Evangelion Genesis y:x 更新日誌(1998 年 7 月)


7 月 31 日。
夕飯に作っていたシチューをおもいきり吹きこぼし、 作ってる最中というのにガス台を分解掃除する。
むき出しになったガス台と沸き立っている鍋が隣り合っている姿はどこかシュールだった。
7 月 30 日。
ここんとこ、 この日誌を読み返しても自分でもちっとも気ぃ入っていないのがよくわかる。

今ちょっと余力が残ってないもんで ...
とかいいつつ、某所のフレームに口挟んでなお体力を削るハメになっている。

ここに書きたいことやらなんやら一杯あるんだけどなあ。


7 月 29 日。
3M のマジックマットが安かったので購入、1480 円。
マウスの滑りがえらく軽くなってそれでいてしっかりとボールが噛んでいる、 ふむふむ、すばらしいマットだ、
というのは確かに実感であり、なるほどその辺の安物マットとは一線を画している。 手首が持ち上がらない薄さも素晴らしい。

しかし。
左手でマウスを操っている者にとって右手用に特化した形は少し狭く、 また、滑りが軽すぎてマウスケーブルの重みに引っ張られて ちょいと手を離すとマウスが上(机の奥)へ滑っていくことがある。
同じことだが、マウスの動き、重さが方向によって変わる。つまり、マウスケーブルを引っ張る方向、縮める方向、左へ捻る方向、右へ戻す方向、でマウスケーブルがマウスにかかる重みが変わる訳だが、その感触の違いが手首に伝わってくる。ともかくそれくらいマウスが軽い。 手首のスナップからの反応も今まで使ってきたコルクマットに比べて敏感にすぎ、 慣れるのにちょいとかかりそうだ。

ところで、マウスというのは右手で操るものなのだろうか。
もちろん自宅以外では右に置いてあるやつを触ることのほうが多いが、 私はたいてい左に置き直している。
キーボードの 'G' 'H' の間がディスプレイ中心に一致するようにキーボードを置く場合、 テンキーのさらに右側にマウスを置くと、 二の腕を動かさないといけないほどマウスが遠くなる。 使い勝手に影響がでそうなもんである。 いくら右利きだからといって、たかが pointing device である。 それくらい左手で使ったとて、pointing に問題がでる人がいるとは思えないのだが。
(公正のために書いておくと、 私は一種の両手利きである。左右の手ができることの差はかなりあるけれど、 結果的に日常の中での使用機会に差はほとんどない)

そういう意味では、ThinkPad のスティックなどは手をまったく動かさなくてよい分、 マウスより使いやすそうだ。 これでマウスボタン(に相当するボタン)が 3 つありさえすれば ...


7 月 26 日。
昨夜、かなり遅くまで起きていたこともあって 『エイトロン』の開始時刻が遅れているらしいことは知っていた。 そんな訳で、録画時間を 2 時間ほど余計にとっておいた。 もしかしたら『頭文字 D』も録れてるかなと思いつつ寝た。
今日、「ぎょぇ〜」と泣いている人を横目で眺めつつビデオを再生したところ .......
エイトロン開始直前でテープが切れてる(T_T)
ここんとこビデオ見てねーからなぁ.... 人を笑わば穴二つ、という話でした。
7 月 23 日。
私もいいかげん描写にうるさいほうだと思ってたけど、 作中のセミの鳴き声から種類を判別し、季節とあってないと 宣う方が fj.rec.animation におられた。たまげた。上には上がいるもんである。

C++ の標準規格がついに定まった。めでたい。


7 月 22 日。
そんなわけでちょいとばかり京都、神戸から有馬温泉に行ってきた。

淡路震災以来、不義理のかぎりをつくしてきた神戸はすでになにごとなく .... そして一目にはさっぱり分からんようになっていた (図書館は開いてなかったので市議事録は見てない)。
本屋にきっちり震災録コーナーがあるくらいだろうか。 北神急行のトンネル、新長田 ... ま、なんにしてもよかった。 旅行中、電源無補給で延々と使いつづけてきた clotho はさすがに帰り道でバッテリがへたり、 有馬を出たあたりで予備のアルカリ電池に入れ換えられた。 どういう頻度で使っていたかといえば、電車に乗るたびにフタを開けて 叩いていた。よくもったというか、でももう少しもってほしかったかな。 公称 30 時間には足りなさそうだ。

京都で会った某なにがし氏の感想「e:x って凄いね」というのに 帰ってから e:x を眺めた、... やっぱり書いた本人にはどう凄いのか さっぱり解らんかったが、気をよくしてちょっと e:3 に手をいれるなぞした。
ところで言われた時の反応「へ、どこが?」.... は、素直すぎて最悪の反応といえよう(こーゆーの苦手なんだってば)。 すまん > 某なにがし氏。

