いわゆる共通言語としての役割を担うことができます。 これはまあ、半分位そうじゃないかなと分かってて絡んでみました。それは、 この暗喩を拒絶する立場から積極的に解釈に組み込む立場までいろいろありして、 そして、私は、よその話に共通言語としての役割を担わせて感想を組み立てることに 慎重な立場をとってるからですね。 言いたいこたー分かるがそーゆー論理は嫌いだ、という感じ :-) 理由は書き出すと長いんだけど、簡単に言えば他の話と絡めるってことは 歴史的、社会的共通認識の背景まで含めての感想文な訳ですね。 それは既に話そのものの感想とは異質のものであると思うのです(だから悪いとは言ってない)。 さて、閑話休題。 琴音は、(それまではともかくとして)雲が開けて星が流れた時には 証拠とか奇跡とかいう言葉も忘れて流れ星に素直に感動したんだと私も思います。 そして、そのことに「勝った……」という直前あたりで気付いた。 完全に優の土俵の上に乗ってしまったという思いはあったでしょう。 ただ、.... 一人旅なんて無理しちゃって〜二人だと安心でしょ だったのが 証拠見せてよっ! あたりで対等な関係に落ち、 人生ってもんはねー というところで再び年長者としてのものに戻っているのが見てとれますよね? 琴音の精神状態が高台と帰りの船での会話の間でいったん切れており、 この時点で私は「証拠」その他のロジックをも思い出したと解釈しています。 そして「勝った……」は 「素直に感動した自分がいたこともであるし優の立場も認めはしよう、 でもそれはやっぱりどこか違う」 という琴音の最後の抵抗なんだと思います。 文字通り「(優が)勝ったわけではなく、ただの偶然」というプラグマティズムが 琴音に馴染んだ本来の論理だろうし、そういう(優の論理でなく)琴音の論理の 土俵の上ではまだ不満が残っていた、その解決が「はい」であり、 優の土俵でなく、琴音の土俵の上でも優に語れるところがあったということ、 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ これは流星時の琴音の驚きとは独立なものではないでしょうか。 琴音の思考の流れとして流星を見た時のインパクトからこの会話に至るところが キーだというレベルでなく、観ている「私」に一定のインパクトがあった。 9 話のラストで美由紀は一良さんの説得にかかりますが、まあ演出上故意なんだろうけど 私にはさっぱり心に響きませんでした。それは良くも悪くも美由紀の使う論理が美由紀の ものであって一良さんのものでなかったからです。一良さんがどれほど修行してこようと それ自体を疑っている現状では、修行が美由紀からみて評価に値するからといって どれほどの価値があることか? 美由紀は一良さんの価値観のもとで一良さんの仕事が やっぱり評価に値することを論じるべきでした。もちろん物凄く難しいことですから 美由紀に出来なくて当然です。 それを優は一言でやってしまった! 琴音がいつどこで何を思い、何を考えた結果として救われるかどうかという 話であるならば、それは「優についていく」ところに踏み出した時点で 救われる資格を得たと考えており、高台の上で素直に感動したことそのものは いうなれば「歴史的必然」に近い感覚を私は持ちます。 どんな形か知らないけどいつかどこかで起きる筈の事件(ターニングポイント) の一つの具体例として現われたにすぎず、私がこれをキーシーンとして 重要視しない理由がここにあります。 それと、これは感性の問題として... 流星というのは、出現が分かっていても感動的に奇麗なもんです。 見慣れるという気がしません。だから琴音くらいの表情変化は 何の条件もなくても当然という気持ちがあって初見では特別意識しませんでした。 また、それだけにおめめウルウル状態の二人の絵は違和感が大きく、台風の穴の おもいっきり頓珍漢な描写とあいまってさっさと忘れたいシーンだったりします :-) # 台風の穴との遭遇は本物の方が迫力で一枚上、ちょっともったい無かったな。 琴音の優への評価が一変するのはここからで、ここから旅の一連の優の行動を 評価しなおすといったことが行なわれる。それは「こんな子ほっとけばいいのに」 「なおさら嫌だった」などという同行中の評価の低さから窺えます。 これが旅のラストでは行動の不可解さが「天使のようだ」というプラスの評価に 変わるんですから。 「……私に信じる気持ちを起こさせるために。それがなおさら嫌だった。」 いうところの reflection (自分の気持ちを相手の行動に投射する)ですから 優がどう思ってるかは全く論じる必要がないですね。琴音自身がどう思っているかと いうことにのみ意味を持ちます。「信じる気持ちを起こさせるため」なんだから 「信じたい」という叫びがまずあり、「それがなおさら嫌だった」んだから そういう方法では信じるには至らないぞ、ということの宣言でもあるでしょう。 この防衛線は「あまりの奇跡」に一時うちやぶられますが、 忘れた訳ではなくて以下上記、という風に私の解釈では繋がっています。 さて、ここまでが準備で(おゐ)、 「天使ってたぶんいる。……」 ですが、ラストが 「私は言えるかな」 ですから、... というあたりはまたそのうち別稿にしましょう。 いいかげんものすごく長くなってる(汗) PS. 神木さんへ。優の数ある表情の中で、唯一緊迫感の伝わってくる、雨の中 で流星を待つときの優の表情についてどうお感じになりましたか。 鋭いセンスしてるよなぁ... 尋ねる方は 2 行かもしれないけど応える方はいったい ^_^;; 初見ではあのシーンに合わせて、私の思考も複数走りました。 優の態度と内心の剥離の程度や、あの時点での優の興味の範囲から 二人の健康状態に至るまで。ただ、私の思考は本筋から独立していました。 もしここで台風の目がこなかったら優は ... といった類の本筋絡みの思考は 一切ありませんでした。あからさまな予定調和が見えていたからです。 興味の中心がすでに目が現われた時のことに移ってしまっていました。 一瞬ぞくっとしたのは確かですが、予定調和の中に留まり、 それをもったいないと思うべきかどうかは良く分かりません。 今は。人が本気で何かを考えている時は、余計な詮索なしに行動を待つのが 正解だと思っています。 以上のこたえはたぶんワタルさんが期待する方向の論旨ではないでしょう。 しかし私はあのシーンに対する敬意の払い方としては、 どちらかといえば語らない方向を選びたいです。 # 正確には.. 何か語るにしてもそう断っておいてから語りたいと思った。 ## という書き方で、たぶん私の感じたことは伝わった... と思いたい。