第6章 詩人の山

  ----Candi Gunung Kawi/Pejeng.



 午后、厚木は美耶子をグヌン・カウィに誘った。運転手のニョマンの他、今回はバパ・クリアンの孫たちも同行した。たいそう賑やかな雰囲気の中、車は坂道を登っていった。

 グヌン・カウィは、ペジェンから10キロほど北進したタンパクシリン村にあるバリ最大の古代遺蹟である。11世紀に造られたアナック・ウンス王家の巖窟墓廟とそれに付設する仏教徒の僧院窟がある。

 駐車場に車を停め、いつものように正装に身を包んだ厚木が車から降りた。その後からやはり正装した美耶子が降車すると、「チャンティック!」と、子供たちが口々に囃したてた。

 鶏を追い払いながら進むと、前方に断崖が現われ、一気に視界が開けた。目指す遺蹟は崖のはるか下方にあるという。名前から山上の遺蹟を想像していた美耶子は、度胆をぬかれた。

 景色に目を奪われていると、横からニョマンが言った。「グヌン・カウィとは『詩人の山』という意味です。ここへ来るとウダヤナ大王の託宣が聞けるという言い伝えから、こう呼ばれるのです」

 ウダヤナ王――彼ほどバリの人々から崇敬されている王はいない。古代バリ史上最も有名な王でありながら神秘的なヴェールに包まれ、今なお彼の霊験にあやかろうとする者が後を絶たない。バリおよび西・東ヌサトゥンガラの3州を管轄するインドネシア国軍第9師団がウダヤナ師団と呼ばれ、バリの国立綜合大学がウダヤナ大学と命名されているのはほんの一例にすぎない。

 ウダヤナ王は称号をシュリ・ダルモダヤナ・ワルマデワといい、その妃マヘンドラダッタ(シュリ・グナプリヤダルマパトニ・ジャヤウィシュヌワルダニ)はジャワ王ダルマワンサ(マクタワンサワルダナ)の娘であった。ウダヤナ国王夫妻の息子がジャワ史上有名なアイルランガ王である。


ウダヤナ王関係系図です(GIF/5KB/380×310Pixel)ウダヤナ王関係系図(GIF/5KB)

 ウダヤナ王は、死後アイル・ウェカまたはバニュ・ウェカに葬られたというが、現在までその場所は不明である。

 バリの有名な呪術劇『チャロナラン』に登場する魔女ランダは、マヘンドラダッタ王妃がモデルになっている。この女王の墓所はブルワンにあると、バリの伝説は伝えている。現在のギアニャル県クトリ村付近にあるブキット・ダルマがそれである。

 子供たちの先導で長い階段を下った。参道の両側に軒を連ねる土産物屋の裏には棚田が広がり、水田の上に首を持ち上げた椰子の木の彼方からアグン山が見えた。

 天蓋が開いた箱型の巨巌をくぐり抜け、最後の急坂を下ると、プクリサン川の対岸に遺蹟が現われた。ニョマンが制止するのも聞かず、子供たちは裸になり、一目散に川に飛び込んだ。

 子供たちの世話をニョマンに一任し、二人は小さな橋を渡って寺苑に足を踏み入れた。


グヌン・カウィ遺蹟の壁龕の写真です(JPEG/99KB/372×260Pixel)グヌン・カウィの王家の墓(JPEG/99KB)

 傾斜の急な巌壁に刻み出した寺院建物を内包する壁龕(へきがん)の前に二人は立った。5基の壁龕の前には池があり、萎んだ蓮がなんとも痛ましい。

 5基の壁龕のうち、向かって左のものはウダヤナ王を祀ったものである。残りの4基は左からウダヤナ王妃マヘンドラダッタ、第2王子ダルマワンサ王(マラカタ)、そして右端が末子アナック・ウンス王のものである。

 ここの他に川の右岸に4基、少し下流の水田の中に1基、合計10基の壁龕がある。

 対岸の4基の壁龕は、アナック・ウンス王の妃たちの陵墓とされている。10番目の壁龕は、聖職者で、アナック・ウンス王時代の宰相ラクリャンを祀ったものといわれる。

 クボ・イワという伝説の巨人が一つひとつ爪で彫ったと伝えられる壁龕を眺めていても、二人は何の感慨も湧いてこなかった。遺蹟の考古学的価値は認めるが、あまりにも空虚な場所であった。

 あるいは、それは現代日本人の傲慢な考えで、墓廟祠に葬られた古代の貴人たちはモクサ、すなわち解脱に達し、俗人には感知しえない神聖な世界に文字どおり「消え去っ」てしまったのかもしれない。