旅行にいく前日のこと。たまたま寄った古本屋にて ダーコーヴァ年代記 を 4 冊発見、全部購入。 とうぜんながら旅行明けまでお預けとなり、今ひさしぶりに読んでいる。
「カリスタの石」「ハスターの後継者」「オルドーンの剣」... いやあ、いいねぇ、やっぱ。


7 月 19 日。
SJ のページ のほうに感想から始まった往復書簡 なんぞを昨日あたりから載せた。 とりあえずはそんなとこ。
7 月 16 日。
まあ、ここんとこ、ここに書けるようなネタもなかったんだけど、 今日は愚痴れるネタが出て来たということで書く。

修理が上がってきたナカミチのチェンジャ、喜びいさんで繋いで CD を放り込む。 ...... 壊れた ;_;
こーゆーのは直ったと言わんぞ > ナカミチ。

裏で FreeBSD 用に mule, gcc の再構築なんぞやってたんだけど、 一気にやる気うせたってば。


7 月 14 日。
強烈な話だ、... 『つげ義春ワールド』。
もともとの漫画よりはアク抜きされているようだけども、 映像というのはまた迫力が違う。

そして、これが 『lain』の前というのも .... うーむ、観てて疲れた。
その lain の方は、みゅ、なんだかよくわからんかった。 エイトロンを上回る超スローペースなんだけど、 もしかして展開とかそういうことは考えてはいけない?


7 月 13 日。
ワールドカップが終る。 フランスの圧勝は、ある意味では当然のことだったかもしれない。 ブラジルが悪すぎた。監督がロナウドと心中しようとする姿は、どこぞの誰かを彷彿とさせる。

次回の 2002 年は日本は開催国として二つのジンクスを守る義務を負う。

である。日本どころか韓国にとっても けっこ高い壁ではないかと思うが、守れるといいな。
7 月 11 日。
執筆作業のかたわら、 センチメンタルジャーニー BBS なんてとこでセンチ 3 話について論じていると日誌まで手が回らんです mOm

この BBS で論じたことも既にかなりの量になる。捨てるのは惜しいのでひきあげとかねばなあ。


7 月 7 日。
Mobile Gear の FreeBSD 化は順調に進む。 まあ、manual がぜんぜんないので細かい使い方がさっぱり分からんとかあって、 けっこ疲れたけど。
1 日持ち歩いて問題点をピックアップ、環境のブラッシュアップなどした。

メモリ 2 M でも使えるもんであるが、これは swap がフラッシュメモリで ふつーのハードディスクより遥かに速いからだろうな。 音がぜんぜんしないから分からんけど、たぶん mule を起動した時にはスラッシングの嵐なんだろう ^_^; ってところで MK32 (メモリ 6M) を入手する目処をつけた。 メモリ 6M といえば、初めて linux を導入した時の atropos のメモリ(4M) より大きい。こんだけあればちゃんと動くだろう...

アニメ lain のこと。
裏っかわでやってたサッカー見てて lain は時々ちょこっとみただけだけど、 なんとなくつげよしはるを彷彿させるところが渋い。 けっこ良い出来で、もしかして次回から見るかも。

評価、感想、推薦ということ。
どんな感想を持つのも自由(思想信条の自由)だが、 それを発言するには自動的に責任が伴う(誹謗中傷の禁止)。 良作を貶せば反感を買うだろうし、 駄作を褒めれば見下されるだろう。
推薦することもしかり。 『エヴァンゲリオン』を人に勧めたことはない私が 『センチメンタルジャーニー』を人に勧めるにあたって恐れたことがいくつかあった。

完全無欠の秀作であれば何の問題もないが、そんな作品はこの世に存在しない。 なにかしらの欠点、欠陥はある訳であり、 まさにその部分を重大視するタイプの人に勧めた場合、何が起こるだろう? あるいは、なにが良かったか、 その点の感受性の乏しい人に勧めた場合、どう思われるだろう? コトは人間関係にまで及びうる。その人の価値観というものを理解していなかったのだ、 と思われることによって。
少なくとも、私の鑑賞眼というものをその人は信用しなくなるだろう。

センチメンタルジャーニー第 3 話。センチの中で最も好きな話だけども、 これを私が他人に ... 特に鉄道ファン的なところのある人に(最初にいきなり)勧めることはまずありえない。 鉄道ファン的にも好む点は多い話だけれども、 あまりにミスが多すぎて私のフォローの効かない場所で推すのは 冒険にすぎると思うからだ。 こうして、主観順位(心のうちで思う順番)と客観順位(人に勧める順番) にはズレが生まれる。
これは一見、面白くないことである。主観順位そのままを勧められないのは。 が、まあ、コミュニケーションというものはそんなものだろう。

