12月3日 (金) 心配は無用
2004年11月24日収録の祈祷会は中野雄一郎師のメッセージでした。 聖書箇所は、マタイによる福音書から。
マタイによる福音書 6章34節
だから、あすのための心配は無用です。
日本聖書刊行会 新約聖書 新改訳
イザヤ書 53章 5節
その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
日本聖書協会 旧約聖書 口語訳
重要なことは、目に見えることでは無く、聖書の御言葉に立脚すること。 目に見える症状を大事にするのではなく、イエス様によって癒された、という信仰を握ること。 そうすれば心配は無用である、というのです。
ここにきれいな生け花がある。見た目(症状)はキレイだ。でも命は失われている。あとは枯れるだけ。
そういえば、お正月の生け花で、枝に白か銀の塗料を吹きつけたものを水にさして放っておいたら芽吹いたことがありました。 妻と二人で感動した記憶があります。 見た目には死んだ枝ですが、命は継続していたのです。
私自信の体験では、風邪を引いてほとんど直ったと思っていたのに咳だけがなかなか止まらなかったことがありました。 薬局へ行って相談すると、「あなたはもう直っていますね。ただ身体が咳の信号を出しているだけです。」 といって市販の咳止めを渡して「これを一度でいいから処方量の2倍飲んでください。それで直ります。」 その通りにしてみますと、なんとピタリと咳は収まりました。 薬が切れる時間をすぎても咳の気配はまったくありませんでした。
病気や怪我の癒しだとよく分かりそうです。
例えば足の怪我なんかの場合は直ってもなんとなくかばって不自然な歩き方をしてしまいます。
無意識にやっちゃうときもあるし、実際に筋肉が落ちていたり、身体が不自然な動きになれちゃったという場合もあります。
聖書の御言葉を握りしめて、心配せずにいきたいものです。