 次に、墓廟祠の前から右手に進み、履物を脱いで古代の僧院窟を廻った。

 通路に浸水した僧院址を一巡し、天井の低い洞門から石窟に入った。洞内は意外と広かった。あまり外気に触れていないらしく、濃密で、カビ臭い、湿った空気が漂っている。

 次第に暗闇に目が慣れてくると、中央に細長い土盛りが見えてきた。一方の先端には竹筒のようなものが直立していた。完全に目が慣れると、傍らに一人の古老が佇んでいるのを発見した。

 驚き、無言でその場に立ちつくす二人に構わず、土盛りを指し、静かに謡うように老爺は言った。「ここはウダヤナ王の墓じゃ。この筒に耳をあて、王の声を聞くがよい」

 二人が躊躇していると、低い唸り声に似た音が突如石窟内に響いた。

 「誰かいる。あそこに・・・」知らず厚木の腕にしがみついていた美耶子が、いっそう手に力を込めながら囁いた。

 厚木もすでに気付いていた。巖窟の最奥部の窪みに、白人と思しい人物が坐っていた。髪が長いが性別は定かではない。彼もしくは彼女は謡っているか、咒文を唱えているかのようであった。

   満ち足り安らかに静まる田畑、
   そして森や山は庭園(ウダヤーナ)の姿。
   そこかしこに王は足を踏み入れ、
   誰一人として心を乱されぬ。
   『ナーガラクルターガマ』第17歌章第3〜4節。ギアツ,小泉潤二訳『ヌガラ』より)

 「あれはスイスから来たお人じゃ」と、なおも訝る二人に老人が小声で教えた。「ウダヤナ王の声を聞くために、あの女はああして何日も待って居る。あれが詠じて居るのはカカウィン――古い詩――じゃよ」

 「詩人の山」の伝承は本当だった。ウダヤナ王の霊験を求め、外国人までもが来ていたことに二人は驚いた。

 「貴方もウダヤナ王の『ご神託』を聞いてみたら」と、真顔で美耶子が訊いた。「の都が見つかりますようにって」

 「よしておくよ」と、手を振りながら厚木は気弱に答えた。「あの老人の話では、何日もかかるようだから」

 二人のやり取りを黙視していた老人が不気味な笑みを浮かべた。カカウィンを詠ずる声はなおも洞内に響いている。

 石窟から出て来たとき、すでに日が傾きかけていた。川に目をやると、仕事を終えた男たちがマンディを愉しんでいた。その周りでは、子供たちがはしゃいでいる。その群れの中には我がニョマンの姿もあった。

 (水が澄んでいて、気持ち良さそう)ふと川に飛び込みたい衝動に美耶子は駆られた。

 二人に気付いて大きく手を振り、ニョマンが川の上流を指差した。川には人影はなかったが、川原から見上げると両岸の壁龕が覘いていた。観光客の姿もある。

 水浴を諦めかけていると、水着を持って再訪することを厚木は提案した。


グヌン・カウィ遺蹟の中を流れる川でマンディする写真です(JPEG/101KB/368×258Pixel)遺蹟の中を流れる川でマンディ(JPEG/101KB)

 ペジェンの厚木の宿に帰ると、クリアン一家はおおわらわであった。聞けば、美耶子のために夕餐を用意している最中という。交替にマンディを済ませ、新しい服に着替えて夕餉を待つことにした。

 バリ料理に興味を覚え、美耶子は台所に押し入り、屋敷内の若奥様たちに混じって調理に加わった。

 独りテラスに残され、厚木は夜空を眺めていた。西天には皓皓と満月が輝いている。耳を澄ますと、屋敷内の雑踏に紛れてガムランの響きが聞こえた。どこかでオダランがあるらしい。

 突如、女の悲鳴があがり、厚木の所へ美耶子が駆け込んできた。蒸し上がったばかりのアヒルの姿焼きを見たという。台所では屋敷の女たちの笑声が上がっていた。

 それから程なく、クリアン家の庭に特設したテーブルは、各種のバリ料理を盛った皿で埋めつくされてしまった。夕餐は、前菜がラワール、主菜がバビ・グリンベトゥトゥ・ベベックであった。トゥアックアラックも振る舞われた。