私が勧めたものを面白くないと思うのは自由である。しかしそれを、 お互いの鑑賞眼の出来不出来に還元したくはないし、されたくもない。 正しく価値基準、価値判断の違いというところに還元したい。 それが良かったと思う点は点として、気になった点も挙げてきた理由だった。 勧めるわりには感想でさっぱり褒めてないのはそういう理由による。

さて、ここまでが(私の思想的背景の説明という)導入で、以下に本論があったのだが、 出さなければならなくなりそうな URL を出す気がまったくしなかったので以下略とする。


7 月 5 日。
センチの第 12 話のことの続き、郵便屋さんのこと。
ほのかの冒頭のシーンとして、 単なる言葉遊びとして無視してきた パパと「デート」も実はしっかりキーになっているような気がするようになった。
「パパとデート」、「父親と文通しているような(宛先無記名の)ラブレター」
が、ラストの
「郵便屋さんとデートしない」、「宛先記名のラブレター」
にそれぞれ対応すると。なら、郵便屋さんは父親の暗喩の一つでいいんだろう、 なんかつまらん解釈だな。 そうすると紙飛行機はラブレターでなくて、さ迷う親心の方になるのか ... わかるかぁ! そんなもんっ

父親の語りとしての、恋と愛の定義は全話通しての語りだろうということは 7/2 の項 で一言述べた。
露骨に少女漫画的な定義という感じもしないでもないし、 「信じる者は救われる」式の言葉は、 一種のシンデレラシンドロームに陥っていたほのかを引き上げる言葉としては 実は最悪の選択だったような気もする。
ただ、この部分も、正当であるはずの月夜の晩の語らいで失敗したのを ちゃんと受けていて、ほのかが受け取れているのはいかにもありそうなことになっていた。 ん、意外に(といっては悪いが)しっかりした構図の話だな。

「あんたの時もしっかり流れている」
も最終話としての締めくくりなのはもちろんとして、 彼に近付こうとする方向に行動様式がずれたのは彼女が初 というのも最終話的、いままでは一番良くて現状確認止まりだった。 まあ、名前書く以上のことをするのかどうかはこれから次第だし、 夏穂あたりはすでにもっとましなことをしていた訳ではある。

── ところで、 〜 センチメンタルジャーニー名場面投票 〜 なるものが尾島某さん家で始まったようである。 emacs-w3 からの select もちゃんとうごくようなので、 私が投票するのにあたって問題はなさそうである。よかったよかった。 そんなところでまだ投票してないけど宣伝しておく。

新世紀エヴァンゲリオン Genesis 0:12(「涙」、「最後のシ者」) ビデオ版。
「Air」,「まごろころを君に」へのすりよりが見られる。また、「Air」の予告が入った。 絵が手掛かりとなって、TV 版では唐突であるとか、謎だったセリフの かなりが自然なものに聞こえるようになった。 「そうかそういうことか、リリン!」はやっぱ解らんかったから、ま、その程度のもんではあるが ...
その副作用としては、レイを救うのに初号機を出したところでのアスカのセリフ、

「なによ、私の時は出さなかったくせに」
の位置付けが少し変わった。
零号機救出の意味がおぼろげながらもみえ、 ゲンドウの行動としての理不尽さがやや薄れている。 もちろんアスカには見えない部分だからアスカにとっては同じことだけれども。
しかし、.... やっぱいいねぇ。エヴァは ...

ってな訳で、音だけテープにとったのだが、............. みゅぅ .... 23, 24 話って絵がなきゃつまらんぞぃ ;_;


7 月 3 日。
MobileGear に入れた FreeBSD はもちろんコアだけ。 いまドキどこ行っても入っている bash, tcsh が無く、 実に 2 年ぶりくらいに 純粋の sh, csh を触った。 .... 指がつるかと思った。
てなわけで、zsh をのせるなど、環境整備なぞする。
7 月 2 日。
ごちゃごちゃと、ごちゃごちゃなどする。
  1. マウスは分解掃除したら元に戻った。フォトインタラプタに埃が挟まっていた。
  2. MobileGear に FreeBSD を install した。ついに DOS の呪縛から逃れられるか。
  3. 外付けの CD-ROM チェンジャを外し、 SCSI card に久しぶりにターミネータを付けた。
    修理が終ったらまたターミネータ外さなならんので、 面倒だからケースの外箱は外しっぱなし。空気の流通が気になるが、 もともと消費電力に気ぃつけてるマシンだし、いいや。
  4. 日本国語大辞典(全 10 巻)を発掘したので本棚に install .... しようとしたが入る気配もないので脇に積み上げた。したら、 高さがサイドテーブル的にちょうど良かった。

