。古代バリ人は造形的な作品はあまり残していない。現代バリ人と同様、おそらく宗教や舞踊、音楽などに秀でた民族であったのだろう。

 それでも、宮都の造営は国の総力を結集した一大事業であったから、彼らは智慧を搾ったに違いない。



 ニョマンとともに村役場に出向き、厚木は地図のコピーを数枚とった。

 宿に戻ると、重要な山や寺院などの位置を美耶子に教えるため、地図に印をつけた。定規と分度器を手にした二人は、試行錯誤で重要地点間を結び、二点間の長さや二本の線分に挟まれた角の角度を測り始めた。

 厚木のマーキングした重要地点は次のとおりである。

  1. 山(グヌンは省略)――アグン、バトゥ・カウ、プヌリサンバトゥールアバン
  2. 寺(プラは省略)――ブサキー、バトゥ・カウ、コリパン、バトゥール、ウルン・ダヌ・ブラタングヌン・カウィゴワ・ラワーチャンディ・ダサ、ゴワ・ガジャ、タナーロット、ウルワトゥ、サケナンサダタマン・アユンなど。
  3. その他――ブドゥル、トゥンガナン、トゥルニャン、ブドゥグル村、ヌサ・プニダ島

15分ほどで、二人の地図にはおびただしい線が引かれていた。

 まず、ブドゥルを中心とした図から見てみよう。

 ブドゥルとバトゥ・カウ山、ウルン・ダヌ・ブラタン寺、・・・とを直線で結ぶと、いずれの線も地図上では17センチ前後(実際の距離は約31キロ)になることに二人は気付いた。

 コンパスを出し、厚木はブドゥルを中心に半径17センチの円を描いた。すると、北西のバトゥ・カウ山から反対側のヌサ・プニダ島までの半円は、時計回りにウルン・ダヌ・ブラタン寺、バトゥール寺、アバン山、アグン山、トゥンガナン村、チャンディ・ダサ寺の7地点が円周(実距離約48.6キロ)上に重なることを発見した。
 ところが、南側のもう一つの半円の円周上には、重要地点が重ならなかった。

 先程から驚愕の連続であったが、ここに至ってもやはり驚きを隠せなかった。

 「何よこれ。私たちバリの悪霊に誑かされているんじゃないの」と、いささか乱暴に美耶子が言った。

 「うーん。バリの神様も憎いことをするなぁ。まぁ、だいたい予想していたが・・・」と、いつものように平静さを装おうと努めたが、厚木はしきりに溜息をついた。

 「でも、北側の半円はこれだけ見事に重なっているのに、なぜ南側には何もないのかしら」と、気を取り直して美耶子が言った。

 その時、二人の坐っているテラスの前をバパ・クリアンが横切った。闘鶏用の雄鶏を編籠にいれ、大事そうに庭の外に運ぶところであった。

 その光景をしばらく眺めていた厚木が、突然大声を発した。「解ったよ。半円の秘密が!」

 以前バパ・クリアンに連れていかれた闘鶏場での出来事を、厚木は話し始めた。

 バリでは、闘鶏は神聖な儀式の一つである。ところが、ギャンブル性が嫌われ、警察に無許可で行なうことが禁止されているものの、特別な祭礼に備えてバリの男たちは鶏の世話に余念がない。

 闘鶏場で対峙する二羽の雄鶏に賭金を張る時、観客は一方の鶏を「ジョー」、他方の鶏を「ローッ」と一斉に呼ぶ。「ジョー」と聞こえるのは「カジャ」――カジョと発音する――であり、「ローッ」と聞こえるのは「クロッド」である。

 バリ語でカジャ(カジョ)は「北」、クロッドは「南」を意味する。我国の相撲で力士が東西に別れるのと同じように、闘鶏では南北に別れるのである。


基本的なカジャ−クロッドのイメージです(GIF/19KB/399×300Pixel)基本的なカジャ−クロッドのイメージ(GIF/19KB)

 「だから、ブドゥルを中心にして、バトゥ・カウ山からグヌン・アグンを経てヌサ・プニダ島に至る半円内の地域はカジャ、もう一つ反対側の半円内の地域はクロッドになる」

 厚木の言うとおりなら、カジャとクロッドに属する地域はブドゥルを通る東西線によって分断されなくてはならない筈だ。が、バトゥ・カウ山とヌサ・プニダ島とを結ぶ線は45度近く傾いている


45度傾いたカジャ−クロッドのイメージです(GIF/10KB/320×280Pixel)45度傾いたカジャ−クロッドのイメージ(GIF/10KB)

 美耶子がその理由を訊ねると、我が意を得たりとばかりに厚木が話し出した。

 「実は、カジャは北であると同時に、グヌン・アグンの方向でもあるんだ。もともとの意味は、カジャが『山側』、クロッドが『海側』という意味だから」


カジャ/山側−クロッド/海側のイメージです(GIF/8KB/340×210Pixel)カジャ/山側−クロッド/海側のイメージ(GIF/8KB)

 美耶子の疑問は氷解した。バトゥ・カウ山からチャンディ・ダサ寺に至る「カジャ半円」の円周上にある聖地は、バリ中央部と北部または東部とを結ぶ街道の要所に配置されている。

カジャ半円のイメージです(GIF/17KB/400×300Pixel)カジャ半円のイメージ(GIF/17KB)

 ウルン・ダヌ・ブラタン寺およびバトゥール寺は、バリの南部と北部とを結ぶ二本の幹道のほぼ最高地点にある。チャンディ・ダサ寺はやはり中部と東部とを結ぶ唯一の海道沿いにあり、周辺には遠く東方の島々とバリとを結ぶ交易基地も存在する。

 他方、クロッド側では、タナーロットは文字どおり陸[タナー]と海[ロット]との接する地である。ウルワトゥ寺は、インド洋に突き出たブキット半島の西突端の懸崖に建てられており、ここからはバリ西部のみならず、ジャワ島までが眺望できる。

 このように整然とした秩序でもって創造されたバリ島の自然に驚嘆すると同時に、自らの世界観と自然とを見事に調和させた古代バリ人の智慧に、美耶子は深く敬意を表した。厚木の思いも同じであった。

(第5章終わり)

次章へリンクボタンのアイコンです第6章へ進みます

   ●目 次  ●索引地図  ●表 紙

Created by
NISHIMURA Yoshinori@Pustaka Bali Pusaka,1996-2000.