 二人の他に、クリアン家の隣人たちも夕餐に招待されていた。乾杯後、バリの習慣に従い、皿に盛った料理を美耶子は右手で口に運んだ。

 夕餐が終わり散会すると、庭にはバパ・クリアンと厚木、美耶子の三人だけが残った。月光を満身に浴び、緑の服を着た巨人のような庭木が華やいでいる。

 バパ・クリアンは、孫娘に命じてコーヒーを運ばせた。二人にコーヒーを勧め、バパ・クリアンは静かに訊ねた。

 「今日はどこへ行きなすったのかね」相好を崩し、まるで孫と話すような面持ちである。

 「はい。グヌン・カウィに行ってきました」と、厚木も祖父と話すように答えた。

 「ウダヤナ王に『会え』たかな」一瞬、祖父の顔が険しくなったかのように感じた。

 「いいえ」と、厚木は答えた。

 「そうじゃろう」祖父は再び笑みを浮かべた。「そう簡単に会えるものではないからの」

 「バパ・クリアンは王の声を『聞い』たことがおありなのですか」と、今度は美耶子が訊ねた。

 「爺()か」と、純白の鬚を撫でながら老人は答えた。「二度会ったことがある。天帝インドラのようなお方じゃった。一度は、この村に疫病が流行って窮境の思いで行った時じゃった」祖父の心は遠くへ飛んでいるようだった。

 気が付くと、バパ・クリアンの孫たちが二人の周りに坐っていた。子供たちは、「チュリタ・カケ」すなわち「お祖父さんの話」に耳を傾けていたのだ。

 「まあ、焦ることはない」ゆっくりと諭すように老爺は言った。「必要なときが来ればお会いできるじゃろうて」

 「ところで、バパ・クリアン」と、厚木が訊ねた。「グヌン・カウィにまつわるお話はないでしょうか」

 バパ・クリアンは周囲を見渡した。古代バリ文化を探究する奇妙な外国人が興味を抱く話をし、かつ小さな孫たちにも何か教訓めいた話をしてやらねばならない。祖父は目をつぶった。

 「お前たちも知っている通り」と、いろいろ思案したあげく、再び孫を慈しむようなまなざしに戻り、バパ・クリアンは語り出した。

 「ウダヤナ王は、ジャワの王女マヘンドラダッタ姫の婿となった。二人の間に生まれた息子の一人が有名なアイルランガ王じゃ。当時ジャワの都は今のマラン(東ジャワ)辺りにあったが、スマトラのシュリウィジャヤ王国がジャワを攻撃してきたのじゃ。姫の父ダルマワンサ王も必死に応戦したが、シュリウィジャヤ軍はたいへん強く、無念にもクラトンは炎上し、ダルマワンサ王も戦死してしまった」

 誰ひとり身動ぎもせず、子供たちは祖父の話に聞き入っていた。月神デウィ・ラティも、天上からバパ・クリアンの話を傾聴しているかのように見えた。

 「ジャワの都を陥落させたシュリウィジャヤ軍は、今度はバリを狙って来おった。当時、バリはウダヤナ王が治めて居った。そこでウダヤナ王は、ジャワに居る息子のアイルランガ王子と連絡をとり、シュリウィジャヤ軍を挟み撃ちにしようと考えた。当時のバリにはクボ・イワという巨人が居った。ウダヤナ王はクボ・イワに命じて、バリとジャワとを繋ぐトンネルを掘らせた。ジャワ側の入口は、マランの西北にそびえるグヌン・カウィ山にあった。タンパクシリンのグヌン・カウィはバリ側の入口があった場所じゃ。こうしてウダヤナ王とアイルランガ王子はシュリウィジャヤ軍を駆逐した」

 ジャワのグヌン・カウィ山は、標高2551メートルである。

 「ジャワのグヌン・カウィ山にはヒンドゥー式の霊廟と中国式寺院とモスクがあり、いまでも年に一度そこで大祭が行なわれて居る。これはジャワとバリの人々、それに当時ジャワに住んで居った中国人とイスラム教徒とが団結し、シュリウィジャヤ軍を撃退した記念なのじゃ」

 バパ・クリアンは次のように話を締めくくった。「何事も仲良くせねばならぬ。私欲を越えた協力こそ必ず繁栄に導くものじゃて」

 祖父の話が終わると、子供たちは両親のもとに帰った。「聴衆」の前で「演説」して満悦気味のバパ・クリアンは、ゆっくりと屋敷の奥へ消えた。

 ようやく、庭は静寂を取り戻した。月の女神は、相変わらず微笑みを絶やさず地上を照らしている。オダランで奏でられるガムランの調べに混じり、屋敷の塀越しに犬の遠吠えが聞こえた。

(第6章終わり)

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