センチメンタルジャーニー第 12 話。
ついに『センチメンタルジャーニー』も最終話、ということで全体を観た感想から。
骨格は分かりやすい。 「過去」への想いが「現在」と摩擦を起こすようになり、それを整理しなおして 「今のままでいいんだ」かあるいは別の形にそれを昇華する、という構図が主筋。 副筋はそれぞれの性格、個性にあわせていろんなものを。 そして演出は千差万別に ....
もう手の届かない「過去」への想いはそれだけで十分に「せつない」し、 副筋は毎回ちがっていて飽きることはなかった。 主筋以外は毎回違うだけに出来不出来の差、あるいは好き嫌いも大きかったけれど、 主筋を固定したままで出来ることはすべてやったんだろうな、と思える出来映えだった。

もちろんこの強い制約の下、しかも一人あたり 30 分という条件では 大した話にはならない。中期ステージ、5 話、6 話、7 話、8 話あたりの割り切り方 ── シナリオが一本道なのはいっそ気持ち良かったし、 逆に後期ステージ、表のシナリオと暗喩で流した裏のシナリオの重層構造は 苦労していたように思える。 もうすこし枠があったら、とまで思う。
しかし、むしろそれだからこそ、 各話の密度の高さ、1 話につめこんだ想いの深さは、何度でもみなおすに足りた。 高水準の今期にあって、その中でも 1, 2 を争う良作だったと思う。

名シーンとしては、

  1. 3 話冒頭、優が舌を出すシーン。
    絵的に美しかった。萌えシーンとしてピカイチ。 そして優という人物の紹介を数秒でやってのけたということにも感嘆する。
  2. 1 話の最初、晶がバイオリンを投げ捨てるシーン。
    晶という人物の紹介シーン。晶の燃えるような心根を一瞬にして表現してのけた。 これがあるからこそ、以後の晶の寂しそうな表情に萌えていられる。
  3. 5 話の最後の方、恭子の「知ってるけどっ」。
    泣きそうなくらい緊張感の張った想いが伝わる。 絵なんか必要ない。声のイントネーションだけで十分。
  4. 8 話ラスト、明日香の映画館で独り。
    静止画なのに、表情がいまにも崩れそうな、というより崩れる錯覚。
かな。

さて、第 12 話のこと。
9 話の暗喩は難しかった、というのと違い、こっちは意図がそもそも分からない。 郵便屋さんの位置づけはどうなっているんだろう。
ラスト、写真の扱いからして父親の若い時の姿が郵便屋さんをとったという意味だとすると、 10 話オカルト風味のえみるの話でさえ出さなかった幽霊(生霊)を出したというのは (現実にありそうなこととして描く)『センチメンタルジャーニー』の話としては 反則の部類にはいる。 また、人の描き分けをさっぱりやっていない『センチメンタルジャーニー』で ふりむいたところと写真の人物の同一判定をキーとするのはお約束事として ちょっと困りもんでもある。
よく出入りしていた父親の研究室の誰かがバイトで郵便屋をやっており、 その繋がりかと思えばそうでもないようだ。

筋の他の部分とはまったく独立に、ほのか にアタックした人という位置付けのつもりだと二つの流れが独立にすぎるわりに 郵便屋さんの筋が弱くてきちんと立っていない。
紙飛行機に乗せた暗喩も分からん、というより出してみただけのような気がするし。

でてきた橋は一条のやつだと思うし、南 1 東 5 という地名からしてもそうらしい。 北海道大学までは 2km かそこらで歩くにはけっこあると思うが、大した問題でもあるまい。 カレンダーが 1997 年 2 月と、小学校の卒業年度(1991 年度) とあっているのは 脇にちょっと出ただけのわりには神経が回っているが、 月の表現に関してはどうこう言う気力もなくなった。 広大な北海道のことである、小学生が保護者もなしに遠路はるばる 札幌から日高まで出かけられるか? とか、 北海道なのに列車に(防寒対策としての)デッキがないな、とか、 背がほのかより小さいはずの「彼」の背が、どうみてもほのかより大きいとか、 研究室内で教授に名字つけて呼ぶかなあ、とか 。

んー、ちょっとラストにもってくるには迫力不足な話だったかな。 恋の定義付けがあるから、これが全話通しての語りになっているんだろうけど。

「ねぇ ... 『あたしもだよ』、もう 12 個になったよ。すごいよね、あたしたち」

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